彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

京都散策

2021年京都の桜 琵琶湖疎水・“哲学の小径”を辿る

京都最終日の3月26日は哲学の小径を法然院あたりから南禅寺までゆっくりと散策することにした。


⓪法然院の茅葺の山門
法然院 山門
椿で有名な法然院であっても、桜の樹くらいはあるだろうと高をくくってお参りしたが、境内に桜を見つけることはできず、手水鉢に浮かべられた椿の二輪の花びらで花見に替えた。
法然院手水鉢に二輪の椿
ただ、未練がましく寺域内をうろついたところ、墓地の傾斜地に枝垂れ桜が一本咲いているのを見つけたので、写真を撮った。

法然院の墓地に立つ枝垂桜枝垂桜
法然院の墓地に一本の枝垂桜
桜がないからだろう、現金なもので訪れる人はほとんどなかった法然院をあとにして、大きな石段を下り、“哲学の小径”いや現在でいう“哲学の道”に出た。疎水の両岸に桜並木が続いている。それなりの人出である。

疎水の満開の桜
疎水沿いに哲学の道 桜が満開
不自由な脚で南禅寺まで歩きとおせるか不安であったが、疎水沿いの桜は満開であった。

哲学の道
のんびりと細君とそぞろ歩いた。追い越していく人も多くいたが、もう少し頭上の桜花を愛でながらゆったりと歩を進めたらよかろうになどと、年寄りの負け惜しみとでもいおうか、風流を解せぬ輩は困ったものと嘆いたものだ。

さて、琵琶湖疎水に沿ってつづくこの“哲学の道”であるが、はじめて歩いたのは今を去ること半世紀も前のことになる。一浪後に大学入学を果たして無上の解放感とほとばしる希望に溢れた19歳の春のことである。入学手続きを終えた4月、京の安宿には炬燵がまだ設えてあり、朝夕の冷え込みが厳しい季節であった。

哲学の小径
かねて高校の恩師から東山の麓には疎水に沿って“哲学の小径”と呼ばれる鄙びた土手道があるから一度歩いてみるとよいと勧められていた。あの偉大な哲学者、西田幾多郎京大教授が思索を深め、“思惟”の重みで踏み固めていった散歩道があるというのだ。

善の研究 西田幾多郎
青春時代のど真ん中、精一杯背伸びしていた頭でっかちの自分にとって、難解な哲学を語る思想界の巨人が日々逍遥したという土手道、しかも“哲学の小径”なる尊称を冠された小径を歩いてなぞることで、哲学という高邁な空気感のようなものを肌で感じることができるのではないか、

哲学の道
疎水のほとり、まだ見ぬ風致のなかにわが身を置くことで、幾多郎のいう“微妙幽遠なる人生”の奥義の片鱗にでも触れてみることができるのではないか・・・などと夢想を逞しくし、土手伝いに歩いてみようと思ったのである。

哲学の小径 満開の桜が
“哲学の道”はもともと1890年(明治23年)、琵琶湖疎水が完成した際に設置された管理用道路であったということを、この度、知った。


そんなことだったから、昭和46年当時は未舗装の堤の両側に雑草がはびこる何の変哲もない細長い土手道であった。その夕暮れ時も観光客がわざわざ歩くほどのこともなく、地元の人が散策に使う常の道という景観であった。

その日は銀閣寺から南禅寺までを逍遥というよりは一気にせかせかと歩きとおしたが、哲学の小径の終焉近くに琵琶湖疎水を跨ぐ鄙びた土橋があった。どこか風情を滴らせる橋であったので、興味本位に対岸の東山の麓を少し上ってみることにした。

その山道をわずかに登ったあたりに苔むした石塔がいくつも転がっているひと隅があった。摩滅した刻字のなかに元号らしきものが見えたので、これは室町時代の頃の無縁仏だと勝手に決めつけてなぜか大発見をしたような気分でひとり悦に入ったことを思い出した。

遠くに土橋のような橋が
疎水を跨ぐ橋が目に入ってきた
それから50年後、記憶の中ではずっと土橋だと思っていた古ぼけた石造りの橋に遭遇した。確かに意識の底ひに埋もれていたあの土橋だ、山麓への道ならぬ細道がかすかに記憶に残っていた。そこで、足を止め、暫し双眸を閉じた。十九歳の自分を瞼の内に投影してみようと思ったからである。

