彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

京都グルメ

京都通が通う亀屋良永で御池煎餅、買っていたぁ!!

2022.9.4掲載のブログ・「京都通が知る亀屋良永で清涼感溢れる葛羊羹・白瀧を買ったぁ!!」において、わたしは亀屋良永の紹介文で「次は亀屋良永の代表的銘菓である「御池煎餅」にチャレンジしたいと思っている」という言葉で結んでいた。

亀屋良永 扁額
亀屋良永の扁額
先日、細君がわたしのブログを読んだとみえて、「亀屋良永の御池煎餅に次はチャレンジしたいって書いてたけど、また、仏さま、ちゃんと拝んでいないんじゃない?」という。

耳に痛いいつもの小言である。

亀屋良永 御池煎餅
亀屋良永の御池煎餅
「どうして」と訊き返すと、「御池煎餅、仏さまにお供えしてあるのに」と、さらりとのたまう。

「え〜っ!」と、親不孝のわたしは呆けたように口をあんぐりとあけるしかない。

店内ショーケース
ショーケースに御池煎餅
わたしとて仏壇を蔑ろにしているわけではない。

朝起きて食卓上の菓子盆に「おめざ」が置かれていないときは、必ず仏壇のお供えから賞味期限の間近なものを選び失敬するのがルーティンであるからして、決して仏さまを粗末に扱っているわけではない。

「おりん」を一回、チーンと鳴らしご挨拶してから菓子をいただく。

ちゃんと仁義はきっているつもりだ。

そんな朝の勤行を務めているにもかかわらず、あの丸いスチール缶に気づくことはなかった。

海苔かお茶の丸缶くらいに思ったのか、どちらにせよまったく気づいていないのである。

だからこそ、目の前に版画家の棟方志功氏独特のデザインのラベルが刷られた御池煎餅の丸缶を見せられた時の嬉しさは一入(ひとしお)であった。

⓪版画家棟方志功のラベル 御池煎餅
棟方志功氏作のラベルのスチール缶
そして感を触って気づいたのだが、棟方志功氏のラベル、紙ラベルを貼ってあるのかと思いきや、直接スチール缶に印刷しているのには驚いた。

こんなトリビアを付け加えることで、先日のブログと併せて亀屋良永の紹介は完結ということにしたい。

そんな顛末をもつ御池煎餅であるが、米粉を原料とした蜜をうすく刷いた麩焼煎餅である。

ふんわりした歯ざわりとほのかな甘みが絶妙な煎餅である。

御池煎餅の亀甲紋様
麩焼き煎餅
敢えて難を言うとすれば、「カルビーかっぱえびせん」ではないが、食べ始めると『やめられない、とまらない』ので、ひと缶22枚入りというのではあっという間に缶の底をのぞき込む羽目になるということ。

御池煎餅 亀屋良永
やめられない、とまらない御池煎餅
御池煎餅をお買い求めの際にはそこのところくれぐれも御用心、御用心。

京都通が知る亀屋良永で清涼感溢れる葛羊羹・白瀧を買ったぁ!!

麸屋町通りの京扇の老舗、白竹堂へ娘に頼まれて扇を買いに行った。

⓪白竹堂
麸屋町通りにある京扇の老舗・白竹堂
御池通りからお店が並ぶ寺町へ入り、途中から西に入り麩屋町通りにぶつかろうと思ったのだ。

ところが、寺町通りの入口には天保3年(1832年)創業の亀屋良永がぱっくりと口を開けてわたしを待ち受けていた。幸い開店の10時少し前であったため難なく通り過ぎ、お目当ての白竹堂本店まで一目散。

途中から麸屋町通りに入ると、炭屋旅館があったので細君を門前に立たせ、いかにもいま高級旅館の炭屋さんから出てきた風のスナップショットを撮った。

炭屋旅館
いかにも高級そうな炭屋旅館
古希を過ぎた翁と媼も童心に戻るときもある、ちょっとした遊心である。


目的の白竹堂は享保三年(1718)、八代将軍徳川吉宗の時代の創業で、三百余年の歴史を有す京扇の老舗である。

開店と同時に暖簾をくぐり、一本の扇をもとめ入念に吟味した。

⓪富岡鉄斎揮毫の扁額
富岡鉄斎揮毫の扁額
お店の女性がこちらの好みにあった扇子をいくつか見せてくれた。

どれも素敵ないかにも京都の薫りをくゆらせる扇である。

そのなかの桜を意匠とした一本を購入することにした。

桜の花びらが意匠された白竹堂の扇子
桜が扇面・親骨・仲骨にもあしらわれた女性らしい京扇子

白竹堂では親骨の裏側に名前を刻んでくれるサービスがあった。

娘の喜ぶ姿見たさに、お店の方に勧められ、即行でお願いする自分に父親の威厳の欠片もなく、ほとほとなさけないと思ったものだ。

白竹堂購入の扇子
白竹堂の京扇子
桐箱に入った扇子の写真をと思ったが、娘はさっさとグループホームへと持ち去ってしまい、今度、持ってきてもらい写真を撮らせてもらうことにした。

桐箱に入れられた京扇子
撮りました、写真!
さて、重要なミッションを終えたわれらはホテルへ戻ることになったが、細君は通ったことのない道筋を歩いてみたいと往路と異なる筋を選ぼうとする。

ところが私の脳内にはあのお店、もう開店しているはず、「そうはさせじ」と微妙に通りを選んで戻ろうとがんばる。

その駆け引きやまことに達人の技。古希を超えてこそなせる熟達の技といってよい。何せ自然に、いかにも偶々といった感じでそこの前を通らなければならないのだから・・・

そして、シャッターがあがった亀屋良永の前を偶然、通りかかった・・・のである。

亀屋良永 店構え
亀屋良永
「買って帰る?」と、細君が訊く。

「うん」と、ほんとうは欣喜雀躍の態でスキップしながら入るところ、ひと呼吸おいて悠然と足を踏み入れた。

店内は広くはないが、菓子の種類は多い。目移りする。

おいしそうな菓子がならぶ
ショーケースにはたくさんの京菓子が・・・
六代目当主の下邑修さんが出てこられて、これおいしいですよと試食もすすめてくれて、もうお買い物モードは全開。

このアットホームな雰囲気・・・タマラン!!

そこで、目に付いた菓子を三種類買ってしまった。

細君も人が悪い。二品ですまそうとぐっと我慢していたが、「これなんかどう?」と悪魔の囁き、いや、天使の囁き。

もちろん、即行、頷いた。

そして、購入した三品が次なる銘菓である。

第一にわたしの大好きな落雁。

和三盆の落雁 月
桂離宮の襖の引手を模した落雁
月の名所である桂離宮の月の形状をデフォルメした襖の引手を模した餡入りの和三盆使用の落雁、「月」である。


和三盆を使った落雁 月
和三盆の上品な甘味がきいた落雁である。

亀屋良永 茶菓と落雁・月
落雁のなかに餡子が・・・
次に「茶果」という、江戸時代の禅僧で画家でもあった仙冢他阿痢△□の図案をモチーフにした儚いくらいに薄く焼かれたウエハースのような食感を醸す餡をうすく挟んだお薄色と白色のせんべいである。

茶果 仙崖禅師の墨跡とともに
茶果 揮毫は仙崖禅師
表面には△と□が刻印されているが、〇はせんべいそのものの形ということなのだそうだ。

茶菓の中身
餡子が上品
最後に猛暑の夏にぜひお薦めなのが、「白瀧」といかにも涼やかな名をもつ葛羊羹である。

葛羊羹・白瀧
葛羊羹 白瀧
半透明の葛羊羹のなかにブルーの小さなサイコロのような寒天が散りばめられ、あたかも流れ落ちる水色の瀧と瀑布に煙る白い霧と飛沫が目に浮かび、口に入れると今度は滝壷のマイナスイオンが口腔から胃の腑へと沁みわたってゆく。

