彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

伝統文化・行事

めでたさも 中くらいなり おらが春

年末の冬至の記事で来たる丑年を「あけましてもおめでたくない」と表現したが、やはり新たな年を迎えるにあたって「めでたくない」と言い切ってしまうのはあまりにも寂しすぎた。

2021年鏡餅と恩山寺・摺袈裟
なにせ箱根駅伝で最終10区の残り2kmのところで、なんと、なんと大逆転劇をみせて、駒澤大学が13年ぶりの優勝を果たした。箱根路217kmを2日間にわたって駆け抜けた若人 (わこうど)たちにとっては「あけましてとんでもなくおめでたい」年がスタートしたのだから。

お屠蘇
そこで新年となって、小林一茶の俳句にひとつ好い句があったので、タイトルに拝借したというわけである。やはり、若人にとっては新たな年というのは、明るく輝いているのが相応しい。しかもかつては、老若男女年齢を問わず一斉に齢を重ねる祝日でもあった元旦は、やはり、おめでたいというのが通り相場である。ところが菅総理は、元旦の年頭所感につづくこの4日、新型コロナ感染者の急増に対処すべく「1都3県に今週中にも緊急事態宣言」を発出する見通しであると表明した。


ということは、箱根駅伝の大逆転劇で盛り上がった祝賀とコロナの緊急事態宣言発出の災禍を足して二で割ると、一茶の「ちうくらい(中ぐらい)」の表現がピッタシであると得心したところであった。
そしてこの新年最初のブログアップは終了のはずであった。


ところが、いろいろと調べているうちに、この句の解釈が「老い先短い身にとっては、正月を迎えるめでたさといってもいい加減なものだが、それもまた自分にふさわしいものではないか」(学研全訳古語辞典)といったことらしいということがわかった。めでたさが「中ぐらい」ということではないというのである。

長野県信濃町柏原 俳諧寺
長野県信濃町柏原の俳諧寺
「ちうぐらい」とは、一茶が生まれ、そして終焉の地に選んだ北信濃の柏原あたりの方言で、「いい加減」とか「たいしたことはない」という意味だというのである。要は、皆んながめでたいめでたいという正月なんぞ、これまでのわが身を振り返ってみればどうってことではないと、少し投げやりな口調で詠った句であるということのようだ。

長野県信濃町柏原 小林一茶終焉の古宅
柏原の小林一茶が終焉をむかえた古宅

そうは言ったって2021年、いくら新型コロナが猛威を振るおうが、いい加減でどうってことのない年であっていいわけはない。何とか「中ぐらい」までには帳尻を合わせたいものだと願うところである。そこで、最後に正岡子規の句を紹介して、新年、丑年の初ブログの〆としたい。


「めでたさも一茶位や雑煮餅」


子規が先の一茶の句を「中ぐらい」と詠みなしてものした俳句である。

 

最後になったが、冒頭の鏡餅に供えた「摺袈裟(すりげさ)」は四国霊場第18番札所でのみいただけるレアもので、「袈裟曼荼羅(けさまんだら)」ともよばれるものである。

18番札所恩山寺の摺袈裟
これを「所持すれば、陀羅尼(仏様の功徳を説いた言葉)の功徳によって患っているいかなる病気も治癒し、滅罪生善(悪い事を良い事に変える)のためにはこれ以上の功徳あるものなし」と紹介されており、遍路人のなかでも「最強のお守り」として珍重されているものである。

そしてこのお守りの功徳はなんと一生続くというのだから、まさに最強、スーパーカリフラ・・・、そう、むか〜しメリーポピンズが“supercalifragilisticexpialidocious”、”スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス“と唱えて周囲を煙に巻いたあの魔法の言葉が脳裡に浮かんでくる。


なんだかこんな時代にはとてもぴったりくるお守り、いや魔法のおまじないの言葉のようなものだと感じたものだから、お正月にあたって鏡餅に添えて飾ってみました。そして皆さんにもこのご利益が一生涯にわたって届きますよう心から願っています。



2020年冬至 それでも、ゆず湯とかぼちゃ!!

とんでもない災禍の年がまずは終わりを告げようとしている。「まずは」と殊更に述べたのは、2020年という一年間はようやくおしまいとなるが、来たる2021年はのっけからコロナウイルスの脅威がおおいかぶさったままで明けて、どこまでこの苦難の道が続いてゆくのかがわからぬという意味合いである。

片倉城址公園の桜
片倉城址公園の桜
「明けましてもおめでたくない」、そんな息が詰まるような時間の流れのなかでも、春になれば桜前線が南から北へと列島を駆けあがっていったし、秋になると紅葉が北から南へ染め下り、山から里へと錦の帯を拡げて見せた。

四国遍路 焼山寺の秋
四国88か所 焼山寺の秋
そんな2020年という不本意な年にも、復活の日はまようことなく決然としてやってきた。


2020年12月21日、冬至の日。


わたしは例年通り、ゆず湯にずっぽり首までつかり、南瓜を大口開けてムシャムシャ食い尽くしてやった。

冬至のカボチャ
細君は夕刻になって柚子を買おうと近所のスーパーにいったのだが、たった4個しか残っていなかったという。悪辣極まりないコロナをぶっ飛ばそうと今年は盛大に柚子を放り込んでと目論んでいたが、他人様も考えることは同じなのか、わが家のゆず湯は数足らずでやや貧相なものとなってしまった。

2020年冬至 ゆず湯
でも物は考え様である。スーパーの柚子がなくなるほどに数多の家庭で柚子の香ばしい薫りを湯屋の窓から解き放ち、列島全体をすっぽり覆いつくしてやったのだと想うと、それはそれで痛快事であり、コロナの悪霊もきっと進軍の足音をひそめざるを得なかったに違いない。

令和元年、冬至 彦左の正眼、復活の日

これから太陽の光が強まってくる冬至の日に、ながらく休眠していた彦左の正眼を復活させることは自然の摂理にも適っていると・・・令和元年のどん詰まりになって思いなして、ブログ再開宣言をしよう。

空白の時間に充電していたはずの彦左である。またまた、縦横無尽に筆を走らせ、世相を切り取り、切り刻み、時に旅に出て、時に旨いものを喰らい・・・てな調子で・・・さぁ、はじまりだ!!

2017年の七草粥は風変り

2015年、すべてが遅れついでのお正月・・・でも・・・(2015.1.13)

2017年の七草粥は一風変わったものでした。


土鍋の蓋を開けて、あれっと声が出た。白いお粥に緑色の七草がと思い込んでいたわたしはびっくり。なんと、茶色のお粥でした。最初はお醤油か何かを加えているのかと思ったりしました。
2017年の七草がゆ
二人分はこんなに少ない量でした。お米一合弱だそうです。

訊いてみると、今年は茶粥にしてみたのだという。なんとまぁ、人騒がせな・・・。

でも、口にしてみると、これはこれで趣があってなかなか風変わりでよいものだと感じたところである。

今年、わたしは66歳になる。無病息災といっても自然と体力、抵抗力がなくなり、一年を通して無病息災などと啖呵を切れるほどの自信はない。安全速度で年相応の生き方をしていくしかないと考えている。
茶粥の七草粥
お茶碗に入れると結構な量になるんですね

近頃、高齢者を75歳以上と規定する案が検討されているというが、60歳を超えると体の劣化状態も人それぞれである。そんなことまで政府に決めてもらう必要などさらさらないと、少々、年季のいったおじさんは思ってみたりする正月七日の夜である。


2017年酉年、明けましておめでとうございます 彦左の正眼よろしく

いろいろあった昨年。今年は良い年であるように心よりお祈り申し上げ、皆様、明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます
こんなに青空いっぱいの年末年始というのは最近、覚えのないほどに素晴らしい天候に恵まれました。

