彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

乗鞍三滝

新緑の乗鞍高原温泉郷を巡る=乗鞍三滝(善五郎の滝)

新緑の乗鞍高原温泉郷を巡る=乗鞍三滝(番所大滝・ばんどころおおたき)
新緑の乗鞍高原温泉郷を巡る=乗鞍三滝(三本滝・さんぼんだき)

最後に乗鞍三滝の“善五郎の滝”を訪ねた。アプローチの難易度では三滝のなかでここが一番楽であった。


善五郎の滝
善五郎の滝

また、その周遊コースに “牛留池(うしとめいけ)”という“逆さ乗鞍”を映すミラーレークもあり、観光スポットとしての充実度は高い。

牛留池に映る逆さ乗鞍岳
牛留池に映る”逆さ乗鞍岳”

鈴蘭橋の(下から来ると)手前に大きな駐車場があり、その駐車場の出入口のすぐ脇に“善五郎の滝入口”のポールが見える。ちょっと入路が分かりづらいが、大丈夫。

鈴蘭橋
善五郎の滝入口の案内
鈴蘭橋と駐車場の中ほど、道路より少し入り込んだ所に立っている

善五郎の滝への経路には白樺が多く、この季節はムラサキヤシオが咲き始めて、白と紫とそして新緑のコントラストが殊のほか素晴らしい。

白樺に囲まれた経路です
白樺が多いアプローチです
白樺とムラサキヤシオ
白樺とムラサキヤシオと新緑のコントラスト

この景勝を愛でる余裕があったのも、ほかの二つの滝(番所大滝・三本滝)と異なり、山道といっても一部を除き起伏は激しくなく、ゆったりとしたハイキング気分で歩けたからである。

ムラサキヤシオ
いま咲き始めたところのムラサキヤシオ

駐車場から7、8分で善五郎の滝を上から見下ろせる滝見台へ到着。


滝見台へはすぐ到着

雪解け水が豪快に落下する滝口の上方に目を転ずるとそこには冠雪の乗鞍岳が見える。

善五郎の滝と乗鞍岳
滝見台から善五郎滝と乗鞍岳を見る
滝口
滝見台からは雪解け水が落下する滝口がよく見える

まさに絶景ポイントである。

ムラサキヤシオと乗鞍岳
滝見台のちょっと上からムラサキヤシオと乗鞍岳を撮りましたが・・・ちょっとボケてますね・・・

そこから途中、急な下りがあるものの、危ない個所はないので足が少々弱った方、杖をついて歩ける人であれば、余裕で“善五郎の滝”まで行き着くことが出来る。

新緑の中、善五郎の滝
新緑のなか善五郎の滝

最後に一番厳しい下り階段があるが、手すりも整備された安定した階段なので、安心である。かなりご高齢の方も付き添いの方と一緒に見学に来られていた。

きつい下り坂には手すりが
最後の急な階段も手すりがあり、安全です
突き当りの下り坂を下り、この橋を渡ってきました
正面右に小さく見えるのが上の急な階段です。この木橋を渡ってきます

その急な階段を下り、木橋を渡ると遠くにもう一つの木橋が見える。その橋の上から“善五郎の滝”を正面に見上げる形となる。

先の橋が善五郎の滝の真下
木橋から最後の木橋を見る・この淵が昔の滝壺である

その最後の木橋手前のエメラルド色した淵が後ほど知ることになる数百年前の滝壺である。


その淵からの清流を眺めながら岩壁沿いに歩くと、瀑布の轟音が近づいて来る。左手の山肌が迫り出しているので、最後の急な階段を十段ほど昇って、木橋に行こうとした時、すぎ左眼前に“善五郎の滝”の全貌が現出し、その迫力に息を呑むことになる。

幅10m落差30mの善五郎の滝
幅10m・落差30mの豪快な善五郎の滝

その自然が造り出した演出は見事というしかなく、人の力で出来ることなど限りがあると、素直に納得させられる瞬間である。

DSCF1439
橋の上から、素晴らしい自然の造形美

ここは乗鞍三滝のなかでももっとも水飛沫が激しく、風の向きに拠って橋の上でも細かい飛沫が霧のように降って来た。


わたしは橋を渡り案内板が設置してある最も低くて滝に近い滝見台へ下りて行った。

案内板のある一番下の滝見台
案内板のある下の滝見台

床はびっしょり・・・

床がびっしょりと濡れていた。まさに天気雨が降っているような様相である。防水カメラでもないのに、必死でシャッターに“善五郎の滝”をおさめたのが下の一枚である。

私もカメラもびしょ濡れ
水飛沫がすごかったです

また、そこの案内板にこの滝は古来、後退を続けているのだと書いてあった。最後の木橋の下流側の淵が昔の滝壺なのだという。現在の滝壺は百数十メートルも後退していることになる。