竹皮のなかに白瀧
竹皮に包まれた葛羊羹
屋内にて一瞬にして山深い瀧のほとりに立つようで、その爽快感は別格である。殊に冷やされた「白瀧」は絶品である。

夏に涼し気な白瀧
寒天のブルーが涼やか
亀屋良永の菓子は味の上品さはもちろんだが、「月」といい、「茶果」といい、その意匠に優れたものを感じた。

次は亀屋良永の代表的銘菓である「御池煎餅」にチャレンジしたいと思っている。


最後に「かめやよしなが」という同じ音読する京菓子の老舗がもう一軒ある。以前にブログで紹介した、昭和17年、京の菓子作りの伝統を後世に残さんと、時の京都府が砂糖など特別の配給を行ない保護した「和菓子特殊銘柄18品」のひとつ「烏羽玉(うばたま)」を今に伝える享和三年(1803年)創業の亀屋である。

亀屋良長店内
亀屋良長の店内
同店は四条堀川の交差点から東に一筋目の醒ヶ井(さめがい)通りと四条通りのぶつかる角に店を構えているが、この良永と源は異にするという。
ただ亀屋良永といい、亀屋良長といい、両店とも京菓子の伝統を上手に現代に伝え、そのなかで巧みにモダンを絡めとって続く世にも伝承していく、老舗と呼ばれるお店に共通する「しぶとい商い」の神髄を垣間見るようでもあり、京扇の白竹堂も同様であるが今を逞しく生きてゆく老舗とはまことに興味深い存在だと感じ入ったものだ。

東本願寺南端、名代おはぎ松屋の巨大おはぎは甘党の夢!!

東本願寺(おひがしさん)の御影堂門を出て烏丸通を京都駅へと南下し、東本願寺の東南角、烏丸七条交差点をわたった右手に京菓子司・松屋製菓がある。

東本願寺・御影堂
東本願寺・御影堂
京都では歴史は浅く新参者の昭和二〇年一二月の創業である。

「名物おはぎ松屋」と書かれた暖簾がかかる店頭には、「名代おはぎ」と記されたショーケースが置かれている。

名物おはぎ松屋の暖簾
名物おはぎの暖簾がかかる
覗き込むと大きな「おはぎ」というより「あんこの塊」が紙箱に無造作に入れられているだけに見えた。

そのときの時刻は、新幹線のぞみの出発時刻まであと1時間の正午前。

駅弁を買ってお昼にするつもりだが、この「巨大おはぎ」、いや、「巨大あんこ」はあまりにも魅力的である。

京の暑さにやられたのか、ついふらふらと店内に入ってしまった。

2022.8.27 おはぎ松屋
つい、入ってしまった松屋
そして気づいた時には、「おはぎ、ひとつください」と夢遊病者のように口の端から言の葉が跳び出していた。

「330円です」

「お箸、入れますか?」

「お願いします」

と、商いの遣り取りはよどみない鴨川の流れのように終わった。

そしてわたしの手元には巨大おはぎの入った正方形の紙箱がぶら下がっていた。

その間、ほんの数分の真夏の出来事であった。

後に調べたら、おはぎの重さはおよそ250gはあるというではないか。

大きいはずである。

東本願寺菊の門
東本願寺・菊の門
新幹線内で食べようと思い描いたとき、口咥内には唾がじわっと充ちてきた。

だが、ランチには品数も量も多い特製幕の内弁当を購入してしまった。

おはぎにまでわたしの食慾はゆきつかない。

よって自宅までブラリブラリと袋が振り乱された結果、紙箱のふたを開けたときの無残な姿のおはぎの写真はない。

名代おはぎ 成分表
箱の包み紙にあった成分表
細君にお皿に盛り付けを頼み、撮った写真がこれである。

2022.8.27 名代おはぎ 松屋
おはぎ、調えました!! 横の百円玉と大きさを比較してください
真横から見ると、餡子の盛り上がりといおうか、豪気な餡子のおふるまいが何とも言えず、甘党には堪えられぬ様子なのである。

餡子の盛りは半端ない!
このあんこの盛り上がり、堪らぬ!!!
写真を撮ってから遅いおやつということで、一日早く京都を発っていた細君にもおはぎの容姿を調えてくれた功績としてチョピッとお裾分けをしてあげた。

そういうことなら、二個入りを買ってくればよかったと思ったものだ。

東本願寺 御影堂門と京都タワー
東本願寺御影堂門と京都タワー
わたしはその日、地下鉄烏丸線の五条駅からお東さんをお詣りし、京都駅を目指したのだが、「巨大おはぎ」を入手するだけであれば、京都駅から400mほど北上してゆくのが便利である。

餡子好きには堪らぬ「京風のお澄ましをせぬ、松屋の巨大おはぎ」、騙されたと思って、ぜひ、食されよ!!

初夏の京都グルメ旅 三日目その3 グルメ旅の大トリ・割烹まつおか

京都グルメ旅の最後の晩餐に用意したのが、「割烹まつおか」である。

割烹まつおか
割烹まつおか
木屋町通りの名店「割烹やました」で揚げ方・焼き方を担っていた松岡さんの知己を得てからもう20年が過ぎようとしている。

2009.10.15 割烹やました 松岡さん
2009年、割烹やましたで松岡英雄氏
昨年8月に寄ったとき、オーナーシェフ、いや大将の松岡英雄氏とその付き合いも20年ほどになると語り合ったところだ。

2021.8.3 割烹まつおか
2021年8月、割烹まつおかで松岡英雄氏
さて、此度は長崎の叔母やその娘夫妻を案内しての京都グルメ旅となったが、その大トリを「割烹まつおか」で飾ることができたのは幸いであった。

当日、割烹というスタイルの料理屋は初めてだという長崎組を松岡さんはもちろん、大槻さんはじめスタッフの皆さんは一丸となっておもてなしをいただいた。

割烹まつおか 大槻敬之さん
大槻敬之さん
食材の説明から調理法まで丁寧にご教授いただき、お客どもは大満足。

こざっぱりと飾られた先付にはじまり、まずは軽いジャブ!

先付
先付
最近よくお願いするカワハギの薄造り、これはみんなに変わっていると好評。

カワハギの薄造り
カワハギの薄造り
それからどういった話からそうなったのか分らぬが、ウニが大好きという女性陣のために、淡路島産と北海道産のウニの豪勢な競演を演出してくれた。

淡路島産と北海道産のウニの食べ比べ
豪勢な盛り付け
箱ごと盛り付けを匙で掬って口に運ぶ、女性陣の嬉しそうな顔と言ったらなかった。やはり笑顔はいいものだ。

ちょこっと、この私もお裾分けをいただいた。おいしかった。私は淡路産より北海道産の方が好みだったように思えた。

私にもお裾分け
ウニのお裾分け・・・おいしかった
その後も当方の食慾と好奇心に応えるように次々と食材を繰り出し、調理法も飽きが来ぬように目先を変えて料理を供してくる。

車海老の立派に奴があったので、塩焼きにしてもらう。

海老塩焼き
この反りをだすのが肝だとか・・・
そう言えば、この姿焼の調理法を根掘り葉掘り訊ねていたが、その後、長崎で調理してみたのだろうか・・・

人数が多いと便利なのは、種類を多く頼んで、それを小分けにしていろんな料理をたのしめる。

もちろん、これって板場は手間がかかり大変。

それを楽しそうにやってくれる「割烹まつおか」に従妹たちは大満足。

そうこうしていると、誰が頼んだのか山菜と海老の天ぷらがでてきた。

山菜と海老の天ぷら
山菜と海老の天ぷら
そして、これはわたしがお願いしたのだが、牛肉の炭火焼。

牛肉の炭火焼
このお肉、本当においしい
「割烹やました」同様、まつおかも肉料理とワインが実はおいしいのだ。

それに春の定番、鰆の西京焼きは飽きがきたとか生意気をいったところ、松岡君はこれも西京焼きによく合うのだ、ふっくらと焼けた魚を供してくれた。

謎の魚の西京焼き
このお魚、何だったけかな・・・
ほっこりとしてとてもおいしかったのだが、魚名を失念した。

今度、訊いておこう。

酒のアテに魚の骨の唐揚げが出てきた。

骨の唐揚げ
始末の一皿
そして、小魚、名前は確か・・・忘れた・・・南蛮漬け。

小魚の南蛮漬け
酒のアテに南蛮漬け
多彩な味と調理法により、食慾が衰えないのには驚いた。

日頃、小食で有名な叔母も出された料理に箸をつけていたのはびっくりした。

「割烹まつおか」、おそるべしである!!

