「人の噂も75日」と言われるが、昨今の凶悪事件の多発や多様化する情報の氾濫から、その75日という時日が極端に短くなっていると感じる。テレビや新聞で見かける法廷報道で「あぁ、こんな事件があったなぁ」と数年前の事件のことを思い出すという経験をどなたもお持ちではなかろうか。

 

 これだけ多様なソースから情報がシャワーのように毎日、秒刻みで浴びせ掛けられると、一週間前の出来事さえ遠い昔のように感じてしまうことも度々であり、それも仕方がないことだと妙に納得してしまう自分に空恐ろしさを感じてしまう。

 

 しかしわれわれは決して忘れてはいけないことがあることを覚えておかねばならない。そして情報洪水のなかでメディアはその忘れてはならぬことを時に応じリフレインのように社会に対し記憶再生させる責務がある。それは目の前の事件や災害に目を奪われ、その情報処理に忙しい社会に、意識の奥底に埋没させた忘れてはならぬことを思い出させ、その後の検証・フォローをさせ、現状がどうなっているのかを社会全体で再認識する必要があるからである。そのことは未解決事件の解決につながり、事故や災害被害の悲惨さを忘れないためであり、そしてそこから学んだ貴重な教訓を風化させぬためである。

 

さらに繰り返し思い起こさねばならぬものに、政治家をふくめた人々の口から発された「言葉」がある。その言葉とはいま流行りの失言と言うより、その場をしのぐためあるいは事件を少しでも早く手仕舞いたいがために発された「謝罪の言葉」のことである。

 

人間の「言葉」は当然ことだが、時と場合により大きな重みを持つことがある。

一例として挙げれば、いじめを苦にして自殺した筑前町立三輪中学二年生男子の担当教諭の「謝罪の言葉」である。ご遺族の前で彼は「一生かけて償います」と頭を下げた。そのとき、わたしはこの人物が口にした言葉に瞬間的に疑念を持った。この男は「己の一生をかけた償い」という言葉の重みがわかって謝罪しているのだろうかと思ったからである。

 

福岡県警は19日、暴力行為法違反(共同暴行)の疑いで自殺した少年の同級生3人を書類送検した。そして担当教諭についても事情聴取を行ない慎重に調べを進めているという。

 

JR西日本の福知山線事故、パロマガスの湯沸かし器事故、不二家の消費期限切れ食品問題、関西テレビの「あるある大事典供忸埖い修靴督日新聞の盗作問題等々、不祥事のたびに繰り返し「謝罪の言葉」が当事者の口から発される。しかしその「謝罪の言葉」に本当の言葉の重みを知ったうえで、それを口にしているのだろうか。その場しのぎの言葉であってはならぬことは言うまでもない。

 

その「言葉」の逃げ得を許さぬためにも、メディアは繰り返し「謝罪の言葉」のその後を検証する意味で、謝罪が意味した具体的行為・行動を継続的に報じる責務がある。それが例えメディア自身の「謝罪の言葉」であろうが、そこに何ら差別、いや優遇すべき点はもちろんない。「人の噂も75日」、この情報過多のなかで「謝罪の言葉」はいつしか人々の記憶のなかから消え去ってゆく。だからこそメディアはそれをリフレインすることで「75日の時効」を常に中断させる責務があると考える。

 

 担当教諭の「一生かけた償い」の中身はいったい何なのか、われわれは常にその成り行きに眼を光らせてゆかねばならない。