滝壺
現在の滝壺
現在の滝壺から橋下を過ぎ昔の滝壺へ
百数十メートル下流にある昔の滝壺
昔の滝壺へなだれ込む
いまも昔の滝壺へ雪解け水が落ち込んでゆく

そう思ってもう一度“善五郎の滝”に目を転じると、滝壺のちょっと上部に岩肌の突出した部分がある。30m上の滝口から猛烈な勢いで滝水が落ち、そこへぶつかり、豪快な瀑布の様相を造り出している。

落下の水勢で岩が削り取られてゆく
出っ張った岩肌を滝水が削り取ってゆく・・・

しかし、それは同時にその岩肌を削ぎ落としてということでもあり、滝口の岩盤の研磨と相俟って、何百年、何千年という気の遠くなる年月を経て、新たな“善五郎の滝”の景観を造り続けていることを知った。


大自然の桁外れな力を思い知らされた時間であった。

新緑の乗鞍高原温泉郷を巡る=乗鞍三滝(三本滝・さんぼんだき)

新緑の乗鞍高原温泉郷を巡る=乗鞍三滝(番所大滝・ばんどころおおたき)
新緑の乗鞍高原温泉郷を巡る=乗鞍三滝(善五郎の滝)

番所(ばんどころ)大滝を観た翌日(5/30)、小大野(こおおの)川の一番上流に位置する三本滝を訪ねた。

何とか三本滝を一望?に
三本滝

乗鞍三滝のなかで最も時間を要し(一般の人で片道25分)かつ木の根の這う細い下り道を歩かねばならず、足の悪いわたしには難易度が高く、体力のある午前中がふさわしいとの家内の読みによりそうした行程となった。

この三本滝案内板を目指して歩きました

その判断が結果的に“日本の滝百選”に選ばれた“三本滝”を心ゆくまで鑑賞する最高に贅沢な時間をわれわれにもたらしてくれた。


当日は午前930分には、 “三本滝レストハウス”(この時期まだ閉鎖中)前の駐車場に到着。標高1700mとの表示があったが、朝晩の冷え込みはまだまだ半端ではないのだろう、駐車場の隅に除雪した雪の残骸がまだ解けずに残っていた。

駐車場に除雪された雪が残る
駐車場にまだ残る除雪された雪

そして乗鞍の頂上、畳平へ向かう乗鞍エコーラインもこの三本滝バス停でまだ全面通行止めの状態であった。

エコーライン閉鎖中
これより先は通行止め
三本滝レストハウス
三本滝レストハウス

レストハウスの右側壁沿いにちょっと進むと、そこに三本滝へのアプローチ路らしきものが見つかった。しかしその入路口には手毬大の石ころが多数転がり、熊笹が両脇に生い茂るなど、案内板もないためこの道が三本滝へゆく径なのか不安になる。

三本滝ルートの入口
ここが分かりにくい三本滝への入路

実際に一組の御夫婦がやはり「あっちだ」、「いやこっちだ」と言いながらレストハウス周辺を巡っていた。その後、このご夫婦とは山道ですれ違うこともなく、三本滝で合流することもなかった。結局、あのご夫婦は三本滝を見ることを諦めてしまったのだろうかとちょっと気の毒な気がした。


一方、われわれは“女将おすすめ・のりくら散策ガイド”の小冊子を手に、疑心暗鬼ながらもスキー場の林間コースのような狭い山坂を下り始めた。

三本滝へのルート入口
この坂を下ります

途中で手書きの“三本滝⇒”なる案内板を見つけひと安心したのも束の間、その下に書かれている文章に“この先残雪(30cm程度)があります。雪解け(5月下旬頃)までトレッキングシューズでも、歩行が困難です”とあった。


曲がり角に矢印標識が

ここが思案のしどころだが、行けるとこまで行っちまえ!というのが、わが夫婦の共通する性分。その標識から山道は一挙に幅を狭め、雪が解けている故か、昨夜の雨の故か泥道の表面はぬかるんでいる。

