彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

伊豆の旅

「ミクニ伊豆高原」でランチが最高!!

伊豆半島最後の日のランチは知人が予約してくれた「ミクニ伊豆高原」で愉しんだ。

ミクニ伊豆高原
ミクニ伊豆高原
ミクニは、建築家・隈研吾氏と〈オテル・ドゥ・ミクニ〉三國清三氏のプロデュースで2019年に開業したレストランで、伊豆急行の伊豆高原駅前の小高い丘の上に建っている。

ミクニへの入口階段 右手は本日のメニュー
駅前のこの階段がミクニ伊豆高原入口
一部高床式になっている平屋建ての建物の外周は全面ガラス張りになっており、いたって開放的なレストランである。

ミクニ伊豆高原からの眺望
ガラス張が開放的 相模湾を一望
そんな館内には伊豆の紺碧の海から照りかえすまばゆい光の粒が縦横に飛び交い、まるで真っ白な世界に身をゆだねている気分だ。

コーナー席見晴らしがよい
コーナー席は眺望がすばらしい
またガラス越しにみえるテラス席はヒノキの木組み天井とそれを貫くように樹つ一本の松が印象的で、伊豆の軽やかな海風が吹き抜けているのが目に見えるようだ。

テラス席もありました
テラス席
当日はランチメニューの老夫婦向きの適度な量の「伊豆の輝き」(,655円)をオーダーしていた。

最初が、アミューズ (フレンチは難しい・・・) 鯵?の南蛮漬けか、もっと洒落た言葉で紹介されたが、覚えていない。

アミューズ 南蛮漬け
南蛮漬け・・・
次に、ポークのリングイッサ(生ソーセージ)・白いんげん豆のフェイジョアーダ

ポークの生ソーセージ・白いんげん豆のフェイジョアーダ
次の皿・・・
メインはお肉と魚のどちらかということで、わたしは魚料理を頼んだ。

鮮魚の炭火焼き ナージュ仕立て・ナス ズッキーニのグリエ・海老のラビオリ添え・・・これはメニューに書いてあったから・・・

メイン 鮮魚の炭火焼き・海老のラビオリ添え
メイン 魚料理

最後にデザートである。

⓪デザート 
年寄りにとってSimple is bestは至言である。

グリーンピースのソルベ・ルバーブのジュレ・柑橘とショコラのムースであったが、おいしかった。

ミクニ伊豆高原 外観
開放的なミクニ
広々とした館内で、厨房も見通しがきき、伊豆の陽光はどこまでも肌に心地よい。

愉快な仲間とうまい料理と笑顔のこぼれる談笑・・・

こうして伊豆高原の旅はおわった。

家族連れで行きたい赤沢温泉ホテル スパ・リゾート「赤沢温泉郷」

伊豆半島二日目の宿は知人の別荘から坂を下った海岸線に広がる伊豆高原のスパ・リゾート「赤沢温泉郷」のなかにある赤沢温泉ホテルである。

伊豆赤沢温泉ホテル
赤沢温泉ホテル エントランス
コロナ禍の影響で対面で談笑するのはほぼ三年ぶりとあって、互いの近況につき語り合うのが主たる目的であった。そのためホテル内の滞在時間がほとんどなく、スパ・リゾート赤沢温泉郷を味わい尽くすことができなかったのは残念であった。

ホテルエントランス
エントランス
ここにはスパ・エステ&マッサージ、プールハウス、ボーリング、テニスコート、フィットネスと多様な施設がそろっている。一泊ではもったいない機能が充実していて、そして、家族連れでにぎやかにやってくるのにふさわしい、そんなリゾートであるといえる。

ホテルから赤沢港をのぞむ
ホテルラウンジから赤沢漁港と別荘地を望む
またその広大なリゾート施設のなかには「赤沢迎賓館」なる豪勢な宿も併設されており、大人だけの財布に余裕のある方はそちらに宿をとって贅沢なリゾートライフを満喫することもできる。

といったホテル紹介はこれくらいにして、当方はというとその日は知人宅で話に花が咲き、また、広い庭に植わる果樹や野菜をもぎとったりと時間はあっという間に過ぎた。

伊豆赤沢・恒陽台別荘地 赤沢温泉ホテルから
伊豆高原の別荘群
そこで夕食は手間を省き赤沢温泉郷内にあるホテル横に建つ「ビストロ赤沢伊豆高原」でとることにした。飽くまでも会話が何物にも代えがたい馳走であったからである。

ということで、われわれはホテルは夕食無しの朝食付き一泊の予約をとっていた。

赤沢温泉ホテル・朝食ビュツフェスタイル
朝食・ビュッフェ形式
ビストロではアラカルトで確かピザやソーセージの盛り合わせなど何皿か注文したのだが、話に夢中となっていたので店内や料理の写真はただの一枚も撮っていない。

これまでの旅で食事の写真を撮影していないのは初めての経験であったと思う。

それほどにおしゃべりに夢中になっていたのだと思う・・・

このコロナの三年間、LINEの映像越しに何度か会話していたのだが、人という生き物は、どうも社会や他人との関わりのなかで異質で多様な事象・意識とぶつかりあうことで脳内細胞が活性化し、東京のミドリの狸ではないが自分の思考・意識を“アウフヘーベン”させることで知力をステップアップしていく生物なのだと、改めてそう感じたところである。

