彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

京都散策

初夏の京都グルメ旅 三日目その3 グルメ旅の大トリ・割烹まつおか

京都グルメ旅の最後の晩餐に用意したのが、「割烹まつおか」である。

割烹まつおか
割烹まつおか
木屋町通りの名店「割烹やました」で揚げ方・焼き方を担っていた松岡さんの知己を得てからもう20年が過ぎようとしている。

2009.10.15 割烹やました 松岡さん
2009年、割烹やましたで松岡英雄氏
昨年8月に寄ったとき、オーナーシェフ、いや大将の松岡英雄氏とその付き合いも20年ほどになると語り合ったところだ。

2021.8.3 割烹まつおか
2021年8月、割烹まつおかで松岡英雄氏
さて、此度は長崎の叔母やその娘夫妻を案内しての京都グルメ旅となったが、その大トリを「割烹まつおか」で飾ることができたのは幸いであった。

当日、割烹というスタイルの料理屋は初めてだという長崎組を松岡さんはもちろん、大槻さんはじめスタッフの皆さんは一丸となっておもてなしをいただいた。

割烹まつおか 大槻敬之さん
大槻敬之さん
食材の説明から調理法まで丁寧にご教授いただき、お客どもは大満足。

こざっぱりと飾られた先付にはじまり、まずは軽いジャブ!

先付
先付
最近よくお願いするカワハギの薄造り、これはみんなに変わっていると好評。

カワハギの薄造り
カワハギの薄造り
それからどういった話からそうなったのか分らぬが、ウニが大好きという女性陣のために、淡路島産と北海道産のウニの豪勢な競演を演出してくれた。

淡路島産と北海道産のウニの食べ比べ
豪勢な盛り付け
箱ごと盛り付けを匙で掬って口に運ぶ、女性陣の嬉しそうな顔と言ったらなかった。やはり笑顔はいいものだ。

ちょこっと、この私もお裾分けをいただいた。おいしかった。私は淡路産より北海道産の方が好みだったように思えた。

私にもお裾分け
ウニのお裾分け・・・おいしかった
その後も当方の食慾と好奇心に応えるように次々と食材を繰り出し、調理法も飽きが来ぬように目先を変えて料理を供してくる。

車海老の立派に奴があったので、塩焼きにしてもらう。

海老塩焼き
この反りをだすのが肝だとか・・・
そう言えば、この姿焼の調理法を根掘り葉掘り訊ねていたが、その後、長崎で調理してみたのだろうか・・・

人数が多いと便利なのは、種類を多く頼んで、それを小分けにしていろんな料理をたのしめる。

もちろん、これって板場は手間がかかり大変。

それを楽しそうにやってくれる「割烹まつおか」に従妹たちは大満足。

そうこうしていると、誰が頼んだのか山菜と海老の天ぷらがでてきた。

山菜と海老の天ぷら
山菜と海老の天ぷら
そして、これはわたしがお願いしたのだが、牛肉の炭火焼。

牛肉の炭火焼
このお肉、本当においしい
「割烹やました」同様、まつおかも肉料理とワインが実はおいしいのだ。

それに春の定番、鰆の西京焼きは飽きがきたとか生意気をいったところ、松岡君はこれも西京焼きによく合うのだ、ふっくらと焼けた魚を供してくれた。

謎の魚の西京焼き
このお魚、何だったけかな・・・
ほっこりとしてとてもおいしかったのだが、魚名を失念した。

今度、訊いておこう。

酒のアテに魚の骨の唐揚げが出てきた。

骨の唐揚げ
始末の一皿
そして、小魚、名前は確か・・・忘れた・・・南蛮漬け。

小魚の南蛮漬け
酒のアテに南蛮漬け
多彩な味と調理法により、食慾が衰えないのには驚いた。

日頃、小食で有名な叔母も出された料理に箸をつけていたのはびっくりした。

「割烹まつおか」、おそるべしである!!

最後にサクランボと西瓜のデザートが出てきて、これもおいしいおいしいとにぎやかに京都の最後の夜の晩餐会は終焉を迎えた。

松岡君を入れてみんなで記念写真を撮るのに忙しく、デザートの写真は撮り忘れた。

それと、わたしは独り、岩ガキを頼んでいたことを写真を整理していて思い出した。岩ガキの殻の写真が残されていた・・・

よくぞこれだけの料理を食べつくしたものであると、今になって驚いている。

そして従妹たちは「割烹まつおか」は「これまで経験してきた食の世界で最高!!」と、大将に激賞の言葉を残し、塒(ねぐら)へと戻っていった・・・

もちろん、案内したわたしは鼻高々であったことはいうまでもない。

初夏の京都グルメ旅 三日目その1 奥嵯峨 鮎茶屋・平野屋

文化の薫り高い葵祭鑑賞、転じて、食慾の赴くくまま京のグルメ旅、三日目は奥嵯峨の鮎茶屋・平野屋で昼食をいただくことにした。

平野屋俯瞰
平野屋全景 絵ハガキより
当日は奥嵯峨まで足を延ばし、途中、寺院を巡ることからMKタクシーの6人乗りのアルファードを一日貸切にした。内装が織物仕様の5人がゆったりと坐れるなど一行の評判は良かった。
MKタクシー 特別仕様アルファード
MKタクシーHPから
さて平野屋であるが実は2011年の6月に訪れ、鮎料理に舌鼓を打った。
2011.6.14 平野屋母屋にて
2011年6月、平野屋母屋にて
それから夏の訪れとともに、その時味わった「鮎の背ごし」をもう一度食べてみたいと口にするのがここ数年、常のこととなっていた。そんな魂胆もあり、83歳になる叔母の京都観光案内で、菩提寺の本山である仁和寺をお詣りしたいとの要望にかこつけて、嵯峨野の奥まで足を延ばし平野屋の鮎を所望しようという算段となった。
2011.6.14 平野屋鮎の背ごし
2011.6.14 鮎の背ごしをいただく
電話予約の際に、5月中旬で「鮎の背ごし」は大丈夫かと確認を入れたくらい、「背ごし」への我執は半端なかった。お店の方はその場で料理人に訊ねてくれて、当日、手頃な鮎が入ったら準備させてもらうとの返答であった。舌のうえに載っけた瞬間のあのヒヤッとした触感!凍てたシャーベットを嚙み砕くときのシャリっとしたあの爽快感!この10年余、「夏がく〜れば思い出す♪ はるかな鮎 と〜い空♪♪」と、必ずわたしの口の端に上ってくる「麗しの背ごし」である。そのたびに、細君は「一度、行ってきたら」とあきれたようにおざなりな反応を示すのである。そして、今年、ようやく長年の希望が叶うというわけである。
2011.6.14 愛宕神社一之鳥居と平野屋
愛宕神社一の鳥居と平野屋 2011年
叔母たちにはあの白洲正子さんが絶賛していた平野屋の極上の鮎をぜひ紹介したいからと言ってあった、という裏事情はさておき、その日はまず仁和寺近くの龍安寺を拝観。
青モミジが美しい龍安寺の石段と龍安寺垣
龍安寺の石段と龍安寺垣
昨年12月から石庭の「油土塀(あぶらどべい)の杮(こけら)葺き」の張替えが終了、この3月19日から拝観が再開されたということでなかなかこの5人、運が強い。
杮葺きを葺き張替えた龍安寺の油土塀
龍安寺の油土塀と葺き替わった杮(こけら)葺き
わたしは石庭の石の配置の妙など何度みても、その良さが分からないのであるが、白砂と石組の背景となる油土塀の色合いについてはかねて好みのものであった。
龍安寺 石と油土塀
石庭の石と油土塀
そしてこの度、土塀の杮葺きが一新されていた。
2003.12 葺き葺き替え間前の石庭
2003年12月 古い杮葺き
かつての侘びの風情の枯山水とは異なり、少々驚いたのだが、陽光の降り注ぐ屋根は銅板を張ったように金色に光り輝き、これはこれで美しかった。
龍安寺石庭の石と油土塀と杮葺き
杮葺きが輝く石庭
意馬心猿の日々をおくる己を、禅の世界に閑に身を置くことでその性根を叩きなおし、心静かに稚鮎に箸をつけようと・・・殊勝な心持ちで石庭の一五個を数える石を心眼で観ようと努めた。
ミニ石庭 模型
石の配置がわかるミニ石庭
やはりすべての石を観ることは不可能であった。ところが、縁側を行きつ戻りつしていた従妹の連れ合いが一五個の石が見えたというのである。そんな馬鹿なと思ったが、彼は180cmを超える偉丈夫である。縁側中央に立って石庭を仁王立ちで見下ろしたら、かろうじて全ての石が見えるようなのである。
龍安寺・石庭
龍安寺石庭 15個の石は見えない
帰京後調べてみたら、龍安寺石庭の15個の石、本当は一度に見れます」というブログを見つけた。なるほど何とか一五個の石が見えている。そんな瞑想どころでない「見えた」、「いや見えるはずはない」といった他愛もない話題で盛り上がり、次の仁和寺へと向かう。
仁和寺仁王門
仁和寺・仁王門
雄大な仁王門はいつも訪れるものを圧倒する。
仁和寺・金堂
仁和寺・金堂
ここの金堂はもともと御所の正殿・紫宸殿で、江戸の寛永年間に移築されたとのこと。国宝に指定されている。
仁和寺・御室桜
御室の桜
また背丈の低い御室(オムロ)桜の葉叢が青々と茂っていたのが印象的だった。本山のお詣りをすませ、一行はいよいよ奥嵯峨を目指す。

