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南洋の魚たち

沖縄の魚たち

万座毛

万座毛

南洋の樹

 

南洋の樹

 

 

 

 ただ今回の教科書検定結果はわたしにとって、ひめゆり平和祈念資料館や沖縄県平和祈念資料館をつい一週間ほど前に訪ね、国内で唯一の地上戦が行われた沖縄戦の悲惨さを実感してきたばかりの矢先に喉もとに突きつけられたきわめて重い問題である。

 

 そのことを実感したわたしにとって、日本軍が命令したか否かの真実が明らかになったとしても、62年前に起きた「沖縄島民の集団自決」という陰惨な歴史的事実の存在そのものが否定されることはありえないという紛うかたない確信である。多くの島民が自らの手で命を絶たざるを得なかった事実は胸の疼(うず)く重々しい歴史的な事実である。またその歴史的事実と当時の時代背景をなす国家の意思を曖昧にしようとする動きが今回の教科書検定に微塵(みじん)でもふくまれているとすれば、それは断じて許されることではない。

 

「『斬り込みに行く。敵を1人でもやっつけて死ぬんだ』と引率の先生はいきまいていました。そして車座に座っている私たちに3年生の一人ひとりに聞いていました。『行くか、行かないか』私たちは手榴弾を持たされていましたし、全員『行きます』と答えました」といった当時わずか15歳のひめゆり学徒が、沖縄陥落の5日前の6月18日に出された解散命令直後の壕のなかで行なった教師との切迫したやり取り。

またひめゆり生存者が「戦場の惨状は私たちの脳裏を離れません。私たちに何の疑念も抱かせず、むしろ積極的に戦場に向かわせたあの時代の教育の恐ろしさを忘れていません」と語った言葉の重さを常に思い起こさねばならぬ。国家の意思が不幸な方向に向かったときに、犠牲となるのはまさに一般の国民、わたしでありあなたであり、そして周りにいる愛する人々であることをわれわれは決して忘れてはならない。

 

さらにこと沖縄という地について「ヤマトンチュ」と呼ばれる本土の人間がその記憶から決して消し去ってはならぬことがある。

妻の知人が20年来通う美容院は沖縄の高校から研修生を受け入れており、その若者たちはみんな純真で誠実に仕事に取り組んでいた。その知人はあるときにそのひとりの爽やかな沖縄男子と会話をしたそうである。

「結婚相手だけは(本土から)連れて帰るな」と母親に約束させられて上京してきたとその若者は語ったという。そして「(母もそれが理不尽なことだと)頭でわかっていても気持ちの問題なんです。まぁ、今のところ相手いないんで、いいんですけどね」と述懐したという。

 

この若者の言葉は21世紀になった今日の言葉である。そうした重くて暗い歴史を沖縄という地が抱えているのだということから目を反らすことだけはわれわれは決してやってはならない。自らの親や先達が印(しる)した事実、歴史から逃げてはならぬと思ったのである。その歴史を正面から受け止めてその歴史のうえに立って、次代に引き継ぐ歴史をわれわれの手で印してゆく責任をわれわれひとりひとりが負っていることをしっかりと自覚しなければならぬと、心底、思ったのである。

 

今回の教科書検定結果を耳にしたときに、われわれ日本人の同胞が戦争という時代の狂気のなかで非条理な形の死を遂げたという事実、そうした悲しい歴史と真摯に正面から向き合う姿勢を絶対に失ってはならぬ、決してそのことを曖昧にしてゆくことなど許されぬことだという気持ちを、ますますわたしは強く持ったのである。