それからしずかに目を開けてみると、目前には背を丸めた老人が欄干に腰をおろし無心に写生する姿があった。

写生する人
そして、山麓への登り口には鐵柵が立ちはだかっていた。わたしの“青の時代へ続く小径”は無情にも立ち入り禁止となっていた。

暗擽兇寮茲藁ち入り禁止
その登り口のすぐ脇に、当時はなぜか気づかなかった王女のお墓があった。江戸時代末期の皇族伏見宮貞敬親王の皇女・宗諄女王のお墓だと駒形の説明にあった。室町時代?の無縁仏といい、王女の御廟といい、この一画はひょっとしたらむかしは墓所として利用されていたのかもしれない。

宗諄王女の墓所
白塀で囲われた宮内庁管理の宗諄王女の墓所
この思い入れ深い“土橋”を過ぎると、“哲学の小径”もいよいよ終着点の若王子(ニャクオウジ)橋が視界に入ってくる。天気にも恵まれ、法然院を出立してから杖を片手にほぼ2時間の長閑な道行きとなった。

花びらを山風に散らす桜並木も途絶え、おだやかに流れる疎水に視線を転じると、点々と桜花を貼りつけた川面に番(ツガ)いの鴨がゆったりと身を任せるように浮かんでいた。

曳屬い粒が疎水の流れにのって・・・
思えば、50年前に19歳の青年が独り歩き通した哲学の小径を、いま、縁という糸で結ばれた男と女が共に老いを迎え、陸続と続く若人たちに先を譲りながら人生の終着駅へと一歩一歩、時を刻んで歩をすすめている。そんな懐旧と寂寞の想いを惹起させた“哲学の小径”の道行きであった。

2021年京都の桜 平野神社の魁桜(さきがけざくら)は満開(3月25日)!

平野神社は平安時代の寛和元年(985)、時の花山天皇が桜樹をお手植えしてから桜の名所へと姿を変え、江戸時代には「平野の夜桜」と謳われるほどに観桜の名所として高名になってきたという。

〆の神紋の提灯をつるす本殿
平野神社・本殿
その境内には早咲きから遅咲きまで約60種類もの桜が植わっている。それ故に刹那(せつな)の美を愛でる櫻花でありながら、花見を愉しめる期間が長く、畢竟(ひっきょう)、桜の名所としての名を高らしめていったと云えなくもない。

∧震鄂声劼虜・桜・桜・桜
平野神社の桜・桜・桜
そんな数多(あまた)咲く桜のなかでも東神門と手水舎の間に植わるのが“魁桜(さきがけざくら)”と呼ばれる早咲きの枝垂れ桜である。

3〆と手水舎  こ〆の駒札
その開花は洛中の観桜の季節のはじまりを告げる予鈴、まさに「先駆け」として“魁桜(さきがけざくら)”の名誉に浴したのであろう。

ナ震鄂声劼粒〆(サキガケザクラ)
魁桜が枝垂れている
この度は願わくばこの魁桜の咲き誇るさまを一目見たいと、先般、アップした千本釈迦堂の阿亀桜(おかめざくら)を愛でたのちに、テクテクと平野神社へと足を向けたというわけである。

千本釈迦堂 阿亀桜
枝垂桜の銘木 千本釈迦堂の阿亀桜(おかめざくら)
北野天満宮の北縁を西に向かった先に平野神社の鳥居と花霞が見えてくる。遠目にも櫻花が開花しているのがよく見えた。

北野天満宮北縁の道の先に平野神社
“平野皇大神”と揮毫された大鳥居をくぐり境内に足を踏み入れると、正面に神紋である桜の紋をあしらった提灯が吊るす東神門が見えた。
平野神社・鳥居
その左手前に目指す魁桜が満開の花の重みで枝垂れて見えた。

東神門と魁桜
間近に見る枝垂れの魁桜は見事である。

満開の平野神社・魁桜
早速、写真撮影とカメラを構えるが、次から次に人々が押し寄せ、立ち止まり、魁桜を仰ぎ見てはシャッターをきる。という具合にて、魁桜の全体像を人影なしに撮るのは大変難しく、上方へ向けたアングルで仕上げたのがこの一枚である。だからこれが蒼天であれば・・・と欲深な思いをしたのは私だけではないはずである。