最後にサクランボと西瓜のデザートが出てきて、これもおいしいおいしいとにぎやかに京都の最後の夜の晩餐会は終焉を迎えた。

松岡君を入れてみんなで記念写真を撮るのに忙しく、デザートの写真は撮り忘れた。

それと、わたしは独り、岩ガキを頼んでいたことを写真を整理していて思い出した。岩ガキの殻の写真が残されていた・・・

よくぞこれだけの料理を食べつくしたものであると、今になって驚いている。

そして従妹たちは「割烹まつおか」は「これまで経験してきた食の世界で最高!!」と、大将に激賞の言葉を残し、塒(ねぐら)へと戻っていった・・・

もちろん、案内したわたしは鼻高々であったことはいうまでもない。

初夏の京都グルメ旅 三日目その2 奥嵯峨にある二つの念仏寺

此度、初めて知ったのだが、奥嵯峨に念仏寺は二寺あり、それもお昼をいただいた平野屋を挟んで南北に各々300mほどの距離の場所に位置していた。

2022.5.16 平野屋
白洲正子が愛した鮎茶屋・平野屋
化野(あだしの)の念仏寺は境内に広がる無縁仏の光景であまりにも有名だが、今度初めて訪ねる愛宕(おたぎ)の念仏寺を訪ねた人はあまり多くないのではなかろうか。

化野念仏寺 無縁仏
化野(あだしの)の念仏寺の西院の河原
仁和寺から平野屋へのルートをGOOGLE MAPで調べていた際にわたしは念仏寺が化野のほかにもうひとつあることを知り、興味を抱いた。

そこで、まず平野屋前の愛宕街道を奥へほんの少しゆくと天台宗寺院である愛宕(おたぎ)の念仏寺がある。

愛宕念仏寺・ふれあい観音堂と本堂
愛宕(おだき)の念仏寺 手前 ふれ愛観音堂 奥 本堂
細い坂道を登った先の小高い丘の上にわずかな平坦地がある。

そこに小さな御堂が建っていた。

愛宕(おたぎ)念仏寺・本堂と石像群
本堂と羅漢像
本堂は鎌倉の質朴さそのままのたたずまいで建っている。

鎌倉中期の建造となり、重要文化財に指定されているという。

ひんやりとした堂内に足を踏み入れると、雪洞の灯りのなかに浮かぶようにご本尊の千手観音像が安置されている。

愛宕念仏寺 二重折り上げ格天井の本堂
粛然とする本堂内
森閑とした山気のなかで手を合わせると自然と厳粛な気持ちになる。

そして薄暗い堂内に目が慣れ、堂内に目を凝らすと、天井が最も格式の高い二重折上げ格天井となっていたのに驚く。

⓪千手観音像 愛宕念仏寺・ご本尊
ご本尊・千手観音像
ずいぶんと大切にされている立派なお堂であると、感じ入った。

それから境内へ出て、羅漢像を見て回る。

愛宕念仏寺境内の千二百羅漢
無数の羅漢像
愛宕(おたぎ)の念仏寺は「千二百羅漢の寺」とも呼ばれるのだそうで、境内至る所に苔むした羅漢像が数多建っている。多彩な表情をした羅漢像が境内に所狭しと充ち、その霊魂がそれぞれに言の葉を紡いでいるようで、愛宕は化野に負けぬ京都・奥嵯峨のパワースポットといってよい。

愛宕念仏寺・石像たちと多宝塔
愛宕念仏寺の苔むした羅漢像
石像に注意深く目を向けると、寂しげな羅漢像や剽軽な表情をした羅漢様などほんとうにさまざまであり、その寄進者、人の願いや煩悶に果てはないのだとつくづく思ったものである。

千二百羅漢像 愛宕念仏寺
剽軽な表情の羅漢像
また中にはご夫婦であろう、仲良く肩を組んだ二体の羅漢像・・・などなど。

ご夫婦の羅漢様
肩を組み合う夫婦像
その鄙びた境内の趣きは一度足を運ぶ価値は十分にあると思った。

愛宕念仏寺の羅漢像 - コピー
鄙びた境内
様々な思いをこめてこれらの羅漢様を寄進されてこられた人々。

愛宕念仏寺 哀しげな羅漢様
哀しげな表情の羅漢様
その真摯な無数の祈りが正しく仏様の元に届いていることを心から願うばかりである。

寝転んで休憩中の羅漢様
寝転んで夢を食む羅漢様
この寝転んで楽しい夢でも食()んでいる態の天下泰平の羅漢様が境内一杯に埋め尽くされる時代がはやく到来してほしいと思いながら、次の化野念仏寺へと向かった。

化野・西院の河原
化野の念仏寺 西院の河原
浄土宗寺院である化野(あだしの)の念仏寺は確か最初に詣でたのは高校生の修学旅行ではなかったかと思う。

化野念仏寺の竹林
化野念仏寺の竹林
その後、大学生になってすぐ神護寺辺りから清滝川の川沿いに嵐山まで歩き通したことがあるが、その時に化野へ立ち寄ったのかもしれないが記憶は定かでない。

2009年に鮎茶屋・平野屋へ寄ったついでと云っては申し訳ないが、その時に久しぶりにお参りしたのが最後であった。

化野念仏寺・仏舎利塔 2009.1.16
2009年 インド式仏舎利塔(ストゥーパ)
此度は83歳の叔母は初めてだというので案内したのが主な理由であったが、愛宕(おだき)と化野の念仏寺ってどう違うのかという素朴な興味があったのも事実である。

化野念仏寺・ご本尊阿弥陀如来像
化野念仏寺のご本尊・阿弥陀如来坐像
化野は、平安時代あたりから死者の風葬の地であったとのことで、当寺開創の伝承にも空海が放置されたご遺体を供養したことにはじまったとある。

化野の無縁仏
無数の無縁仏
そのため、境内には無数の無縁仏が所狭しとならんでいる。

本堂前の一画は三途の川の手前の広がる賽の河原に似ているとのことで、「西院の河原」と呼ばれている。

化野念仏寺
西院の河原
フジTVの人気シリーズであった「赤い霊柩車」の冒頭場面で片平なぎささんがお決まりの述懐をするのが、この念仏寺の西院の河原である。

例年8月下旬に河原に蠟燭がともされる「千灯供養」が催されている。

まだ行ったことはないが、さぞかし幻想的な光景であろうと思う。

ただコロナの影響で、今年も3年連続で中止の憂き目にあっている。

昼日中の念仏寺はどことなくその神秘性を欠き、やはり闇夜に月あかりか燈明の灯りのなかで夢か現の態で参拝するのが、中世の葬送の地の風趣が感じられるようである。
さて、われわれは葬送の地をあとにして、ちょっと晴明神社に立ち寄りホテルで小休止、そして京都グルメの〆となる割烹まつおかへと出陣することとなる。