雪の残る三本滝への道
雪の残る三本滝への経路

わたしは残雪がそこかしこに見え隠れする下り道を杖を支えに慎重に歩を進めた。

往路はこの傾斜を下りました
往路はこの歩きづらい坂道を下ります(写真は復路のもの)

またどうしても引っ張り上げてもらわないと難しい段差があったり、グラグラと不安定な丸太橋などは家内に手を引いてもらわないと危険であり、健康であってくれた家内に心から感謝したところである。

厳しい個所もあります
厳しい難所もありました

そうこうしながら痺れた足を引きずり、息をあげて歩き続けていると、三本滝へ0.2kmという標識を見つけた。萎えた足の力が俄然、みなぎってくる。本当に人間って現金なものである。


地獄に仏・あと0.2kmの標識

そしてこれが最後の胸突き八丁なのだろう。眼前に山肌にへばりつくようにして急勾配の階段があった。手すりにすがりつき、最後の力を振り絞り、それを昇る。

急勾配の階段
この急勾配を手すりにすがって昇りました

すると、今度はしっかり揺れてくれるではないか、吊り橋が待っていたのである。


しっかり揺れる吊り橋

高所恐怖症のこのわたしがその難所の吊り橋を独りで渡り切る。下には小さな滝が轟音を轟かしている。

吊り橋の上から
吊り橋の上から清冽な滝と滝壺が見下ろせる

だが、あまりに清冽なその流れと滝壺へと一直線になだれ込んでゆく水勢に、高所恐怖症という劣性な感性は身を潜め、奔馬のように奔る透明な流水に融け込みたい、どこまでも一緒に転がってゆきたいというこれまで覚えたことのないAdventurous Spiritにとり憑かれたのである。

三本滝手前にも清冽な滝が
滝壺に真っ逆さまになだれ込む

この充実感・・・、昂揚感・・・!! もう三本滝は近いに違いない・・・。霊気とでもいうのだろうか、水の精にでも手招きされているような陶酔感である。


その危うい心の揺らめきを覚醒させたのもまた水の精なのだろうか・・・、滝壺に落ち込む水音であろう、わたしの耳朶を打ち、その響きはどんどん大きくなってゆく。まるで和太鼓が乱れ打ちに転じてゆくようなピッチで・・・

吊り橋の下にも小さな滝が
この吊り橋を渡り、坂を登った地点から写しました

水の精に操られたようにして吊り橋を無事渡り終えると、直ぐにまた急勾配の板敷きの坂があった。最後の力を振り絞り昇りきった。


目の前にぽかっと小さな平地が出現した。

わたしには難易度の高い最後の難所
平地といってもこの険しさ

水溜まりのできた小さな木橋を渡ると、その先に“三本滝”の案内板が見えた。

正面に三本滝の案内板が
水溜りの橋の突き当りに三本滝の案内板が

三本滝に到着である。慎重に足場を選びながらの行程であったが、35分ほどで到達した勘定になる。家内の助けもあり、捻挫や転ぶこともなく、上出来の部類といったところである。


そして転がり落ちて来たのだろう、そこここに点在する大石を右に左に避けながら、ゆっくりゆっくり瀑布の放つ轟音に向かい進んだ。

大きな石が転がっている
沢にも大きな石がゴロゴロ

視線を地べたから空へ向けて上げた。三筋の滝を認めた。一望できた。爽快である!!

何とか三本滝を一望?に
眼前に滝が見えた。手前に黒い沢の滝・真中に本沢の滝・左奥に糸のように無名沢の滝

三本滝は水源の異なる三筋の流れがこの個所で滝となって天空より落下し、ひとつに合流するという。

合流
本沢の滝に右手より黒い沢の滝が落ち込んで合流

その合流する最後の瞬間、それぞれ出自の異なる水流は自らのアイデンティティーを確かめるかのように、己だけが造り上げ得る姿を創り出し、滝口からダイブする。それほどに三本滝の姿は見事なまでにその趣きを異にしている。


そして各々が落ち込んでゆく滝壺から発される轟音は、三筋の水流が一緒になり混然となる寸前に己が生きて来た自身の証しを必死に誰かに伝えようと叫んでいるようにも聞こえたのである。

