13日付けの東京新聞の小さな囲みだが、非常に気になる記事が載っていた。昨年末の学術交流会の席上で復旦大学(上海市)の張軍・中国経済研究センター所長が「上海も香港と同じ特別行政区となるべき」と私見を述べ、その主張が中国のネット上で大きな話題をさらっているのだという。試みに「上海的“大膽”設想」つまり「上海の大胆な構想」で中国語検索をかけると10100件、「上海成為香港那樣的新特別行政區」つまり「香港のような特別区に新しく上海がなるべき」は18900件にのぼった。
自由主義経済を謳歌し、レッセ・フェール(自由放任・規制のない)経済の代表格であった香港が1997年7月1日中国に返還される際に、共産国家である中国の統治下でこの経済システムを許容する窮余の一策がこの一国二制度という統治システムであった。当時、一国二制度が議論され決定されていくその最中に、わたしは香港に駐在していた。そのころ日本から来られる香港投資を検討する企業人から同様の質問をよく受けた。「返還されてしまえば香港は結局のところ中国化される、つまり経済合理性の働かないビジネスフィールドになる」と、ビジネス面でのリスクが相当に高くなるのではないかとの懸念が多く示されたのであるその懸念に対して、わたしは「それはある一点の理由でありえないと断言」していたが、「もうひとつの問題が出てきた場合だけは一国二制度の存続は保障されず、葬り去られる」と説明していた。
その「一点の理由」とは、英中共同声明(1985年5月発行)に基づいて「返還前の諸制度を50年間変更しない」ことが確約されており、この確約が守られるかどうかが、台湾が自発的に中国へ復帰するか否かの試金石となると考えたからである。
現在、中国政府は台湾を中国の一省としており、71年10月の国連総会で中華人民共和国に国連での議席を与えることを提議した第二七五八号決議案が採択されている。わが国もその翌年、日中国交正常化を行い、その日中宣言で「中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する」と認め、それまで国交のあった中華民国(台湾)には国交断絶を通告した。いくつかの例外国はあるものの、現在の中台問題は国際政治上では、大勢として形式的には筋の通った姿に整備されていると言ってよい。
しかし、相変わらず台湾問題は存在し内政問題という名のものとにその実質的解決は見られていない。そこで香港で始まった壮大な実験ともいえる一国二制度のシステムが有効に機能し、50年間変更せぬとの約束が守られ、その後もドラスチックな変更がなければ、台湾問題は台湾政府自身または台湾人民の意思により一国二制度前提として中国政府の下に収まる可能性が高いと判断したのである。その脈絡のなかで台湾が実質的に還ってくるまでは「大きな制度変更はありえぬ」と答えたまでである。
そして「ひとつの問題が出てきた場合に一国二制度は崩れる」としたのが、実は冒頭の上海問題であった。上海は1990年当時ですら膨大な税金(上納金)を中央政府に納めていた。自らの地域で稼いだ金を自らの発展に使えぬ不満がくすぶっていた。北京政府は裕福な地域の金を内陸部など未発展地域に回すことで、沿岸地区と内陸部の経済格差を埋め、多くの農民の不満解消に努めていたのである。しかし、それから十数年の月日が過ぎ去るなかで、テレビ報道や上海の駐在員の話からも中国経済、なかんずく上海経済の発展は目覚しく、目を見張らせるものがある。当然、収奪され続けていく今の立場に上海人民の不満が鬱積するのは時間の問題であり、それを解消しようとする合法的な政治的動きが早晩出てくる可能性が10年前でも十分懸念された。それは中国にその被収奪の立場から脱することのできる統治機構が存在するからであった。
今年は香港返還からちょうど10年目にあたるが、上海の火種は思ったよりも相当早く中国という大国を政治的猛火の中へと投じるのではなかろうか。そのひとつの危険な兆候が今回の上海の復旦大学中国経済研究センター所長・張軍氏の挑戦的な発言であると思えてならないのである。
10年前には想像もできなかった広範囲に発達したインターネットという情報手段で、わが国の25倍の国土面積と10倍の人口を誇る大国は情報操作という国家統制システムの限界をすでに露呈し始めている。もし本件でひそかに情報管理がなされているとしても、冒頭の検索件数は1万件から2万件にのぼっており、どんなに黙らせようとしても人の口に戸は立てられないことは明白だからである。
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