桜の神紋を吊るす東神門
神紋の桜をあしらった提灯のかかる東神門
そして東神門をくぐると正面に拝殿が見えるはずであった。

だが残念なことに平成30年9月4日に近畿地方を襲った台風21号により拝殿は壊滅し、現在修復の真っ最中で灰色の大きな覆いが掛けられていた。

2018年9月4日の台風21号で倒壊した修復中の拝殿
その修復費用捻出のため広い境内の桜苑の一部が有料観覧の措置がとられていた。

桜苑 有料500円
入場料が修復費用にあてられる
入場すると菜の花と桜の花で美しくはあった。

有料桜苑
菜の花の黄色と色とりどりの桜色が美しい桜苑
しかし、苑内の桜も枝の損傷がかなりひどいように見え、昔日は素晴らしい桜の園であったろうにと、思いを馳せたところである。

平野神社 有料桜苑
昨年の11月に嵯峨野の大覚寺を訪れた時にも、宸殿が21号台風で大きな被害を受けた様子を写真で目にしたところであった。

安膤仍宸殿の台風21号による被害
大覚寺宸殿に展示された台風21号被害の写真
そして、此度の平野神社ではまだその傷跡が癒されていないことを知った。

科震鄂声卩凖造療櫺
平野神社拝殿の台風21号により拝殿は倒壊(写真展示)
自然の猛威というものがどれほど凄まじいものかをあらためて知らされた気がした。

ところで、魁桜とは別の意味でもうひとつ平野神社の花見名物がある。茶店や露店が出店され、しかもお酒など持ち込み自由という縁台花見が楽しめることだそうだ。この二年間はコロナのせいで、それもお預けということであった。

碓酒禁止の立て看板
飲酒禁止の立て看板が寂しく置かれていた
境内には「桜苑内での飲酒を禁止します」の立て看板が寂しそうに置かれていた。やはり花見は賑やかに生きたいものだと、“花より団子党”の党員としてはその意味でも1日も早いコロナ騒動の終息を祈らずにはいられないのである。

京菓子・老松(上七軒)で爆買い 流鏑馬と山人艸菓(さんじんそうか)・・・

今宮神社社前のあぶり餅の老舗・一文字屋和輔の創業長保二年(西暦1000)は別格としても、創業四百年、三百年の伝統を有す京菓子の老舗がざらにある京都の街で、百年の歴史を有すといってもそれは新参者に近い。

右に一文字屋
今宮神社参道 右手があぶり餅・一文字屋和輔 左が”かざりや”
そんな新参者が北野天満宮の東門に突き当たる上七軒通の出口近くに店を構える老松(おいまつ)である。

‐綣係 老松
上七軒通に面する老松北野店
天満宮境内に末社・老松社が建つが、店名はそれに由来するという。

北野天満宮末社・老松社
北野天満宮末社・老松社
その老松北野店には12年前に一度訪れて以来、足を踏み入れていない。節季物の花びら餅など東京新宿の伊勢丹の老松で買えるようになったことがわざわざ京都の店へ伺うことがなくなった理由でもあった。

ただ此度は千本釈迦堂から平野神社への道すがらでもあり、上七軒通にある老松で何かおいしい菓子を物色したいとの魂胆もあり立ち寄った。

上七軒歌舞練場前から上七軒通りを
上七軒歌舞練場前から上七軒通を見る
職菓子御調進所(ゆうそくがしごちょうしんしょ)と墨書された懐かしい老松の暖簾をくぐると、「新参者であっても由緒正しき」を證する北野天満宮御用達、御婚礼諸儀御菓子調進所といった大きな表札が目に飛び込んでくる。

∀珪勝_杙厂攘燭箸翰冀I住
北野天満宮御用達など表札がかかる老松店内
静謐で清楚な店内の雰囲気は以前のままである。目に美しいショーウインドーの飾りつけも気持ちが落ち着き、気分がよい。

O珪勝‥稿皀轡隋璽Εぅ鵐鼻
すっきりした老松のショーウィンドウ
まずお土産に大好きな“流鏑馬(やぶさめ)”を求めた。丹波大納言の粒餡をしっとりとした生地で包んだどら焼き風の平鍋物である。下賀茂神社の流鏑馬神事の射手の綾傘の形を模した上品な京菓子である。

