彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

カラマツの黄葉

三分一(さんぶいち)湧水公園でカラマツの落葉と紅葉を見た!

DSCF3976
黄葉したカラマツ

かねて家内が見たい見たいと言っていた銀色にきらめきながら落ちて来るカラマツの落葉を見に蓼科へ向かった。そもそも今回は、もうカラマツの落葉も終わっているとの話もあったので、どこかでちょっとでも見られたらいいねと、当初から無計画な道行きとなった。


それでも銀色の落葉に執念を燃やす家内は克明な?事前調査を敢行。北杜市にカラマツ並木があって、そこだと標高もそう高くないので、まだカラマツの銀色の雨を浴びながらドライブが楽しめるのではないかとの提案がなされた。


地図を見ながらレインボーライン(八ヶ岳広域農道)をたどっていたところ、甲斐小泉の“三分一(さんぶいち)湧水”が目にとまった。かねて行ってみたいと思っていた私も、それではと、長坂ICで中央高速を降り、“三分一湧水”(山梨県北杜市長坂町小荒間292-1)に立ち寄った。  

三分一湧水分水枡

レインボーラインの道すがらカラマツ並木にお目にかかることはなかったが、思いがけずその“三分一(さんぶいち)湧水”公園で素晴らしいカラマツの落葉と紅葉を見ることができた。

三分一湧水公園
三分一湧水公園
湧水池

“三分一(さんぶいち)湧水”は昭和60年に環境庁により“日本名水百選”に選定されたほどの八ヶ岳南麓からの清らかな伏流水を噴出、日量8500トンの湧水量を誇る。

三分一湧水の湧水源
日量8500トンの湧出口

“三分一(さんぶいち)”という変わった名前の由来は、昔、武田信玄が永年にわたる農民の水争いをおさめるため湧出口に石枠の枡を造り、その中に水分石として三角柱石を置き、自然と水量が1/3ずつに分水してゆく仕組みを作ったという伝説が元となっている。 

湧水池から分水枡へ流れる
湧水池から三分一分水枡へ
三分一分水枡
分水枡から三方向へ水路が

正確には1/3の水量とはならないとのことだが、農民は湧水が三角柱石により三方向へ分かれていくことで平等だと納得し、その後、水争いが絶えたという逸話であり、その智謀を讃え“武田の三分水”とも呼ばれているとのことである。

三角柱石
湧水が落ちてきた所に三角柱石がある
三角柱石で湧水が三方向へ分かれる
水が分かれて三つの水路に
林間をゆく真中の水路
林間をゆく水路

現在は水元であった坂本家より水源を含む一帯の土地が長坂町に寄贈され、“三分一湧水公園”として整備され、四季を通じて人々の憩いの場となっている。


公園内には三分一湧水の近くに、“大荒れの碑”という巨石が置かれているが、これは昭和1895日に起こった山津波でこの辺りが広く被害に遭い、それを後世に伝えるためのものである。この大石もその時山津波により押し上げられたものである。

大荒れの碑
”大荒れの碑”の脇に山津波の鎮魂を祈る石仏が彫られていた

公園内に散在する大きな石はその時に八ヶ岳山麓から押し流されてみた土石流の跡だということであった。

公園内のいたるところに山津波の跡の石が散在する
山津波の地に紅葉と青い空が・・・

当然、この“三分一湧水”も埋没したが、その後、この湧水を利用する旧6ヶ村と坂本家が協力し、“三分一“を掘り出した。その際に分水枡を現在のようなものへと整備、変貌を続けてきたらしい。最初、水争いをおさめた400年以上前の分水枡というにはずいぶんきっちりしていてちょっと違和感を覚えたが、”山津波“という過去の甚大な災害から立ち上がった村人たちの復活の証しなのだと知って、違和感は希う力の強さへの粛然たる確信へと変わった。