まぁ、そんな小難しいことは脇に置いて、互いに七〇歳という大きな節目を思い思いに超えて、それぞれ人生について深く思う日々が増えた仲間と語り合える時間はとても貴重であり、殊の外、愉しかったのである。

そしてそうした時間はあっという間に過ぎ去り、この伊豆の夜は更けていった。

その翌朝、好天に恵まれ、ホテルの部屋からは伊豆七島がよく見えた。

利島の島影とタンカー
神津島の島影とコンテナ船
前日は雲がやや多く午後ということもあり、高台にある知人宅からでもはっきりと島影を見渡すことができず残念な思いをしたばかりであった。

左利島  右 新島
左 利島 右 新島
それが伊豆半島最後の朝、こんな贅沢な景色を拝めたことは日頃の細君を含めた人生の仲間が積み重ねてきた功徳のお陰であると満腔からの感謝の気持ちでいっぱいとなった。

ホテルから新島の島影をみる
新島
そして伊豆半島最後のランチは別荘族の通う「ミクニ伊豆高原」である。楽しみである。

伊豆長岡温泉 若い女性客に手頃なお宿・香湯楼(こうゆろう)井川

その日最後の予定地、「鎌倉殿の13人」ゆかりの願成就院が、定休日の北條寺につづき、こちらは拝観受付が午後3時半までとのことで、われわれが4時過ぎに山門をくぐったときには国宝の阿弥陀如来坐像の安置された大御堂や宝物館は閉鎖され、境内の北条時政公の墓所のみをお詣りするにとどまった。

当夜はそこから10分ほどの伊豆長岡温泉の「香湯楼(こうゆろう)井川」を予約していた。

⓪井川・エントランス
香湯楼井川の玄関
HPから探し出したのだが、立地と宿泊料のお手頃感を第一に選考基準として選んだ。

加えて「香湯楼井川」に関しては、百年の歴史を誇る宿で「五感で楽しむゆらぎ」を謳うお洒落なHPから勝手に重厚ななかにも洗練された外観イメージを膨らませて選んだのも事実である。

その井川に到着してみると、いわゆるホテルかちょっとしたマンションのような外観で、正直、失望の感は否めなかった。

エントランス
モダンな椅子やオブジェが置かれたエントランス 
また中へ入ると、薄暗い空間にレセプションと洒落たラウンジが広がっていた。

百年の歴史の重厚さというのではなく、その対極にある現代アート造りのようなエントランスである。

アロマがひとつのコンセプトなので、空間をこのように落ち着いた薄暗い照明とほのかに薫るお香によって演出しているのだろう。

エントランス・ラウンジ
落ち着いたラウンジ
割り切って考えれば、こうしたリニューアルとアロマといったサービスがいまの若い人々にはふさわしいのかもしれないと思い直した。

チェックインをすませ、5Fのハリウッドツインルームへと向かう。

5F ハリウッド・ツインルーム40
40屬旅さのハリウッドツイン
広い畳敷きの部屋に大きなツインベッドが置かれていた。

ゆったりとした部屋で気持ちが良い。

井川・部屋から
5階から長岡温泉郷をみる
レセプションで貸切露天風呂を進められたので、夕食前に温泉を愉しむことにした。

この露天風呂は想像を超えて随分お洒落にできていた。

ドリンクでくつろげる貸切風呂
お洒落な貸切露天風呂
間取りはと説明するのも妙ではあるが、ここの脱衣所というのがいわゆる「次の間」といった感じで、板敷きの室内に白い二人掛けのソファが置かれ、広い窓越しに檜造りの木枠で縁取りされた露天風呂が見える。

井川 貸切露天風呂
お湯は熱くでも肌にやさしい・・・
ソファの前には氷の入ったボトルクーラーのなかに瓶ビールとミネラルウォーターが用意されていた。

まずは伊豆長岡温泉の源泉につかることにした。

さすがに「美人の湯」と称される井川の湯は肌にやさしく気持ちが良かった。

その証拠に、細君もちょびっと女っぷりがあがったと、報告しておこう。

こうした坪庭を眺めながらの露天というのも気持ちが落ち着きなかなか乙なものだと感じ入った。

そして湯浴みののちに冷えたドリンクでのどを潤したが、少々難を言えば貸切時間が一時間ということで、湯上りのボ〜ッとした時間があわただしく足りなかったのがもったいなかった。

雰囲気作りはなかなか秀逸であったので、もう一つ二つ、貸切露天風呂の数を増やして、もう少し利用時間を増やしてくれたら、香湯楼井川の大きな「売り」になると思った。


そして、いよいよ夕食である。

当夜のメニューは次の通りである。

食前酒 山桃酒

夏の彩り前菜 アサリのオイル煮・彩り野菜・鮭・バゲット

夏の彩り前菜 アサリのオイル煮・彩り野菜・鮭・バゲット
オードブル
コンソメ餡の茶わん蒸し

コンソメ餡の茶わん蒸し
茶わん蒸し
刺身4種 鮪・鯛・カンパチ・桜エビ

⓪刺身 鮪・鯛・カンパチ・桜エビ
地元の刺身
キンメダイの香草焼き

キンメダイの香草焼き
金目鯛の香草焼き
寿司 鰻棒寿司・パプリカ・井川ロール

寿司 鰻棒寿司・パプリカ・井川ロール
変わり種のお鮨
ビーフシチューパイ包

ビーフシチューパイ包
中身はビーフシチュー
トマト・チーズのハーブガーデン鍋

トマト・チーズのハーブガーデン鍋
これはヘルシー鍋
ハーブ塩鰹茶漬け

ハーブ塩鰹茶漬けのトッピング  ハーブ塩鰹茶漬けのトッピング
これをご飯にのせてお湯をかける
写真からわかるように野菜やハーブを多用したヘルシーメニューで、色使いなどちょっとお洒落感も演出して若い女性方が喜ぶ料理なのではと感じた。