初夏の京都グルメ旅 三日目その1 奥嵯峨 鮎茶屋・平野屋

文化の薫り高い葵祭鑑賞、転じて、食慾の赴くくまま京のグルメ旅、三日目は奥嵯峨の鮎茶屋・平野屋で昼食をいただくことにした。

平野屋俯瞰
平野屋全景 絵ハガキより
当日は奥嵯峨まで足を延ばし、途中、寺院を巡ることからMKタクシーの6人乗りのアルファードを一日貸切にした。内装が織物仕様の5人がゆったりと坐れるなど一行の評判は良かった。
MKタクシー 特別仕様アルファード
MKタクシーHPから
さて平野屋であるが実は2011年の6月に訪れ、鮎料理に舌鼓を打った。
2011.6.14 平野屋母屋にて
2011年6月、平野屋母屋にて
それから夏の訪れとともに、その時味わった「鮎の背ごし」をもう一度食べてみたいと口にするのがここ数年、常のこととなっていた。そんな魂胆もあり、83歳になる叔母の京都観光案内で、菩提寺の本山である仁和寺をお詣りしたいとの要望にかこつけて、嵯峨野の奥まで足を延ばし平野屋の鮎を所望しようという算段となった。
2011.6.14 平野屋鮎の背ごし
2011.6.14 鮎の背ごしをいただく
電話予約の際に、5月中旬で「鮎の背ごし」は大丈夫かと確認を入れたくらい、「背ごし」への我執は半端なかった。お店の方はその場で料理人に訊ねてくれて、当日、手頃な鮎が入ったら準備させてもらうとの返答であった。舌のうえに載っけた瞬間のあのヒヤッとした触感!凍てたシャーベットを嚙み砕くときのシャリっとしたあの爽快感!この10年余、「夏がく〜れば思い出す♪ はるかな鮎 と〜い空♪♪」と、必ずわたしの口の端に上ってくる「麗しの背ごし」である。そのたびに、細君は「一度、行ってきたら」とあきれたようにおざなりな反応を示すのである。そして、今年、ようやく長年の希望が叶うというわけである。
2011.6.14 愛宕神社一之鳥居と平野屋
愛宕神社一の鳥居と平野屋 2011年
叔母たちにはあの白洲正子さんが絶賛していた平野屋の極上の鮎をぜひ紹介したいからと言ってあった、という裏事情はさておき、その日はまず仁和寺近くの龍安寺を拝観。
青モミジが美しい龍安寺の石段と龍安寺垣
龍安寺の石段と龍安寺垣
昨年12月から石庭の「油土塀(あぶらどべい)の杮(こけら)葺き」の張替えが終了、この3月19日から拝観が再開されたということでなかなかこの5人、運が強い。
杮葺きを葺き張替えた龍安寺の油土塀
龍安寺の油土塀と葺き替わった杮(こけら)葺き
わたしは石庭の石の配置の妙など何度みても、その良さが分からないのであるが、白砂と石組の背景となる油土塀の色合いについてはかねて好みのものであった。
龍安寺 石と油土塀
石庭の石と油土塀
そしてこの度、土塀の杮葺きが一新されていた。
2003.12 葺き葺き替え間前の石庭
2003年12月 古い杮葺き
かつての侘びの風情の枯山水とは異なり、少々驚いたのだが、陽光の降り注ぐ屋根は銅板を張ったように金色に光り輝き、これはこれで美しかった。
龍安寺石庭の石と油土塀と杮葺き
杮葺きが輝く石庭
意馬心猿の日々をおくる己を、禅の世界に閑に身を置くことでその性根を叩きなおし、心静かに稚鮎に箸をつけようと・・・殊勝な心持ちで石庭の一五個を数える石を心眼で観ようと努めた。
ミニ石庭 模型
石の配置がわかるミニ石庭
やはりすべての石を観ることは不可能であった。ところが、縁側を行きつ戻りつしていた従妹の連れ合いが一五個の石が見えたというのである。そんな馬鹿なと思ったが、彼は180cmを超える偉丈夫である。縁側中央に立って石庭を仁王立ちで見下ろしたら、かろうじて全ての石が見えるようなのである。
龍安寺・石庭
龍安寺石庭 15個の石は見えない
帰京後調べてみたら、龍安寺石庭の15個の石、本当は一度に見れます」というブログを見つけた。なるほど何とか一五個の石が見えている。そんな瞑想どころでない「見えた」、「いや見えるはずはない」といった他愛もない話題で盛り上がり、次の仁和寺へと向かう。
仁和寺仁王門
仁和寺・仁王門
雄大な仁王門はいつも訪れるものを圧倒する。
仁和寺・金堂
仁和寺・金堂
ここの金堂はもともと御所の正殿・紫宸殿で、江戸の寛永年間に移築されたとのこと。国宝に指定されている。
仁和寺・御室桜
御室の桜
また背丈の低い御室(オムロ)桜の葉叢が青々と茂っていたのが印象的だった。本山のお詣りをすませ、一行はいよいよ奥嵯峨を目指す。

仁和寺から平野屋へは距離にして6km、車でわずか10分余といたって近い。あながちわたしの我欲のみではない、平野屋での昼餉は当日の観光ルートであればごく自然な成り行きであるといってもよいのである。
2022.5.16 平野屋
やはり茅葺は風情がある 平野屋
苔むした茅葺屋根の平野屋のたたずまい。ここに降り立つだけで、詩情溢れる鮎茶屋のおもてなしが思い起こされた。
平野屋 離れの間
平野屋 離れの間
当日案内されたのは離れの間である。11年前にはなかった新しい建屋である。そこから以前に通された母屋と庭の池を見ることができる。
平野屋離れから本館を見る
左手の手すりが母屋の間
これはこれでひとつの風情である。いよいよ鮎料理が供される。夢にまで見た?鮎の背ごしである。
平野屋・鮎の背ごし
紀州の鮎の背ごし
この季節、まだ保津川の鮎は解禁前で、当日は紀州の有田川の鮎であるとのこと。一同に素人講釈をし、ありがたく戴いたことは言うまでもない。
鮎料理はもちろんまずは塩焼き。
平野屋 鮎の塩焼き - コピー
三尾の鮎の塩焼き
白洲正子女史は来るたびに五匹、六匹と塩焼きのお替りをしたという。
鮎粥
鮎のお粥
鮎粥も名物の一つ。最後に別途豆ごはんとみそ汁もあった・・・
志んこ 平野屋
名物・志んこ
愛宕神社への九十九折の岨道を模してつくられた捻じれた団子・「志んこ」は愛宕山の名物である。
平野屋・野菜の炊き合わせ
野菜の炊き合わせ
江戸時代、愛宕詣での参拝客が麓の茶屋で「志んこ」でお茶を喫し、山道へいどむ英気を養ったのだという。
野菜の天ぷら 平野屋
野菜の天ぷら
ランチといってもそれ以外に、野菜の炊き合わせや天ぷらなど次々とお皿がとどき、少々、年寄りにはきついくらいの平野屋の多彩なメニューであった。
そして、初夏の鮎茶屋・平野屋でのひと時を過ごしたわれわれは、次に奥嵯峨にある二つの念仏寺にお参りし、晴明神社経由でホテルへ向かい、夜の「割烹まつおか」に備えることとなる。

初夏の京都グルメ旅 二日目その2 鴨川納涼床・京フレンチきしもと

グルメ旅の二日目は京都の夏を味わうコースと洒落てみた。

昼は貴船の川床(かわどこ)で昼餉を愉しんだことは先のブログに書いた。

貴船川に設営された川床
貴船川の川床
そして、その日の夕餉であるが、鴨川の納涼床(のうりょうゆか)「京フレンチきしもと」の予約をとっていた。

京フレンチ きしもと看板
京フレンチきしもと
時季は五月中旬とちょっと気は早いのは承知だが、貴船・鴨川・高雄の「床」はいずこも5月1日から営業が開始されている。

そこで京の夏の風物詩である「床(ゆか・とこ)文化」を83歳の叔母に味わってもらおうと思った次第である。

鴨川の納涼床 - コピー
鴨川の右岸に連なる納涼床
夕刻に一同、ホテルを発ち、木屋町通り沿いに歩いて10分ほどのところにある先斗町にある「京フレンチきしもと」へ向かう。