仁和寺から平野屋へは距離にして6km、車でわずか10分余といたって近い。あながちわたしの我欲のみではない、平野屋での昼餉は当日の観光ルートであればごく自然な成り行きであるといってもよいのである。
2022.5.16 平野屋
やはり茅葺は風情がある 平野屋
苔むした茅葺屋根の平野屋のたたずまい。ここに降り立つだけで、詩情溢れる鮎茶屋のおもてなしが思い起こされた。
平野屋 離れの間
平野屋 離れの間
当日案内されたのは離れの間である。11年前にはなかった新しい建屋である。そこから以前に通された母屋と庭の池を見ることができる。
平野屋離れから本館を見る
左手の手すりが母屋の間
これはこれでひとつの風情である。いよいよ鮎料理が供される。夢にまで見た?鮎の背ごしである。
平野屋・鮎の背ごし
紀州の鮎の背ごし
この季節、まだ保津川の鮎は解禁前で、当日は紀州の有田川の鮎であるとのこと。一同に素人講釈をし、ありがたく戴いたことは言うまでもない。
鮎料理はもちろんまずは塩焼き。
平野屋 鮎の塩焼き - コピー
三尾の鮎の塩焼き
白洲正子女史は来るたびに五匹、六匹と塩焼きのお替りをしたという。
鮎粥
鮎のお粥
鮎粥も名物の一つ。最後に別途豆ごはんとみそ汁もあった・・・
志んこ 平野屋
名物・志んこ
愛宕神社への九十九折の岨道を模してつくられた捻じれた団子・「志んこ」は愛宕山の名物である。
平野屋・野菜の炊き合わせ
野菜の炊き合わせ
江戸時代、愛宕詣での参拝客が麓の茶屋で「志んこ」でお茶を喫し、山道へいどむ英気を養ったのだという。
野菜の天ぷら 平野屋
野菜の天ぷら
ランチといってもそれ以外に、野菜の炊き合わせや天ぷらなど次々とお皿がとどき、少々、年寄りにはきついくらいの平野屋の多彩なメニューであった。
そして、初夏の鮎茶屋・平野屋でのひと時を過ごしたわれわれは、次に奥嵯峨にある二つの念仏寺にお参りし、晴明神社経由でホテルへ向かい、夜の「割烹まつおか」に備えることとなる。

初夏の京都グルメ旅 二日目その2 鴨川納涼床・京フレンチきしもと

グルメ旅の二日目は京都の夏を味わうコースと洒落てみた。

昼は貴船の川床(かわどこ)で昼餉を愉しんだことは先のブログに書いた。

貴船川に設営された川床
貴船川の川床
そして、その日の夕餉であるが、鴨川の納涼床(のうりょうゆか)「京フレンチきしもと」の予約をとっていた。

京フレンチ きしもと看板
京フレンチきしもと
時季は五月中旬とちょっと気は早いのは承知だが、貴船・鴨川・高雄の「床」はいずこも5月1日から営業が開始されている。

そこで京の夏の風物詩である「床(ゆか・とこ)文化」を83歳の叔母に味わってもらおうと思った次第である。

鴨川の納涼床 - コピー
鴨川の右岸に連なる納涼床
夕刻に一同、ホテルを発ち、木屋町通り沿いに歩いて10分ほどのところにある先斗町にある「京フレンチきしもと」へ向かう。

鴨川納涼床
京フレンチきしもと 納涼床
途中、維新の激動の時代、若き志士たちが残した歴史の痕跡を案内しながらそぞろ歩いた。

「割烹やました」のすぐ近くで今を去ること150年前、佐久間象山が暗殺され、ほぼ同じ場所で大村益次郎が襲われたという。

佐久間象山・大村益次郎遭難の碑
高瀬川対岸に佐久間象山暗殺・大村益次郎遭難の地の石碑
いま歩く通りにそうした陰惨な雰囲気は一切感じられない。

これから百年後の木屋町通りは果たしてどんな姿を人々に見せているのだろう・・・。

そんななかで桂小五郎と芸者幾松が過ごした処にあった料理旅館幾松がコロナ騒動のなか2020年10月で廃業となっていたことを、今度、知った。

料理旅館幾松
かつての幾松
各地で老舗といわれる旅館や料亭が廃業の止むなきにあっているとニュースなど耳にしていたが、いつか行ってみようと幾松が閉店となっていたとは誠に残念である。

新選組が旅籠池田屋に集結した志士たちを襲撃した池田屋騒動の舞台となった処は、現在、居酒屋チェーン「はなの舞」となっているが、三条通りに面する店頭に「池田屋騒動の址」と刻む石柱が建っている。


池田屋跡に建つはなの舞
池田屋騒動の地
また、三条大橋の西詰めは日本橋を起点とした東海道五三次の終点となるが、二つ目の擬宝珠(ぎぼし)には池田屋騒動時に傷つけられた刀傷がいまなお生々しく残っている。