DSCF3926
晩秋の陽光を全身にまとうカラマツやモミジ
S0043967
黄葉したカラマツと青い空

“三分一湧水”という仕掛けで諍(イサカ)いをおさめた人間の智恵と山津波で埋没したものを掘り出し復元し、ふたたび伏流水という自然の恵みを活用し続けた人間の営みの真摯な姿勢を愛でるかのように、この日の三分一湧水公園のカラマツの黄葉とモミジの紅葉は晩秋の陽光を存分に身にまとい、それはそれは見事であった。

DSCF3916
まさに燃えるように紅いモミジ

当日は風が吹くとカラマツから黄金色の針葉が舞い落ちて来て、顔に当ると痛いと感じるほどであったが、家内が期待していた光にキラキラと輝き銀色に見える“雨”というわけにはいかなかった。

カラマツの落葉
カラマツの針葉が風に舞い落ちる

しかし、思いがけなく素晴らしい自然の恵みと人間という生き物が本来有する“強さ”を目にすることができ、心を洗われるような清新な道行きとなった。

 

 

 

蓼科の秋、見つけた!=白駒池・横谷渓谷の紅葉の見ごろ

2014年の八千穂高原・白駒池(しらこまいけ)の紅葉は終了(2014.10.13)
2010年、御射鹿(みしゃか)池の紅葉、見頃は10月23日


蓼科の秋(2009.10.10)
2011年蓼科の秋、本番=プール平・大滝(2011.9.26)
2011年蓼科の秋=車山高原は爽やか(2011.9.26) 

 

今年の未曾有の猛暑の夏が過ぎ、一挙に秋の盛りへと季節は移ろう。時代の変化が激しさを増すのと歩調を合わせるかのように、四季の移ろいも慌ただしさを極めている。

 


 
白樺と紅葉、蓼科のアキ〜!

 

 つい先日まで30度を越えた真夏日などと云っていたのが、もう紅葉の季節である。今年は例年より紅葉が早い、いや遅れるといった素人見たての紅葉情報が乱れ飛ぶ。

 

2010年の蓼科の秋を見つけに行った。




標高1300mの八ヶ岳農場の紅葉はチラホラ

 

 そこで、この週末(10月16、17日)を利用し、信州蓼科へと足を向けた。猛暑で上がりっぱなしだった体内温度計をクールダウンさせるためでもあった。蓼科の秋の装いも、そこここで異なった雰囲気を見せていた。

 


 
蓼科の秋 

 

 麦草峠近くの白駒池(標高2115m)の紅葉の見ごろは1週間前が盛りであったとのことであった。写真は17日撮影である。まだ、観光バスなどでの紅葉狩りの訪問者が多かったが、みんな、肌寒いなかを、「ちょっと、遅かったね」と云いながら湖畔の周遊コースを散策していた。

 



 

白駒池の紅葉の盛りは一週間前であった


まばらに残る紅葉・黄葉


湖畔に残る紅葉


苔の美しい白駒池への小道

 

 

 私たちは、そこから横谷渓谷の突き当りのおしどり隠しの滝へ向かった。標高は1500mで、明治温泉のあるところである。そこはちょうど、今盛りの紅葉であった。マイナス・イオンの滝の真下から見る紅葉は見事であった。




遠くに蓼科山、手前がおしどり隠しの滝と明治温泉


今、盛りのおしどり隠しの滝の紅葉


紅葉・黄葉


マイナス・イオン満喫


横谷渓谷から仰ぐ秋の空
 

 そして、カラマツの黄葉は標高1600mの辺りが、いま、ちょうど真っ盛りで見事であった。これから日毎にその紅葉・黄葉は里の方に降りてゆき、かすかな冬の足音が聴こえ出す。

 


 

カラマツの黄葉(標高1600mあたり)


桃色の実をつける木の背景にカラマツの黄葉

 

 

 カラマツの黄葉。今年は雪のように降りそそぐというカラマツの落葉をぜひ見に行こうと思っている。

 

最新記事
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

月別アーカイブ
記事検索
プロフィール

彦左衛門

  • ライブドアブログ