鴨川納涼床
京フレンチきしもと 納涼床
途中、維新の激動の時代、若き志士たちが残した歴史の痕跡を案内しながらそぞろ歩いた。

「割烹やました」のすぐ近くで今を去ること150年前、佐久間象山が暗殺され、ほぼ同じ場所で大村益次郎が襲われたという。

佐久間象山・大村益次郎遭難の碑
高瀬川対岸に佐久間象山暗殺・大村益次郎遭難の地の石碑
いま歩く通りにそうした陰惨な雰囲気は一切感じられない。

これから百年後の木屋町通りは果たしてどんな姿を人々に見せているのだろう・・・。

そんななかで桂小五郎と芸者幾松が過ごした処にあった料理旅館幾松がコロナ騒動のなか2020年10月で廃業となっていたことを、今度、知った。

料理旅館幾松
かつての幾松
各地で老舗といわれる旅館や料亭が廃業の止むなきにあっているとニュースなど耳にしていたが、いつか行ってみようと幾松が閉店となっていたとは誠に残念である。

新選組が旅籠池田屋に集結した志士たちを襲撃した池田屋騒動の舞台となった処は、現在、居酒屋チェーン「はなの舞」となっているが、三条通りに面する店頭に「池田屋騒動の址」と刻む石柱が建っている。


池田屋跡に建つはなの舞
池田屋騒動の地
また、三条大橋の西詰めは日本橋を起点とした東海道五三次の終点となるが、二つ目の擬宝珠(ぎぼし)には池田屋騒動時に傷つけられた刀傷がいまなお生々しく残っている。

池田屋騒動の刀傷三条大橋の擬宝珠
三条大橋の擬宝珠の刀傷
また西詰の袂に十返舎一九の「東海道中膝栗毛」の剽軽な表情をした弥次さん・喜多さんの銅像が建っている。

弥次さん喜多さんの銅像
弥次・喜多像
そこから鴨川沿いの少し下り、龍馬通りから先斗町通りへ入ってゆく。

狭い通りにはぎっしりと飲食店が軒を連ねているが、その軒先には先斗町の紋章である千鳥をあしらった提灯がさがり、すでに灯がともされていた。

先斗町通り
先斗町通り
夕食時ということで結構な人出である。

「京フレンチきしもと」はもともとお茶屋であったというが、改装された店内はカウンター席が細長く連なるシックな造りとなっている。

きしもと店内
きしもと店内・突き当りが納涼床
突き当りのガラス戸を抜けると鴨川に面してテーブル席の納涼床が設営されていた。

’捨綻欧でた鴨川 三条大橋から
納涼床が連なる
河原に面する一等席がわれわれ五人用に用意されていたが、シッティング前の写真を撮り忘れたので、以前、訪れたイタリアン・ルンガモ(廃業)の納涼床の写真を載せることにする。

納涼床 ルンガモ
イタリアン・ルンガモの納涼床の風情
納涼床のイメージはおよそこんな感じである。

「京フレンチきしもと」はそもそもコース料理のみのお店のようで、納涼床は店内で頼む料理の二割ほど高い値段設定になっていた。

当夜はBコースを予約していた。

オードブル四品。

オードブル  オードブル4品のひとつ
オードブル4品のうち2品
メインが甘鯛のムニエルか、

ディナー 甘鯛ムニエル
甘鯛のムニエル
牛フィレのステーキ生わさび添えのどちらか一品。

⓪きしもと ディナー牛フィレステーキ
牛フィレ肉のステーキ
それと最後にデザート。

デザート
ちょっと・・・寒すぎた・・・
それにしても年寄りにはこれで十分の量であった。

午後六時の予約で、料理がスタートした納涼床のひとときであったが、実は夏の夕涼みにはやはり時季が早すぎた。

皆さん、サービスされた料理はテキパキと処理し、おいしかったんですよ「きしもと」さん!!料理は。

7時40分には食後の余韻を味わう余裕もなく、この時季、川風はさすがに年寄りの身に応えた。早くホテルで暖まりたい?とお店を後にすることとなった次第。

夜の先斗町
8時前でこのとおり
先斗町通りに出ると、まだ8時前というのに人通りはまばらであった。

やはりコロナの影響で、人々の夜の行動様式は一変したのだと、かつての先斗町の賑わいを知る男のひとりとして、人の心の移ろいといおうか、時代の変遷とでもいおうか、一抹の寂しさを覚えたところである。

そして京都の「床(とこ)と「床(ゆか)」をあわただしく堪能した一団は先斗町通りをワイワイといっぱしの感想を述べながら北へと上がっていったのである。

「出町ふたば」の“豆もち”と春季限定の“本よもぎ餅”を食べた!!

かねて出町柳の「ふたば」の大福は一度は食べてみたいと願っていたが、いつもタクシーから店前にならぶお客の行列を目にしては、「名代豆もち」を口にするのは今生ではむずかしいとこの20年間、半ば諦めていた。

―伉ふたばの豆もち
出町ふたばの”名代豆もち”
ところが此度の京都行でその夢が図らずも叶うことになった。

というのも、貴船の川床の帰り、出町柳駅で下車して叔母とわたしども夫婦は先にホテルへ戻ったが、従妹夫妻はそんな著名な和菓子屋あるならちょっと覗いてから帰ると別行動となった。

70代、80代組はホテルでのんびりと休んでいたが、(還暦+1year)組の夫妻はエネルギーを持て余しているのかなかなか戻ってこない。

待つこと1時間半、ようやく戻ってきた彼らの手には夢に見たあの「名代豆餅」のシールが貼られた「ふたば」の薄緑色の包みが二つあるではないか。

―伉ふたば本店豆もち・本よもぎ餅
夢見た出町ふたばの包装紙
えっ!

今生で「豆もち」にありつけるとはと、その喜びはなんと表現してよいかわからぬほど二人には感激のあまり感謝の言葉もみつからなかった。

話を訊けば、十重二十重は云い過ぎだが、折れ曲がり五列ほどならんでいた客の最後尾について待つこと一時間余、ようやく、注文ができたのだという。

そして、「豆もち」を購入。

さらに、季節限定の「本よもぎ餅」が最後の一個、残っていたので、それも購入してきてくれたという。

―婬┯堕蝓λ椶茲發餅
春季限定のレアもの・本よもぎ餅
「ふたば」の「名代(なだい)豆餅」は当たり前だが“本日中にお召し上がりください”ということなので、大福大好きの私でもこれまでは貴重な京都滞在の時間の中で、長時間、ならんで購入し、当日中に口にするのには抵抗があったし、無理があった。

(歛故岨藩僂擦困瞭μ
本日中食せの注意書き
ところが、今回は年寄り組が夜に備え、ホテルで休憩をする間に、長蛇の列をものともせず、若者?夫妻が“名代”な豆餅購入に果敢に挑戦してくれた。正直、頭が下がった。

豆餅、おいしかった。

―伉ふたば 豆もち
豆餅、おいしかった!!
柏餅もおいしかった。

)椶茲發餅・桜餅
本よもぎ餅と柏餅
そして、春季限定の「本よもぎ餅」もおいしかった。

その日の彦左の両頬が床に届きそうなまでにたるみこんだことは言うまでもない。

「葵祭」転じて初夏の京都グルメ旅 二日目その1 貴船の川床(ランチ)喜らく

グルメ旅の二日目は京都の夏を味わうコースを選んだ。

京都の夏の風物詩である「床(ゆか・とこ)」をしゃぶりつくそうという魂胆である。

⓪貴船の川床
貴船の川床
そういえば、6月18日土曜日のNHK番組「ブラタモリ 京都・鴨川〜川をたどれば京都がわかる!?〜」で野口葵衣アナウンサーが京都の水の考え尽くされた利活用を「しゃぶりつくす」と表現した際、「一滴残らず」という方が適切かなとタモリさんがやんわりと指導していたっけ。