池田屋騒動の刀傷三条大橋の擬宝珠
三条大橋の擬宝珠の刀傷
また西詰の袂に十返舎一九の「東海道中膝栗毛」の剽軽な表情をした弥次さん・喜多さんの銅像が建っている。

弥次さん喜多さんの銅像
弥次・喜多像
そこから鴨川沿いの少し下り、龍馬通りから先斗町通りへ入ってゆく。

狭い通りにはぎっしりと飲食店が軒を連ねているが、その軒先には先斗町の紋章である千鳥をあしらった提灯がさがり、すでに灯がともされていた。

先斗町通り
先斗町通り
夕食時ということで結構な人出である。

「京フレンチきしもと」はもともとお茶屋であったというが、改装された店内はカウンター席が細長く連なるシックな造りとなっている。

きしもと店内
きしもと店内・突き当りが納涼床
突き当りのガラス戸を抜けると鴨川に面してテーブル席の納涼床が設営されていた。

’捨綻欧でた鴨川 三条大橋から
納涼床が連なる
河原に面する一等席がわれわれ五人用に用意されていたが、シッティング前の写真を撮り忘れたので、以前、訪れたイタリアン・ルンガモ(廃業)の納涼床の写真を載せることにする。

納涼床 ルンガモ
イタリアン・ルンガモの納涼床の風情
納涼床のイメージはおよそこんな感じである。

「京フレンチきしもと」はそもそもコース料理のみのお店のようで、納涼床は店内で頼む料理の二割ほど高い値段設定になっていた。

当夜はBコースを予約していた。

オードブル四品。

オードブル  オードブル4品のひとつ
オードブル4品のうち2品
メインが甘鯛のムニエルか、

ディナー 甘鯛ムニエル
甘鯛のムニエル
牛フィレのステーキ生わさび添えのどちらか一品。

⓪きしもと ディナー牛フィレステーキ
牛フィレ肉のステーキ
それと最後にデザート。

デザート
ちょっと・・・寒すぎた・・・
それにしても年寄りにはこれで十分の量であった。

午後六時の予約で、料理がスタートした納涼床のひとときであったが、実は夏の夕涼みにはやはり時季が早すぎた。

皆さん、サービスされた料理はテキパキと処理し、おいしかったんですよ「きしもと」さん!!料理は。

7時40分には食後の余韻を味わう余裕もなく、この時季、川風はさすがに年寄りの身に応えた。早くホテルで暖まりたい?とお店を後にすることとなった次第。

夜の先斗町
8時前でこのとおり
先斗町通りに出ると、まだ8時前というのに人通りはまばらであった。

やはりコロナの影響で、人々の夜の行動様式は一変したのだと、かつての先斗町の賑わいを知る男のひとりとして、人の心の移ろいといおうか、時代の変遷とでもいおうか、一抹の寂しさを覚えたところである。

そして京都の「床(とこ)と「床(ゆか)」をあわただしく堪能した一団は先斗町通りをワイワイといっぱしの感想を述べながら北へと上がっていったのである。

「葵祭」転じて初夏の京都グルメ旅 二日目その1 貴船の川床(ランチ)喜らく

グルメ旅の二日目は京都の夏を味わうコースを選んだ。

京都の夏の風物詩である「床(ゆか・とこ)」をしゃぶりつくそうという魂胆である。

⓪貴船の川床
貴船の川床
そういえば、6月18日土曜日のNHK番組「ブラタモリ 京都・鴨川〜川をたどれば京都がわかる!?〜」で野口葵衣アナウンサーが京都の水の考え尽くされた利活用を「しゃぶりつくす」と表現した際、「一滴残らず」という方が適切かなとタモリさんがやんわりと指導していたっけ。

‐絏賁仗声辧〔誠誓遒噺翳忌川の合流点
ブラタモリ・上賀茂神社の明神川と御物忌川の合流点
さすが「言葉の力」で人生を切り拓いてきた人物の言葉へのこだわりと日本語に向き合う真摯な姿勢に感じ入ったところだ。

余談はこれぐらいにして、当日はまず京の奥座敷・貴船(きぶね)の川床(かわどこ)で昼食をとり、夜は鴨川の納涼床(のうりょうゆか)で夕食という、「床」づくしの企画である。

ヽ川の納涼床がはじまる
鴨川の納涼床
まず出町柳から叡山電鉄鞍馬線に乗って貴船口(きぶねぐち)まで目にやさしい新緑を愛でながら30分弱。

ゝ船口駅
貴船口駅
駅前に川床を予約していた料理旅館「喜らく」の車が出迎えてくれた。貴船神社本宮前の「喜らく」まで2KM、5分の距離だが、脚に不安がある方は送迎をお願いするとよい。

ヾ遒蕕
貴船神社総本宮前の喜らく
昼食の予約時間までの1時間を利用して本宮から貴船川上流沿いに800Mほどいった先に鎮まる奥宮を参拝した。

ゝ船神社・奥宮
貴船神社・奥宮
海神・豊玉彦の娘で、神武天皇の皇母でもある玉依姫が淀川を遡上、鴨川の水源地であるこの奥宮の地に祠を造り都の水守りとして鎮まったとの伝説が貴船神社に伝わっている。

その時、坐乗してきた黄色い船(貴船の名の由来ともいわれている)を積み石で囲み匿(かく)したものと伝わる「舟形石(ふながたいわ)」が奥宮の脇にある。

―形石
舟形石
その傍らには朝廷の飲料水の管理をつかさどる主水部(もひとりべ)であった鴨族の祖神である味鉏高彦根命(あじすきたかねひこ)、別名、迦毛(かも)大神を祀る末社・吸葛(すいかずら)社が玉依姫の守人のごとく鎮座している。

)社・吸葛社(味鉏高彦根命)と船形石
舟形石のそばに吸葛神社
貴船山と鞍馬山に挟まれた渓谷に位置する貴船神社・奥宮の後背には鬱蒼と木々が繁っている。

その古木の所々に人形(ひとがた)に五寸釘を打ちこんだ痕が今でも残っているとかつて誰かがわたしに囁いた。この奥深い森には幾多の女が丑の刻参りを重ね、心変わりした男と新たな女を呪詛する風習が残っていたのだという。

能の演目・「鉄輪(かなわ)」は夫に捨てられ嫉妬に狂った女が貴船神社に丑の刻参りを重ね鬼に変貌、夫と後妻を襲うという禍々しい人の業を描いたものである。

2009.10.14 厳島神社・観月能
厳島神社・観月能 鬼に変じた女
この譚(はなし)には陰陽師・安倍晴明が登場し、その鬼女を追い払い二人を救うところで終わる。

ところがこの女、「まずこの度は帰るべし」と再度の襲来を予告し恨みを深く心に秘めたまま、一旦、身を匿(かく)しただけで、安倍晴明をもってしても止めは刺させなかったというものである。女の情念のすさまじさに背筋の凍る思いがし、その怨みはいまなお四条河原町あたりをうろついているのである。

\果誠声辧Π打楡果請
晴明神社の安倍晴明像 

そんな怪異譚の一方で、貴船神社はいまや恋人の聖地のようにいわれている。

奥宮への途中にある結社(ゆいのやしろ)のご祭神・磐長姫命が縁結びの神という。

〃觴
結の社
多くのカップルがその小さな祠の前で仲良く手を合わせている姿は印象的である。

恋多きスキャンダラスな女流歌人・和泉式部が、再婚した夫・藤原保昌の愛を失い、貴船神社で密教の秘儀・敬愛の祭りを執行、女性のたしなみを失わなかったことで、撚りを戻した? もとい、愛を取り戻したとの話が鎌倉時代の仏教説話集の「沙石(しゃせき)集」に載っている。