さらにデザートが別途ラウンジに用意されており、これは食べ放題ということでこれも女性陣には好評のようであった。

デザートはラウンンジで食べ放題
だいぶ品数も減っていたラウンジに用意されたデザート
若いカップルがこれもよいあれも食べてみたいとじゃれあっている姿をみていると、年寄りも「そうそんな時代が自分たちにもあったなぁ」と自然と顔がほころんでくる。

そして旅は仲間内だけで愉しむのではなく、周りの人たちが喜び楽しむさまを眺めることで、その幸せ感が伝染してくる、そんな心豊かな気持ちになるのがいいのだなぁとあらためて実感させられた香湯楼井川のひと時であった。

その夜は広いベッドに潜りこむや二人とも瞬時にして完落ちしたのはいうまでもない。

「鎌倉殿の13人」ゆかりの地 蛭ケ小島・北条氏邸跡・願成就院・北條寺を巡る

先の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ゆかりの地めぐり湯河原真鶴編につづき、その翌週、日を改めて二泊三日の「鎌倉殿の13人」ゆかりの地めぐり第二弾を決行。

この旅の主たる目的は伊豆高原の別荘で月のほぼ半分近くを過ごす旧知のご夫妻を訪ねるものであった。

伊豆高原の別荘地
伊豆高原の別荘地
ただ、せっかくの伊豆半島の旅である。

好奇心旺盛といおうか、貧乏性の古希・古希夫婦である。

今日、伊豆といえばもちろん「鎌倉殿の13人」。

ということで頼朝や鎌倉執権の北条氏ゆかりの史蹟巡りもかねてのんびり参ろうと計画を立てた。

そこで、一日目は伊豆長岡温泉の「香湯楼(こうゆろう)井川」を予約した。

香湯楼井川エントランス
香湯楼井川のエントランス
まず、頼朝流刑の地、「蛭ケ小島」は見ておかねばなるまいと、最初に向かった。蛭ケ島のあたりはいまは田園の広がる平坦地であるが、鎌倉の頃は狩野川の蛇行も今とは大きく異なり、このあたりを流れ、中洲がそこここにあったようである。

⓪蛭ケ島公園
蛭ケ島公園
その故、「島」のつく地名も多く残っているのだという。

もちろん頼朝もそうした中洲のひとつに流人として囲われていたのだと思う。

その蛭ケ小島の位置は正確には分かっていないとのことだが、江戸時代の郷土史家・秋山富南が推定した地(現在の蛭ケ島公園)を韮山代官の江川英毅が購入し、「蛭ヶ小島」の碑を建立させたのが始まりだという。

蛭ケ島碑 寛政年間建立
蛭ケ島碑
現在野公園中央にその石碑が建っている。

また、平成15年に富士山を望んで立つ頼朝・政子の「蛭が島の夫婦」像が建立されている。

頼朝・政子夫婦像
源頼朝・政子夫婦像
往時を偲ぶ縁をこの公園内に見つけることなどもちろん無理な話だが、八百数十年前、源頼朝が確かに北面に日本一の山、富士山を日々仰ぎ見たであろうことは確かである。

頼朝像から望む 富士山は雲のなか
富士山は雲のなかだった
そして臥薪嘗胆の末か、それともそんな大望などなくただ運命の糸に引き寄せられるようにしてか、歴史の大舞台にその身をさらすことになり、日本一の男となった。

蛭ケ小島はそんなことを想起させる悠揚たる風のわたる宏闊な土地であった。

そこから「鎌倉殿の13人」とは無縁であるが、頼朝が興した武家政権の終焉の頃、攘夷擾乱の幕末に外敵排除のため大砲製造を目的として建造された世界遺産明治日本の産業革命遺産・韮山反射炉が至近であったので見学した。

韮山反射炉
韮山反射炉
さらに建造者の韮山代官であった江川英龍の屋敷も拝観した。

江川邸・門から大玄関をみる
江川邸屋敷門と奥に大玄関
いわば武士の時代という大河の流れの入口と出口がここ伊豆半島の根っこ近くにあるというのも、不思議な気がしたものである。

そこから標高100mほどの小さな山、守山の北西側の谷戸(やと)にある北条氏邸跡へと向かった。

30年ほど前に発掘調査され、この地が平安時代から住みついた北条一族の館跡であることが確認されたという。

北条氏邸跡入口
北条氏邸跡入口
その館群の規模はまことに狭隘で、北条氏が頼朝という取るに足らぬ流人を押し立てて大博打に打って出た田舎者の武士団であったのだと納得させる景観であった。

