蓼科の秋は冬のかそけき跫音とともにおとずれる。
ウインタースポーツから遠退いてからは、寒冷地ならではの管理事務所による水抜きが実施される体育の日の前に蓼科の秋を満喫することが多くなった。
およそ蓼科の秋は楓の紅の世界というより、深緑色の山肌が斑(ぶち)をうつように徐々に黄ばみを見せてゆく、時の流れもゆったりとしたおだやかな秋景色をみせてくれる。
そんな涼やかで透きとおった山の秋が最も魅力的であると、わたしは考えている。
標高1600mに位置する山荘のテラスから見あげる樹々も10月の時分にはまだ深緑色の葉叢をゆらしている。
今年もツタの葉の色づきが足早な蓼科の秋の訪れを知らせてくれていた。
そして11月に入ると庭の様子は一変する。
葉叢は一挙に茶褐色の斑をうち、庭の土へと先を争うようにして舞い落ちてゆく。
ところがそんな蓼科の秋景色のなかでも、息をのむような「茜色」の世界が訪れる瞬間がある。
それは夕暮れ時のそれも雲の状況、光の角度といった条件がそろったときにだけ出現するのだろう。
その日、山荘にもどる八子ケ峰山腹の道筋から八ヶ岳連峰を遠望した・・・
その直後である。夕暮れの陽光が手前の山からひろがる樹林の上をす〜っと嘗め尽くしていった。
夕暮れのころ須臾(しゅゆ)にして消え去る神様からの神々しい贈り物であった。
一日目はまずまずの天候であったが、翌日からは雨模様ということであった。
当方としてはせっかくのおもてなしもこれでは台無しだと、ヤキモキしていた。
それではせめておいしい蓼科のインド料理(ナマステ)やイタリアン(イル・ポルト)でも愉しんでもらおうと、アートからcuisine(クイジン)へと大きく接待の目的を転換させたところだ。
そして翌日、リゾートタウン内のホテルへ泊まられた友人夫妻を秋雨に煙るなか訪ねた。
ホテルが建つタウンセンターの標高は1300m。
標高差300mは気温も天候もかなり違う。
気温は3度違い、山荘のあたりが小雨でもセンターでは一切、雨が降った痕跡がないなどということはこれまでもよくあることであった。
だが当日は下界へ降りて行っても靄の帳のもようは変わらない。
「せっかくの蓼科の秋が愉しめず・・・」と言いかけると、
「朝、ホテルの庭にひろがる池を散策したが素晴らしかった」と、ご夫妻ともに言われるではないか。
「靄で何も見えなかったでしょう。秋晴れの空を見てほしかった」と重ねて云うと、
「いや、幻想的で、等伯の世界に游ぶようで素晴らしかった」とおっしゃる。
「えっ! そうでしたか?」と、こちらに気を遣われてそう言っておられるのではと恐縮したところ、奥様から次なる写真を見せられた。
それを目にして「すごい!」と、当方はひと言。

ただ、水面に映る樹影と手前の枝木の黒白のぼかしにはとても敵わぬと、これは技量の差というより、「心のありかた」の違いが映像に現れているのだと、素直に首を垂れた、
風雅な時間をお二人のお陰で逆に愉しませていただいた、そんな2022年の蓼科行であった。