元旦の空
初詣の武蔵の国一宮・小野神社の空です
2017年1月2日の三日月と一番星
1月2日の澄んだ夜空にはきれいな三日月に寄り添う金星が・・・

そんなまことにめでたい正月日和でありましたが、このわが家は30日から弟家族、息子家族が押し寄せ、正月3日まで、まぁ、にぎやかというより、喧騒のなかに悲鳴あり泣き声あり、叫び声ありの動物園状態のお正月でありました。

10人分のおせち
奥に裸のメグ人形や幼児用の椅子が散乱する正月の十人分のお膳です
3歳の孫に、2歳と7歳の姪が集った正月。おせちを肴にのんびりとしたお正月を過ごせたのもつい3,4年前まで。そのなかでも今年は2、3歳児の活躍がすさまじく、お屠蘇の儀式もそこそこ、お膳に雑煮がないのも、前もって配膳すると幼児がすぐにお椀をこぼしてしまうということで、正月の膳の写真を撮るのも未完成段階のものしかありません。

蜜柑の乗らぬ鏡餅
今年の鏡餅が小さくなったため、蜜柑が乗りません
いやぁ、冗談ではなくほんとうにせわしない元旦でありました。


でも、そんな日々が過ごせるのは幸せなことだとみんなが帰った後に、老夫婦二人は語り合ったものです。


今日はもう七草がゆ。今、家内が下で準備をしています。静かな七草がゆの夜が過ごせます。


明日は年始客の第一陣。六名の若人たちが参ります。これも恒例となった新年会ですが、わが家の餡餅入り雑煮を楽しみに毎年、やってきます。こうして、今年もにぎやかに楽しく新年の日々は過ぎていきます。


そんなこんなで、今年も「彦左の正眼」をよろしくお願いいたします。


2016年のNHK交響楽団の「第9・合唱」はブラボー!!

散々なお正月でしたが、彦左の正眼、今年もよろしく(2015.1.5)

2016年もNHK交響楽団による年末恒例のベートーヴェンの交響曲第9番の演奏会がやってきた。

N響第9コンサートのエンブレム
N響第9演奏会恒例の飾りつけ
今年はN響創立90周年の節目の年ということで、NHK放送文化賞を受賞し、NHK交響楽団から桂冠名誉指揮者の称号も授与されたヘルベルト・ブロムシュテット氏がタクトを振った。

N響90周年エンブレム
N響90周年のエンブレム
御年89歳の超高齢の指揮者だと知って、指揮台脇には途中休憩の椅子でも用意されているのではと思ったが、豈図らんや誰かが手を携えることもなく足取りも軽やかに矍鑠(かくしゃく)としたお姿で現れた。まことに失敬なことであったと反省している。

NHKホール
指揮台に椅子はない
そして、ブロムシュテット氏の「第9」はこの5年間通ったN響の「第9」演奏会のなかで最高のものであった。


終演後、家内も同様の感想を述べたので、素人ながらも互いに心に感じたところは一緒だったのであろう。

切れ味が鋭いというのとは少しニュアンスは異なるが、区切りの良い明快な演奏が心地よく感じられた。だから流れ出す音楽のなかにすんなりと没入できたような気がする。

23 第9演奏会PF
2016年パンフレット
わたしは第4楽章の冒頭あたりから実際に鳥肌が立っていたが、「東京オペラシンガーズ」の圧倒的な合唱が始まるや、いつしか目じりからうっすらと涙が滲みだして来た。高齢による涙腺のゆるみだけではなかろう、タクトが停止した瞬間、万雷の拍手はいつまでも鳴りやむことはなかった。

第9
今年の「第9」で特筆すべきはもちろん筆頭にヘルベルト・ブロムシュテット氏の派手さはないが静かななかにメリハリのついた名指揮ぶりがあげられる。


加えて、1992年、「世界的水準のコーラスを」との小澤征爾氏の要請を受けて結成された「東京オペラシンガーズ」の合唱が場内を揺るがす迫力はつわもののソリストたちが消し飛ぶほどの歌唱力であったと高く評価したい。

終演後の会場
終演後のNHKホール
もちろんバスのパク・ジョンミンはさすがという出来栄えであったし、ソプラノのシモーナ・シャトゥロヴァも素晴らしかったが、惜しむらくはテノールとメゾソプラノであったとの感想を抱いた。所詮、こんなものは“ど素人”の勝手な批評であるのでお許し願いたい。


そんなことで、2016年のN響コンサートも終わりをつげ、あとはいよいよ大晦日まで一週間を残すところとなった。


NHKホールを後にするころにはもう夕闇が迫っていたが、ホールの大きなガラス窓には茜色の夕空が映え淡いローズ色に染まっていたのが印象的であった。

コンサートを終えて
来年がこのような美しい彩りを装う年になりますようにと呟きながら、クリスマスの夜を演出するイルミネーション目当てで大勢の人が闊歩する表参道へと足を向けた。


12月21日、何はともあれ、冬至にゆず湯に入り、南瓜を喰らう

今年もはや冬至。恒例のゆず湯に入り、南瓜を喰らった。

柚子湯
ゆずの芳香がこれだけでも漂ってきました
風呂場に一歩足を踏み入れると柚子の香りが浴室いっぱいに漂っていた。湯船にゆっくり浸かり、手元に柚子を招き寄せ、その芳香を胸一杯に吸い込んだ。

柚子湯に入る
そんなさわやかな気分になれるのはこの小さな浴室の空間だけである。

 

世の中は宗教や文明の衝突を背景とした無差別テロが頻発する不安定な国際情勢や全世界的な格差社会の蔓延といったものだけではない、激越なと称してよい異常気象に象徴される自然秩序の地球的規模での崩壊といったこれまで人類が経験したことのない苛烈な時代へと突き進んだ2016年であった。

 

世界はまさに動乱の時代に入ったと思わざるを得ない

 

そんな憂鬱で重苦しい雰囲気の一年ではあったが、わが家はみんな大病を患うこともなく、何とか一年間を乗り切りそうである。

南瓜の煮物
冬至のカボチャの煮物
年末ジャンボを当たるはずはないからと購入することもなく、いつものように来年の年賀状のお年玉抽選だけを心待ちにする、平々凡々な大晦日が訪れようとしている。


老若の差こそあれ、今年も当たり前だが家族はみんな平等にひとつずつ年を重ねた。それぞれにいろいろと思うところは違っているのは当然だが、年の瀬から三が日にかけてわが家へ集合してくるいつもの年越しの時間がもうそこに近づいている。

冬至の野菜炒め
今年は野菜炒めにも南瓜の彩りが・・・
そうした何気ないことの繰り返しこそが、実は一番幸せなことだったのだと65歳の高齢者の仲間入りを果たしたころにようやく気づいてきた。


ずいぶんと奥手な高齢者であるが、まずはこの一年の残されたわずかな日々を無事に過ごし、新たな年を迎えられたらと心より願っている。


そして、このブログを訪れていただいた皆さんにも平穏無事な日々が続くことを祈って、今年の答辞、もとい、冬至の弁にしたいと思っている。



2016年祇園祭・後祭で大船鉾を見た 山鉾巡行一挙掲載!!

