コキコキ・ドライブ旅の三日目(1111) 、下呂温泉を出立、国道41号線を富山方面へ北上、97km先の白川郷を目指す。

白川郷遠望
白山連峰を借景とした白川郷
白川郷は当日の宿泊先である五箇山(ごかやま)・相倉合掌造り集落と併せて、1995年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたが、それ以前から日本の原風景ともいうべき合掌造りの家がならぶ白川郷を知らぬ者はいなかったといってよい。

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紅葉に染まる白川郷
その絶景を高台から一望しようと、われわれは白川郷の展望台へと向かった。

白川郷には荻町城跡展望台と天守閣展望台と二か所の展望台がある。実は当初の予定では駐車場の少ない、したがって観光客も少ないに違いない萩町城跡展望台に着く予定で車を走らせていた。

そしてコンクリート道路に導かれるように急坂を上っていき、頂上付近の大きな駐車場へ車を止めた。駐車している車は少なかったからだが、前方の建物の壁には天守閣展望台と大書された看板がかけられていた。

┥ぢんまりとした展望台
天主閣展望台
そこから小ぢんまりとした展望台へは歩いて直ぐ。食事も一緒にとれるお土産屋とファストフードを打っている小さな屋台があった。ただ、最近はコロナの影響で客数が激減し、お土産屋の方は休業中とのことであった。

昼時ではあったが、まずは、展望台へ向かいテレビや写真で何度も目にしたあの白川郷の景色を自分の眼でしっかりと鑑賞した。

┻念写真も撮ってうれる展望台
展望台
想像したままの美しい景色だった。

天守閣展望台より白川郷を一望する
紅葉が映える季節で、遠くに冠雪した白山連峰も見渡せた。

人々が白川郷へ押し寄せる意味が納得できた。展望台からの景観はやはり素晴らしいのひと言に尽きる。


柵の向こうには誰一人いない。

白川郷
白川郷
後方にどれだけの人が控えていたとしても、最前線に立ったその一瞬だけは、眼前の自然のパノラマは自分一人のものだと実感できるのだから。

白川郷の合掌造り
合掌造り集落の白川郷
とくに、この日、観光客はほとんどいないとあっては、このコロナ禍の緊急事態宣言及び蔓延防止等重点措置の期間をすり抜け、よくぞこの季節にコキコキ・ドライブ旅を設定したものだと、自分の英断を自画自賛したものだ。

そして、展望台の斜め上に設えられたテラス席に座り、白川郷を豪快に見下ろしながら、屋台で求めた飛騨牛の肉まんを頬張った。

この後、下へおりて白川郷を散策しようと里の入口まで行ってみたが、そこはさすがに観光客の車も多く、しかも合掌集落への進入は住居地区であるため当然のごとく禁止(広い駐車場は徒歩10分ほどのところ)ということで、足の悪いわたしは合掌造りを見上げながらの散策はあきらめることにした。


そこで、一路、34卆茲良抻蓋の南西端に位置する五箇山にある当夜の宿、相倉合掌造り集落の“なかや”へ向かうことにした。

仏様を拝むときに左右の掌を合わせた腕の形に似ていることから「合掌造り」と名づけられた家屋は白川郷と五箇山地方に限定して見られる民家形態なのだそうで、往時は1900棟ほどあったものが、現在では200棟ほどになっているという。

相倉集落のメインストリート
相倉合掌造り集落
そのなかで相倉合掌造り集落には20棟が建っており、そこに住んでいる方々が40名というほんとうに小さな山間の邑である。

相倉合掌造り集落
鄙びた相倉合掌造り集落
わたしたちは3時過ぎには邑の一番奥に位置する“なかや”さんに到着したが、エンジンを切るのと同
時に俄かに大粒の雨が降り出したのには驚いた。

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民宿なかや
何はともあれと合掌造りの風情に浸る間もなく、屋内へとあわただしく逃げ込んだ。

屋内に入ってみると、柱や梁に防腐剤は塗布しているが頑丈で素朴な木材が使用されており、古い民家であることには違いない。

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梁が曲がり、素朴な民家づくり
しかし、食事をとる囲炉裏のある部屋はコの字型にテーブルがセットされ、どうも伝統ある合掌造りの歴史の重みは感じられず、正直、思惑外れの態であった。

┛蕨裏を囲んでテーブルえ食事をとる
テーブルがセットされた食堂
その食堂の奥の客間に荷物を置き休憩をとるうちに雨も止んできたようなので、集落内をまずは歩いてみることにした。

集落入り口に設置された世界遺産と刻まれた石碑の脇から小径を上ってゆくと、この相倉集落が一望できるスポットがあるとのことで、霧雨模様の天気のなか、杖を衝きながらゆっくりと昇って行った。

相倉合掌造り集落入口に世界遺産の石碑
集落入り口にある世界遺産の石碑
すると、視界の広がるところへ出た。

先ほど見てきた白川郷の白山連峰を借景とした勇壮な景観とは打って変わり、まことに小さな集落である。

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箱庭のような相倉合掌造り集落
どこか手作りの箱庭でも眺めているようで、妙に愛おしく、また、なぜか懐かしく感じられてきたのだから不思議だ。

そうした感情のさざ波が立ったのは、わたしのDNAのなかにひそやかに埋め込まれていたはるか遠い祖先の記憶が蠢(うごめ)き出していたのかもしれないと、思った。

その日は霧雨が小雨に変わりはじめたので散策はそれまでとし、とぼとぼと“なかや”まで戻っていった。

身体が冷えたのでまずお風呂をいただいた。これもシステム・バスで、山間の集落に草鞋を脱いだという風情は正直、感じられなかった。残念である。

ただ夕食は素朴な山の幸が用意されていた。

┐覆のやの夕食
なかやの山の幸
とくに囲炉裏でじっくりと炙り焼きされたイワナには奥深い山里の趣を覚え、おいしかった。

┛蕨裏でイワナを焼いてくれる
じっくりと炙り焼きのイワナ
翌朝は雨も上がったので、集落内を徘徊してみた。

朝靄に煙る合掌造りの集落。これぞ相倉合掌造り集落!! 絵になる景観である。

朝もやの相倉集落
朝靄の煙る合掌造り集落
また石垣が積まれて湾曲してつづく田舎道・・・。

相倉集落の朝の散策
どこか来た道・・・
どこかで目にしたことがあるのだろうか、写真であったろうか絵画であったろうか、はたまた幼い頃にどこかで実際に目にした景色であったろうか・・・、そんな質量を覚えた心の風景であった。

静謐という落ち葉が折り敷いた集落を巡り歩くのに、そう時間はかからなかった。


しかし、この二年間、コロナによって国中が翻弄され、ささくれだってしまった社会の片隅に、われわれの先祖たちが築いてきた「日本」という共同体がこうして、慌てず騒がずひっそりと鎮まっていて、しかもどっしりと大地に根を張り息づいている風景を体感できて、この国もまだまだそう捨てたものでもないと、少し心の安寧を探し当てたような気がした時間であった。

さて、そんなセンチな気分を奮い立たせるようにして、次は一路、能登半島の千里浜渚ドライブウエイを目指し、11月12日午前11時前に郷愁誘う合掌造りの邑を後にしたのである。