アナログバーチャル 往時の北条館群
こういう風に館群があった 発掘遺跡
負けてもともと頼朝の首を差し出し、尻尾を巻いて一族もろとももっと北方へと逃げ出せばよいくらいに思えるほどの貧相な地味(ちみ)であった。

北条館があった一帯
この狭い谷に北条氏が居を構えていた
そんな田舎者の北条氏がパトロンとなって築いた鎌倉文化が質実剛健であったというのも、このやぼったい景観を目にして妙に得心したところである。

この狭い一帯に北条氏の館が建っていた
遺跡がこの下に埋まっている
その守山の東側の麓に北条時政が造営した願成就院がある。

願成就院 山門
願成就院・山門から奥に大御堂
簡素で気負いのない山門をくぐると少し右に屈曲した石畳の先に大御堂が見える。

願成就院・大御堂
大御堂
その大御堂には、「鎌倉殿の13人」で仏師・運慶が掘り出す場面が描かれていた阿弥陀如来坐像が時を超えて現在国宝に指定され、祀られている。

願成就院・阿弥陀如来坐像
阿弥陀如来坐像・絵葉書より
薄暗い堂内で対面するご本尊は全体的にふくよかなお姿で、穏やかなお顔立ちをされていた。

大御堂に至る参道途中、大きな石燈籠手前の細道を左に入ると、茅葺の本堂が建っている。ただし内部の拝観はできない。

願成就院・本堂
願成就院・本堂
また山門から近い六地蔵堂前を左折すると、鐘楼前に創建者である北条時政公の墓所がある。

北条時政公墓所
北条時政公の墓所
角の取れた細身の五重塔のようなお墓である。その質朴な印象は大河ドラマで描かれる権謀術数を弄する人物の墓とはどうにもそぐわなかった。

時政墓 願成就院
時政公の墓石
でっぷりとした短躯の五輪塔のほうが、そうした奸智に長けた男には似つかわしい気がした。坂東彌十郎さん、ゴメン!

そして最後に控えしが、「鎌倉殿の13人」の主役、小栗旬演じる北条義時が創建した北條寺である。

北條寺御朱印
北條寺御朱印
実は前日に参拝しようと立ち寄ったのだが、山門前に「水曜日定休日 境内立入禁止」の立て札。

定休日の立て札
定休日の立て札
お寺にまさか世俗的な定休日なるものがあるとは正直驚いた。

だが大河ドラマの主役ともなるとそう簡単にはお会いできぬものだと妙に納得したところでもあった。

そういう事情で翌日改めて北條寺を詣でた。

北條寺・山門
北條寺山門
願成就院にくらべると小ぶりのお寺で、本堂もコンクリート造りになっていた。

巨徳山北條寺・本堂
北條寺本堂
本堂左手に広がる墓地を抜けると小四郎山と呼ばれる小高い丘がある。

小四郎山の頂上に北条義時夫妻の墓
ここを登ってゆくと義時公夫妻の墓所
その丘を斜面に沿って登って数分、頂上の平坦地に北条義時夫妻の墓が立っている。

⓪北条義時夫妻の墓
北条義時公夫妻の墓
二基の墓石の右手が義時、左手が怪演の光る菊地凛子扮する“のえ(伊賀の方)”のお墓だという。

北条義時夫妻の墓 右 義時 左 伊賀の方
右が義時 左が伊賀の方
新垣結衣演ずる八重姫ではなくて残念・・・って・・・菊池さんに失礼か。

伊賀の方の墓が現代まで義時に寄り添うように立ち続け、大切に供養されてきた丘上の様子からは、藤原定家の「明月記」に云う「伊賀の方が義時に毒を盛った」(安貞元年6月11日条)とのおぞましい風説は俄かに信じ

がたい。

今後の三谷幸喜氏のシナリオは如何に? 興味は尽きない。

そんなことを考えながら小四郎山から狩野川の先、蛭ケ小島の方向を見渡した。

小四郎山から蛭ケ小島方向をみる
小四郎山から
そしてこんな狭隘な地から七百年におよぶ武士の時代が誕生したのだと、歴史の群像が眼下に蠢くさまを想い描きながら、ゆっくりと石段を下り、当日の宿、伊豆長岡温泉の香湯楼(こうゆろう)井川へと向かった。

「鎌倉殿の13人」土肥実平ゆかりの地・湯河原町をめぐる

素晴らしいフレンチを堪能したラクラッセ・ドゥ・シェネガをチェックアウトし、まず4kmほど西に位置する五所神社(足柄下郡湯河原町宮下359−1)へ向かう。

五所神社鳥居から拝殿
五所神社
当社は天智天皇の時代に土肥郷の総鎮守として創建され、伊豆国で挙兵した源頼朝が石橋山へ出陣する前夜、社前において戦勝祈願の護摩を焚いた神社である。

五所神社石段の上に拝殿
石段の上に社殿
当日は平日であるにもかかわらず境内には参拝客が絶えることがなかった。
茅の輪くぐり 五所神社拝殿
茅の輪めぐり 拝殿
そのなかに地元の方だろう境内に散らばる七福神をお詣りする人もおり、今でも篤い崇敬を受けていることがわかる。