2014年祇園祭・山鉾巡行前祭(さきまつり)に興じる(2014.7.21)

(当ブログの写真の転用・二次利用を禁じます)


当ブログ、最近の記事は食う、喰う、食べるばかり、ここで少し伝統文化の話題でも。

2014年に初めて祇園祭を宵々山から堪能したことは2014年7月のブログに記載した。

その時、その年から半世紀ぶりに復活した後祭のためお目当ての山鉾巡行が従来の33基から前祭としての23基のみの見物となり、残念であった旨を記した。

1・後祭の山鉾ミニチュア
京都駅に展示された後祭の山鉾ミニチュア

そこで、今年は7月24日の後祭の10基の山鉾巡行、しかも150年ぶりに復活した大船鉾を見ることを楽しみに京都へやってきた。

2・大船鉾ミニチュア
大船鉾のミニチュア

後祭の山鉾巡行コ−スは17日に行われた前祭とは逆に、烏丸御池を東に向かってスタートし四条烏丸までのコースとなる。われわれは河原町御池の交差点に陣取り、巡行の行列を見物した。

3・河原町御池交差点
河原町御池の交差点 もうすぐ山鉾がやって来る

9時半に烏丸御池を出立し、予定では10時ころから順次、山鉾がわれわれの目の前で辻回しをやりながら通過することになっていた。


10時きっかり、時間通りに後祭巡行のトップバッターである橋弁慶山がやってきた。

4・10時に舁山(かきやま)橋弁慶山が来た
舁山・橋弁慶山がくじ取らずのトップバッター

後祭には舁山(かきやま)が7基巡行するが、この橋弁慶山は“くじ取らず”といって、毎年行われる巡行順番のくじを引くことなく、常にこの順位で巡行することをゆるされている町である。

5・五條の大橋の弁慶・牛若丸 橋弁慶山
五條の橋の弁慶・牛若丸

その代表的なものが祇園祭(前祭)の象徴的な鉾で必ず先頭で巡行する長刀鉾である。

6・祇園祭の象徴でもある長刀鉾
祇園祭の象徴、長刀鉾(2014年前祭)

その“くじ取らず”の山鉾が、後祭においては一番・橋弁慶山、2番・北観音山、6番南観音山、10番大船鉾の四基となっている。


ここで祇園祭をより楽しむための豆知識をひとつ。


祇園祭には山鉾33基が巡行するが、その内訳は鉾が10基、山が23基となっている。

鉾と山の違いだが、鉾は原則、屋根に真木という長い鉾を立てており、その頂きの鉾頭が疫病神を吸い取ると古来、信じられてきたという。鉾は2階建てでお囃子衆がのるほどの大型のものである。


山は鉾のかわりに真松と呼ばれる松の木をいただく。三基の曳山を除いては大型のものはない。

山は曳山と舁山にわかれるが、曳山が字義どおりに人々が綱を引き曳行し、そのため大きな車輪を有す。

また舁山は昔は人々が担いでいたが、近年は小さな車輪をつけて押して巡行する。曳山は前祭の岩戸山、後祭の北観音山・南観音山の三基のみで、残りが舁山20基となっている。


橋弁慶山につづいて飾り屋根を付けた曳山の北観音山が河原町御池の交差点へ入ってきた。

7・真松を立てた北観音山(曳山)
曳山・北観音山

一見すると鉾に見えるが、江戸時代後期・天保四年に山に飾り屋根をつけたのだという。堂々とした山である。そして、ここでこの大きな北観音山の力技、辻回しがある。

8・割竹を敷き、水を撒き、辻回し
辻回しの為の割竹を敷く

道に割竹を敷き、水を撒く。この上に大きな車輪を乗り上げ、人力で引っ張り九〇度の方向転換をするのだ。

9・力が入る辻回し
音頭取りが一斉に掛け声

曳山の先頭にのる音頭取りが扇を振り、声を振り絞って、辻回しに気合を入れる。9トンもの曳山がゆっくりと方向を変える。三回で90度まわせば普通。二度で回せば山鉾に負担はかかるが素晴らしい。四回は何をやっているんだ ( `―´)ということだと、沿道の通の人が教えてくれた。


そして、3回で無事辻回しを終えた北観音山はゆっくりと河原町通りを南下していった。

10・北観音山・辻回しが終わり、川町通りへ
これから河原町通りを四条河原町へ向かう

次に登場したのはかわいらしい浄妙山である。

11・舁山・浄妙山
浄妙山がやって来た

宇治川橋の合戦で繰り広げられた筒井浄妙と一来法師の先陣争いを題材とした人形が山を飾る。一来法師が浄妙の頭上を跳びこす様子や橋の欄干に幾本も刺さる矢がリアルである。

12・筒井浄妙の頭上を跳ぶ一来法師
宙を跳ぶ一来法師 宇治川の先陣争い

4番目に入ってきたのは役行者山である。

13・舁山 役行者山
舁山の役行者山が来た

修験道の祖である役小角をモチーフであることから法螺を吹く山伏たちが先導役を務める、京のビル街の辻に法螺貝のぶぉ〜という音が響き渡る。

14・法螺貝を吹きながら山伏が先導する
山を先導する山伏たち

山には左から一言主神、役行者、葛城神と人形がならぶ。

15・左から一言主神、役行者、葛城神
左から一言主神、役行者(洞の中)、葛城神

山が軽いこともあるが、辻回しを3回か4回行なうと、観衆から歓声と大きな拍手が起こった。担ぎ手に若い人が多いと小さな山でも見せ場はある。

16・役行者山の辻回し
拍手喝さいだった役行者山の辻回し

次に登場したのが黒主山。

17・舁山・黒主山
黒主山

六歌仙の一人、大伴黒主が桜の花を愛でる姿が山に載っている。

18・桜を仰ぎ見る大伴黒主
大伴黒主が桜を仰ぎ見る

そして、回数が少なく単調で、期待外れであった辻回しを終えた黒主山が河原町通りに入っていった。

19・黒主山の辻回し
ちょっと期待外れな辻回し

六番目に進んできたのが、曳山の南観音山。

20・曳山・南観音山
迫力のある南観音山

この南観音山は“下り観音山”と呼ばれ、“上り観音山”の北観音山と対となる曳山である。曳山の象徴である飾り屋根を備えた山はいかにも威風堂々の登場であった。

21・かざり屋根を付けた曳山・南観音山
曳山はやはりイイ!!

前後祭に祇園祭が別れるまでは、南観音山が巡行の最後を飾っていた格の高い?曳山である。お囃子衆がコンチキチンを奏でながら、辻回しを終えて、南下していく。

22・お囃子衆が乗る曳山
多くのお囃子衆が載る南観音山

7番目は鈴鹿山。

23・鈴鹿山
どこか静々と鈴鹿山が登場

瀬織津姫命の伝説をモチーフとした山で山鉾のなかで唯一の美女像となっている。

24・ご神体・瀬織津姫
ちょっと鳥居が邪魔だが、瀬織津姫である

ご神体人形の瀬織津姫命が山に立っている。

25・南観音山の後を追う鈴鹿山
鈴鹿山も河原町通りへ

次に八幡山が交差点へ入ってきた。

26・八幡山が入ってくる
八幡山

この山は神社の祠そのものを山に置くという大変変わった山である。石清水八幡宮から三条町へ勧請され、町内に祭られている八幡さまを祇園祭の山鉾巡行の日に限り、この山に遷座しお祀りしている。

27・遷座した金色の八幡宮
金色の祠である

云ってみれば、神社そのものを巡行させていることになる。山に置かれた八幡様が鎮座する祠は金色に輝いている。



後祭の巡行もいよいよ終盤。巡行9番目の鯉山がやってきた。

28・鯉山が登場
後祭巡行も9番目の鯉山はやって来た

黄河の難所、龍門の急流を登りきった鯉は龍となるという中国の故事をモチーフとしている。

全長1・5mになる木彫りの鯉は名工左甚五郎の作と伝えられている。

29・左甚五郎作と伝わる木彫りの鯉
傳左甚五郎作の木彫りの鯉

鯉山が河原町通りをゆっくりと南下していく後姿を眺めていると、沿道の観客からひときわ高い歓声が沸いた。

30・河原町通りを下る鯉山
鯉山も南へ下っていく

いよいよ後祭の殿(しんがり)を務める大船鉾の登場である。

31・大船鉾がやってきた
どよめきとともに登場する大船鉾

船鉾はそもそも、前祭の船鉾が神功皇后の新羅征伐にむけ出陣するさまを描き、後祭の船鉾は新羅から凱旋してくる船を表しており、二つの船鉾で物語として完結する形となっているという。