霊気を感じる空間
霊気を感じさせる無意識界・・・

自然の造り出す無意識界の景観であるが、客体であるわたしには彼らの強い意思を感じさせる命の為せる表現に思えたのである。


その三本滝。

向かって右手が小大野川の支流・黒い沢にかかる“黒い沢の滝”である。

黒い沢の滝
豪快に流れ落ちてくる”黒い沢の滝”

直下に落下するのではなく、幅広い急勾配の黒い岩盤の上を豊富な水がまさに石奔(いわばし)っている。

石奔る
まさに石奔(いわばし)る

その砕け、跳ね、舞い落ちて来る様は、真下から眺めていると奔放な野生馬が今にも跳びかかってくるようで、その生命力には圧倒される。


真ん中で豪快に落下している滝が、小大野川本流を流れ落ちる“本沢の滝”である。

本沢の滝
本沢の滝

少し奥まった滝口から一直線に落下する瀑布の様は潔く、痛快であり、見事である。

DSCF1073
一直線に滝壺に雪崩れ落ちる

そしてちょっと左手に白く糸を引くように楚々と流れ落ちているのが、無名沢にかかる“無名沢の滝”である。

無名沢の滝
もともと水量が少ない無名沢の滝

右側の二つの豪快な滝とは異なり、ただでさえ僅かな水量は滝壺に落ち込むまでに霧となって大気を潤している。わが身を削り、細い糸のようになり落下し、滝壺へ舞い降りる時には、消え入るような姿である。

DSCF1050

ただでさえ細い我が身を削り、大気という世界に水の精なる潤いをほどこし、ついには消え入るように小さな小さな滝壺へと身を沈めてゆく・・・

無名沢の滝
か細い流水が岩肌を落下してくる・まだ残雪がそこかしこに・・・

なにか、衆生を救うために祈ってくれている観音さまのように思えてきて、この“無名沢の滝”が殊のほか有難く、いとおしく感じられた。

絶景スポットを譲りました
絶景ポイントを後から到着した旅人に譲る

そして20分ほど三本滝という清浄なる空間を二人っきりで独占したところで、旅人たちがチラホラと辿り着いて来た。そこで頃はよしとこの清浄界を後にして帰路につくことにした。


帰りは足が慣れたせいもあるのか、30分弱でレストハウスまで辿り着いた。


ミヤマカタバミ

その道すがら高山の花や芽吹き始めた木々の新緑を愛で、ウグイスやコマドリなどの野鳥の囀りに耳を傾け、心満ちた道行きを愉しんだ。

可憐な花々に失礼にならないように、帰宅後、”山と渓谷社”の”高山の花”、”山の花”、”野の花”を買い求めたのでこれからもう少し勉強しないといえませんね。色々な花が咲いているのだが、名前が分からないのが多くて・・・

新緑の乗鞍高原温泉郷を巡る=乗鞍三滝(番所大滝・ばんどころおおたき)

新緑の乗鞍高原温泉郷を巡る=乗鞍三滝(三本滝・さんぼんだき)
新緑の乗鞍高原温泉郷を巡る=乗鞍三滝(善五郎の滝)

「乗鞍高原のミズバショウが見たい」との家内の言で、蓼科の新緑を堪能したついでに、乗鞍温泉まで足を延ばした。

松本ICから国道158線で乗鞍高原へは約1時間・上高地との分岐点

わたしは初めての訪問だったが、家内は独身時代に“お花畑”(乗鞍岳畳平:標高2700m)に行ったことがあるという。ただその時は花より団子の“お年”だったので、お花畑の美しさより夏というのにあまりの寒さに高山植物の鑑賞もそこそこに“下界の温かい団子を喰うため(これは私の想像だが・・・)”下山したのだそうだ。公平性の観点からこの件についての家内の言い分を一応記しておくと、「当日は霧がかかっており、視界不良で気温も低かった」とのことだが、数十年も前のこととて事の真偽をわざわざ確かめる気はこちらにはない。でも・・・やはり、団子の口だとわたしは確信して疑わない。


そして山頂・畳平までの乗鞍エコーラインは11月から6月末までは閉鎖中で、長野県側から畳平には登れぬため(岐阜県側からは515日より畳平への路線が開通)、今回はミズバショウを観ようとなった次第。