]太式部・歌碑
結社に建つ和泉式部の歌碑
平安時代から「貴布禰」神社が男女の愛を叶えさせるパワースポットだと信じられていたことをしめす譚である。

ゝ船神社総本宮
貴船神社・総本宮
また、総本宮では湧き水のご神水で水占いをするカップルが列をなす。
/綫蠅ぁΔ澆じ
貴船神社の水占い
清冽な貴布禰の渓谷には恋のキューピッドとともに、安倍晴明の神通力をも打ち返す嫉妬に狂う鬼女が夜の闇の底に潜んでいるということなどつゆも知らぬ若人たちに、老婆心ならぬ老爺心で「人間の業の闇は深いよ」とつい、耳打ちしたくなった。


そんな愚かで意地悪な白昼夢を見せてくれた貴船でいよいよランチである。いや、昼餉の時間である。

本宮前に店を構える「喜らく」に川床(かわどこ)の予約をとっていた。

ヾ遒蕕の川床
喜らくの川床
当日はまだ川床が設営されて間もないこともあり、涼風というより寒さが克つのではと、料理は湯豆腐コースを頼んでおいた。

川床の下を貴船川の清流が勢いよく流れている。

[辰笋な喜らくの川床
川床の下を清流が流れる
川筋を吹き抜ける山気ととどろく水音はコロナで鬱屈した気鬱病を一気に吹き飛ばしてくれる。しかし、さわやかというよりかなり肌寒い。

そんななかでいよいよ川床料理をいただくことに。

京の夏の定番、鱧の湯引きとお造り。

£腓療魄き・お造り
鱧の湯引きとお造り
鮎の塩焼き。

^召留焼き 喜らく
鮎の塩焼き 一人分ではありません
鮎の天ぷらまでも出てくる。

ヾ遒蕕の湯豆腐コース
お待ちかねの湯豆腐
そしていよいよ温かい湯豆腐の登場。このころには皆、早く暖をとりたい気分が横溢。

急ぎ小椀に湯豆腐をとりわけ、ようやく身体も心の中もほかほかと緩んでくる。

5月の中旬、湯豆腐料理。京の奥座敷では大正解との皆さんにお褒めをいただいた。

以前7月に細君と貴船を訪れた際には、老舗の「ひろや」で川床料理をたのしんだ。

⓪ひろや川床料理
ひろやの川床
その時、氷をアレンジした器で涼を演出した料理にはビックリ。暑さも吹き飛んだ。

涼をさそう氷器に盛られたお造り ひろや
氷器のお造り
そしていかにも涼感をさそう洒落た鮎の塩焼きも供された。

,劼蹐笋領担桐兇Π召留焼き
盛り付けが美しい鮎の塩焼き
夏本番にお昼からしっかりとした懐石料理を所望したいと思われる方は、「ひろや」の川床料理はお薦めである。

 

こうして風流な川床料理に舌鼓を打ち、一方でいつの世も変わらぬ男と女の情景に思いを馳せた貴船神社・・・

ゝ船神社・本宮石段
貴船神社本宮の石段
作家水上勉は短編小説「貴船川」のなかで「貴船は女の執念を考えさせる神社」であると書いた・・・そんな貴船を、夜の鴨川納涼床にそなえて、食慾という煩悩に病む一行は早めに退散することとあいなった。

「葵祭」転じて初夏の京都グルメ旅 一日目

長崎市在住の83歳になる叔母からかねて京都を案内しろと命じられていた。これまで延ばし延ばしにしていたが、元気印の叔母が一時体調を崩したこともあり、そろそろ手形を落としておかねばなるまいと今般の京都行きを決行した。

”屋から東山と比叡山
ホテルオークラ京都から比叡山と東山連峰をみる
叔母には従妹夫婦が付き添いで来ることとなり、わが夫婦と併せ総勢5名、平均年齢69歳となる「黄昏老人の修学旅行」となった。

コロナウイルスの猛威も沈静化した5月14日に京都で落ち合い、3泊4日で「葵祭」を愉しむ旅の計画を練った。

ところが旅の眼目であった葵祭であるが、コロナ禍のなか斎王代が行列をなして京都御所から下鴨・上賀茂神社へと巡行する「路頭の儀」は早々と2月頃には中止が発表された。

2014年・斎王代の参進
2014年葵祭・社頭の儀
そこで2014年に参列した「社頭の儀」に参加できたらと思い、下鴨神社に連絡を入れたが、今年は列席者の人数を絞っておこなうということで、5名もの一行は難しいと丁重に断られた。

_竺神社・神楽殿
下鴨神社・神楽殿
といった事情これあり、急遽、旅の目的は千四百年つづく「聖なる神事」に参列することから、急転、「食い意地」という「業の世界」にどっぷりつかることと相成った。

ゝ毒軌
菊乃井・本店(2019.1)
老い先短い人生、享楽に現を抜かし、京都の初夏を思いっきり「食い尽くす」ことにしたというわけである。

その一日目は二時頃にホテルで落ち合い、コロナ禍もあり上京もままならなかった叔母の元気な姿に安堵し、まず葵祭の下鴨神社に参拝を済ましておくことにした。

「五月一五日 賀茂祭」と大書された柱聯(ちゅうれん)がかかる燦爛たる楼門をくぐり本殿境内に入る。

_竺神社・楼門
下鴨神社・楼門
橋殿前には「社頭の儀」参列者用の椅子が整然とならべられていた。

ー卞の儀の列席者用の椅子が橋殿前にならぶ
橋殿前に参列者用の椅子
翌日の参加が叶わぬわれわれは、せめてもと本殿への昇殿参拝をさせてもらうことにした。

_竺神社・昇殿参拝
下鴨神社・本殿
本殿内の祈祷所で「黄昏老人一行」は権禰宜の方にありがたい祝詞をあげていただき、巫女さんに玲瓏な神楽鈴の音でお祓いをしていただいた。

_竺神社の巫女さんに修祓をうける - コピー
下鴨神社・巫女
その際に従妹の夫君は清冽な風が吹き抜けたのを感じたと社殿を退出してから興奮気味に繰り返し語った。

それに対し他の黄昏四人組は誰一人、神気など感じなかったと微塵の畏敬の念も見せぬ不逞ぶりであった。

そのあと女性陣は、京都の夏の風物詩である「足つけ神事」が斎行される「みたらし池」で「水占い(みずみくじ)」に興じた。

,澆燭蕕契遒醗羮綣
みたらし池と井上社
どんな卦()がでたのか、このお二人さん・・・

 匹澆燭蕕契遏匹膿綫蠅い鬚垢
水占いに興じる女が二人
どこか可愛らしくおだやかな人生の一景ではあった。

 

下鴨神社でのそれなりの敬虔な?ひと時を過ごした一行はホテルへと戻り、「煩悩の食慾」に身を焦がす「割烹やました」へ出陣する英気を養うことにした。

.曠謄襯ークラ京都・スーペリアツイン
ホテルオークラ京都のスーペリアル・ツイン
割烹やましたは昨年の三月下旬、醍醐寺の花見の際に訪れて以来、ほぼ一年ぶりである。

ヽ篷やました 押小路橋から
押小路橋から割烹やました
この夜は話に夢中となり、夏の定番の鱧の炙りをはじめ細君が取り仕切った料理が皿に盛られてきたというのが実際で、写真もあまり撮れていない。

〔5い覆ぅ灰蹈並弍のカウンター
コロナ対応の味気ないカウンター
ただ、何かいつもと趣向の異なる珍しい料理にお目にかかったので、これはこれでよしとするのであろう。

ゝ都の夏の定番 炙り鱧と大将
夏の定番・鱧の炙りは絶品
その中でも、やましたで鰻を食べようとは驚きだった・・・

,笋泙靴燭留靴粒焼
鰻の蒲焼
そんなことで、八時半頃には一日目の晩餐が終了。

店の暖簾の前で、大将と黄昏老人一行と記念写真を撮り、ホテルへと戻った。

,い弔發里出迎えの折り鶴
オークラのいつもの折り鶴のおもてなし
かつて八時頃から第二陣の客が押し寄せ、十時前まで賑わっていた超人気店の「割烹やました」ですら、八時を過ぎると入れ替えの客もほとんど来る気配もなく、コロナにより人の夜の行動パターンが確実に変わってしまったと実感させられた京都の夜でもあった。

 

そして、帰京後の6月18日に放映されたNHKの「ブラタモリ 鴨川編」の「川をたどれば京都がわかる?」を観てビックリ!!

