2015年9月6日(日)、松本市のキッセイ文化ホール(長野県松本文化会館)において、9月1日に傘寿(さんじゅ)のお祝いを迎えられたばかりの小澤征爾氏指揮によるベートーヴェンの交響曲第2番を聴いた。
8月9日から9月15日までひと月を越す期間、開催されている「SEIJI OZAWA MATSUMOTO FESTIVAL」の終盤を飾るコンサートである。
1992年から松本市で毎夏のひと月余にわたって開かれてきた音楽祭、「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」が、今年から「SEIJI OZAWA MATSUMOTO FESTIVAL」と名を変えての初回の記念すべき音楽祭である。
かねて、一度はと思いながら思い立った時には、もうその稀少なチケットは完売ということの繰り返しであった。今年、そんな願いが叶ったのは、信州の知人というより常々お世話になっている人生の大先輩がチケット発売と同時に早朝より列んで購入していただいたからである。
この方のご厚意により小澤征爾さんの傘寿の歳に、その稀なるコンサートの末席を汚し、夫婦して大いなる感激を分かち合うことができた。
8月の上旬、小澤征爾氏が浴室で転倒し、腰の骨を折り8月下旬に上演の3回のオペラの指揮を降板するとのニュースに接した時には、「あぁ、折角の機会だったのに」とガックリきたものだった。
しかし、幸いにも療養は順調で9月1日に80歳の誕生日を迎えた「マエストロ・オザワ80歳バースデー・コンサート」において、約22分のベートーヴェンの「合唱幻想曲」を指揮されたと知り、ひと安心。
6日の演目は「オーケストラコンサート Bプログラム」の小澤征爾さん指揮による「ベートーヴェン:交響曲 第2番」と、「バルトーク:管弦楽のための協奏曲」(指揮:ロバート・スパーノ)である。そして、演奏は「サイトウ・キネン・オーケストラ」であった。
そんな演目の順も、オケ名を最後に書いてしまうのは失礼とは知りつつも、やはり、夢であった生・小澤征爾の指揮を目の当たりにし、会場いっぱいに溢れかえったあの熱気を思い起こすと、どうしてもこう書かざるを得ない。
ロバート・スパーノの指揮によるバルトークの「管弦楽のための協奏曲」が終了。20分間の休憩をはさみいよいよ小澤征爾さんの登場である。楽団員が入って来て着席してから登場と思いきや、5、6人の団員がステージに現れたころ、あの印象的な白髪頭をした小澤さんが団員と談笑しながら入場する。のっけから、何だか、音楽は楽しくなくっちゃって、小澤さんんが語りかけているようで、ますます演奏が楽しみになる。
指揮台に立つ小澤さんが立ち、あの指先が動くと第一楽章が始まった。しばらくして、指揮台に置かれた椅子に腰を落としての指揮に変わったが、ここという音符が踊る場面ではピョンと跳ねるようにして立ち上がり、全身を動かし指揮をとる。
第四楽章へは休憩をとることなくなだれ込んでいった。その熱い思いとほとんど座ることなく全身を震わせ、右へ左へ体の向きを変えての指揮は、楽団員の気持ちをひとつにし、いよいよクライマックス。
第二楽章、第三楽章への合間には指揮台を降り、脇に置かれた椅子に座り、給水だろうか水分をとっておられた。
小澤さんの動きがピタッと停まるや全楽器の音色が一斉に消えた。
満員の場内は瞬間、静寂に支配された。そして、じわっと目尻に熱いものが湧いてきた。素晴らしかった。
まさに万来の拍手である。久しぶりにこんなに自分も必死に手を打った。手のひらが赤くなるほど拍手した。
4度、小澤さんはステージに現れた。そして、楽団員一人ひとりにねぎらいの言葉をかけ、握手をして回った。ティンパニー奏者の最上階の雛壇の上にまで上がり、言葉をかけ、握手を求めた。
みんなでこのコンサートをやり遂げたねという小澤さんの音楽に対する心もちが伝わってくる素晴らしいフィナーレであった。
その頃、場内は拍手から「セイジ!」、「セイジ!」という掛け声に合わせた手拍子に変わった。
小澤さんの笑顔が遠い2階席からもはっきりと見えた。本当に思い出に残る素晴らしい演奏会であった。
家路へ急ぐ聴衆の人たちも興奮冷めやらぬようで、昂揚した笑顔の人々が続々と文化ホールから吐き出されてくる。
そして、雨の中、タクシー乗り場にならぶ長蛇の列ができていたが、みんな笑顔である。音楽というものが人々に笑顔を確かに贈ることをしみじみ実感させられた松本の一日であった。