‐絏賁仗声辧〔誠誓遒噺翳忌川の合流点
ブラタモリ・上賀茂神社の明神川と御物忌川の合流点
さすが「言葉の力」で人生を切り拓いてきた人物の言葉へのこだわりと日本語に向き合う真摯な姿勢に感じ入ったところだ。

余談はこれぐらいにして、当日はまず京の奥座敷・貴船(きぶね)の川床(かわどこ)で昼食をとり、夜は鴨川の納涼床(のうりょうゆか)で夕食という、「床」づくしの企画である。

ヽ川の納涼床がはじまる
鴨川の納涼床
まず出町柳から叡山電鉄鞍馬線に乗って貴船口(きぶねぐち)まで目にやさしい新緑を愛でながら30分弱。

ゝ船口駅
貴船口駅
駅前に川床を予約していた料理旅館「喜らく」の車が出迎えてくれた。貴船神社本宮前の「喜らく」まで2KM、5分の距離だが、脚に不安がある方は送迎をお願いするとよい。

ヾ遒蕕
貴船神社総本宮前の喜らく
昼食の予約時間までの1時間を利用して本宮から貴船川上流沿いに800Mほどいった先に鎮まる奥宮を参拝した。

ゝ船神社・奥宮
貴船神社・奥宮
海神・豊玉彦の娘で、神武天皇の皇母でもある玉依姫が淀川を遡上、鴨川の水源地であるこの奥宮の地に祠を造り都の水守りとして鎮まったとの伝説が貴船神社に伝わっている。

その時、坐乗してきた黄色い船(貴船の名の由来ともいわれている)を積み石で囲み匿(かく)したものと伝わる「舟形石(ふながたいわ)」が奥宮の脇にある。

―形石
舟形石
その傍らには朝廷の飲料水の管理をつかさどる主水部(もひとりべ)であった鴨族の祖神である味鉏高彦根命(あじすきたかねひこ)、別名、迦毛(かも)大神を祀る末社・吸葛(すいかずら)社が玉依姫の守人のごとく鎮座している。

)社・吸葛社(味鉏高彦根命)と船形石
舟形石のそばに吸葛神社
貴船山と鞍馬山に挟まれた渓谷に位置する貴船神社・奥宮の後背には鬱蒼と木々が繁っている。

その古木の所々に人形(ひとがた)に五寸釘を打ちこんだ痕が今でも残っているとかつて誰かがわたしに囁いた。この奥深い森には幾多の女が丑の刻参りを重ね、心変わりした男と新たな女を呪詛する風習が残っていたのだという。

能の演目・「鉄輪(かなわ)」は夫に捨てられ嫉妬に狂った女が貴船神社に丑の刻参りを重ね鬼に変貌、夫と後妻を襲うという禍々しい人の業を描いたものである。

2009.10.14 厳島神社・観月能
厳島神社・観月能 鬼に変じた女
この譚(はなし)には陰陽師・安倍晴明が登場し、その鬼女を追い払い二人を救うところで終わる。

ところがこの女、「まずこの度は帰るべし」と再度の襲来を予告し恨みを深く心に秘めたまま、一旦、身を匿(かく)しただけで、安倍晴明をもってしても止めは刺させなかったというものである。女の情念のすさまじさに背筋の凍る思いがし、その怨みはいまなお四条河原町あたりをうろついているのである。

\果誠声辧Π打楡果請
晴明神社の安倍晴明像 

そんな怪異譚の一方で、貴船神社はいまや恋人の聖地のようにいわれている。

奥宮への途中にある結社(ゆいのやしろ)のご祭神・磐長姫命が縁結びの神という。

〃觴
結の社
多くのカップルがその小さな祠の前で仲良く手を合わせている姿は印象的である。

恋多きスキャンダラスな女流歌人・和泉式部が、再婚した夫・藤原保昌の愛を失い、貴船神社で密教の秘儀・敬愛の祭りを執行、女性のたしなみを失わなかったことで、撚りを戻した? もとい、愛を取り戻したとの話が鎌倉時代の仏教説話集の「沙石(しゃせき)集」に載っている。

]太式部・歌碑
結社に建つ和泉式部の歌碑
平安時代から「貴布禰」神社が男女の愛を叶えさせるパワースポットだと信じられていたことをしめす譚である。

ゝ船神社総本宮
貴船神社・総本宮
また、総本宮では湧き水のご神水で水占いをするカップルが列をなす。
/綫蠅ぁΔ澆じ
貴船神社の水占い
清冽な貴布禰の渓谷には恋のキューピッドとともに、安倍晴明の神通力をも打ち返す嫉妬に狂う鬼女が夜の闇の底に潜んでいるということなどつゆも知らぬ若人たちに、老婆心ならぬ老爺心で「人間の業の闇は深いよ」とつい、耳打ちしたくなった。


そんな愚かで意地悪な白昼夢を見せてくれた貴船でいよいよランチである。いや、昼餉の時間である。

本宮前に店を構える「喜らく」に川床(かわどこ)の予約をとっていた。

ヾ遒蕕の川床
喜らくの川床
当日はまだ川床が設営されて間もないこともあり、涼風というより寒さが克つのではと、料理は湯豆腐コースを頼んでおいた。

川床の下を貴船川の清流が勢いよく流れている。

[辰笋な喜らくの川床
川床の下を清流が流れる
川筋を吹き抜ける山気ととどろく水音はコロナで鬱屈した気鬱病を一気に吹き飛ばしてくれる。しかし、さわやかというよりかなり肌寒い。

そんななかでいよいよ川床料理をいただくことに。

京の夏の定番、鱧の湯引きとお造り。

£腓療魄き・お造り
鱧の湯引きとお造り
鮎の塩焼き。

^召留焼き 喜らく
鮎の塩焼き 一人分ではありません
鮎の天ぷらまでも出てくる。

ヾ遒蕕の湯豆腐コース
お待ちかねの湯豆腐
そしていよいよ温かい湯豆腐の登場。このころには皆、早く暖をとりたい気分が横溢。

急ぎ小椀に湯豆腐をとりわけ、ようやく身体も心の中もほかほかと緩んでくる。

5月の中旬、湯豆腐料理。京の奥座敷では大正解との皆さんにお褒めをいただいた。

以前7月に細君と貴船を訪れた際には、老舗の「ひろや」で川床料理をたのしんだ。

⓪ひろや川床料理
ひろやの川床
その時、氷をアレンジした器で涼を演出した料理にはビックリ。暑さも吹き飛んだ。

涼をさそう氷器に盛られたお造り ひろや
氷器のお造り
そしていかにも涼感をさそう洒落た鮎の塩焼きも供された。

,劼蹐笋領担桐兇Π召留焼き
盛り付けが美しい鮎の塩焼き
夏本番にお昼からしっかりとした懐石料理を所望したいと思われる方は、「ひろや」の川床料理はお薦めである。

 

こうして風流な川床料理に舌鼓を打ち、一方でいつの世も変わらぬ男と女の情景に思いを馳せた貴船神社・・・

ゝ船神社・本宮石段
貴船神社本宮の石段
作家水上勉は短編小説「貴船川」のなかで「貴船は女の執念を考えさせる神社」であると書いた・・・そんな貴船を、夜の鴨川納涼床にそなえて、食慾という煩悩に病む一行は早めに退散することとあいなった。

「葵祭」転じて初夏の京都グルメ旅 一日目

長崎市在住の83歳になる叔母からかねて京都を案内しろと命じられていた。これまで延ばし延ばしにしていたが、元気印の叔母が一時体調を崩したこともあり、そろそろ手形を落としておかねばなるまいと今般の京都行きを決行した。

”屋から東山と比叡山
ホテルオークラ京都から比叡山と東山連峰をみる
叔母には従妹夫婦が付き添いで来ることとなり、わが夫婦と併せ総勢5名、平均年齢69歳となる「黄昏老人の修学旅行」となった。

