有村治子という議員の存在を今回、初めて知った。「答弁を逃げるな」と詰め寄る、こうした骨のある国家感を持った政治家は久しぶりのような気がする。


 
 メリハリをつけた演説、いや代表質問は、昨年の参院予算委員会でキャンキャンと下品な言葉を弄し、菅首相を責め立てた丸川珠代議員とは、品格、内容の質において同じ政党の議員とは思えぬ見事さであった。


 
 それに対する菅首相の腑抜けのような口調に加え芯のない答弁内容。どこかの係長レベルのように細かくて大局観を欠く内容・項目を羅列してゆくだけである。正直、当選2回の議員の方が言葉力も堂々とし、国家ビジョンの軸が見えていた。


 
 先日、テレビでわたしの嫌いな石原慎太郎東京都知事が最近の若いのもしっかり大人を見ていると評した。その時に紹介したのが、「ナオッテル」という言葉である。高校生の間などで流行っているのだそうだ。菅直人の「直人」をもじって、「オドオドとして目が泳ぎ自信なさげな様」を表した言葉なのだそうだ。「ナオッテル」、なかなか良くできた造語である。たまにはこの御仁もタメになることを言う。


 
 そう言えば、期待して迎えた民主党政権になって以来、胡錦濤国家主席との首脳会談など外交の場で菅首相の「ナオッテル」姿を見せつけられるなど、情けない思いをすることが度重なっている。


 
 今日もまた「ナオッテル」首相の姿を見せつけられると、早く、この政権は倒さねばならぬと、つい一年半前に熱く民主党への夢を語った自分の不明を恥じるのである。


 こっちまでなんだか、菅首相はじめ民主党に意見しようとすると「ナオッテル」なと感じてくるから不思議だ。本当に情けない・・・。