七福神廻り 大黒様
七福神巡り 大黒様
そこから今度は東に転じて1kmほどの湯河原駅へと向かった。

JR湯河原駅
JR湯河原駅
源平時代の頃、土肥郷(現在の湯河原町、真鶴町)を支配していた豪族が、頼朝挙兵に参陣して以来、平家討伐や奥州征伐に活躍した土肥実平であった。

湯河原駅前に建つ土肥実平夫婦像
湯河原駅前に建つ土肥実平夫婦像
湯河原駅前にはその土肥実平夫妻像と土肥氏館跡碑が建っている。

土肥氏館跡の石碑
土肥一族の館跡石碑
実平の妻女は石橋山の戦いで大敗した頼朝を真鶴から安房へ逃亡する際に、食糧の差入れや大庭景親手勢の探索の様子を知らせるなどの働きをしたのだそうで、駅前に夫婦像が建つのもそうした逸話に基づいたものであるという。


そして駅のすぐ北側傾斜地には土肥一族の菩提寺である城願寺(足柄郡湯河原町城堀252)が建っている。

城願寺本堂
城願寺本堂
城願寺の境内奥に広がる墓地に新しい墓石群と隔絶するかのようにして隈の暗がりの一段の高みに、古びた墓石が集まる一画があった。

高台に土肥一族の墓所
土肥一族の墓所
そこが64基の墓が鎮まる土肥一族の安息の場所となっている。

土肥一族64基の墓石が建つ
古い墓石がならんでいる
その中央部分に建つ五輪塔が実平の墓であると伝えられている。

実平中央、左に実平の妻、右が遠平とその妻の供養塔
土肥実平の墓 中央供花のある五輪塔
その左が妻女のお墓だそうだ。

右手が謡曲「七騎落ち」で有名な実平の嫡男・土肥遠平(とおへい)の墓だと伝わる。

この身を寄せるようにして64基もの墓石が集まり、いまなおその墓前に花が手向けられているのを目にすると、実平やその妻女が実直で人望が厚く信義の人であったに違いないと感じたものである。

質朴な人柄を後の世までも慕いつづける、そのことをまた忘れずに孫子の代に引き継いでゆく心根の優しさを想い、とても心鎮まる墓地であった。

その奥津城の高みから振り返るとすぐそこに相模湾を見下ろすことができた。

土肥一族の墓所からは相模湾が一望
そこに相模湾がみえる
また境内にはいろいろと頼朝や実平にまつわる史跡がある。

能・「七騎落」の舞台は前日に訪れた岩海岸である。

簡単なあらすじは安房の国上総へ逃れんと乗船しようとした頼朝主従八騎が、八という数字が源氏にとって不吉な数字であるとして(頼朝の父義朝が落ち延び落命した時、主従八騎・祖父為義が九州落ちの時も八騎)、一人を下船させることとなる。その結果、実平の息子遠平が泣く泣く浜に取り残される。和田義盛が遠平を拾い、頼朝一行に合流、無事、安房へ逃げおおせることになるという譚である。謡曲でも名高い譚だという。

七騎堂 岩海岸を出た頼朝主従七人を祀る
七騎堂
その七騎を祀っているのが、境内にある七騎堂である。

また本堂の前に謂れを伝える石が置いてある。

ひとつは頼朝が腰かけた石である。前日の貴船神社の頼朝腰掛石といい、この大将、行く先々でよっこらしょとよくよく腰を降ろしていたと見える。

伝 頼朝腰掛石
頼朝の腰掛石
そして、土肥実平が腰かけた石もすぐ傍らにあった。

伝 実平腰掛石
実平の腰掛石
仲良く腰かけて、はてさて安房国へ渡った後の算段でも語り合ってでもいたのだろうか。


そこから城願寺をあとにして西へ向かって、五郎神社(足柄下郡湯河原町鍛治屋724-2)を目指した。

五郎神社 鳥居から
五郎神社 鳥居奥に拝殿がみえる
石橋山の戦いに敗れて土肥郷に逃れた源頼朝が陣を張ったという鍛冶屋に鎮座する社である。

先の五所神社とくらべるとずいぶんと簡素な神社である。

五郎神社の拝殿
小さな拝殿
「鎌倉殿13人」が放映されているのだから頼朝とのゆかりの説明のひと言くらい境内のどこかに説明板がないかと探したが、見事なまでに何もなかった。
頼朝はさぞ命からがら逃げてきたのだから、ここにこそ「頼朝の腰掛石」があってもよさそうだが、その欠片もなかった。

五郎神社と灯籠
誰もいない、何の説明もない五郎神社境内
これはこれで清々しい神社であると感じた。

もちろん、参拝客も我々夫婦二人きりであった。

こうして湯河原真鶴岬めぐりはまず当所を最後とし、翌週、再度、蛭が小島や北条寺などを訪ねようとこの日は帰京の途に着くことにした。

湯河原 ラクラッセ・ドゥ・シェネガで見た白日夢

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を観ていて真鶴岬、伊豆半島へ行ってみたいと突然思いたち、ネットで探して公式HPから予約を入れたのが「湯河原ラクラッセ・ドゥ・シェネガ」という舌を噛みそうで、やたら覚えにくい名前のホテルであった。

