脳卒中へのカウントダウン(脳出血発症6日目)

【妻の看病日記より主に病状について抜粋】

 

2001.3.6(火)晴れ 

 

 H、うとうと寝ている。

頭の痛さ、首の痛さは変わらない様子。左半身もしびれ感は同じ。意識で左腕を挙げたり、(左手を)握ったりはできるが、(自分の腕が)どの辺りに挙がっているかとかの感覚はないので、(妻が)手を離すとことができない。

 

 CDでプレスリーをかける。(中略)

Hはこちらが話し掛けている途中で、軽いいびき。見舞い客があると、一生懸命にしゃべるので、どうしてもその後は疲れる様子。なぜかお客が重なるものである。夜はあまり眠れないということで、看護師さん達は昼の間は起きていてねと声を掛けて行く。

 

 445分頃、M氏にお見舞いいただく。狭心症で2回ほど入院経験があると、色々と病気になったときの心境について語ってくれる。励ましてくれてありがたい。

 

 53分、T助教授が顔を出す。

 

 眼鏡店で眼鏡を注文する(わたしはコンタクトレンズ使用で、それまで眼鏡を持っていなかった。自力で立つこともできぬわたしは足元が見えぬではリハビリは不可能であった。コンタクトなど左手が意思どおりに動かぬのに装着などできなかった。7年経った現在は、自由な右手で両目に装着している。今でも、左指にレンズを載せての装着は眼球を傷つける危険があり、できない)。

 

(妻が帰宅後、見舞いに来た)息子と弟から(翌日になるが)午前1時に電話あり。

 

 明日、プリンを食べる練習をして、それがOKだと降圧剤を(点滴から)飲み薬に替えるとのこと。

 

【日記を読んだわたしのコメント】

発症後、5日目で左腕を意識して挙げることはできていたのだと、日記を読んで本人がびっくりしている。発症してから左手の指すらまったく動かなかったのが、わずかに動き出したのが1週間くらい経ってからと思っていたが、腕を挙げることが5日目にできていたということは、わずかにでも動きを取り戻したのは3日目とか4日目のことなのであろう。

 

さらに、これはリハビリセンターに転院してから知らされたが、重要なことなのでここに記しておく。まだこれから2〜3週間後においても腕を挙げた時に、自分ではその腕がどこの位置にあるかまったく分からぬ状態であった。感覚がないのである。目をつぶって挙げようものなら、挙がっていると思った腕が寝ている顔のすぐ前にあるといった状態である。そしてまだ痛さなどの感覚がないため、どんな恰好でも腕を持っていける。「痛くないのだから」。そして中程度以上の麻痺を抱えた大抵の患者は、不随になった側の腕の肩を脱臼してリハビリセンターに転院してくると、月ヶ瀬リハビリテーションセンターの作業療法士に言われた。「あなたは、家族および医療スタッフがよく注意して看護してもらっていたので、本当によかった」と。

 

脱臼をしていると麻痺した腕や指のリハビリに即座に入れない。ひと月ほどは健全な右手での社会復帰へ向けた動作をやるしかない。早期リハビリがよいのに、ひと月ほどを無駄にすることになる。最初の病院で注意深く脱臼させないように看護することが、その後のリハビリにきわめて重要ということを知らされた。

 

現に、弟に退院後に言われたが、ICUにいるときの兄貴は不自由ながら、腰が痛いと体をくねらせていた。その時に不随の左腕がアクロバティックな形で背中の下に行こうが、苦痛を感じないのと、どこに自分の腕があるのか位置感覚が分からぬため、悲鳴どころか眉一本動かすこともなかったという。感覚喪失というのは本当に恐ろしいものだ。

 

「俺たちがその度に兄貴の腕を引き出したんだ」と、後に言われた。いま振り返り、家族と云うもののありがたみをしみじみと思う。本当に感謝の言葉しかない。

 

 

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,砲發匹

につづく