32・四条河原町で辻回しをする前祭の船鉾
2014年の前祭・四条河原町での船鉾の辻回し

幕末の禁門の変で焼失した大船鉾が150年ぶりに復活し、前後の祭りで古来の形式に復した姿を見物するが今回の大きな目的の一つであった。



われわれは大船鉾が復活した2014年、前祭の巡行を見物した翌日、くぎを一切使わず木と縄だけで鉾を組み立てる“縄がらみ”という技法を大船鉾の保存会・四条町で見学していた。

33・2014年大船鉾の鉾建て
2014年の大船鉾の鉾建て 地元TV局も取材

その年は舳先を飾る龍頭は未だ完成を見ておらず、この2016年に初めて大船鉾の舳先に龍頭が飾られるという。それもまた、楽しみであった。

34・大船鉾の登場
いよいよ目の前に大船鉾が・・・

目の前に現れた大船鉾は堂々としてまさに凱旋船と呼ぶに値する豪華さであった。

35・威風堂々の大船鉾
ワクワクするほどの大船鉾の威容である

その舳先を大きな龍がまた、見事というしかない。

36・舳先に龍頭
今年初めて取り付けられた見事な龍頭

保存会ではこの大船鉾の復興は引き続き継続されるのだという。

37・素晴らしい龍頭
白木の龍頭

見ての通り、まだ白木の部分が多く、この先数百年にわたり維持保存していくには漆塗りが必要とのことで、募金活動等今後も完全復活に向けた努力がなされてゆくという。

38・河原町通りを下る大船鉾
2016年祇園祭の後祭、山鉾巡行の見納め
大船鉾が川町通りに下がってゆくと、沿道の観客の群れが大きく崩れたが、後祭はこの後に花傘巡行が続くことを遠来の観光客はあまりご存じない様だ。10分もしないうちにその花傘巡行がやってきたが、その模様は次稿に譲りたい。


横手の“雪まつり” (2/2) 憧れの“かまくら”に游ぶ

アップ遅すぎ! 横手の“雪まつり” (1/2) 横手城・平安の風わたる公園(2015.3.25)

ドイツの建築家ブルーノ・タウトも絶賛したという“かまくら”は、水神様をまつる横手の小正月行事で、毎年2月15、16日の夜に行われる伝統行事である。

1・かまくらから漏れる橙色
羽黒町武家屋敷通り

わたしは今を去ること50数年前に小学館発行の小学一年生か二年生の記事で“かまくら”を知り、そして、雪国の生活に憧れた。その憧れた夢が叶ったのが、この日である。

2・プチかまくらが行燈のよう
武家屋敷の塀沿いにミニかまくらが並ぶ

古い伝統をもったものだとは思っていたが、今度訪ねて、びっくり。なんと420年の伝統を誇るというではないか。


武家社会では災難を除き子供の無事成長を祈り左義長のかまくらが行われたという。また、町人社会では町内の井戸のそばに雪穴を作り、水神様を祀り、良い水に恵まれるようにと祈ったのだという。

3・水神さまです
水神さまを祀ります

こうした子供を慈しむ心や自然信仰の合わさった素晴らしい習俗が、関ヶ原の戦いという天下分け目の大いくさの頃からはじまっているというのも、この日本、どうしてどうしてそう捨てたものでもないなと感じ入ったところである。


当日は、まず、タクシーで羽黒町武家屋敷跡へ向かった。そこから歩き出して、ぐるっと市内のかまくらを順番にのぞいてゆくことにした。

4・武家屋敷
武家屋敷

武家屋敷通りにはいると辺りは暗闇であったが、雪道をしばらく歩くと遠くに橙色の燈りが見える。かがり火が焚かれていた。

5・除雪したところにかがり火が
かがり火も焚かれています

しばらくゆくと小さな藁くつがおかれた“かまくら”から、「はいってたんせ」、「おがんでたんせ」という幼い声が聴こえる。小学生だろうか布で作った蓑帽子にちゃんちゃんこを着た少女二人とその母親らしき方が中へどうぞと招いてくれる。

6・お餅や甘酒のおもてなしを受けます
はいってたんせ!

「かまくらに入ってください」、「水神様をおがんでください」という意味だそうで、われわれも靴を脱ぎ、火鉢を囲ませていただいた。


そこで、甘酒やおもちに太巻き寿司がふるまわれたが、見ず知らずの人間と会話をし、こうしたご接待をする様子は何とも気持ちがすがすがしくなったものである。

7・焼いたお餅がふるまわれます

四国遍路のご接待文化やこの北国のおもてなし文化をみると、昨今の殺伐としたこの国、本当は優しい国民性をもった日本人がそもそもはたくさん生きているのだと思い直したところである。


羽黒町の突当りに横手南小学校があった。その校庭一面にはミニかまくらが作られ、それぞれに燈明が灯されている。まさに幻想的な光景である。二日ほど前に、ここがTVで紹介されたと家内が教えてくれた。なるほど絵になる景色である。

8・小学校の校庭に造られたかまくら

次にかまくら館近くにゆくと、元気の良い「はいってたんせ」が聴こえる。そこで、また、お邪魔をする。横手北中学校のバスケット部の二人である。新田由直君と藤坂月(るな)君である。

9・ガンバレ! 横手北中バスケット部

快活で素直な二人に、われわれ夫婦もなんだかほっこりして、お餅もすすみ会話も進む。愛らしい藤坂君が新田君はバスケの秋田県代表なのだとかで、そういわれてみるとずいぶんと背が高そうだ。


訊いてみると、183cmあるのだとか。まだまだ身長は伸びそうでこれは将来の全日本も何とかなりそうと考えた次第。そんな若人の夢を奪うような日本バスケットボール協会のゴタゴタ騒動、早く何とかせい!!と一喝せねばなるまい。横手北中バスケ部、頑張れ!! おじさんも応援してるぜ。


最後にホテルプラザアネックス横手前に作られた“かまくら”に寄って、そこでホテルの従業員の方々からトン汁をご馳走になり、二人のお腹はもういっぱい。

10・ホテル前のかまくら
炬燵で豚汁、おいしかったですよ

そして、早く温泉につかろうとホテルに戻り、横手の“かまくら”を愉しむ夜は天候にも恵まれ、人の温かい気持ちにも触れられた素晴らしい旅のひと夜となった。


そうそう、忘れてならないことがひとつ。ここ横手は恋人の聖地に認定されおり、ハート形の“かまくら”があったことを報告せねばならない。われわれもその中に入り、記念写真をパチリしました。

11・ハートのかまくらもありました
恋人の聖地です、みなさんもどうぞ

二日前はひどい吹雪でかまくらめぐりもそこそこにホテルに舞い戻るお客さんがたくさんいたというから、この雨男、今年の旅はひょっとして汚名返上となるかも知れぬと思ったものであります。