我々が廻った行程をほぼそのまま辿った番組となっていたからである。

東京と長崎の間でスマフォのビデオ通話で旅のあれこれ会話が盛り上がったことは云うまでもない。

2021年京都の桜 琵琶湖疎水・“哲学の小径”を辿る

京都最終日の3月26日は哲学の小径を法然院あたりから南禅寺までゆっくりと散策することにした。


⓪法然院の茅葺の山門
法然院 山門
椿で有名な法然院であっても、桜の樹くらいはあるだろうと高をくくってお参りしたが、境内に桜を見つけることはできず、手水鉢に浮かべられた椿の二輪の花びらで花見に替えた。
法然院手水鉢に二輪の椿
ただ、未練がましく寺域内をうろついたところ、墓地の傾斜地に枝垂れ桜が一本咲いているのを見つけたので、写真を撮った。

法然院の墓地に立つ枝垂桜枝垂桜
法然院の墓地に一本の枝垂桜
桜がないからだろう、現金なもので訪れる人はほとんどなかった法然院をあとにして、大きな石段を下り、“哲学の小径”いや現在でいう“哲学の道”に出た。疎水の両岸に桜並木が続いている。それなりの人出である。

疎水の満開の桜
疎水沿いに哲学の道 桜が満開
不自由な脚で南禅寺まで歩きとおせるか不安であったが、疎水沿いの桜は満開であった。

哲学の道
のんびりと細君とそぞろ歩いた。追い越していく人も多くいたが、もう少し頭上の桜花を愛でながらゆったりと歩を進めたらよかろうになどと、年寄りの負け惜しみとでもいおうか、風流を解せぬ輩は困ったものと嘆いたものだ。

さて、琵琶湖疎水に沿ってつづくこの“哲学の道”であるが、はじめて歩いたのは今を去ること半世紀も前のことになる。一浪後に大学入学を果たして無上の解放感とほとばしる希望に溢れた19歳の春のことである。入学手続きを終えた4月、京の安宿には炬燵がまだ設えてあり、朝夕の冷え込みが厳しい季節であった。

哲学の小径
かねて高校の恩師から東山の麓には疎水に沿って“哲学の小径”と呼ばれる鄙びた土手道があるから一度歩いてみるとよいと勧められていた。あの偉大な哲学者、西田幾多郎京大教授が思索を深め、“思惟”の重みで踏み固めていった散歩道があるというのだ。

善の研究 西田幾多郎
青春時代のど真ん中、精一杯背伸びしていた頭でっかちの自分にとって、難解な哲学を語る思想界の巨人が日々逍遥したという土手道、しかも“哲学の小径”なる尊称を冠された小径を歩いてなぞることで、哲学という高邁な空気感のようなものを肌で感じることができるのではないか、

哲学の道
疎水のほとり、まだ見ぬ風致のなかにわが身を置くことで、幾多郎のいう“微妙幽遠なる人生”の奥義の片鱗にでも触れてみることができるのではないか・・・などと夢想を逞しくし、土手伝いに歩いてみようと思ったのである。

哲学の小径 満開の桜が
“哲学の道”はもともと1890年(明治23年)、琵琶湖疎水が完成した際に設置された管理用道路であったということを、この度、知った。


そんなことだったから、昭和46年当時は未舗装の堤の両側に雑草がはびこる何の変哲もない細長い土手道であった。その夕暮れ時も観光客がわざわざ歩くほどのこともなく、地元の人が散策に使う常の道という景観であった。

その日は銀閣寺から南禅寺までを逍遥というよりは一気にせかせかと歩きとおしたが、哲学の小径の終焉近くに琵琶湖疎水を跨ぐ鄙びた土橋があった。どこか風情を滴らせる橋であったので、興味本位に対岸の東山の麓を少し上ってみることにした。

その山道をわずかに登ったあたりに苔むした石塔がいくつも転がっているひと隅があった。摩滅した刻字のなかに元号らしきものが見えたので、これは室町時代の頃の無縁仏だと勝手に決めつけてなぜか大発見をしたような気分でひとり悦に入ったことを思い出した。

遠くに土橋のような橋が
疎水を跨ぐ橋が目に入ってきた
それから50年後、記憶の中ではずっと土橋だと思っていた古ぼけた石造りの橋に遭遇した。確かに意識の底ひに埋もれていたあの土橋だ、山麓への道ならぬ細道がかすかに記憶に残っていた。そこで、足を止め、暫し双眸を閉じた。十九歳の自分を瞼の内に投影してみようと思ったからである。

それからしずかに目を開けてみると、目前には背を丸めた老人が欄干に腰をおろし無心に写生する姿があった。

写生する人
そして、山麓への登り口には鐵柵が立ちはだかっていた。わたしの“青の時代へ続く小径”は無情にも立ち入り禁止となっていた。

暗擽兇寮茲藁ち入り禁止
その登り口のすぐ脇に、当時はなぜか気づかなかった王女のお墓があった。江戸時代末期の皇族伏見宮貞敬親王の皇女・宗諄女王のお墓だと駒形の説明にあった。室町時代?の無縁仏といい、王女の御廟といい、この一画はひょっとしたらむかしは墓所として利用されていたのかもしれない。

宗諄王女の墓所
白塀で囲われた宮内庁管理の宗諄王女の墓所
この思い入れ深い“土橋”を過ぎると、“哲学の小径”もいよいよ終着点の若王子(ニャクオウジ)橋が視界に入ってくる。天気にも恵まれ、法然院を出立してから杖を片手にほぼ2時間の長閑な道行きとなった。

花びらを山風に散らす桜並木も途絶え、おだやかに流れる疎水に視線を転じると、点々と桜花を貼りつけた川面に番(ツガ)いの鴨がゆったりと身を任せるように浮かんでいた。

曳屬い粒が疎水の流れにのって・・・
思えば、50年前に19歳の青年が独り歩き通した哲学の小径を、いま、縁という糸で結ばれた男と女が共に老いを迎え、陸続と続く若人たちに先を譲りながら人生の終着駅へと一歩一歩、時を刻んで歩をすすめている。そんな懐旧と寂寞の想いを惹起させた“哲学の小径”の道行きであった。

2021年京都の桜 平野神社の魁桜(さきがけざくら)は満開(3月25日)!