ホテル ラクラッセ・ドゥ・セネガ
ラクラッセ・ドゥ・シェネガ
予約の決め手はおいしそうなフレンチ料理の写真であった。食いしん坊のわたしにとってそれはとても大事な宿選択の決め手である。

ということで、当日、真鶴岬に点在する源頼朝や鎌倉武士ゆかりの地をめぐって、午後3時半過ぎにホテルへ辿り着いた。

石造りの外観はやや黒ずんだ箇所があるものの、その曲線の造形と門前の椰子の樹はまさに南欧のリゾートホテル、たぶん・・・

コートダジュールあたりにはこんな小洒落た建物があふれかえっているに違いないとイメージしたのである。Never been なのだから想像するのは勝手である・・・

実際にホテル前の通りの先には地中海ならぬ相模湾が覗いていた。

相模湾はすぐそこ
確かに相模湾が見える
そして、眼前の電柱とおびただしい電線、カーブミラーにガードレールといった猥雑な障害物を取り除いてみれば、そこにはキラキラと陽光に照り映える群青の海原が瞼の内に広がっていく・・・南欧・・・南仏プロヴァンス・・・

想像の翼はどこまでもひろがってゆく

ラクラッセ・ドゥ・シェネガの入口
ここから入車
そして地下1階にあたる車寄せからどことなく小洒落たエントランスへ・・・

ラクラッセ・ドゥ・シェネガ エントランス車寄せ
ホテル入館の扉(ここが地下1階にあたる)
木製のドアを開けると・・・正面に南欧のホテルにはきっとあるに違いない優雅な曲線を描くサーキュラー階段が待ち受けていた。

エントランス
これはプロヴァンスのプチホテル
わたしは勇躍、期待に胸膨らませて1階のレセプションへとむかった。

温もりを感じさせるレセプション
レセプション 壁にはたくさんの絵画
木造りのぬくもりに満ちたレセプションの前がラウンジになっていた。

館内にはフランスの画家ルイ・イカールのアンニュイただよう絵画が数多く飾られ、この雰囲気は若い女性やカップルには最高なのだろうなと思ったりした。

さて、広い窓の向こうに水色の水が張られたガーデンプールが見えた。

ラウンジからガーデンプールを見る
ラウンジからガーデンプール、相模湾がみえる
そしてプールサイドに咲く赤紫色のブーゲンビリアが相模湾の海原をバックに映える・・・

ガーデンプール
ガーデンプールとブーゲンビリアと夏空
これが最近、若い娘たちがしばしば口の端にのせる“バエ、バエ”、“映えスポット”というのじゃなかろうか?

ラウンジからガーデンプールを
右手に伊豆半島が見える
・・・てな気分で脳内はう〜ん・・・ニースのプチホテル・・・

気分はアゲ!アゲ!・・・多分、これって死語・・・そしてチェックインをすませて3階のツインルームへと向かう。

オーシャンビュー ツイン
3階のオーシャンビューのツインルーム
室内に入るとオーシャンビューの窓際には長椅子が置かれ、ゆったりとした空間が演出されている。

レースカーテンに透けて小さなバルコニーが見える。

カーテンをあけて窓を開放するとプロヴァンスの白い太陽の光がまばゆい。

バルコニーから初島と伊豆半島を見る
バルコニーに夏の白い陽光がふりそそぐ・・・
しかもバルコニーに何気なく置かれた二脚の真っ白な椅子がふるっている。

室内から相模湾を一望
二脚の白い椅子
これはもう洋画「太陽がいっぱい」の世界である・・・

なにせ太陽がいっぱいなのである!!

ガーデンプールと円型レストラン
バルコニーから陽光に照らされたアクアブルーのプールを・・
真下にはブーゲンビリアが咲き誇るアクアブルーのガーデンプール、そして石造りの円形レストランが見下ろせる。