横手の皆様、ほんとうに素敵なおもてなし、ありがとうございました。



2015年、すべてが遅れついでのお正月・・・でも・・・

年末、年始を風邪に見まわれ、文字通りの寝正月となったわが家も、ここに来て、遅ればせのお正月気分を味わっている。


お腹の調子がようやく復した8日に一日遅れの七草粥をいただいた。

一日遅れの七草粥
七草粥は胃に優しいと本当に感じたひつじ年

ムカムカしていた胸にこの胃腸に優しい粥はやはり優れもの。何だか例年にない幸せを感じたものである。


そして、誰かが熱を出していたお正月。初詣などとても無理。外気を吸ったのは年賀状を取りに玄関を出たほんの10数秒というのだから、大変な正月であった。


そんな私たちも、やはり、初詣には行きたいねと、9日、地元の高幡不動尊へ久しぶりに出かけた。

高幡不動・初詣
高幡不動尊金剛寺

遅い遅い初詣であったが、人出は多くなく、ゆっくりとお参りが出来た。

不動堂・参拝
不動堂も9日ともなるとゆっくりお参りができます

お不動さんの三ヶ日は延々と参道に行列が出来て、とても私のような足の悪い人間はお詣りはむずかしい。またお年寄りも寒い中、一時間、二時間と行列に並ぶのは至難の業である。

五重塔
五重塔

そこで、ここ数年は人出の多いお不動さんを避けて、やはり近間にある武蔵国一宮・小野神社へ初参りするのが恒例となっていた。

2009年初詣
武蔵一之宮 小野神社

静かな境内に鈴の音が響く初詣は清々しい気分となり、一年の始まりに相応しい場所ではある。


ただ、根が食いしん坊の私どもにとって、惜しむらくは屋台が出ていないこと。

ここも年々、初詣客が増えてはいるが、屋台がでるほどの人出ではない。


ということで、お参りを済ませてから、境内をゆっくりと散策し、風が冷たい中、甘酒を二人ですすった。

屋台がまだ出ていました
境内にはまだ屋台が出ていました・・・ラッキー!!

最近の甘酒が美味しくなっていたのには驚いた。

甘酒 境内に建つ土方歳三像
高幡不動は土方歳三の菩提寺でもあります

もちろん、その前に、ちゃんとご本尊のお不動さんにも手を合わせてまいりました。

不動明王
奥殿に安置される不動明王

五重塔内に安置された観音様にもお賽銭をあげて、一年の家内安全家族の健康を祈願したので、何も食い意地だけではありません。

五重塔内・観音様にお参り

そして、冬の日もあっという間に傾いてきたので、三ヶ日の人出が引いたなかでの遅ればせの初詣もこれはこれで落ち着いていて、いいもんだなと感想を述べ合いながら、お持ち帰りの大きなたこ焼きを大事に懐に抱いて家路へと急いだ。


そして、この三連休に弟家族、息子夫婦もわが家へ押し寄せ、恒例の玄関にての記念写真を10日遅れで撮ったり、いつも通りのワイワイガヤガヤのお正月がやってきました。
そして、餡餅入りのお雑煮もまたいただきました。

餡餅入り雑煮
具の底に丸い餡餅があるのです・・・

胃腸も回復してのお雑煮、やはり、一味も二味も違う格別に美味しいお雑煮でした。


我が家も孫なども増えていつしか総勢10名となり、2015年も、まぁ、すべてが遅ればせではあったが、結果としてはいつも通りのお正月風景となりました。


健康第一!! 


それを肝に銘じて今年一年、楽しまねばと決意を新たにしたところであります。

散々なお正月でしたが、彦左の正眼、今年もよろしく

2016年のNHK交響楽団の「第9・合唱」はブラボー!!(2016.12.25)

我が夫婦の2014年はN響のニューイヤーで始まり、

3 N響ニューイヤーコンサート

そして、N響の第九演奏会で〆た・・・と悦に入った途端・・・

N響第九演奏会

散々な新年を迎える羽目となりました。


年末、フランソワ・グザヴィエ・ロト指揮によるN響の第九は圧巻であった。

NHKホール

2012年のロジャー・ノリントン指揮による何とも味気ない第九に失望していたわれわれとしては、今回の第九こそ、年末を締めくくるに相応しい演奏会であったと互いに満足して、代々木公園の夜道を家路へと急いだものである。


そんな翌々日、グループホームから一時帰宅した娘が急に体調を崩し、嘔吐。
O157ではないかと心配し、年末最終日の診察となった金曜日に病院へと駆け込む羽目に。


幸い、急性胃腸炎とのことでまずはひと安心。娘は2日間は絶食、その後も重湯からお粥と、徐々に平常食へと移行するようにとの指示。


そうしているうちに、今度、家内が具合が悪くなった。熱があるなかお節の用意を頑張るも、苦しそうで明日病院へ行こうとリタイア。


そして、30日、31日と病院通い。
これも幸いインフルエンザではなく、ほっとするも胸のむかつきが止まらず、熱も簡単には下がらない。急遽、年末年始をわが家で過ごす予定の息子夫婦、弟夫婦に断りの電話を入れる。


そして、久方ぶりの静かだが、ちょっと寂しい正月を迎えることとなった。

2014年正月
今年の鏡餅は手造りではありません・・・

元旦、簡単なお節でたった三人のお正月を祝うが、先の二人もまだ体調は十分には戻らず、今度はわたしが胸がむかつき、微熱が出てきて、こりゃ、大変と、元旦は昼過ぎに早々に床に就く始末。


箱根駅伝を毛布にくるまりながら応援したが、例年のように弟や息子とワイワイ言いながらの観戦ではなく、何とも味気ないし、食欲も、呑み気もまったくもようさない。


そして、ようやく、本日になり、体調も回復。家内も娘も平常に戻り、これから久方ぶりの御馳走をいただく。


昨年は旅行にコンサートに、美術展にと、忙しくも充実した日々を過ごしてきたが、最後の最後になって、全員ダウンといった惨状。


好事魔多しとはこのことである。そんな諺(ことわざ)を思い知らされた年末年始であった。


そんなこんな大忙し、気苦労の多い年越しではあったが、2015年が始まった。

今年、わたしも64歳になる。健康に人一倍気をつけて、でも、大好きな寺社巡りは、やはり、続けてゆきたい。


また、一年間、時折の躰のチューニングを怠ること無しにそろりそろりと人生を過ごしてゆこうと思っている。


今年も彦左の正眼をどうかご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。



平成26年12月22日、今年は朔旦冬至というのだそうだ

朔旦冬至(さくたんとうじ)とは陰暦11月1日(朔日)が冬至の日にあたることをいうのだそうだ。

柚子湯
香りがふわっと・・・朔旦冬至の日の柚子湯

冬至の日は、古代、弱まった太陽の力が復活する一年の始まり、つまり元旦を意味していた。

 

一方で、陰暦では、新月が現れる日がその月の最初の日(朔日)とされている。

 

太陽と月がそれぞれ復活する日が重なる時が19年に1回廻って来る。いわば、蘇りの力が倍増する日が19年に一度の朔旦冬至ということになる。

 

それゆえに、古来、宮中では、この朔旦冬至を瑞祥吉日として盛大にお祝いしたのだという。

冬至のカボチャ
甘いカボチャでした

我が家では、そうは言っても、いつも通りの柚子湯と南瓜で蘇りの儀式を慎ましく行いました。



今年もあっという間に・・・“施餓鬼会(せがきえ)”の日が来た

今年も我がお寺の施餓鬼会(せがきえ)が7月6日に行われた。


施餓鬼会を終えた本堂
施餓鬼会の行われる本堂

昨年のブログ(“施餓鬼会(せがきえ)が終わり、梅雨が明け、夏が来た”)を読むと、書き出しは次の如く。

「7月6日はわが家のお寺の“施餓鬼会”です。今年もその日がやって来た。
例年だと“施餓鬼会”は梅雨も真っ盛りの頃となるのだが、今年は関東甲信越の梅雨明け宣言が早々に出た日と重なった。東京の最高気温は33.7度。お寺へ向かう車中で外気温を見たら36度であったから、猛烈な暑さであったことは確かだ」