平野神社は平安時代の寛和元年(985)、時の花山天皇が桜樹をお手植えしてから桜の名所へと姿を変え、江戸時代には「平野の夜桜」と謳われるほどに観桜の名所として高名になってきたという。

〆の神紋の提灯をつるす本殿
平野神社・本殿
その境内には早咲きから遅咲きまで約60種類もの桜が植わっている。それ故に刹那(せつな)の美を愛でる櫻花でありながら、花見を愉しめる期間が長く、畢竟(ひっきょう)、桜の名所としての名を高らしめていったと云えなくもない。

∧震鄂声劼虜・桜・桜・桜
平野神社の桜・桜・桜
そんな数多(あまた)咲く桜のなかでも東神門と手水舎の間に植わるのが“魁桜(さきがけざくら)”と呼ばれる早咲きの枝垂れ桜である。

3〆と手水舎  こ〆の駒札
その開花は洛中の観桜の季節のはじまりを告げる予鈴、まさに「先駆け」として“魁桜(さきがけざくら)”の名誉に浴したのであろう。

ナ震鄂声劼粒〆(サキガケザクラ)
魁桜が枝垂れている
この度は願わくばこの魁桜の咲き誇るさまを一目見たいと、先般、アップした千本釈迦堂の阿亀桜(おかめざくら)を愛でたのちに、テクテクと平野神社へと足を向けたというわけである。

千本釈迦堂 阿亀桜
枝垂桜の銘木 千本釈迦堂の阿亀桜(おかめざくら)
北野天満宮の北縁を西に向かった先に平野神社の鳥居と花霞が見えてくる。遠目にも櫻花が開花しているのがよく見えた。

北野天満宮北縁の道の先に平野神社
“平野皇大神”と揮毫された大鳥居をくぐり境内に足を踏み入れると、正面に神紋である桜の紋をあしらった提灯が吊るす東神門が見えた。
平野神社・鳥居
その左手前に目指す魁桜が満開の花の重みで枝垂れて見えた。

東神門と魁桜
間近に見る枝垂れの魁桜は見事である。

満開の平野神社・魁桜
早速、写真撮影とカメラを構えるが、次から次に人々が押し寄せ、立ち止まり、魁桜を仰ぎ見てはシャッターをきる。という具合にて、魁桜の全体像を人影なしに撮るのは大変難しく、上方へ向けたアングルで仕上げたのがこの一枚である。だからこれが蒼天であれば・・・と欲深な思いをしたのは私だけではないはずである。

桜の神紋を吊るす東神門
神紋の桜をあしらった提灯のかかる東神門
そして東神門をくぐると正面に拝殿が見えるはずであった。

だが残念なことに平成30年9月4日に近畿地方を襲った台風21号により拝殿は壊滅し、現在修復の真っ最中で灰色の大きな覆いが掛けられていた。

2018年9月4日の台風21号で倒壊した修復中の拝殿
その修復費用捻出のため広い境内の桜苑の一部が有料観覧の措置がとられていた。

桜苑 有料500円
入場料が修復費用にあてられる
入場すると菜の花と桜の花で美しくはあった。

有料桜苑
菜の花の黄色と色とりどりの桜色が美しい桜苑
しかし、苑内の桜も枝の損傷がかなりひどいように見え、昔日は素晴らしい桜の園であったろうにと、思いを馳せたところである。

平野神社 有料桜苑
昨年の11月に嵯峨野の大覚寺を訪れた時にも、宸殿が21号台風で大きな被害を受けた様子を写真で目にしたところであった。

安膤仍宸殿の台風21号による被害
大覚寺宸殿に展示された台風21号被害の写真
そして、此度の平野神社ではまだその傷跡が癒されていないことを知った。

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平野神社拝殿の台風21号により拝殿は倒壊(写真展示)
自然の猛威というものがどれほど凄まじいものかをあらためて知らされた気がした。

ところで、魁桜とは別の意味でもうひとつ平野神社の花見名物がある。茶店や露店が出店され、しかもお酒など持ち込み自由という縁台花見が楽しめることだそうだ。この二年間はコロナのせいで、それもお預けということであった。

碓酒禁止の立て看板
飲酒禁止の立て看板が寂しく置かれていた
境内には「桜苑内での飲酒を禁止します」の立て看板が寂しそうに置かれていた。やはり花見は賑やかに生きたいものだと、“花より団子党”の党員としてはその意味でも1日も早いコロナ騒動の終息を祈らずにはいられないのである。

京菓子・老松(上七軒)で爆買い 流鏑馬と山人艸菓(さんじんそうか)・・・

今宮神社社前のあぶり餅の老舗・一文字屋和輔の創業長保二年(西暦1000)は別格としても、創業四百年、三百年の伝統を有す京菓子の老舗がざらにある京都の街で、百年の歴史を有すといってもそれは新参者に近い。

右に一文字屋
今宮神社参道 右手があぶり餅・一文字屋和輔 左が”かざりや”
そんな新参者が北野天満宮の東門に突き当たる上七軒通の出口近くに店を構える老松(おいまつ)である。

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上七軒通に面する老松北野店
天満宮境内に末社・老松社が建つが、店名はそれに由来するという。

北野天満宮末社・老松社
北野天満宮末社・老松社
その老松北野店には12年前に一度訪れて以来、足を踏み入れていない。節季物の花びら餅など東京新宿の伊勢丹の老松で買えるようになったことがわざわざ京都の店へ伺うことがなくなった理由でもあった。

ただ此度は千本釈迦堂から平野神社への道すがらでもあり、上七軒通にある老松で何かおいしい菓子を物色したいとの魂胆もあり立ち寄った。

上七軒歌舞練場前から上七軒通りを
上七軒歌舞練場前から上七軒通を見る
職菓子御調進所(ゆうそくがしごちょうしんしょ)と墨書された懐かしい老松の暖簾をくぐると、「新参者であっても由緒正しき」を證する北野天満宮御用達、御婚礼諸儀御菓子調進所といった大きな表札が目に飛び込んでくる。

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北野天満宮御用達など表札がかかる老松店内
静謐で清楚な店内の雰囲気は以前のままである。目に美しいショーウインドーの飾りつけも気持ちが落ち着き、気分がよい。

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すっきりした老松のショーウィンドウ
まずお土産に大好きな“流鏑馬(やぶさめ)”を求めた。丹波大納言の粒餡をしっとりとした生地で包んだどら焼き風の平鍋物である。下賀茂神社の流鏑馬神事の射手の綾傘の形を模した上品な京菓子である。

⇔鏑馬
わたしの大好きな流鏑馬
次に黒糖、三盆糖、しょう油の三種類の味をそろえた古能美(このみ)菓子を求めた。

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手前が古能美菓子 うしろが山人艸菓(さんじんそうか)
店員さんが奥にお包みに入っている束の間の間に、ショーウインドーはわれわれを魅惑する。そして、追加に追加に追加・・・と、注文が五月雨式に増えていく。

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3種類の古能美菓子 左に菅公梅
ん肋得餅・菅公梅
麩焼煎餅・菅公梅
まず、洋風でおしゃれな菓子だと家内が篭絡された“山人艸菓(さんじんそうか)”の“橙糖珠(だいとうじゅ)”と“胡桃律(ごとうりつ)”の詰合せである。

山人艸菓 左:胡桃律 右:橙糖珠
山人艸菓 左:胡桃律 右:橙糖珠
〇確嚊膕(さんじんそうか)の橙糖珠(だいとうじゅ)
橙糖珠(だいとうじゅ)
わたしはホテルに帰っておやつにと、季節感ピッタシの“桜餅”と一風変わっていて目に留まった京菓子風月餅の“香菓餅”を注文した。