コロナウイルスの猛威も沈静化した5月14日に京都で落ち合い、3泊4日で「葵祭」を愉しむ旅の計画を練った。

ところが旅の眼目であった葵祭であるが、コロナ禍のなか斎王代が行列をなして京都御所から下鴨・上賀茂神社へと巡行する「路頭の儀」は早々と2月頃には中止が発表された。

2014年・斎王代の参進
2014年葵祭・社頭の儀
そこで2014年に参列した「社頭の儀」に参加できたらと思い、下鴨神社に連絡を入れたが、今年は列席者の人数を絞っておこなうということで、5名もの一行は難しいと丁重に断られた。

_竺神社・神楽殿
下鴨神社・神楽殿
といった事情これあり、急遽、旅の目的は千四百年つづく「聖なる神事」に参列することから、急転、「食い意地」という「業の世界」にどっぷりつかることと相成った。

ゝ毒軌
菊乃井・本店(2019.1)
老い先短い人生、享楽に現を抜かし、京都の初夏を思いっきり「食い尽くす」ことにしたというわけである。

その一日目は二時頃にホテルで落ち合い、コロナ禍もあり上京もままならなかった叔母の元気な姿に安堵し、まず葵祭の下鴨神社に参拝を済ましておくことにした。

「五月一五日 賀茂祭」と大書された柱聯(ちゅうれん)がかかる燦爛たる楼門をくぐり本殿境内に入る。

_竺神社・楼門
下鴨神社・楼門
橋殿前には「社頭の儀」参列者用の椅子が整然とならべられていた。

ー卞の儀の列席者用の椅子が橋殿前にならぶ
橋殿前に参列者用の椅子
翌日の参加が叶わぬわれわれは、せめてもと本殿への昇殿参拝をさせてもらうことにした。

_竺神社・昇殿参拝
下鴨神社・本殿
本殿内の祈祷所で「黄昏老人一行」は権禰宜の方にありがたい祝詞をあげていただき、巫女さんに玲瓏な神楽鈴の音でお祓いをしていただいた。

_竺神社の巫女さんに修祓をうける - コピー
下鴨神社・巫女
その際に従妹の夫君は清冽な風が吹き抜けたのを感じたと社殿を退出してから興奮気味に繰り返し語った。

それに対し他の黄昏四人組は誰一人、神気など感じなかったと微塵の畏敬の念も見せぬ不逞ぶりであった。

そのあと女性陣は、京都の夏の風物詩である「足つけ神事」が斎行される「みたらし池」で「水占い(みずみくじ)」に興じた。

,澆燭蕕契遒醗羮綣
みたらし池と井上社
どんな卦()がでたのか、このお二人さん・・・

 匹澆燭蕕契遏匹膿綫蠅い鬚垢
水占いに興じる女が二人
どこか可愛らしくおだやかな人生の一景ではあった。

 

下鴨神社でのそれなりの敬虔な?ひと時を過ごした一行はホテルへと戻り、「煩悩の食慾」に身を焦がす「割烹やました」へ出陣する英気を養うことにした。

.曠謄襯ークラ京都・スーペリアツイン
ホテルオークラ京都のスーペリアル・ツイン
割烹やましたは昨年の三月下旬、醍醐寺の花見の際に訪れて以来、ほぼ一年ぶりである。

ヽ篷やました 押小路橋から
押小路橋から割烹やました
この夜は話に夢中となり、夏の定番の鱧の炙りをはじめ細君が取り仕切った料理が皿に盛られてきたというのが実際で、写真もあまり撮れていない。

〔5い覆ぅ灰蹈並弍のカウンター
コロナ対応の味気ないカウンター
ただ、何かいつもと趣向の異なる珍しい料理にお目にかかったので、これはこれでよしとするのであろう。

ゝ都の夏の定番 炙り鱧と大将
夏の定番・鱧の炙りは絶品
その中でも、やましたで鰻を食べようとは驚きだった・・・

,笋泙靴燭留靴粒焼
鰻の蒲焼
そんなことで、八時半頃には一日目の晩餐が終了。

店の暖簾の前で、大将と黄昏老人一行と記念写真を撮り、ホテルへと戻った。

,い弔發里出迎えの折り鶴
オークラのいつもの折り鶴のおもてなし
かつて八時頃から第二陣の客が押し寄せ、十時前まで賑わっていた超人気店の「割烹やました」ですら、八時を過ぎると入れ替えの客もほとんど来る気配もなく、コロナにより人の夜の行動パターンが確実に変わってしまったと実感させられた京都の夜でもあった。

 

そして、帰京後の6月18日に放映されたNHKの「ブラタモリ 鴨川編」の「川をたどれば京都がわかる?」を観てビックリ!!

我々が廻った行程をほぼそのまま辿った番組となっていたからである。

東京と長崎の間でスマフォのビデオ通話で旅のあれこれ会話が盛り上がったことは云うまでもない。

2016年9月、倦怠期に木屋町通りの「割烹やました」のランチは格別!

(当ブログの写真・記事等一切の転用を禁じます)

2014年、祇園祭の“割烹やました”で、涼をもとめる=京都グルメ(2014.8.13)
2013年・水無月の割烹“やました”、“あこう”の洗いで初夏の爽やかな音色を聴く=京都グルメ(2013.7.1)
割烹「やました」・・・京都グルメ編(2008.3.14)


割烹やました地図
割烹・やました

久しく、「割烹やました」をアップしていない。昨年の七夕の日に訪ねて以来、一年二か月ぶりの「やました」である。

1・押小路橋から割烹やましたを 2015年七夕の日
押小路橋から”やました”を(2015.7.7撮影)
今回は、初めて割烹やましたにお昼時に伺った。というのも、今回は帰京途中に京都で下車、今年、訪ねられていない「やました」にご挨拶をという主旨で立ち寄ったもの。

 

そして、「やました」でランチだけというのも気が引けたので、現在開催中の特別公開で目ぼしいところを訪ねようと足を向けたのが聖護院であった。

2・聖護院門跡山門と特別公開立看板
聖護院門跡の特別公開
その次第の聖護院特別公開については本家西尾八ッ橋本店の紹介の際に少し触れておいたので、ここでは省略する。

 

さて、「やました」との付き合いももう十数年になるが、お昼に伺ったのはなんと今回が初めてである。

この日は12時45分頃に店に到着。昼は2時迄の営業ということでそうのんびりとはできぬと早速に暖簾をくぐると、芹生君がいつもの大将の位置にいたのには、少々、驚いた。

3・芹生君、様になってます
芹生君、様になっている
と同時に、時間も遅めのお昼ということでお客さんもピークは過ぎたのだろう二組いらっしゃるのみで、夜の部のあの熱気を帯びた賑わいがないのにもちょっと戸惑いを覚えた。

 

板場のなかも見知らぬ新人二人が入り、二名増えて6人(大将を入れて)体制になっていた。新顔は熊谷君と竹田君、竹田君にいたってはまだひと月とのこと。胸元の名札がなんとも初々しい。

4・頑張れ、若者(左から熊谷・竹田両君)
やましたのニューフェース頑張る 左から熊谷君・竹田君
また、先輩の
部谷君が当日は焼き方に回っていた。みんなそれぞれが一流の板前への階段を一歩一歩、着実に昇っていっているのだと感じた光景である。

5・焼き方に配された部谷君
焼き方、頑張る部谷君
その部谷君をやさしく指導しているのが料理長の安達さん。安達さんとはこれまでなかなかゆっくり話をする機会がなかったが、その意味では「やました」の板前さんと心置きなく会話を交わしながら食事を楽しむには夜よりもお昼のほうが良いことをこの度知った。

6・安達春徳さん
苦み走ったいい漢、安達さん
ここ2、3年、「やました」の板場は戦場のようで少し離れた板前に話しかけるのもままならぬほどの盛況ぶり。最近では「やました」の評判は日本だけでなくネット検索で訪ねてくる外人観光客も増えるなど、すでにインターナショナルな存在である。

 