そう、2013年は7月6日が梅雨明けだったのですね。今年はまだまだ梅雨明けは先になりそうです。


そして、今日の最高気温は27.7度。蒸し暑い1日であったが、昨年よりは6度も低い気温。曇り空ということもあって意識するほどの日差しもなかった。


まぁ、施餓鬼日和?であったといってよい。


そんななか、日曜日ということもあり今年も多くの檀信徒が参列、本堂は立錐の余地もない。あふれた人は外の廻廊にて施餓鬼法要の読経の声を聴く。

まず、法要の前に恒例の法話がなされた。今年は真言宗智山派の大本山である高尾山薬王院修験部修験課課長である戸田令定(れいじょう)氏が講師として招かれていた。


戸田氏は新住職の中学、高校、大学のご学友ということで今年の法話の講師を引き受けられ、頭襟(ときん)を頭部につけ法螺貝を脇に抱えた山伏姿での登場であった。


演題は“山の魅力”。


不殺生戒、不偸盗戒といった仏教の十戒(じっかい)・“戒め”を、日常のなかで守ろうとする心の姿勢が大切であるとの内容。


“やってはならぬ”といっても人は過ちを起こす。仏教の十戒は文字通り“戒(いましめ)”であり、それを破った際の“律”すなわちペナルティはないということである。


“戒め”の“十戒”を頭の隅に留め、日々をおくる心づもりを忘れずに生きなさいということであったと理解した。

手前勝手な解釈であるが、仏教とは、ほんとうに凡人にはありがたい心弱きものにやさしい宗教であると感じたところである。


とくに俗世の垢に塗(まみ)れたわたしには何ともありがたい話にホッと胸をなでおろした次第であった。


そんな法話のあと、施餓鬼会の法要が粛々と執り行われた。

施餓鬼会・住職読経
新住職による施餓鬼会の法要

本堂内に共鳴する十数人の僧侶による読経はいつものことながら美しく、心に響く。


本堂内に設けられた施餓鬼棚は檀信徒の卒塔婆が立て掛けられ、その前で今年住職を退き、長老となられた前住職と息子さんの新住職が並んでお清めを行なう。

長老・住職の施餓鬼棚の浄め

そして、長老が椅子に坐られ経机に積まれた過去帳を一冊一冊、手に取りお香に翳し、頁をめくってゆく。

過去帳をめくる長老

彼岸に逝った一人ひとりの霊に施しを行なっているのである。


施餓鬼とは読んで字の如く、“餓鬼に施し、鳥類に施し、他人に施し”、まさに“情けは人の為ならず”の心なのだと、口のなかで念仏を唱えた。


法会もとどこおりなく終了。檀信徒は卒塔婆をいただき、各自の墓所へそれを立てるため本堂をあとにした。

お墓に卒塔婆を立てる
新しい卒塔婆を立てて、お参りする

つい先日と思った施餓鬼、もう今年の施餓鬼がやってきた。この齢になるとと、年寄り臭いことを言うが、年寄りなのだから許していただきたいが、ほんとうに一年が過ぎるのが速い、速すぎる・・・


来年はどんな速度でやってくるのだろうか。はたまた来年という年は私のうえにもひとしくやってくるのだろうか。そんな考えが脳中に去来した施餓鬼の一日ではあった。



世阿弥が配流された佐渡島で“天領佐渡両津薪能”にパルピテーション=佐渡の旅

流刑の地・佐渡で夢幻能を演じて見せた世阿弥を辿る=佐渡の旅
2014年6月9日、佐渡・大野亀はトビシマカンゾウが見頃でした

彦左の美術館=佐渡の幻想・大野亀
佐渡・“トキの森公園”で、朱鷺色?のトキに“トキ”めいた〜=佐渡の旅


六月七日、椎崎諏訪神社にて“天領佐渡両津薪能”に興じた。

薪能・花月

佐渡には神社の境内を中心に33もの能舞台が存在し、その数は日本全体の能舞台の1/3におよんでいる(新潟文化物語・佐渡の能)という。

2・大膳神社能舞台
大膳神社能舞台

佐渡がこれほど能に縁の深い土地となったのには、初代佐渡奉行となった大久保長安の貢献が大きい。

3・佐渡奉行所
佐渡奉行所

佐渡金山の生産量を飛躍的に伸張させた大久保長安であるが、大和の猿楽師の息子に生まれ、必然、能の愛好家でもあった。

4・佐渡金山・道遊の割戸
佐渡金山・道遊の割戸

それゆえ長安は佐渡に春日神社を建立し、大和から常太夫と杢太夫を招き、能を奉納した。その後、二人は佐渡(相川)に留まり、土地の人に能の手ほどきをしたと伝えられている。


当初は武士の間で能が楽しまれてきたが、孤島の佐渡では支配階級の武士の人数も少なく、任期も短いなか一国天領というのびのびとした国柄もあり、徐々に庶民が能に接するようになり、神社への奉納舞としての出自を背負ったこともあり、神事として領民の生活の一部ともなっていったものと考えられる。

29・ワキと地謡
地元の人による地謡とワキ

そうした経緯、背景から佐渡の人々にとっての“お能”は、単に受け身の観るものではなく、自らが舞い、謡(うた)い、囃(はや)す能動的なもので、まさに自らが能を演じる“演能”として育っていったのである。

30・囃方
囃方ももちろん地元の方々

能が最盛期となった幕末から明治、大正年間には、島内の能舞台は200を超えるほどの数となったということである。


現在に残っているのは33と大きく数を減らしているとはいえ、依然、日本全体の1/3の数を擁する能興行のメッカであると言ってよい。六月は週末ごと集中的に能が上演されており、週末に来島した観光客はどこかで能を鑑賞できることになっている。


6月7日(土)に“天領佐渡両津薪能”を椎崎諏訪神社で観覧した。

7・諏訪神社
椎崎諏訪神社

椎崎諏訪神社の境内にはりっぱな能舞台が常設されている。

10・椎崎諏訪神社・能舞台
椎崎諏訪神社能舞台

当日は境内内といってよい場所に立地するホテルを宿泊先としていた。薪能の開演は7時半ということで、まず賀茂湖を見下ろす露天風呂で一汗流し、荷物をホテル従業員に預けて、そのまま諏訪神社におもむく。

6・薪能案内板
薪能案内板

境内には能舞台前にブルーシートが敷かれ、その後ろに椅子席が設けられていた。観覧料はひとり五百円。

8・諏訪神社拝殿と薪能の見所
諏訪神社拝殿と見所

われわれは地の利を活かし、一時間少し前に席を確保した。椅子席の方が足腰には楽だし、能舞台の床、つまり演者の足元もよく見えるのでよいのだが、かぶりつき(下世話な言い方で失礼)で見ることなどそうそう機会はないということで、正面の階(きざはし)の真ん前に陣取った。

9・見所正面に陣取る
見所正面に陣取る

どっかとシートに腰を下ろし、開演までの一時間余を拝殿での参拝、舞台の見学、薪能の開演直前の段取り等を具に観察させてもらった。

11・火入れ式を待つ巫女さん
火入れ式を待つ巫女さん

七時半に近づくと、ぞくぞくと客が集合。旅館の送迎バスも繰出すなど、この演能月間が観光客に周知されていることを知る。


時間通りに開演するも、場内アナウンスで開演直前から強まってきた風の影響で、火入れ式は行わないという。火の粉がお客に降りかかるので説明されるが、わたしをはじめ観客ははしたなくも「えぇ〜!」と、ブーイングの声を上げた。


