乙武洋匡(ヒロタダ)さんが518日に銀座6丁目にある“TRATTORIA GANZO”というイアタリアンレストランを予約して行ったところ、車椅子利用者であったことを理由に、入店拒否にあったという。


騒ぎは乙武氏がフォロワーが60万人を超えるという自身のツイッターで、次のように呟いたことに始まる。


『今日は、銀座で夕食のはずだった。「TRATTORIA GANZO」というイタリアンが評判よさそうだったので、楽しみに予約しておいた。が、到着してみると、車いすだからと入店拒否された。「車いすなら、事前に言っておくのが常識だ」「ほかのお客様の迷惑になる」――こんな経験は初めてだ。』


『お店はビルの2階。エレベーターはあるが、2階には止まらない仕組みだという。「それはホームページにも書いてあるんだけどね」――ぶっきらぼうに言う店主。「ちょっと下まで降りてきて、抱えていただくことは」「忙しいから無理」「……」「これがうちのスタイルなんでね」以上、銀座での屈辱。』


『ひどく悲しい、人としての尊厳を傷つけられるような思いをする車いすユーザーがひとりでも減るように。』


店主の対応には、まるでが感じられなかった。接客業として、あの物言いはあまりに悲しい


この呟きにフォロワーから店主・高田晋一氏のツイッターに多くの批判が集中、HPも、一時、サーバーがダウンしたという。


いまはHPも見ることができ、乙武氏も「ぜひ、次回は事前に車いすである旨をご連絡してからお伺いしますね!」とのことで、本件も一応のおさまりがついた形になっているという。


昨夜、わたしがこの件をネットで知った時、どうにもイヤ〜な気分になった。


まず、はじめてのお店を予約する際、本人なり同行者に車椅子の人がいれば、車椅子でのアプローチは大丈夫か、店内での車椅子移動に不便はないか、トイレは車椅子対応になっているかなど確認するのは常識ではないかと思ったからである。


この“TRATTORIA GANZO”というお店のHPの店舗情報には、座席数がカウンター6名、4人テーブル席が1つ、2人テーブル席が1つだけとなっている。そしてお店は2階にあり、エレベーターはこの階に止まらないので、気をつけて下さいと書いてある。


つまり、雑居ビルのような古い建物の2階にある小さなお店という感じである。


わたしは脳卒中を患い左手足が不自由である。だが、幸いにも右手で手摺を握るか、杖を使って用心深く上り下りすることで、階段の利用は可能である。


それでも、はじめてのお店を予約する際には、地下に階段で降りるお店とか店内でも2階に席が取られる場合は、予約の際には、階段の傾斜や手摺の有無などを確認する。


事前に自ら転倒する危険がないかどうかを確認しとかなければ、わたしは逆に心配で、安心して美味しい食事を堪能できないと考えている。他人が予約してくれる場合も、そうした点を考慮した店選びをしてくれている。


折角の美味しい食事とお酒をそうしたインフラが心配で心ゆくまで堪能できないのでは、本末転倒と思っているからである。自分の状態に適ったお店で気持ちよく食事を愉しむ。それが外食というものではないか、そうわたしは考えている。


今回のケースでわたしが嫌な気分に陥ったのは、フォロワーが60万人を超えるツイッターを活用できる乙武氏が、その大勢の応援団に向かって、ツイートしたことである。店の名前をあげる影響がどういうものになるか、予想はついていたはず。こうしたお店にとって、悪評というものが即座に命取りとなることは賢明であろう乙武氏に分からぬはずはない。


乙武氏は、予約時に車椅子の使用を伝えていなかったことは反省されている。しかし、狭い店内で、シェフとスタッフの二人で切り盛りしているお店ということを想定すれば、階段を抱えて上げていってくれ、それも3、4段というのであればまだしも、2階までと唐突に申し出るのは、やはり、常識がないと言わざるを得ないし、随分と手前勝手としか思われない。


店に行って初めてそこが2階にあり、エレベーターも止まらないと知ったのだとしたら、それは乙武氏なり同行者の不注意といおうか、甘えが過ぎるというものである。これまでが偶々すばらしく親切な人たちに出遭い、いつも厚遇を受けて来られたのではないかと推測するしかない。


身体が不自由であれば、不自由なりに、自分でやれることは事前に調整なり、対応策を検討しておくのは、社会人であれば、わたしは当たり前のことだと思うし、その場でも、まず、自分や同行者の力を借りて解決すべきであると考える。


公共交通機関やデパートや大型ショップなど公共性の高い場所では、人手もあり、最近は、従業員や職員さんが車椅子の利用者に手を貸している場面をよく目にする。


しかし、この銀座のお店は二人で運営するまだ開業間もない小さなお店である。バリアフリーにもまだ対応できていないという。


もちろん、最初からちゃんとそうした点にも目配りし、店づくりをしておけと言うのは簡単だが、店舗面積の問題から普通のトイレスペースさえ十分に取れぬ飲食店はいくらでもある。零細であればそれは仕様がないことである。


そうした店は差別ではなく、資金的に対応ができないのであるから、そこに車椅子が入れないのは問題だと言うのは、筋違いというしかない。


今回は銀座のお店ということで、そうした問題はないのだと誤解したとしたら、それは不注意といおうか、世間知らずと言おうか、適当な言葉が見当たらない。


乙武氏は“店主の対応には、まるでが感じられなかった。接客業として、あの物言いはあまりに悲しい。”という。


店主の高田氏は、HP上に事が起きた18日深夜に、“乙武様のご来店お断りについて”という謝罪文を載せている。その冒頭に、“まず先に言葉遣いですが、お客様に対して「何々だ」などの強い言葉使いはしていません”と弁明している。


現場にいた当事者だけしかこれは分からぬことであり、言いようがないのだが、高田氏がひどい言葉遣いはしていないと言っていることも知っておくべきである。また、その場での乙武氏の言い様も、どの程度丁寧であったのか、詰問調になっていなかったかなど、ちょっとした言葉遣いにより相手の反応が変わることはよく経験することである。


また、お店まで自分を抱えて行ってくれなかった、店の対応が冷たかったとして、“ひどく悲しい、人としての尊厳を傷つけられるような思いをする車いすユーザーがひとりでも減るように。”と語っている。


しかし、もし、わたしがこのTRATTORIA GANZO”へ行って、階段を昇れなかったとしたら、事前に確認しなかった自分が悪いとわたしは考えると思う。また、人間の尊厳は障害者のみに付随する属性ではないことは肝に銘じているつもりである。お店の方にも当然であるが、尊厳はあるに決まっている。


わたしは自分が障害者だからといって卑屈になる必要はさらさらないが、だからといって、周りの人が必ず手を差し伸べるべきだとも考えていない。


自分で出来ることは何とかやってみて、それでも出来ない時には人の手を借りる。命に関わるようなケースは別だが、通常のこうした食事やエンターテインメントを享受する場合、人様に多大な負担を強いてまで自分がやりたいことをやるというのは、どうもわたしの美学にはそぐわない。それなりの常識の範囲があると考える。


そんなわたしは障害者としては未熟者なのだろうか、色々と考えさせられた今回の事件であった。


ただ、ひとつ言えるのは、この“TRATTORIA GANZO”、階段の様子を電話で確認して大丈夫と判断出来たら、一度、どうしても行ってみたいと思う店になったということだ。


人としての尊厳を持たれる高田晋一という人物に俄然、興味が湧いたからだ。

そして、最後にこのブログをアップした後に、”つぶやきかさこ”の”乙武氏ツイートの店に行き、店主に取材しました”という心豊かなご意見を見つけました。読んで見てください。