今年も師走にはいったと思ったらもう冬至。
恒例のゆず湯に一番風呂。と言っても、夕食の準備をしてもらっている細君より先に入ったというだけ・・・
気持ちがいい〜!!
それにしてもなんだか年々、柚子の個数が減ってきているような・・・
その大宗は余生を送る二人にとっての楽しみとしている旅のことどもであった。
弥生にまず宇治を訪ねた。
来年になれば大河ドラマ「光る君へ」がスタート。
源氏物語の宇治十帖の薫と匂宮、きっと観光客が押し寄せるはず。その前に行っておこうと二人で申し合わせ、ひっそりと押し寄せたのである。
まず、しだれ梅園が有名な三室戸寺に参詣。
山腹の傾斜地にひろがる今を盛りの梅園を散策した。
さらに前から気になっていた日本最古の神社建築である本殿を擁す宇治上(ウジカミ)神社への参拝をようやく叶えた。
応神天皇の皇太子であった菟道稚郎子(ウジノワキイラツコ)をご祭神となす式内社である。異母兄である仁徳天皇に皇位を譲るため自殺したといわれる皇子である・・・
もちろん、宇治川にかかる朝霧橋の東詰めに建つ宇治十帖の“薫と匂宮”像も訪ねた。
最後には宇治橋の袂に建つ“紫式部”の像も当たり前だが、パチリ!!
皐月には、かねて夢であった北海道のドライブの旅。
大洗から苫小牧へ往復フェリーを使ってのマイカー旅。
総移動距離3800kmにおよぶ大旅行を敢行した。
富良野から留萌へ出て、日本海沿いに北上、稚内・宗谷岬を経て紋別、網走、知床、根室、弟子屈(テシカガ)、帯広とほぼ北海道の3/4を踏破した。
納沙布岬では北方四島を遠望するオーロラタワーが廃墟と化し、訪れる人もほとんどなく、北方領土への関心が致命的なまでに希薄になっていることを痛感した。
文月にはコロナ後、初めての本格的に執り行われた祇園祭に興じた。
久々に盛り上がったのはよかったが、人出が多すぎて閉口した。
そして師走になって息子家族を伴い、金閣寺、清水寺、天龍寺と久々のお上りさん観光を愉しんだ。
ちょっと孫に日本の美を知ってもらいたいと、デヴィッド・ボウイが愛した比叡山を借景とする正伝寺の日本庭園を教えてやった。
有名どころには修学旅行生の団体が復活し、インバウンド客の増嵩とも相俟って、京都市内は大変な状況となっていた。
清水さんの三寧坂が上り下りの人の行列で立錐の余地もないほどに人で埋め尽くされていたのには仰天した。
これ以上昇るのは危険だと断念し、私一人、仁王門の下で一人残り、清水の舞台を目にすることができなかった。
そうした楽しい思い出の一方、老人特有の病に襲われ、とうとう前立腺肥大症の手術をおこなった。
前立腺レーザー蒸散術 PVPという出血の少ない方式で、バイアスピリンを服用しているわたしには最適な手術であった。
熟練の主治医であったため、いまはきわめて快適である。
7月の下旬から手術、回復期と、合せて3か月半の断酒および旅行自粛の期間であった。
8月の下旬に高知の四国カルストや仁淀ブルー、朝ドラらんまんの牧野植物園の旅を計画していたが、あえなくホテルをキャンセル、涙をのんだ。仁淀ブルーの旅ははこれまで台風や大雨で二度計画し、中止の憂き目にあっているので、これで三度目のキャンセルである。
そんな苦境?にあっても久々に娘と細君との3人旅を予約していたので、葉月に熱海一泊の旅だけは不安を抱えながらも何とか根性で行ってきた。
そんなこんなのジェットコースターのような6回目の干支年もあと9日間で終わろうとしている。
7月中旬までは登り調子であった今年、7月末からは一転、急降下で谷底へとなだれ落ちていった兎年。
ようやく11月へ入り前立腺の不安もなくなり、気持ちよく酒席にも参加し、師走に入って大好きな旅も復活させることができた。
振り返ると、まぁいろいろあった干支の年であったが、終わりよければすべてよしということで、おおむね大過なく過ごせたということで満足としなければならない。