これでは薪能のあの幽玄の空気感が整わない・・・

佐渡まで来たのに・・・と、心中、恨み節でいっぱいである。


時折、強い風が境内の巨木の枝をご〜っと鳴らすなか、いよいよ開演である。

ふと頭を上げると西の上空に上弦の月が鮮やかに見えた。

12・上弦の月
上弦の月

天気は大丈夫そうだ。まず、能の前に仕舞が披露される。

切戸口から舞手と地謡が入場してくると、さすがに場内は一斉に鎮まり、舞台上に目が吸いつけられる。

高校生だろうか鈴木貴江さんが天鼓を舞う。

13・仕舞 天鼓

次に、福島かおりさんが山姥を舞う。

15・仕舞 山姥

両人ともその所作、構えと運びはりりしく、美しい。本格的に修行をされていると心から思った。

14・天鼓を舞う鈴木貴江さん

そして賀茂湖を渡る風が能舞台の演者と見所の観客を包み込むようで、一体感を感じる。

16・山姥を舞う福島かおりさん

厳粛な仕舞が終わる。暗くなった境内に咳(しわぶき)のひとつもない。


そこに風がおさまってきたので、薪に火をつけるという。場内に拍手が湧く。正式な火入れ式は残念ながら省略され、待機していた巫女さんもさぞ残念であったろうと思う。

32・篝火

それでも、松明を手にした古風な装束の火守り役の若者が二人、篝(かがり)に火を燈す。

17・薪能の篝火

炎が夜風に揺れ、火の粉が飛ぶ・・・やはり、薪能はこれでなくっちゃ・・・


薪能に興じる脇正面の観客
脇正面の観客も薪能に見入る

気分が盛り上がったところで、いよいよ能・“花月”の上演である。

19・シテの登場
シテの登場

 
“能・花月”は行方不明になった息子を探し、僧となって諸国をめぐる父(ワキ)が、都の清水寺の門前で喝食(かっしき)となった息子・花月(シテ)と再会する場面の遣り取りを描いた物語である。

20・シテと間の絡み
シテと間の絡み

出逢いを仲立ちした門前の男(間)が旅僧のために所望し、花月に恋の唄を詠わせ、弓矢の舞を舞わせる。

21・弓矢で・・・ 22・鶯に狙いをつけるも・・・

次いで、清水寺の縁起を曲舞で舞う、その演技は見物である。

23・曲舞を舞う 24・曲舞

そして、その間の遣り取りで親子と判って、花月が鞨鼓を打ち叩きながら天狗にさらわれてからの身の上話をする件(くだり)が能の最高潮の場面となる。

26・鞨鼓を打つ

能舞台の灯りと白洲の篝火と月明かりのみの闇のなか、自然の風が渡る神社の境内で繰り広げられる薪能・“花月”。

27・序破急の急

東京の国立能楽堂でのいわゆる職業能、玄人による能と比較しても、一歩も引けを取らぬ出来栄えであり、質である。

25・殺生を思いとどまる

もちろん、当方、能についてはズブの素人ではあるが、その全身で受け止めた“天領佐渡両津薪能”からのパルピテーションPalpitation)は、あきらかに国立能楽堂のエアコンの効いた人工的空間で受けたインパクトとは大きく異なるものであった。

28・終焉へ・・・

薪能が終了、演者が橋掛りから去り、切戸口に消え人影がなくなった能舞台。

31・余韻・・・

まだ灯りを燈され能舞台の明るさが、四囲に押し寄せた漆黒の闇に徐々に融け込んでゆく様子は人間世界の夢うつつの境の実相を顕わしているようでもあり、つい先ほどまで仄かに残された“生”の温かみが冷酷な “死”の世界に非情にも浸み出していっているようにも感じられた。


そんな人の“生き死に”の儚(はかな)さ、老いは確実に“生命”を切り刻んでいるという冷厳な現実を胸に秘め、ホテルまでのわずかな夜道を二人で黙然として戻っていった。






主人公の誕生を待つ端午の節句飾り=日本の伝統行事

近所で鯉のぼりを立てる家を見なくなって久しい。


よくテレビで川の両岸に綱を渡し、たくさんの鯉のぼりを泳がせる光景は見るが、個人の家で鯉のぼりを揚げているのを、ここ東京で目にすることはほとんどない。

岡山・吉備津彦神社の鯉のぼり
岡山・吉備津彦神社の鯉のぼり

都会の住宅事情があるのは分かるが、何とも味気ない世の中になったものだ。


そう言いながら、我が家も息子が30歳を越した今、鯉のぼりもないのは世の常識だが、孫でもできたらと密かに思っていたところ、初孫が女の子ときた。


そこで雛の初節句を3月に行ったことは、先般、当ブログにもアップしたところである。


5月は端午の節句。主人公の登場が待ち遠しい節句である。

端午の節句飾り

疾うに息子は嫁取りをし、家を離れており、さすがに鯉のぼりというわけにもいかないが、数年前から節句のお飾りだけはしようということになった。


何だかこの齢になってくると、日本の伝統といったものの良さが分って来たのか、各地の伝統の祭りや節句の風習など季節の行事に心を配るようになったのである。


ちょっと佇まいを正して物申すと、こうした伝統、日本人の心や精神文化を、我々の年代はとくに大切に後世に伝えてゆく責任があると考えている。


ただ、家内に訊いたところ、鯉のぼりに関しては、鯉のぼり自体は残してあるが、それを揚げる高いポールはかなり昔に捨ててしまったという。庭に地中に突き刺したポールの一部が錆びついて残っているのみだそうだ。


次に男の孫が出来たらよいなぁ、その時にはポールを買い直そうなどと思いながら、主人公を待つ鎧兜を一人眺めているわたしである。




初孫の初節句、2014年ひな祭りを祝う

今日は楽しいひな祭りである。

2014年ひな祭り

昨年末に生まれた初孫(女の子)の初節句を一日早い昨日、お祝いをした。弟一家も集まって、総勢9名の大人数でのお祝いであった。


お内裏様とお雛様

昨年までは、お雛様を飾っても、娘はほとんど無関心。夜の食事の時に、“わ〜ご馳走”と声を上げてくれるだけ。何とも甲斐のないひな祭りであった。


ところが、今年は初孫の初節句ということもあり、家内も力が入り、ちょちょっとちらし寿司の素を使ってなんて、手抜きはせずに本当の?手作りのちらし寿司を朝から準備。

定番のちらし寿司です
大好きな桜でんぶのかかった”ちらし寿司”

そして、小さいながらも尾頭付きの鯛の塩焼きに、これは大きな蛤のお吸い物。

初節句のごちそうです ちらし寿司と蛤のお吸い物

 みんなテーブルについて、おめでとうと声をそろえて、料理に舌鼓を打つ。


ふっと気づくと、座卓の横に寝せられた孫は、不思議そうにこの大賑わいの光景を畳表の視線で眺めていた。


“そうだったね。君のためのお祝いだったね”と、みんなに注意喚起しても、“そう言えば、本人、まだ、分からないもんね・・・”と一応の相槌を打つものの、テーブルのお皿に箸を伸ばすことのほうに余念がない。


そして、“お腹いっぱいだけど、ケーキのためにお腹を空けときゃなか”と、もう、デザートに食欲脳は全開である。


形だけの、これはケーキ屋さんで求めた小さなデコレーションケーキを食べる。

ひな祭りのケーキ

 そして、タイミングよく長崎の叔母より初節句のお祝いにと長崎名物の“桃カステラ”が贈られてきた。


長崎は中国と縁が深い街である。

岩永梅寿軒・桃カステラ


中国で桃は“長寿の実”、“難除けの実”として縁起の良いものとされているが、『桃の節句』に因み、長崎らしく南蛮渡来のカステラの上に桃の意匠を凝らした砂糖をコーティングした“桃カステラ”という祝い菓子を初節句のお返しに贈るのが、いつの頃からかの風習となっているのだそうだ。