⇔鏑馬
わたしの大好きな流鏑馬
次に黒糖、三盆糖、しょう油の三種類の味をそろえた古能美(このみ)菓子を求めた。

ー蠢阿古能美菓子・後ろ山人艸菓橙塘珠
手前が古能美菓子 うしろが山人艸菓(さんじんそうか)
店員さんが奥にお包みに入っている束の間の間に、ショーウインドーはわれわれを魅惑する。そして、追加に追加に追加・・・と、注文が五月雨式に増えていく。

ο珪勝仝吐夙菓子
3種類の古能美菓子 左に菅公梅
ん肋得餅・菅公梅
麩焼煎餅・菅公梅
まず、洋風でおしゃれな菓子だと家内が篭絡された“山人艸菓(さんじんそうか)”の“橙糖珠(だいとうじゅ)”と“胡桃律(ごとうりつ)”の詰合せである。

山人艸菓 左:胡桃律 右:橙糖珠
山人艸菓 左:胡桃律 右:橙糖珠
〇確嚊膕(さんじんそうか)の橙糖珠(だいとうじゅ)
橙糖珠(だいとうじゅ)
わたしはホテルに帰っておやつにと、季節感ピッタシの“桜餅”と一風変わっていて目に留まった京菓子風月餅の“香菓餅”を注文した。

サ菓子風月餅
ホテルで食べた香菓餅
桜餅は関東と異なり、道明寺粉のモチモチを二枚の桜の葉で包んだいわゆる関西の桜餅である。

F麕腓虜の葉え包まれた老松・桜餅
関西の桜餅 中身は道明寺
香菓餅はドライフルーツ入りの白餡を粒餡で巻き、そぼろをまぶした創作和菓子である。

ホテルで早速いただいたが、両方とももちろん美味で、満ち足りた気分に包まれた。

最後に白状するが、老松でこれだけお菓子を買い溜めしたにもかかわらず、北野天満宮でちょっとお参りしてからと立ち寄ったところ、東門から入ったのが運の尽き、いや、僥倖であったというべきであろう。毎月25日の縁日のみに営業する長五郎餅の境内茶店に暖簾が出ていたのである。
毎月25日の縁日のみ開く、長五郎餅北野天満宮境内店  秀吉に命名された長五郎餅

これは菅公のお引き合わせに違いないと、ありがたくもつつましく二個入りを手に入れた。もちろんホテルで翌日のお目覚にいただいた。ふくよかなお餅であった。
こうやって改めて写真を見ると、まさにはしなくも爆買いをしてしまったとの感は否めない。

2021年京都の桜・千本釈迦堂(大報恩寺)の阿亀桜(おかめざくら)は見事!

千本釈迦堂の本堂前に年季の入った枝垂れ桜の銘木がある。9年前に訪ねた際、此度よりわずかに10日ほど早かった(2012.3.13)にもかかわらず開花にはほど遠かったものの、阿亀桜(おかめざくら)の頭上高くには蒼穹が広がっていた。

2012.3.13 千本釈迦堂の阿亀桜
2012.3.13の蒼天のもとに阿亀桜
これで枝垂れに櫻花が咲き誇っておれば、富安風生(とみやすふうせい)の名句、「まさをなる空よりしだれざくらかな」の実景が見られたのにと、悔しい思いをしたことが思い出される。

一度は蒼天の満開のときに訪れたいと願っていたが、2021325日、ようやく櫻花が満開の時に京都を訪れることができた。

阿亀桜看板正面
阿亀桜
前日は醍醐寺の満開の桜に感動しっぱなしで、強欲な老夫婦は「まさをなる空より阿亀桜かな」と、既にひとつの秀句をしたためて胸躍らせていたのである。

