久間章生防衛大臣(当時)の「しょうがない」発言には、正直、驚いた。久間氏も長崎県出身の衆議院議員であるのだから、当然のことだろうが、長崎原爆記念資料館を拝観しているはずである。わたしも遠い昔、中学生の時代に資料館を見学した。原爆罹災の悲惨さは話には聞いていたが、実際に原爆のすさまじさを伝える当時の遺跡や遺留品の展示物を目にした時の、大きな衝撃は40数年を経た現在、未だに目蓋から離れることはない。
人の手のひらが高熱により溶け込んだビール瓶とおぼしき不形状のガラスの塊。真黒に焦げたなかに人影だけがくっきりと白く浮き出たコンクリートの壁等々・・・。
その展示物を思い起こしてみるだけで、原爆、核兵器はこの世の中からなくさねばならぬと心に誓うはずである。
世界で唯一の被爆国たる日本。この意味合いを最も理解しているはずの長崎出身の代議士である久間氏。その日本人が米国の原爆投下を是認したとも受け取れる発言は、許されるものではない。同氏の発言を不適切な発言と評する人物や国会議員もいたが、その人物たちも久間氏と五十歩百歩である。「不適切」とは「ぴったりあてはまらない」という意味であり、表現の仕方を変えれば原爆投下の大義もありうるともとれなくもないのである。
その意味でこうした反応を示した人たちも久間元防衛大臣と同罪とも言える。原爆の投下にどんな理屈をつけても大義などあるはずはないのである!
コンクリートの壁に己の姿のみを遺影として残して逝った人物が、そんな平和ボケした現在の日本人を許すことなどありえない。
久間前防衛大臣が発言した内容は、国会議員の資質を議論する以前の人間として最もプリミティブな次元の問題である。
日本人として間違っても口にしてはならぬ、いや口になど出せるはずのない「鬼哭啾啾(きこくしゅうしゅう)」の爛(ただ)れた歴史の瘢痕(はんこん)の部分なのである。今回の発言はそのカサブタをひっぱがす蛮行とも呼んでよい。
こうした人物が国民の代表として国会議事堂に席を有していたことが、一国民として恥ずかしさを超えて決して許せぬことであると感じた。