これはさすがにもうみんなお腹いっぱいで、お持ち帰りで各自、自宅でいただくこととなった。


下の写真は本日、3月3日に家内と二人でいただく際に、撮った写真である。

カステラの上に桃の意匠の砂糖のコーティング 桃の節句の意匠

そして、もうひとつ、下の写真は4年前に贈っていただいた桃カステラと桃饅頭である。饅頭もあるのである。

2010年桃饅頭 2010年桃カステラ
左:桃まんじゅう              右:桃カステラ

こうした風習がいつ頃から長崎に根付いたのか不明であるが、まぁ、何とも風流ではある。そして、これって、お祝いをいただいた当方が、本来、叔母に贈らねばならぬものなのだが、まぁ、そこは、親戚の誼(よしみ)で勘弁願うとしよう。

おいしかったねぇ・・・

でも、あの初孫の“なに、あなたたち浮かれてるの”ってな無垢な眼差しは、いやぁ、なかなか大人の無節操さを、それも純な心で問いかけているようで、思い出すと、少々、赤面の至りではある。


2014年節分・鬼は外、福はうち!!

早いもので、もう今年も節分。

福豆

明日は立春である。

今日は4月上旬の温かさ、でも、立春の明日は雪が降るとの予報。最近の気温の変動は何とも年寄り泣かせである。


夫婦二人となってしまったわが家で、今年も豆まき。


家内が“豆まき、やる?”と訊くので、“もちろん”と応えた。


そして、“鬼はそと〜”と大声張り上げた。

そして、あとの掃除が大変だからと、例年、控えめに撒いていた豆を、今年は思いっきり、“福はうち〜!!”とやった。

豆を多く撒かないから、いつもジャンボ宝くじが当たらないんだよと、二人納得顔で撒いたのが、下の写真。

福はうち!


やはり、あとの掃除が・・・と躊躇したのかなぁ・・・豆・・・少なすぎ・だよね・・

何だか、今年も宝くじはダメそうですね・・・


でも、鬼は外!だけは豪快にやった。

まぁ、健康第一で一年が過ごせればいいよねと、またまた、二人で納得。


去年はこれより豆が少なかったかなぁ・・・


それでも、二人健康で過ごせたのが何よりだったのだから・・・・・・

 

2013年も早いこと! すでに冬至も過ぎて・・・ブログアップ、頑張る彦左!!

12月22日、2013年の冬至の日。


いつものように“ゆず湯”に入り、

2013年冬至の湯

そして、ビタミンB豊富なカボチャの煮つけを食べる。

冬至のカボチャ

「ほんのこの前だったよね、冬至」と、たった二人きりの食卓で家内と話し合う。

 ほんとに、この頃、月日の経つのが早いと感じる。


最近、ちょっとこのブログ更新をさぼりまくり、高齢の・・・、もとい、恒例の人間ドックも昨日の胃カメラで二人とも無事終了、ようやく、わたしは今年中にアップすべき記事をこれから、シャカリキになって作成することに、そして、家内はおせち料理の準備に本格的に取りかかることとなりました。


あぁ、本当にこの一年、早かったなぁ・・・

でも、家族みんなが健康で一年過ごせたことは、何よりも幸せなことであったと心から思っている。


さぁ!! 🎶 “あ〜といくつ寝〜るとお正月♬♬”で、さぁ、アップし忘れのブログ、頑張るぞ!!


 

施餓鬼会(せがきえ)が終わり、梅雨が明け、夏が来た。

7月6日はわが家のお寺の“施餓鬼会”です。今年もその日がやって来た。

例年だと“施餓鬼会”は梅雨も真っ盛りの頃となるのだが、今年は関東甲信越の梅雨明け宣言が早々に出た日と重なった。


東京の最高気温は33.7度。お寺へ向かう車中で外気温を見たら36度であったから、猛烈な暑さであったことは確かだ。


そんな猛暑の一日、施餓鬼の法会に参加した。

法要が行われる本堂
施餓鬼の法会が営まれる本堂

物の本によれば、“施餓鬼会”とは限りない物欲を象徴している餓鬼に施しをする法要のこととある。人間誰しも心の中に餓鬼が棲んでおり、餓鬼に支配されていると、気づかぬうちに人は自分本位に走ったり、人を差別したり、傷つけたりしているという。

施餓鬼法会を修すご住職
施餓鬼の法会を修するご住職

そこでお釈迦さまが、物欲に支配された醜い心を洗い、清らかにしていく手だてとして、施しすなわち布施の修行として諭したのが“餓鬼に施しをする”、即ち、“施餓鬼”なのだそうだ。

施餓鬼の法会
施餓鬼の法会

そしてそれは同時に知らず知らずに餓鬼道に落ちているかもしれぬ我が親、ご先祖さまを救うことでもあるという。


この日もお坊様方10数名により、餓鬼道に苦しむ餓鬼のみならず、無縁仏や三界万霊に施しをする法要が営まれた。あわせて東日本大震災の被災者および檀信徒の先祖の供養も行われた。

散華をする僧侶たち
散華する僧侶たち

途中、われわれも大きな声で般若心経を唱和し、物欲とくに食欲にまみれたわが身を浄め、またあらたな一年を過ごせますようにと、専心祈りに集中する。


そして読経のなかわれわれは堂内に設えられた施餓鬼棚の前に立ち、焼香をすませる。

読経のなか施餓鬼棚へ順次焼香
施餓鬼棚でわれわれが順に焼香します

最後に、ご住職が施餓鬼棚へ向かい諸々の供養をされて、施餓鬼法会は終了となる。

施餓鬼棚で供養するご住職

そして副住職から手渡される真新しい卒塔婆を持ち、われわれはお墓へと散じる。

各々のお墓に卒塔婆を立てにゆく檀信徒 ご先祖様にお参りする人々

墓石もこの暑さにはさすがにうだっているようで、柄杓でお水を頭から何杯も掛けてあげると、どこかお墓全体がほっとしたように見えたのも、気のせいだけではなかったような気がした。


方々のお墓でも檀家の方々が卒塔婆を立て、手を合わせ、ご先祖の霊を祀っていた。


こうして今年の施餓鬼も終わり、梅雨も半ばを過ぎ・・・ではなく、早々に明け、本格的な夏の足音がすぐそこに聴こえはじめた。

梅雨明けの空

線香の煙が立ち昇るのにつられ頭上を仰ぎ見ると、青い空が薄雲をとぎれとぎれに流し、真夏の顔を垣間見せていたのである。

本日は端午の節句、天気晴朗なり!

本日は2013年の端午の節句。天気晴朗です。


子供の日、快晴です

このGWの後半、息子夫妻が訪ねて来るというので、家内が端午の節句の飾りつけをしてお迎えをしました。


端午の節句


ところが、息子からは取り立てた感想はなく・・・(´;ω;`) 、まぁ、子供じゃないしねと老夫婦は渋々納得!!

鯉のぼりはもう棹は棄ててしまったとかで、それが五月の空に泳ぐこともない。


なんか、昭和は遠くなりにけりってな気分になりましたなぁ〜。何しろ、横に飾ってある花も、日本の菖蒲ではなく、庭のジャーマンアイリスで代用しているのだから、どっちもどっちってとこかな。


それでも、久しぶりに家内が“菖蒲湯”の準備をしてくれていた。この菖蒲はいわゆる鑑賞用の花菖蒲ではなく、葉菖蒲というサトイウモ科の植物なのだそうだ。へぇ〜!と感心したところである。


菖蒲湯
そして子供の日ならぬ、老人の日を一番風呂につかりながら、無病息災を念じたわたしでありました。気持ちよかったぁ〜!!

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