サ菓子風月餅
ホテルで食べた香菓餅
桜餅は関東と異なり、道明寺粉のモチモチを二枚の桜の葉で包んだいわゆる関西の桜餅である。

F麕腓虜の葉え包まれた老松・桜餅
関西の桜餅 中身は道明寺
香菓餅はドライフルーツ入りの白餡を粒餡で巻き、そぼろをまぶした創作和菓子である。

ホテルで早速いただいたが、両方とももちろん美味で、満ち足りた気分に包まれた。

最後に白状するが、老松でこれだけお菓子を買い溜めしたにもかかわらず、北野天満宮でちょっとお参りしてからと立ち寄ったところ、東門から入ったのが運の尽き、いや、僥倖であったというべきであろう。毎月25日の縁日のみに営業する長五郎餅の境内茶店に暖簾が出ていたのである。
毎月25日の縁日のみ開く、長五郎餅北野天満宮境内店  秀吉に命名された長五郎餅

これは菅公のお引き合わせに違いないと、ありがたくもつつましく二個入りを手に入れた。もちろんホテルで翌日のお目覚にいただいた。ふくよかなお餅であった。
こうやって改めて写真を見ると、まさにはしなくも爆買いをしてしまったとの感は否めない。

2021年京都の桜・千本釈迦堂(大報恩寺)の阿亀桜(おかめざくら)は見事!

千本釈迦堂の本堂前に年季の入った枝垂れ桜の銘木がある。9年前に訪ねた際、此度よりわずかに10日ほど早かった(2012.3.13)にもかかわらず開花にはほど遠かったものの、阿亀桜(おかめざくら)の頭上高くには蒼穹が広がっていた。

2012.3.13 千本釈迦堂の阿亀桜
2012.3.13の蒼天のもとに阿亀桜
これで枝垂れに櫻花が咲き誇っておれば、富安風生(とみやすふうせい)の名句、「まさをなる空よりしだれざくらかな」の実景が見られたのにと、悔しい思いをしたことが思い出される。

一度は蒼天の満開のときに訪れたいと願っていたが、2021325日、ようやく櫻花が満開の時に京都を訪れることができた。

阿亀桜看板正面
阿亀桜
前日は醍醐寺の満開の桜に感動しっぱなしで、強欲な老夫婦は「まさをなる空より阿亀桜かな」と、既にひとつの秀句をしたためて胸躍らせていたのである。

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千本釈迦堂の参道と標柱
ところが、ところがである。前日の晴天は雨空に変わり、春雨のそぼ降る生憎の日和となった。

タクシーが千本釈迦堂の山門へつづく細い石畳の前に着く。

雨に濡れた石畳の目先、山門からは枝垂桜が満開であることが見える。

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山門の先に枝垂桜が咲いている
山門をくぐって、いよいよ花をつけた阿亀桜とご対面だ。

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本堂に雪崩れる阿亀桜
「天気荒天なれども心拍数高し」と日本海海戦の名参謀秋山真之も口にしたに違いないと確信した。

本堂に阿亀桜
阿亀桜と本堂
阿亀桜の古木の條々には見事な櫻花が咲き溢れている。

傘と阿亀桜
雨傘をかざして阿亀桜
「鈍色の空にも阿亀桜かな」

見事な枝垂れ桜 阿亀桜
本堂から今を盛りの阿亀桜
老夫婦は雨であろうと嵐であろうと、阿亀桜が満開の笑顔で我々を迎えてくれたことに心より感謝した。

ケ中の阿亀桜
雨中の阿亀桜
内東側に据わる阿亀多福像もそぼふる雨に肩口を濡らしながらも微笑んでいたのである。

異徳箸澆鮖つ阿亀多福像
阿亀多福像
最後に千本釈迦堂の魅力について述べておかねばならない。

千本釈迦堂とは嵐山にある清凉寺(嵯峨の釈迦堂)との区分けにおいての通称で、瑞応山大報恩寺というのが正式な寺号である。清凉寺とならび釈迦信仰の都の中心寺として古来、篤く庶民の崇敬を集めてきている。

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国宝・千本釈迦堂本堂
その中心となる本堂は洛中で最も古い木造建造物として国宝に指定されている。安貞元年(1227)、鎌倉時代初期に建てられた創建時そのままの本堂は簡素な造りであるが、骨太の堂々とした佇まいが堂内に招き入れられた人々の心を寛がせる。ご本尊の釈迦如来坐像の前に坐り、しずかに手を合わせてみてほしい。心中から世の俗事がす〜っと消え去り、穏やかな気持ちになるから不思議だ。

また、本堂の西側にコンクリート造りの霊宝殿があるが、そこには貴重な仏像が多々、安置されている。

千本釈迦堂・霊宝殿
霊宝殿
わたしが好むのは、それぞれが国の重要文化財に指定されている定慶作の六體の観音像と快慶とその弟子作の十體の10大弟子像である。すべての仏像が一堂にしかもほぼ毀損なく残されているのは非常に珍しく、落ち着いた静謐の館内でじっくりと鑑賞するのは仏像好きの人にとっては至福の時である。
阿亀桜だけでなく、霊宝殿の拝観もぜひ、併せて勧めたいところである。

京都の“割烹やました”で春の珍味・花山椒に遭遇

日中は古刹で櫻花を存分に愛で、宵には“割烹やました”で大将お薦めの料理に舌鼓を打つ。わたしたち夫婦が古都京都をこよなく愛す所以である。

醍醐寺不動堂と桜
醍醐寺不動堂と桜
その京都へ。昨年はコロナの嵐で緊急事態宣言が解除された11月にたった一度訪れたのみである。

2020.11割烹やましたを訪ねる
2020年11月17日にその年、初めてやましたを訪れた
そして、「来年は早々2月に来るね」と大将に堅く約束し、店を後にしたのに、またまた緊急事態宣言で予約したホテルをキャンセル、宣言解除の3月に花見を兼ねて京都行きを決行。

その日“やました”には6時半に予約をいれていた。少し遅れて入店したところ、すでにカウンターは私たちの二席を残して満席。一番手前の席であったが、これはこれで板場の景色が変わって見えて新鮮な経験。

当夜はまずオコゼの薄造りからはじまった。

.コゼの薄造り
ワンパターンになりつつあるが、やはり旨い。

昨年、わたしが体調を崩してから今後、お酒は一合までとこわ〜いお医者様から申し渡された。不満顔のわたしに酒好きでもあるドクターは心中を察してくれて「これからは値段は張っても旨い酒を一合呑めばよい」と、一合呑みの極意を伝授してくれた。

一合の鳳麟を嗜む
そこで、この日も大将お薦めの伏見の酒・「鳳麟」を一合いただくことにした。

一口舐めては、皿に箸を伸ばす。最近はこの振付が板についてきた。つましいものである。

そして当夜は、学生時代からの畏友・Y氏がつい先日、“やました”を訪れた際、うまそうだったとわざわざ連絡をくれた毛蟹を注文。

い笋呂衄味えあった毛ガニ
味噌も含めて美味この上なし。わが家の娘はいつも海老・蟹アレルギー(ものすごく軽いのだが・・・)だと騒ぐ。だから海老・蟹は娘がいないときにしか注文できない。そうだからなのか、猶更、美味しく感じるから不思議なものだ。

