富岡市富岡1番地1 ☎ 0274−64−0005
長野の善光寺参りの帰途、日ごろ利用することの少ない上信越自動車道を通行した。
好天にも恵まれ、帰宅までの時間も余裕があったことから富岡ICで下車、約10分(駐車場まで)のところにある富岡製糸場を見学した。
日本の世界遺産は、現在、14件の文化遺産(法隆寺、京都の文化財など)と4件の自然遺産(白神山地、知床など・富士山は文化遺産)の合計18件が登録されている。
富国強兵を強力に推し進めた近代日本の象徴でもある富岡製糸場は、長期間の蚕種貯蔵を可能にした“荒船風穴(下仁田町)”や清涼育という養蚕技術を確立した“田島弥平旧宅(伊勢崎市)”などの養蚕関連の文化財と合わせ「富岡製糸場と絹産業遺産群」として平成26年6月25日に、昨年6月の富士山につづき世界遺産の文化遺産に登録された。
富岡製糸場について我々世代は、機械がズラッと並ぶ工場内で生糸生産に励む着物姿の女工さんたちの写真を教科書で一度は目にしていると思う。
富岡ICから富岡市の公設駐車場が富岡製糸場の徒歩10分圏内に4か所設けられている。われわれはちょっと遠いが、唯一の無料駐車場のP4に停めてのんびり徒歩で20分ほどゆき富岡製糸場へ到着。P1〜3の有料駐車場(100円/30分)からは徒歩10分ほどで便利。
また、駐車場から製糸場への途中には駐車料1000円ほどの数台程度停められる私営の臨時駐車場があり、足元が悪い人は休日の混雑時でない限り工場近くまでアクセスが可能である。
当日は横川ICから富岡製糸場問い合わせの番号に電話し、混雑を確認した。12時過ぎであったこともあり、待ち時間は5分ほどとのことであったが、実際に工場に着き、受付の時間待ちはなく、とてもスムーズに入場できた。
ただ、場内にはボランティアガイドさんに引率された団体、グループの見学者が多く、そうした人々の波を上手に掻い潜り自分のペースで見て回りたい方々は受付でイヤフォーンガイド(200円)を借りるとよい。
興味があるところはじっくり、そうでもないところはさっと見るだけといった臨機応変の見学が効率性もよく、おすすめである。
また、ちょっとしたエピソードや詳しい説明が欲しい人はちょっと面倒でもボランティアガイドさんに引率された見学が質問も可能であるのでお薦めである。
われわれはイヤフォーンを借り、通りすがりにボラティアさんの面白そうな話は立ち止まって耳を傾けるといった都合の良い廻り方をした。
そんなこんなで約1時間半で富岡製糸工場見学を終えたが、多分、混んでいるときにはもう少し時間の余裕を見る方がよいと思う。
残念であったのは、今年2月の豪雪で乾燥場がほぼ全壊し、それがまだ再建されずに見学不能であったことである。
世界遺産登録が確定していたにもかかわらずにこうした被害に合わざるを得なかったのは、この国の文化財行政予算の貧困によるものではなかったかと慙愧に堪えない。
富岡製糸場は明治5年(1872)に日本初の近代的官営工場として設立、運営された。
そして、富国強兵を企図する明治政府が日本の輸出産業の柱となる生糸生産の近代化を急ぎ、その結果、外貨獲得に大きく寄与したと理解していた。
しかし、今回の見学で、その工場の設立目的が直接的な生糸生産にあるのではなく、全国に近代的製糸工場を増やしてゆく際の機械操作の女性指導者を育成する教育機関であったことを初めて知った。
フランス人のポール・ブリュナ(Paul Brunat)がその日本人幹部女性の教育指導に当たったが、当初は彼が呑む赤ワインは若い女性の生血であるといった話が信じられ、全国から応募を募ったが人が集まらず、大変な苦労をしたのだという。
そしてそんな苦労を乗り越え、器械製紙産業の普及、技術者育成という当初の目的が遂げられた明治明治26年(1893)に三井家に払い下げされ、ここで民間企業としての歴史を刻み始めている。
その後、明治35年には横浜の三渓園で有名な原合名会社に譲渡され、昭和13年には株式会社富岡製糸所として独立。戦時色の強まる昭和14年には当時、日本最大の製糸会社であった片倉製糸紡績株式会社(現・片倉工業株式会社)に合併された。
戦後も現役の製糸工場として稼働を続けたものの、生糸産業の衰退も極まり、昭和62年にとうとう操業停止のやむなきに至った。
明治初期から昭和62年までの115年間におよぶ富岡製糸場の歴史の内、官営工場であった期間はわずかに21年間であったことは、ちょっと意外であった。
明治政府の官がやるべき時は官、民がやるべき時期には民という機動性、迅速性、効率性といった政治哲学は、今の政治がなかなか上手く公営事業の民営化を果たすことが出来ぬことと較べ、学ぶべき点が数多あると思い知らされたものである。
秋の好日、そんな近代日本の曙の息吹が感じられる世界遺産・富岡製糸場を見学できたことは実り多い貴重な一日であった。