\號楴甓狷押μ臍
千本釈迦堂の参道と標柱
ところが、ところがである。前日の晴天は雨空に変わり、春雨のそぼ降る生憎の日和となった。

タクシーが千本釈迦堂の山門へつづく細い石畳の前に着く。

雨に濡れた石畳の目先、山門からは枝垂桜が満開であることが見える。

┿殻腓ら阿亀桜が見える
山門の先に枝垂桜が咲いている
山門をくぐって、いよいよ花をつけた阿亀桜とご対面だ。

0さ戯と千本釈迦堂・本堂
本堂に雪崩れる阿亀桜
「天気荒天なれども心拍数高し」と日本海海戦の名参謀秋山真之も口にしたに違いないと確信した。

本堂に阿亀桜
阿亀桜と本堂
阿亀桜の古木の條々には見事な櫻花が咲き溢れている。

傘と阿亀桜
雨傘をかざして阿亀桜
「鈍色の空にも阿亀桜かな」

見事な枝垂れ桜 阿亀桜
本堂から今を盛りの阿亀桜
老夫婦は雨であろうと嵐であろうと、阿亀桜が満開の笑顔で我々を迎えてくれたことに心より感謝した。

ケ中の阿亀桜
雨中の阿亀桜
内東側に据わる阿亀多福像もそぼふる雨に肩口を濡らしながらも微笑んでいたのである。

異徳箸澆鮖つ阿亀多福像
阿亀多福像
最後に千本釈迦堂の魅力について述べておかねばならない。

千本釈迦堂とは嵐山にある清凉寺(嵯峨の釈迦堂)との区分けにおいての通称で、瑞応山大報恩寺というのが正式な寺号である。清凉寺とならび釈迦信仰の都の中心寺として古来、篤く庶民の崇敬を集めてきている。

ね戝羣埜鼎量畋し造物 国宝・本堂
国宝・千本釈迦堂本堂
その中心となる本堂は洛中で最も古い木造建造物として国宝に指定されている。安貞元年(1227)、鎌倉時代初期に建てられた創建時そのままの本堂は簡素な造りであるが、骨太の堂々とした佇まいが堂内に招き入れられた人々の心を寛がせる。ご本尊の釈迦如来坐像の前に坐り、しずかに手を合わせてみてほしい。心中から世の俗事がす〜っと消え去り、穏やかな気持ちになるから不思議だ。

また、本堂の西側にコンクリート造りの霊宝殿があるが、そこには貴重な仏像が多々、安置されている。

千本釈迦堂・霊宝殿
霊宝殿
わたしが好むのは、それぞれが国の重要文化財に指定されている定慶作の六體の観音像と快慶とその弟子作の十體の10大弟子像である。すべての仏像が一堂にしかもほぼ毀損なく残されているのは非常に珍しく、落ち着いた静謐の館内でじっくりと鑑賞するのは仏像好きの人にとっては至福の時である。
阿亀桜だけでなく、霊宝殿の拝観もぜひ、併せて勧めたいところである。

京都の“割烹やました”で春の珍味・花山椒に遭遇

日中は古刹で櫻花を存分に愛で、宵には“割烹やました”で大将お薦めの料理に舌鼓を打つ。わたしたち夫婦が古都京都をこよなく愛す所以である。

醍醐寺不動堂と桜
醍醐寺不動堂と桜
その京都へ。昨年はコロナの嵐で緊急事態宣言が解除された11月にたった一度訪れたのみである。

2020.11割烹やましたを訪ねる
2020年11月17日にその年、初めてやましたを訪れた
そして、「来年は早々2月に来るね」と大将に堅く約束し、店を後にしたのに、またまた緊急事態宣言で予約したホテルをキャンセル、宣言解除の3月に花見を兼ねて京都行きを決行。

その日“やました”には6時半に予約をいれていた。少し遅れて入店したところ、すでにカウンターは私たちの二席を残して満席。一番手前の席であったが、これはこれで板場の景色が変わって見えて新鮮な経験。

当夜はまずオコゼの薄造りからはじまった。

.コゼの薄造り
ワンパターンになりつつあるが、やはり旨い。

昨年、わたしが体調を崩してから今後、お酒は一合までとこわ〜いお医者様から申し渡された。不満顔のわたしに酒好きでもあるドクターは心中を察してくれて「これからは値段は張っても旨い酒を一合呑めばよい」と、一合呑みの極意を伝授してくれた。