ソ佞猟遡・花山椒
手前の緑が花山椒
そして、大将が旬の珍しい花山椒が手に入ったから花山椒鍋を食べろと薦めてくれた。わたしは鍋料理があまり得てではなく、つい逡巡した。すると殺気のようなものを右頬に感じるではないか。そこで隣の家内に目を遣ると春の旬を食すのが通というものとそれを断る気か!とその瞳は糾弾の色を濃くしている。つまらぬ我を通すのも野暮というもの。春の彩、刹那を食すのも良いかと、当夜は注文することにした。

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確か、昆布と鰹節と薄口醤油だったか。上品でシンプルな出汁である。

それから順に具材を鍋に入れていき、丁寧に灰汁とりをする。

最後にメインの緑鮮やかな花山椒をさっと鍋に入れて、素早く小鉢に小分けする。

ゾ鉢でいただく花山椒鍋
出汁を吸い、花山椒ごと豆腐を口にする。山椒と名がついても花山椒の風味はやさしい。小さな春が口腔いっぱいに広がった。

機会があったら是非、京都の春を口腔と目で愉しんで欲しい。

この度、これまでの“割烹やました”の写真を見返していたら、ええ〜っ!!

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2019年4月にちゃんと写真を撮っていた花山椒鍋
二年前の421日に、花山椒鍋を食べていたことが判明。

その時は鶏肉ではなく、牛シャブ花山椒鍋であった。この老夫婦、認知症が始まっているらしい。あぁくわばら!くわばら!

そのころ、ブログをお休みしていた時期で、記憶があまり整理できていなかったのかもしれない。

そして、鍋の最後はさっぱりと素麺で〆め。おいしかった。

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それと、当夜、琵琶湖の珍味、本モロコとならぶビワマスなるものを酒のツマにいただいた。「琵琶湖八珍」と呼称される琵琶湖の固有種のひとつである。

H琶マス
脂がのってトロリとしているのだが、しつこくなく上品な味わいであった。

さて、料理も最後となったが、従来、やましたは常連客が多く、入れ替えで10時近くまでにぎわうのを常としていた。ところがコロナ騒動になってから緊急事態宣言解除で営業時間が延ばされたというのに、もう8時過ぎにはバラバラお客も席を立ちはじめ、9時前なのに残る客はなんとわたしら夫婦とあと一人ということになった。

こうなると不思議なもので、慣れ親しんだ“やました”でもどうも尻がむずむずしてくる。われわれもそろそろ退散だと席を立ったのは9時ちょっと過ぎである。

木屋町通り 高瀬川沿いの夜桜
押小路橋から高瀬川の夜桜
そして見送りに出てきてくれた大将とお互いの健康を誓い合い、高瀬川の夜桜を横目に見ながらホテルへとそぞろ歩いた。

心地よい夜風が頬をなでて、まだ手を振ってくれている大将の彼方へと流れていった。

2021年京都の桜 醍醐の花見を愉しむ(3月24日)

老い先もそう長くもないわれわれ老夫婦、コロナ禍の緊急事態宣言の間隙を縫って昨年11月の紅葉狩りにつづき、京都の満開時の桜を満喫しておこうと数か月前にピンポイントでホテルを予約した。

‖藐鏤仁王門
醍醐寺仁王門の桜も満開
観桜は紅葉と違い旬の見ごろというのは一週間そこそこである。

だから324日から二泊の宿泊日を前もって定めたのは一種の賭けであった。当れば儲けものといったところで桜花の一輪でも咲いていれば花見ができたということにしようと老妻と互いに納得し合い、ハズレの場合の失望を前もって共有しておいた。お互いに文句は言いっこなしということである。

∋淇發貂に五重塔
下醍醐五重塔と枝垂桜
ということで3月に入ってからというものは、「桜ナビという各地の桜の開花・満開予想を日々伝えているWEBサイトを日に幾度も確認しては「今年の開花は早そうだ」と念じ、その熱意が神様に届いたのか、当初の願いは満開予想日が日毎に前倒しになるにつれ、徐々に期待から確信へと変じていった。

だ饗躓槐凖堆討了淇盧
清瀧宮拝殿脇に立つ豪奢な枝垂桜 この無効に五重塔が隠れている
旅の初日、天気は晴天、京都駅に12時過ぎに到着。駅前にあるホテルのウエルカムラウンジがコロナのため相変わらず閉鎖中ということで、新幹線八条東口の外にある“京都駅八条口・デリバリーサービス”を利用、ホテルまでの荷物の配送を頼んだ。

京阪バス 京都駅八条口のりば
そして八条口前の京阪バス京都醍醐寺線(H4)を利用し、醍醐寺に到着。20年ほど前の2003330日に訪ね、その時はまだ桜の開花には早く一輪の桜も目にしなかったのだが、それ以来18年ぶりの醍醐寺の拝観である。
1
桜に埋まる五重塔
8
年前の日付が確かなのは、この醍醐寺で初めて「御朱印」なるものを知り、御朱印帳を購入し、人生最初の御朱印をいただいたからである。醍醐寺から始めた全国を巡る御朱印の旅により、現在の御朱印帖は15冊目に入っている。

  
醍醐寺御朱印 平成15年令和三年 醍醐寺御朱印
平成15年の御朱印       令和3年の御朱印
さて、その醍醐寺であるが、慶長3年3月15(1598年4月20日)に時の天下人、豊臣秀吉が「醍醐の花見」を催したことはあまりにも有名である。秀吉は家臣の前田玄以に命じて伽藍から醍醐山の山腹まで七百本の桜を植樹させたという。

弁天堂の池に舞う桜吹雪
観音堂の池に舞い散る櫻花
京都の花見は醍醐の花見にはじまり、仁和寺の御室桜(おむろざくら)で終わるともいわれている。此度は都の花見のはじまりを僥倖ともいうべき絶好のタイミングで愉しむことができた。

櫻花に観音堂
櫻花に観音堂
アップした数々の写真をご覧いただくと、青空を背景とした醍醐寺の満開の桜が洛中の人々の度肝を抜いた、あの太閤以来、その豪華さと絢爛さにおいて寸分も衰えていないことがご理解いただけると思う。
清瀧宮本殿
清瀧宮と桜
といっても太閤の花見を観覧したことはないんですが・・・。

まずは京都の一日目。夕方までの四時間弱を醍醐寺のみで過ごしたが、それだけの時間を費やしても下醍醐を一巡できたばかりで、予定していた上醍醐までは足は伸ばせなかった。

醍醐寺不動堂と桜
不動堂に桜
しかし、かねて念願の醍醐の花見が心行くまで堪能出来て老夫婦は満面の笑みでホテルへと向かった。

醍醐寺・仁王門の桜
仁王門への参道
翌日は平野神社の魁桜(さきがけざくら)と千本釈迦堂の銘木、枝垂れの阿亀桜(おかめざくら)を観に行く予定である。そして、当夜の晩餐は昨年11月以来の“割烹やました”で、春を彩る“花山椒の鍋”の馳走にあずかることになり、夫婦して大きな舌鼓を打ったのである。

茶寮・寿庵のわらび餅
寿庵のわらび餅
醍醐寺の境内はあまりに広い。下醍醐の奥に位置する観音堂の池を挟んだ弁天堂の前にお休み処・阿闍梨寮寿庵がある。そこで、一服のほうじ茶とおいしい“わらび餅”は是また美味で、ぜひ大口開けて頬張ることをお薦めしておきたい。
古来、花より団子とはこの事を云う。
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