「古都散策」―― 金閣寺

 

最近、三島由紀夫の「金閣寺」を読み直した。黴臭い文庫本に引かれた傍線を懐かしく目で追いながら、自分の若い頃の鑑賞力は青臭かったものの、逆にある面では、人生と正面から向き合おうとする気迫のようなものを感じた。

 

金閣寺横 

 

     

金閣寺 松

 

 

 

 

 

 

 

 金閣寺は高校の修学旅行以来、その俗物的な匂いがいやで、ついぞ訪れることをしなかったが、青春時代の傍線を確認したくて、三十数年ぶりに鹿苑寺を訪れることにした。

         金閣寺裏

 

 

 

 

 

 

 

 

平日の金閣寺は閑静で、人影も少なく、永年抱いていた俗臭芬々たる印象とはまったく異なった姿を私の目の前に現した。ひとつには、修学旅行の時には雑踏のなかで、喧騒にまみれてゆっくりと金閣と対話が出来なかったことが、わたしにある種、俗物的な固定観念を持たせていたものと思われる。しかし、それ以上に、昭和62年に張り替えられた金箔が織りなす金色の絢爛たる世界の圧倒的迫力が、俗世など無縁のものと超越して見えたことが、わたしが頑なに抱いていた印象と大きく異ならせた要因と思われた。

 

 金閣寺正面

 

 

 

 

 

 

 

それほどに、金閣寺の「美」の迫力は、三島の小説のなかで闇に飛翔する姿を髣髴とさせた。鏡湖池(きょうこち)に金色(こんじき)をおしげもなく零すその豪勢さに、わたしは圧倒された。そして太陽の光を必要とするまでもなく、キラキラと輝きを見せる金閣寺に、絶対的な「美」というものが、この世界には存在するのだということを知らされた。