映画の舞台はナポリとかイタリアだったような気もするが、それはそれ、脳内はコートダジュールである・・・

レストランと湯河原の町
ナポリならぬ湯河原の町が見える
長椅子に寝そべる細君はさしずめマリー・ラフォレ・・・

バルコニーの真っ白な椅子に坐っているのは、何を隠そう、アランドロン・・・

いやはや妄想は海原の涯てをつきぬけて水平線から夏空へと飛揚してゆく・・・

室内から初島と伊豆半島を一望
すばらしい眺望 右に伊豆半島 正面に初島が・・・ 

正気に返って・・・やっぱり・・・目の前には青い海が広がっている・・・

相模湾のとおくに伊豆半島の山並み
うつくしい・・・
う〜ん、やはり・・・ここはコートダジュールいやニースだ!! NEVER BEEN TO・・・

そしてはるか遠くに地中海に浮かぶ島影が見えている・・・

そんな白日夢をみせてくれるラクラッセ・ドゥ・シェネガはまさに大人のホテルである。

フランス語で灯台を意味する“Le Phare(ル・ファール)”が当夜のディナーをいただくレストランである。

Le Phare(ル・ファール)
レストラン“Le Phare(ル・ファール)
当夜のメニューは次の通り。

ディナーメニュー
メニュー
そのスターターに本日のシェフからの「ひと口小皿」ですと差し出されたのが、驚愕の一品料理。

駿河湾朝どり鯵のエクレア
鯵のエクレア?
「相模湾で当日採れた鯵のエクレア」というではないか。

誰でもそんな料理・・・生臭さとチョコレート“鯵”ならぬ“味”は想像できない。

おそるおそる口に入れてみる。

本日のシェフのひと品 駿河湾鯵のエクレア
イケル!!
鯵というより白身魚のような味にカカオの苦味がうまくまざった、イケル!!これは表彰物の一品である。

このサプライズで一挙にディナーへの期待が膨らんだのはいうまでもない。

すばらしい演出である。

それからきれいにデコレートされたオードブル・・・「伊豆天城産軍鶏プレステリーヌと赤パプリカムースとビーツジャム」がはこばれてきた。

オードブル
オードブル
次に魚料理の「鮎コンフィとラビゴットソースのフェンネル風味」

鮎コンフィとラビゴットソースのフェンネル風味
鮎のコンフィ
夏本番前の鮎、塩焼きだけが鮎じゃないと知らせる一品、おいしかった。

このあとにメニューにはない箸休めなるこれまた遊び心の一品が供された。

箸休め お稲荷さん
ソーセージ?
目の前の包みを開けて・・・エッ!! えぇえぇ〜!!なのである。

フレンチの箸休めが・・・お稲荷さんだなんて・・・

お稲荷さん
シンプルなおいなりさん
Le Phare(ル・ファール)”のシェフはお客を驚かし小躍りさせる名人であると彦左は喝破した、お見事!!のひと言である。

その興奮冷めやらぬなかお肉料理がやってきた。「黒毛和牛静岡育ちフィレ肉にグリル夏野菜と生姜香る仔牛のジュ」である。

肉料理
フィレ肉料理
もちろんお肉はやわらかく量もほどほどで助かった。

当日は繁忙期直前ということもあって、ほかに一組のみのお客であったのでゆったりとした雰囲気のなかで心落ち着く食事が愉しめた。

また宴たけなわの頃、ハッピーバースデイのメロディーがピアノから流れてきた。もう一組のお客さまの誕生日なのだろう。

もちろんアランドロンとマリー・ラフォレは惜しみない祝福の拍手をおくった。

そして・・・「ショコラムースとメロンのゼリーに紫陽花仕立てヨーグルトのソルベ」なる長〜い名前のデザートが供され・・・

デザート
デザート
南欧のフレンチの宴はしずかに終焉を迎えた。フレンチのしつこさをおさえたとても上品な味付けと適度な量にわれわれは満足!

ディナー前に
雰囲気、最高です
くわえてスタッフのスマートなおもてなしに・・・Merci beaucoup(メルシー・僕!!)と叫んだのはご愛敬である。

ところでラクラッセ・ドゥ・シェネガには2019年にできた温泉もある。

ここは湯河原である、温泉がなければと・・・ここはドロンも日本人・・・

この日の男湯はわたしの貸し切りであった。

ゆったりと温泉につかり、ミストサウナなる変わったサウナにも入り?至福のひと時を愉しんだ。

そしてベッドにはいるともう夢見心地。

翌朝の朝焼けも素晴らしかった・・・

相模湾の朝焼け 初島の先に大島が見える
大島も見える朝のバルコニー
・・・と、細君が写真を見せてくれた・・・

早朝の大気のなか遠くまで視界がひろがり、初島の先、大島の島影が見えた・・・

・・・と、話してくれた。

もちろん私だって夢の中で地中海に浮かぶ島影をいくつも見ていたのだが、その話は宝物なので、細君にも話はしてあげていない。

気分は南欧
まさに南仏のバルコニー・・・
これから本格的な夏になるとガーデンプールには白いパラソルがいくつも開くという。

この静寂の支配するプールサイドも南欧の気分がアゲ!アゲ!の生気あふれた若者にこそふさわしい世界へと姿を一変させてゆくのだろう・・・


そして真夏のまばゆい太陽の日差しに無防備に身を投げ出すアランドロンの世界、そんなシーンのなかに老夫婦が身を横たえる真っ白な椅子はもう用意されていない・・・

そうそのとき悟らされた・・・

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ゆかりの地 湯河原・真鶴岬をめぐる

現在放映されている大河ドラマ、三谷幸喜脚本の「鎌倉殿の13人」が面白い。鎌倉武士が武士政権の時代を切り拓いてゆく最中、さまざまな人間が駆使しあう権謀術数や生臭く欲深で飾らぬ生身の人間の性が描きこまれていてとても魅力的だ。

鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮
そこで物見高い老夫婦は、源頼朝が流人として過ごし、彼の庇護者となって、結果、武家政権を確立した北条氏など鎌倉武士ゆかりの伊豆の地を訪ねることにした。

まずは桓武平氏の一党である土肥実平が勢力を張っていた湯河原町、真鶴町をたずねた。

その最初の訪問先が石橋山の合戦に敗れた頼朝が従者7人とともに安房国へと船出をした岩海岸である(源頼朝船出の浜:真鶴町岩957-1)。

頼朝が小舟で漕ぎ出した岩海岸
頼朝船出の浜・岩海岸
小さな浜辺であるが、ひっそりと舟を漕ぎ出した浜辺というには、思いのほか見通しの良いところであった。

現在はその湾口というか相模湾へ出てゆく辺りに橋がかけられている。

しかし、当時は人影もない鄙びた浜であったのだろう。

そこから落魄した頼朝主従7人が安房国へと逃げ出した。

その時の頼朝の心情を表しているかのようなまことに頼りなく儚い海辺である。


その浜辺から2kmもいかぬところに、一行が身を隠したと伝わる「鵐窟(しとどのいわや)」がある。

鵐の窟(しとどのいわや)
鵐の窟(しとどのいわや)
専用の駐車場がないので、真ん前の「真鶴 魚座(さかなざ)」(真鶴町真鶴1947)の駐車場に車を止め、ついでにランチをとった。