一合の鳳麟を嗜む
そこで、この日も大将お薦めの伏見の酒・「鳳麟」を一合いただくことにした。

一口舐めては、皿に箸を伸ばす。最近はこの振付が板についてきた。つましいものである。

そして当夜は、学生時代からの畏友・Y氏がつい先日、“やました”を訪れた際、うまそうだったとわざわざ連絡をくれた毛蟹を注文。

い笋呂衄味えあった毛ガニ
味噌も含めて美味この上なし。わが家の娘はいつも海老・蟹アレルギー(ものすごく軽いのだが・・・)だと騒ぐ。だから海老・蟹は娘がいないときにしか注文できない。そうだからなのか、猶更、美味しく感じるから不思議なものだ。

ソ佞猟遡・花山椒
手前の緑が花山椒
そして、大将が旬の珍しい花山椒が手に入ったから花山椒鍋を食べろと薦めてくれた。わたしは鍋料理があまり得てではなく、つい逡巡した。すると殺気のようなものを右頬に感じるではないか。そこで隣の家内に目を遣ると春の旬を食すのが通というものとそれを断る気か!とその瞳は糾弾の色を濃くしている。つまらぬ我を通すのも野暮というもの。春の彩、刹那を食すのも良いかと、当夜は注文することにした。

セ弔襪浪峪顎イ鬚里擦襪世院ΑΑ
確か、昆布と鰹節と薄口醤油だったか。上品でシンプルな出汁である。

それから順に具材を鍋に入れていき、丁寧に灰汁とりをする。

最後にメインの緑鮮やかな花山椒をさっと鍋に入れて、素早く小鉢に小分けする。

ゾ鉢でいただく花山椒鍋
出汁を吸い、花山椒ごと豆腐を口にする。山椒と名がついても花山椒の風味はやさしい。小さな春が口腔いっぱいに広がった。

機会があったら是非、京都の春を口腔と目で愉しんで欲しい。

この度、これまでの“割烹やました”の写真を見返していたら、ええ〜っ!!

サ蹈轡礇屬硫峪顎テ
2019年4月にちゃんと写真を撮っていた花山椒鍋
二年前の421日に、花山椒鍋を食べていたことが判明。

その時は鶏肉ではなく、牛シャブ花山椒鍋であった。この老夫婦、認知症が始まっているらしい。あぁくわばら!くわばら!

そのころ、ブログをお休みしていた時期で、記憶があまり整理できていなかったのかもしれない。

そして、鍋の最後はさっぱりと素麺で〆め。おいしかった。

А困浪峪顎イ了兇辰秦婆
それと、当夜、琵琶湖の珍味、本モロコとならぶビワマスなるものを酒のツマにいただいた。「琵琶湖八珍」と呼称される琵琶湖の固有種のひとつである。

H琶マス
脂がのってトロリとしているのだが、しつこくなく上品な味わいであった。

さて、料理も最後となったが、従来、やましたは常連客が多く、入れ替えで10時近くまでにぎわうのを常としていた。ところがコロナ騒動になってから緊急事態宣言解除で営業時間が延ばされたというのに、もう8時過ぎにはバラバラお客も席を立ちはじめ、9時前なのに残る客はなんとわたしら夫婦とあと一人ということになった。

こうなると不思議なもので、慣れ親しんだ“やました”でもどうも尻がむずむずしてくる。われわれもそろそろ退散だと席を立ったのは9時ちょっと過ぎである。

木屋町通り 高瀬川沿いの夜桜
押小路橋から高瀬川の夜桜
そして見送りに出てきてくれた大将とお互いの健康を誓い合い、高瀬川の夜桜を横目に見ながらホテルへとそぞろ歩いた。

心地よい夜風が頬をなでて、まだ手を振ってくれている大将の彼方へと流れていった。

2021年京都の桜 醍醐の花見を愉しむ(3月24日)

老い先もそう長くもないわれわれ老夫婦、コロナ禍の緊急事態宣言の間隙を縫って昨年11月の紅葉狩りにつづき、京都の満開時の桜を満喫しておこうと数か月前にピンポイントでホテルを予約した。

‖藐鏤仁王門
醍醐寺仁王門の桜も満開
観桜は紅葉と違い旬の見ごろというのは一週間そこそこである。

だから324日から二泊の宿泊日を前もって定めたのは一種の賭けであった。当れば儲けものといったところで桜花の一輪でも咲いていれば花見ができたということにしようと老妻と互いに納得し合い、ハズレの場合の失望を前もって共有しておいた。お互いに文句は言いっこなしということである。