ところが、乗鞍訪問の二日ほど前に観光協会にミズバショウの開花状況を問い合わせたところ、「盛りはゴールデンウィークの頃で、終わってしまった」とのこと。

宿は予約してしまった。行くしかないということで、言い出しっぺの家内が観光案内の資料に目を通し、入念に見どころを再選定、観光ルートを作り上げたのが、乗鞍三滝巡りであった。そしてこの名勝たる三滝全てが梓川の支流である“小大野(こおおの)川”と呼ばれる奇妙な名前の川に形成されている。

初日、われわれがまず向かったのが、その一番下流にある“番所(ばんどころ)大滝”(標高1240m)である。大滝と謳われているように落差は40m、幅も11mの規模を誇り、乗鞍三滝のなかで一番大きな滝である。この上流に残る二つの“善五郎の滝”(標高1520m)と“三本滝”(標高1810m)があり、そこは翌日、訪れた。

番所大滝案内板
番所大滝の案内板

番所大滝を見るには、車を止めた駐車場から少し山道を下ったところで道が左右に分かれている。左手へ下ってゆくと滝上展望台へ、右手の道を下ると滝を見あげる展望台へと続くのである。

そこでわれわれは最初に番所大滝の滝口、つまり滝の頂上を見下ろす“滝上展望台”へ向かうことにした。下り初めてすぐにその小さな滝上展望台はあった。

番所大滝滝口
番所大滝の滝口はこんなに狭くて小さい

新緑の木立で視界が遮られ、一望のもとに滝水の落ちる瞬間を観ることは難しかったが、水勢があり大きな水音を轟かすわりに、その水量は透けて見える岩畳の川底をうすく舐めるように流れる程度であった。こんな水量でどれほどの滝になるのかと思ったのは正直な感想であった。

番所大滝滝口
水勢はあるが、水量は川底の岩肌が透けて見える程度

そこから夢見橋を渡り、その渓谷の景観を楽しんだ。そのまましばらく行くと千間淵(せんげんふち)にゆくが、橋を渡ってちょっと行った先でわれわれはUターンした。先ほどの分岐点へ戻り、番所大滝を下の方から見る展望台へ向かうためである。

小大野川に架かる夢見橋
小大野川に架かる夢見橋・これを渡って先に行くと千間淵

分岐点から展望台への径はかなり急勾配の下り坂であった。

途中、こんな足場も・・・、ちょっと怖い・・・

ただ足が少々不自由なわたしでも手すりが整備されているので、ゆっくりと足元を確認しながら下りてゆけば問題はない行程である。

展望台へ九十九折りの急坂が
真っ逆さまに落ち込むような急坂、でもしっかり手すりが・・・、助かった・・・

足元に注意しながら途中の岩肌を観察すると、昔地学で習った”板状摂理”が見事に見える。太古の昔からの自然の営みを理屈なしに納得できる造形である。

大滝への道に続く板状摂理
急坂で足元には注意しながら、板状摂理を見てみよう
くっきりと板状に摂理が見える

分岐点からわたしの足で10分程度の距離であったか、滝の中腹を眺める位置にある屋根付き展望台へと到着した。

水しぶきがただよう展望台
誰もいない展望台

あたりには細かい霧のようになって水飛沫が漂っていた。まさにマイナスイオン100%の清浄世界である。

目の前には落差40mの番所大滝があった。

番所大滝
豪快な落差40mの番所大滝

清冽な雪解け水が雪崩のようにして滝壺にど〜っと落ち込むその様子は、渓谷に轟く大音響と相俟って迫力満点であった。

雪解け水がなだれ込む滝壺
轟音を発する滝壺

滝口の勢いはあったものの、あの僅かに見えた水量がどうしてこれほどの大滝に変身するのか、自然が造り出す景観の魔術にわたしはただ唸り声を絞り出すことしかできなかった。

滝口を見上げる
滝口を見上げると、あの水量がと思うほどに、豊かな雪解け水が落ちてくる

大滝が轟かす大音響のほかには何の音もしない・・・。そのことがこの渓谷の静寂を逆に見事に際立たせている。

新緑を裂きなだれ落ちる大滝
新緑を裂き雪解け水が豪快になだれ落ちる・・・ほかに何の音もない・・

そしてその自然が生み出す“静寂の時間”は、社会と呼ばれる猥雑な空間で呼吸せざるを得ないわたしに、人間という生物の存在がいかに小さく、その意思が何ほどにもないことを、否も応もなく悟らせたのである。

最新記事
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

月別アーカイブ
記事検索
プロフィール

彦左衛門

  • ライブドアブログ