130日付け朝日新聞の夕刊(東京本社版)の富山県立山町の「かんもち」作りの記事が、読売新聞のHPに掲載された記事から盗用されたものとわかった。それも社外のインターネットメディから記事が酷似しているとする取材依頼を受け、調査したところ盗用が発覚したという。

 

 朝日新聞社は2005821日、22日の「郵政民営化法案反対派による新党立ち上げ」を報じた記事に関連し、長野総局の記者が田中康夫長野県知事(当時)の取材メモをねつ造した。その件について830日に同社の吉田慎一常務取締役(当時編集担当)が、次のような談話を発表した。

「実際の取材をせずに、あたかも取材をしたかのような報告メモをつくり、それが記事になるという、朝日新聞の信頼を揺るがす極めて深刻な事態が起きてしまいました。記者倫理に反する、決してあってはならないことであり、責任を重く受け止めています。(中略)こうしたことを二度と繰り返さないために特別チームを社内に立ち上げ、社を挙げて取材・報道の心構えや記者倫理のあり方を抜本的に再点検し、傷ついた信頼の回復のため具体策を早急にまとめて公表します」

 

そして朝日新聞社はまず2006125日に以下のようなジャーナリスト宣言キャンペーンを開始した。

今後もジャーナリズムの原点に立とうという思いを、力強い言葉に込めました。さまざまな改革に着手し、テレビ・ラジオCMや交通広告などでアピールしていきます。(中略)

『ジャーナリスト宣言。』は、その原点を今一度見つめ直し、調査報道の充実、時代のニーズに合わせた柔軟な取材組織への変革などに取り組む姿勢を示しています。 『言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞』・・・」

次いで4月1日付で編集部門等を総点検した改革案をまとめた。それは東京本社に紙面づくりに専念する編集局長と記者の育成や配置などを管理する編集局長の「2人編集局長制」を導入、また高い見識と志を持った記者を育てるため「朝日ジャーナリスト学校」を開設し、記事の編集や記者教育体制の充実を図るなどの内容となっていた。

 

それと併せコンプライアンス体制の見直しも行い、「朝日新聞社行動規範」なるものがまとめられた。その第一番目「朝日新聞社の使命」の「具体的方針」の7番目で「著作権、商標権などの知的財産権を尊重し、自らの権利を保護するとともに、他者の権利を侵害しません」とジャーナリストとして命とも言える、逆にあまりにも当然のことである知的財産権について言及している。

また、その後本社記者が取材先から多額の餞別を受領していたことなどを受けて、121日付けで「朝日新聞記者行動基準」を制定した。そのなかにはさらにきわめて具体的な規定が盛られている。

今回の不祥事に該当する主な個所を引用すると、「インターネットからの取材」については「公的機関や企業などの公式ホームページに掲載されている事柄は、(中略)ホームページから引用する場合は、記事にその旨を明記することを原則とする」さらに「著作と引用」において「記事の素材として、著作物から文章、発言、数字等を引用する場合は、出典を明記し、適切な範囲内で趣旨を曲げずに正確に引用する。盗用、盗作は絶対に許されない」と止めを刺すかのごとく盗用等の行為を厳しく戒めている。

 

朝日新聞は「ジャーナリスト宣言」のなかで、これまで「言葉のチカラを信じている」というメッセージを強く読者に訴えてきた。

 

ところが、これまで述べてきた社内体制の整備が図られてきた挙句の今回の不祥事である。

 

そして今回の盗作について1日、三浦昭彦上席役員待遇編集担当らが記者会見に臨み、「・・・記者倫理に著しく反する行為であり、読者の皆さまの信頼を裏切ったこと、読売新聞社や関係者の皆さまにご迷惑をおかけしたことを深くおわびいたします。二度とこのような事態を招くことがないよう、早急に体制を立て直す所存です」と謝罪した。

 

わたしは1年半前の吉田常務と同じ内容の言葉に接し「言葉のチカラ」とはいったい何を意味しているのかむなしさを隠せなかった。

 

「言葉のチカラ」とは、どのように社内体制や規律、規範といった体裁を整えようが、そのためにどのような多言を弄しようが、ジャーナリストとしての魂の原点が定まっておらねば、何の役にも立たぬ、何の訴えるものも持たぬことを今回の朝日新聞の不祥事により知らされた。

 

「言葉のチカラ」とは、まさに小田光康氏がPJオピニオン「自戒を込めて、報じる者の社会的責任。『夕刊フジ』誤報事件で」のなかで言う「『事実確認』と報じる者の社会的責任」の重みをジャーナリストいやわれわれPJ自身が量るところから、産み出されてくるものだと思った。