∋淇發貂に五重塔
下醍醐五重塔と枝垂桜
ということで3月に入ってからというものは、「桜ナビという各地の桜の開花・満開予想を日々伝えているWEBサイトを日に幾度も確認しては「今年の開花は早そうだ」と念じ、その熱意が神様に届いたのか、当初の願いは満開予想日が日毎に前倒しになるにつれ、徐々に期待から確信へと変じていった。

だ饗躓槐凖堆討了淇盧
清瀧宮拝殿脇に立つ豪奢な枝垂桜 この無効に五重塔が隠れている
旅の初日、天気は晴天、京都駅に12時過ぎに到着。駅前にあるホテルのウエルカムラウンジがコロナのため相変わらず閉鎖中ということで、新幹線八条東口の外にある“京都駅八条口・デリバリーサービス”を利用、ホテルまでの荷物の配送を頼んだ。

京阪バス 京都駅八条口のりば
そして八条口前の京阪バス京都醍醐寺線(H4)を利用し、醍醐寺に到着。20年ほど前の2003330日に訪ね、その時はまだ桜の開花には早く一輪の桜も目にしなかったのだが、それ以来18年ぶりの醍醐寺の拝観である。
1
桜に埋まる五重塔
8
年前の日付が確かなのは、この醍醐寺で初めて「御朱印」なるものを知り、御朱印帳を購入し、人生最初の御朱印をいただいたからである。醍醐寺から始めた全国を巡る御朱印の旅により、現在の御朱印帖は15冊目に入っている。

  
醍醐寺御朱印 平成15年令和三年 醍醐寺御朱印
平成15年の御朱印       令和3年の御朱印
さて、その醍醐寺であるが、慶長3年3月15(1598年4月20日)に時の天下人、豊臣秀吉が「醍醐の花見」を催したことはあまりにも有名である。秀吉は家臣の前田玄以に命じて伽藍から醍醐山の山腹まで七百本の桜を植樹させたという。

弁天堂の池に舞う桜吹雪
観音堂の池に舞い散る櫻花
京都の花見は醍醐の花見にはじまり、仁和寺の御室桜(おむろざくら)で終わるともいわれている。此度は都の花見のはじまりを僥倖ともいうべき絶好のタイミングで愉しむことができた。

櫻花に観音堂
櫻花に観音堂
アップした数々の写真をご覧いただくと、青空を背景とした醍醐寺の満開の桜が洛中の人々の度肝を抜いた、あの太閤以来、その豪華さと絢爛さにおいて寸分も衰えていないことがご理解いただけると思う。
清瀧宮本殿
清瀧宮と桜
といっても太閤の花見を観覧したことはないんですが・・・。

まずは京都の一日目。夕方までの四時間弱を醍醐寺のみで過ごしたが、それだけの時間を費やしても下醍醐を一巡できたばかりで、予定していた上醍醐までは足は伸ばせなかった。

醍醐寺不動堂と桜
不動堂に桜
しかし、かねて念願の醍醐の花見が心行くまで堪能出来て老夫婦は満面の笑みでホテルへと向かった。

醍醐寺・仁王門の桜
仁王門への参道
翌日は平野神社の魁桜(さきがけざくら)と千本釈迦堂の銘木、枝垂れの阿亀桜(おかめざくら)を観に行く予定である。そして、当夜の晩餐は昨年11月以来の“割烹やました”で、春を彩る“花山椒の鍋”の馳走にあずかることになり、夫婦して大きな舌鼓を打ったのである。

茶寮・寿庵のわらび餅
寿庵のわらび餅
醍醐寺の境内はあまりに広い。下醍醐の奥に位置する観音堂の池を挟んだ弁天堂の前にお休み処・阿闍梨寮寿庵がある。そこで、一服のほうじ茶とおいしい“わらび餅”は是また美味で、ぜひ大口開けて頬張ることをお薦めしておきたい。
古来、花より団子とはこの事を云う。
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

月別アーカイブ
記事検索
プロフィール

彦左衛門

livedoor動画検索
本ブログパーツの提供を終了しました
  • ライブドアブログ