魚座 真鶴漁市場2階にある食堂
魚介料理の魚座
わたしは刺身定食を注文した。さすが相模湾で採れたての鯵、身がふっくらとしておいしかった。

ほっこりなアジフライ、絶品
このアジフライ、おいしかった!

海鮮丼
細君が注文した海鮮丼

さて「鵐の窟(しとどのいわや)」であるが、魚座の真ん前を走る県道・真鶴半島公園線を挟んで斜め前にある。

切り立ったかつての石切り場の根っこに小さな洞穴があった。入口はステンレス柵で閉ざされていて、覗いても奥行きは2、3mほど。

鵐の窟内部
鵐の窟内部
しかし説明板を見てびっくり。

小舟の先に隆起前の鵐の窟
海の上にあった鵐の窟
大正11年に撮影された鵐の窟は海水が這り込む奥行11mもある洞窟で、海に雪崩れ込む崖の裾にあった。翌年の関東大震災の際に隆起して現在の陸地になったと説明があった。

その隆起は数メーターにもなろうか、震災の規模がいかに凄まじかったかがわかるジオパークである。

そんな海水に洗われる洞穴に頼朝は隠れ、そっと抜け出し、岩海岸に用意された小舟に載って海上へと漕ぎ出したのである。

どう贔屓目に見てもそんな人物がのちの七百年におよぶ武家の時代を創り出したとは思えぬ洞穴と海辺の矮小さではあった。

そこから真鶴岬を南下すると、すぐに貴船(きぶね)神社がある。

真鶴町の貴船神社
貴船神社
社伝は、889年、三ツ石(真鶴岬)沖に木像12体と書状が流れ着て、社殿を建て村の鎮守として祀ったとのべる。江戸時代まで「貴宮(きのみや)大明神」と称し、明治元年に貴船(きぶね)神社に改称したといい、京都の貴船(きふね)神社とは無関係だということであった。

ただ、そんな貴船神社も頼朝ゆかりの地となっている。

縦に建てられた頼朝の腰掛石
由緒板の横に建つ頼朝の腰掛石
なんと「源頼朝の腰掛石」という貴重な石が史蹟として建てられているのである。

頼朝が休息した岩を「鵐の窟」付近より当地へわざわざ移設したのだそうな。

その腰掛石は直立して神社の由緒書きの横に麗々しく立っていた。

頼朝様に敬意を表し、その前で手を合わせた。

社殿はそこから急な石段を昇った高台にある。

真鶴貴船神社 拝殿
拝殿 茅の輪がつくられていた
丁度、「夏越の祓(なごしのはらえ)」の時期であり、社殿前には大きな茅の輪が作られていたのでぐるりと廻って今年の無病息災を祈った。

参拝をすませて次に三ツ石なる名勝のある真鶴岬の突端へと向かった。

真鶴岬の三ツ石
真鶴岬突端にある三ツ石
今回の目的のひとつに夫婦ともども、伊豆へ旅する機会は度々あれど、その途上にある真鶴はいつも通過地点でしかなかった。

要は「真鶴岬ってどんなとこ?」という単純な興味がたまたま「鎌倉殿の13人」にゆかりの場所であるとの知識を得て、一念発起、ホテルを予約して自動車を駆ってやってきた。我ながらこの歳でご苦労なことであると、つくづく思う。

さて、神社から車で10分もいくと「ケープ真鶴」に着く。岬といってもほんとうに小さな岬なのだと実感する。

ケープ真鶴
真鶴岬突端に建つケープ真鶴
その岬の突端から少し階段を下がった先に「カフェ・真鶴見晴らし台」があった。

相模湾が一望 カフェ真鶴見晴らし台
カフェ真鶴見晴らし台
旅行ガイドにある三ツ石海岸を見下ろし、相模湾が一望できる絶景の場所である。

真鶴岬 三ツ石
階段の途中からみえる三ツ石
いかにも“夏到来!!”という風情のカフェである。

岬のカフェ パラソル
夏!! カフェ!
幾枚か写真をとったところで、わたしが軽い熱中症で気分が悪くなり、館内で休憩させていただいた。

それを知ったオーナーであろうか女性の方が凍らせたペットボルや氷をいれたビニール袋で腋の下や首筋を冷やすようにテキパキと処置をしてくれた。

その手際の良さに感心しきりでしばらく休ませてもらった。そのお陰で事なきを得て、当夜の「ホテル ラクラッセ・ドゥ・シェネガ」へ早めに向かい、ゆっくりすることにした。

ホテル ラクラッセ・ドゥ・シェネガ エントランス車寄せ
ホテル・エントランス
ホテルは真鶴岬の西の根元あたり、真鶴道路の真上にあった。
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