ひと夏の忘れもの 竜串海岸、大堂海岸、柏島の碧い海
ひと夏の忘れ物 足摺岬で泊まりたい宿・TheMana Village(ザマナヴィレッジ)
ひと夏の忘れ物 足摺岬
さて、「ひと夏の忘れもの」の三日目は冒険の国を探訪する、大堂海岸を紺碧の海から見て回ろうというものである。
足摺岬の西つかた、大月半島の南端をなぞる大堂海岸は約10kmに渡り白亜の絶壁や奇岩を聳え立たせる大景観を擁する。
前日の大堂山展望台や観音岩展望台から見おろした景観も見事だったが、波間から見上げる景色はまた違った魅力で迫力があり、自然のダイナミズムを実感させられた。
今回、体験した「大堂海岸アドベンチャークルーズ」は、要は小さな漁船に乗って、大堂海岸を海から観光するというものであった。
半世紀ぶりに大堂海岸をおとずれるという細君に、ぜひ、海上からの自然の醍醐味を体験してもらおうと探していたところ、四万十・足摺エリアの観光案内、一般社団法人 幡多広域観光協議会のHP“はた旅”にぶち当たった。
「HATA-TABI」と題するそこに、アクアブルーの海中をダイビングするダイバーの姿があった。
この歳でダイビングはないが、せめて夏の海を船で疾駆したいと妄想し、探し当てたのが、「ホテルベルリーフ大月」至近の周防形(すおうがた)漁港から出発する「大堂海岸アドベンチャークルーズ」であった。
黒潮のうえをクルーザー?に乗って駆ける、最高の気分にちがいないということで9:30出港、おおよそ75分のクルージングをネット予約した。
「2名様以上の参加で催行」との条件で、わが老夫婦の参加でクリアーした。
前日の夕刻に確認の電話があった。「谷口渡船ですが・・・」と名乗る声はだみ声のおじさんのもので、クルージングのスマートさとは対極にある聲音であった。そして客はわれわれ二人だけだという・・・
翌朝、周防形漁港にはものの2、3分で到着したが、岸壁に人影はなく小さな漁船が数隻浮かぶうら寂しい港であった。
もちろんクルーズに参加する人たちの姿などない。老夫婦ふたりっきりである。
すると埠頭にとびこむように軽のバンがやってきて谷口さん?(お名前を確認していないので、一応、谷口渡船だから・・・)がおりてきた。
赤銅色の肌をしたまさに海の男である。
そして時間はちょっと早いが出航しようという。午後になると波が高くなる模様だから早い方が良いという。
海面を見たところ波静かでそんな気配は一切ないが、海の男の潮枯れた聲には説得力があった。
手渡されたライフジャケットを着て乗船した。
静まり返った港内に機関音が響き渡ると、白い漁船は水面のうえをすべるように動きだした。
小さな堤防で区切られた湾口を出ると、出力全開。
あっという間に港の景色が後方にすっ飛んでいった。
外海の波のうねりは見た目ではわかりづらいが、速度をあげると船体はまるで波頭伝いに跳び跳ねているかのようである。
船底が波を叩きつけるドンドンという音とリズミカルな振動が心臓を上へ下へと揺さぶった。
右手に大堂海岸の山並みを見るだけで左手にはとおく水平線をみる。
風を切って谷口渡船の「優治丸」が疾駆する。
そのスピードはちょっと信じがたいほどに、速い!!
頬を叩く海風はわたしたちが発する聲を澪のかなたへと吹き飛ばす。
細君と交わす言葉はわずか数十センチの距離なのに大音声を張りあげねばならない。
久しぶりである。こんな腹の底から大声を発するなんて・・・
気分は最高である!!
そして風を切るという、絶えて久しくなかったこの感覚・・・
ひと風ごとに、“歳”という年層が体躯から引っ剥がされていくようで気分がよい。
ひと風、十歳、ひと風、十歳・・・と年齢の皮層がはぎとられていく。大堂海岸の白亜の絶壁を仰ぎ見るころには二人の聲と表情は確かに若やいでいた。
そして目指す観音岩の海域に到達したころには自分は二十歳の頃にもどったような気になった。
海風と振動と波しぶきに嬌声を発する細君を横眼にちらっとみると、彼女も半世紀前の姿になっていた・・・
船が減速した。左手に絶壁がせまった。
絶壁の裾にはいくつもの海洞がみえる。
その一つに近づくと、狭い入口に舳先を突っ込みはじめた。
ほとんど停止した状態となり、船体が大きく上下動を繰り返す。
海が荒れているとは見えなかったが、こうして波のうねりに身をゆだねると海上の浮き沈みが見た目とは大きく異なっていることに気づかされた。
船長の操船は巧みであったが、波が穏やかであればもう少し洞窟の奥まで入れるのだがと申し訳なさそうにいう。
半分ほど船体をもぐり込ませたところで、船を逆進させいよいよ目指す観音岩へと舳先を回頭した。
エンジン全開!!
疾駆する船首のむこうに海中から屹立する巨岩群があった。
穴が穿たれた大きな岩壁の手前に背中を向けて立っている岩が観音岩である。
いよいよ目指す観音岩である。
船はまた減速し、その脇をゆっくりとすぎてゆく。
真横からみると平板な巨岩であった。見上げても観音さまには見えない。
少し通り過ぎてふりかえる。
そこに見えたものは・・・なるほど・・・人型をした巨岩・・・
海の安全を祈る人たちには、その姿はまさに観音さま、真摯に手を合わせたにちがいない。
さらに先へ進み、岩壁の穴から観音岩が見えるのだと船を反対側にまわす。
なるほど巨岩の裂けた穴から観音岩が覗けた。
だが全容をとらえるスポットで船を停船、固定するのは難しく、観音さまの全身を拝見することはかなわなかった。
おそらく逆光の時にはそのシルエットが観音さまのように見えるのにちがいない・・・
ここで通常は周防形漁港へと戻るのだが、当日は老体にムチ打ち四国最南端までやってきた二人のため、もう少し先の柏島まで行ってあげるという。
前日に大堂山展望台から見下ろした柏島である。
そして・・・荒削りの景観の先、エメラルドグリーンの海のうえに柏島が浮かんでいた。
小さな船溜まりのような湾に侵入しゆっくりと湾内をめぐった。
外海とは一変、海面は静寂をたもち、陽光のさざめきで波のおだやかなうねりに気づく。まるで映画の一シーンのような息をのむ美しさである・・・
船は柏島大橋の真下まで近づき、ゆっくりと回頭する。
するとキラキラとかがやく海面を透して小魚が回遊する姿が見えた。
まさに加工をほどこした写真でしか見られないようなエメラルドグリーンの海が目の前にあった。
時間はゆっくりとすぎる。
この絶景のなか船中で昼寝でもさせてもらえたら至上の幸せと夢想したが、そこまで贅沢は云えぬ。
そして優治丸は柏島というパラダイスをあとにして一路、周防形漁港をめざして疾走をはじめた。
二十歳に化身した二人は帰路においても、感嘆の聲をあげながら大海原の解放感を味わった。
大堂海岸クルージングは晴天の下、人の好い船長さんにも恵まれ、ダイナミックでアメージングでドリーミングな“はた旅”となったのであった。
年をまたぎ大寒のころに季節外れもいいところの「ひと夏の忘れもの」、これにて終了と相成る。お付き合いありがとうございました。