年末の冬至の記事で来たる丑年を「あけましてもおめでたくない」と表現したが、やはり新たな年を迎えるにあたって「めでたくない」と言い切ってしまうのはあまりにも寂しすぎた。
なにせ箱根駅伝で最終10区の残り2kmのところで、なんと、なんと大逆転劇をみせて、駒澤大学が13年ぶりの優勝を果たした。箱根路217kmを2日間にわたって駆け抜けた若人 (わこうど)たちにとっては「あけましてとんでもなくおめでたい」年がスタートしたのだから。
そこで新年となって、小林一茶の俳句にひとつ好い句があったので、タイトルに拝借したというわけである。やはり、若人にとっては新たな年というのは、明るく輝いているのが相応しい。しかもかつては、老若男女年齢を問わず一斉に齢を重ねる祝日でもあった元旦は、やはり、おめでたいというのが通り相場である。ところが菅総理は、元旦の年頭所感につづくこの4日、新型コロナ感染者の急増に対処すべく「1都3県に今週中にも緊急事態宣言」を発出する見通しであると表明した。
ということは、箱根駅伝の大逆転劇で盛り上がった祝賀とコロナの緊急事態宣言発出の災禍を足して二で割ると、一茶の「ちうくらい(中ぐらい)」の表現がピッタシであると得心したところであった。そしてこの新年最初のブログアップは終了のはずであった。
ところが、いろいろと調べているうちに、この句の解釈が「老い先短い身にとっては、正月を迎えるめでたさといってもいい加減なものだが、それもまた自分にふさわしいものではないか」(学研全訳古語辞典)といったことらしいということがわかった。めでたさが「中ぐらい」ということではないというのである。
そうは言ったって2021年、いくら新型コロナが猛威を振るおうが、いい加減でどうってことのない年であっていいわけはない。何とか「中ぐらい」までには帳尻を合わせたいものだと願うところである。そこで、最後に正岡子規の句を紹介して、新年、丑年の初ブログの〆としたい。
「めでたさも一茶位や雑煮餅」
子規が先の一茶の句を「中ぐらい」と詠みなしてものした俳句である。
最後になったが、冒頭の鏡餅に供えた「摺袈裟(すりげさ)」は四国霊場第18番札所でのみいただけるレアもので、「袈裟曼荼羅(けさまんだら)」ともよばれるものである。
そしてこのお守りの功徳はなんと一生続くというのだから、まさに最強、スーパーカリフラ・・・、そう、むか〜しメリーポピンズが“supercalifragilisticexpialidocious”、”スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス“と唱えて周囲を煙に巻いたあの魔法の言葉が脳裡に浮かんでくる。
なんだかこんな時代にはとてもぴったりくるお守り、いや魔法のおまじないの言葉のようなものだと感じたものだから、お正月にあたって鏡餅に添えて飾ってみました。そして皆さんにもこのご利益が一生涯にわたって届きますよう心から願っています。