いかにも客観的にテレ朝は報道しているのだと、巧妙というには程遠い見え見えの番組、肝心のところは視聴者に伝えない今夜の報道ステーションであった。


例えば、訂正が遅きに失したというが、32年も訂正に時間を費やした、吉田証言が虚偽であることが周知の事実となってから(済州島の地元紙で強制連行の事実はなかったとの記事掲載、1992年の朝日新聞が吉田証言に裏付けの事実が見つけられなかったとの言及にとどめた慰安婦特集記事等)少なくとも17年間にわたって吉田清治氏の虚偽証言を取り扱った記事の取り消しを行ってこなかった。

この92年以降、朝日新聞は慰安婦問題について物理的な行為である“強制連行”という言葉を、実に巧妙に“強制性”という慰安婦が感じた心理的な問題へと表現をすり替えて行っているのである。


その間、慰安婦の強制連行につき、事あるごとに日本政府を追及してきたあくどさ。わたしは事実を突き付けて時の権力を追及することは、ジャーナリスト、ジャーナリズムの本義であると信じる。

しかし、虚偽であろうが人口に膾炙していった事柄、それも自らが撒き散らし、あたかも事実のように思わせてきた虚偽証言をネタに、長年に亘り意に沿わぬ政府を転覆させようとしてきたことは、報道機関としてはあってはならぬ行為である。


そして今夜、朝日新聞木村伊量社長の謝罪会見を待ってとしか言いようがないタイミングで、40分程を費やし慰安婦問題につき特集を組んだテレビ朝日も同じ穴の狢と断罪するしかない。


テレビ報道は記者会見でもないので、もちろん、質疑応答などない。

テレビ朝日側というより朝日新聞社の言い分を全面的に反映した人権問題への問題のすり替えを行なったうえでの一方的な言い逃れを垂れ流したに過ぎない。


古舘伊知郎という似非キャスターの賢(さか)しらな解説と言おうか、大朝日に対するお追従なのだろうか、顔を見るのも嫌になったが、今日は我慢した。


さらに、河野談話は吉田証言に依拠していないという心証作りに利する反朝日の人物のインタビューの片言隻句をつまみ食いしたコメント放映などあざとくも卑劣な番組作りにさすがに怒り心頭であった。


そして、慰安婦問題で国際的に日本国が大きなダメージを被り、貶められたことは朝日の吉田証言報道とは直接、関係はない。


国連人権委員会に報告され、世界的に性奴隷を喧伝し、日本の信用を大きく失墜させた「クマラスワミ報告書」(1996年)についても、吉田証言が引用はされていても、「それが当時の日本官憲が慰安婦強制連行した大きな根拠ではない、慰安婦に直接ヒアリングした結果である」とするラディカ・クマーラスワーミ女史の証言を紹介。


要は、テレビ朝日は、朝日新聞社の吉田証言誤報は慰安婦強制連行という非人道的行為を時の日本官憲が行ったという誤解を世界に広めたことに責任はないと40分にわたって報道、いや、言い逃れをしたのである。


公共の電波を使って一私企業の言い分を一方的に代弁し、言い募るテレビ局。大変な問題である。


放送法第四条を以下に掲載する。


「放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

 公安及び善良な風俗を害しないこと。

 政治的に公平であること。

 報道は事実をまげないですること。

 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」


今夜の番組、慰安婦問題に関し朝日新聞社グループと意見を異にする識者の意見がそこここの場面にコメンテーター的に配されていた。放送法第4条第4項を体した狡猾な番組制作である。


なぜなら、全体を通して番組を見たときに、そうした識者の意見はきわめて意図的に編集され、先ほどの朝日は日本の国益毀損に責任はないという一点につき編集されていたのである。


放送法第4条第3項にいう“報道は事実をまげないですること”という報道の原点に照らしてみたとき、今夜の検証番組は、何をもって“事実”を視聴者に伝えようとしたのか。


ジャーナリストとしての一分の魂でも残っているのであれば、国民の利益に資するというより、この場合は棄損された国民の利益を原状回復するためには、朝日グループはこれから何をなさねばならぬかを真摯に視聴者に向かって語るべきであった。

そして、最初に吉田証言を記事にした植村隆という記者がある意図をもって作成したのだという事実についても正直に視聴者に対して伝えるべきであった。


さまざまな点であまりにも往生際の悪い胸糞の悪い三文芝居を見せられたようで、寝つきが悪いことこの上ない。