昨年もわれわれの隣はオーストラリアから初めて日本にやってきたご夫婦であったし、二年前も中国から一人でやってきた若い女性が大将の前に陣取るなど京都の料理屋もなるほど国際化の波に洗われているのだと感じたところであった。

 

そんななかで奮闘する安達さん。一見、こわもてで話しづらかったのだが、実際はずいぶんやさしい人物であることがこの日、分かった。名前は春徳と書いて、かずのりと読むのだそうで、「春日大社の“かず”ですというと、みなさん、あぁ」と納得してくれるのだと、強面から笑みをこぼし説明する姿はまさに板場の好漢と呼ぶのがふさわしい。

 

当日は山下の大将は不在とのことで挨拶ができずに残念であったが骨折した足の具合はもう大丈夫でゴルフも普通にされておられるとのことでまずは安心。下の写真は昨年の7月7日、七夕の節句に伺った時のものだが、スマフォを話題に楽しそうないつもの大将の写真をご挨拶代わりに掲載しておく。

19・スマフォで何を語る大将
スマフ片手に分からねぇなぁ・・・(2015.7.7撮影)
さて、「やました」のお昼はコースが主体であるようだが、当方、今年初めての「やました」である。いつも通りに旬のものを中心に好きなものをいただくこととした。いよいよ料理のスタート。手際よくいつも通りに先付が目の前に差し出された。

8・先付け
先付け
わたしはお昼であるにもかかわらずパブロフの犬よろしく流れ作業のように、「いつもの“桃の滴”を」と条件反射的に口走ってしまう。

9・桃のしずく
昼から桃の滴・・・
そして、家内と芹生君に念押しをするかのように、「二合だけでいい。今日は料理主体」と訊かれもせぬのに言い訳めいたことをいう。

 

そこで当日の料理は以下のごとくである。夜の部よりもバランスのとれたものとなったが、要は家内主導の注文となったということで多様な皿をたのしめることになった。

 

その当日のインパクトある一品は何といっても、鱧の薄造りである。

10・鱧の薄造り
初めていただく鱧の薄造り
一番脂の乗った秋鱧である。旨くないはずはないと、二重否定でほめるほどに絶品である。いつもいただく鱧の炙りも好みのひと品だが、こうして薄造りにした鱧を豪快に三切れほどひとつまみにして口に放り込むのも新たなる鱧食の悟りである。添えた酢橘は鱧にかけると身が白くなるので三杯酢ののぞきに滴らす方がよいというのでそうした。料理の見栄えは食の基本である、なるほどと納得した次第。


そして、グジ(甘鯛)もいつもは刺身でいただくところだが、鱧の薄造りをいただいたので、から揚げにしてもらった。

11・甘鯛のから揚げ
目先が変わる甘鯛のから揚げ
これもプリプリでおいしい。さらに、から揚げのおまけというのも変だが、グジの兜焼きがあとで出てきた。
と、思ったらのどぐろの塩焼きを頼んでいたのを思い出した。そういえば、「やはり、脂がのっておいしい」なんて会話しながら、身をほぐしては口に運んだっけ。芹生君、失礼!身の方の写真を失念。

12・甘鯛の兜焼き
のどぐろの塩焼き
これまたほっこりとして、さすが食材を吟味した“やました”の一品と報告しておこう。。

 

次に野菜の焚き合わせを頼むが、大ぶりの栗をトッピングして季節感を演出、湯葉や麩を添えて京都をアレンジした小品である。

13・野菜の焚き合わせ(穴子・小芋・栗・麩・湯葉)
京の季節感を味わう炊き合わせ
帆立と海老のしんじょうが目の前に。

14・蒸し物・ホタテとエビのしんじょう
しんじょう
これまたしっかりとした口触り。帆立など貝類大好きな家内の注文である。

そして、湯葉巻き。

15・湯葉巻き
見た目ですでにおいしい湯葉巻き
もちろんおいしかったが、この詰め物はそのとき訊いたはずだが、忘れてしまった。
16・湯葉巻きの詰め物
何はともあれ、何事もおいしければよい。

 

ほかに、皿の合間にちょちょっとサービスで出てくる“アテ”が何とも言えずうれしい。やましたならではの夜、もとい、ランチである。この椎茸、生椎茸をやましたで一週間ほど乾燥させてから戻すのだそうで、実はこれだけで十分に酒のアテにもなる手間をかけた一品で、ご飯のお伴にもなる優れものであった。

17・やましたで生から乾燥させて戻した肉厚な椎茸
アテに最高
また、このから揚げも鱧の皮であったか骨であったか? はたまたグジの始末の料理であったか失念したが、いつもながらのうれしい「やました」のサプライズであった。

18・つまみ
初めて経験した「やました」のランチ。そして、久しぶりに堪能したゆったりした「やました」の時間。

 

実のところ、「やました」での滞在時間はいつも他のお客よりずっと長っ尻である。これまで幾たびも看板後まで居続け、大将と語り合う時間がとれたものである。だが、ここ数年であろうか「やました」の名声が高まるにつれ、そうした独り占めの贅沢な時間に恵まれることがほとんどなくなってしまった。

楽しかったね
花島さんがいた2013年1月の板場
「やました」の評判が高まりいちフアンとしては大いに鼻を高くする反面、大将とサシで語り合う機会がめっきり減った一抹の寂しさがある。贔屓の客としては複雑な心境にあったことも正直なところである。

 

そんな矢先に初めてランチに訪れ、じっくり料理に舌鼓を打ち、心置きない板場との交流を深め、以前から流れていたのだというシャレた洋楽のBGMに耳を傾ける「やました」での粋なひと時。新鮮な発見、やましたを知ったころの初心に戻ったような貴重な一日であった。

 

この気持ちを表わすのに例えはちょっと適切ではないが、倦怠期にある夫婦が相手の本来持っている良さ、昔、好きだった長所を再発見、思い起こし、絆をより強くする。そういった感覚、心もちをよみがえらせてくれた2016年の「割烹やました」の格別のランチであった。



霊験あらたかなる あぶり餅・一文字屋(別称 一和)=旅人の見た京都のお菓子

(当ブログの写真の転用・二次利用を禁じます)
京都市北区紫野今宮町69番地  ☎ 492−6852


あぶり餅が食べたくて今宮神社へ参拝した。

1・今宮神社拝殿に一和とかざり屋の提灯
今宮神社拝殿に献灯された”かざり屋”と”一和”の提灯

もとい、今宮神社は疫病除けのやすらい人形の奉納ができるし、この近くで生まれた徳川五代将軍綱吉の生母、桂昌院(通称、お玉)にあやかり玉の輿にのれるというご利益も盛んな霊験あらたかなる神社なのであった。

0・疫病除けの人形を奉納
今宮神社の自分の名前を書き奉納する”やすらい人形(ひとがた)”

そんな今宮神社へ参拝したご褒美にあぶり餅の“一文字屋和輔”こと“一和”に立ち寄った。

2・右に一文字屋 左 かざり屋
右が”一文字屋” 左が”かざり屋” 奥に今宮神社東門

当店でいただいた略伝によれば、

3・一文字屋
一文字屋の略伝表紙

一条天皇(在位 寛和2年−寛弘8年)の御代に疫病が蔓延。正歴5年(西暦994年)、今宮神社で御霊会を執り行うとひと時おさまったものの、長保2年(西暦1000年)に再び流行。そこで、今度は“やすらい祭”を当社で行なうと疫病がたちまち終息したという。

4・一文字屋略傳
阿ぶり餅の由来

その“やすらい祭“で神前に供えたられたものが、当寺、香隆寺(現在の上品蓮台寺)の名物である“おかちん(阿ぶり餅)”で、初代一文字屋和助が作り、今宮神社の神前に供えたのが、この一文字屋のあぶり餅の始まりであると伝えられている。

5・上品蓮台寺(香隆寺)
京の三大風葬地のひとつ蓮台野にある上品蓮台寺(昔の香隆寺)

都人は疫病を避けようと当社のご利益を求め、こぞって今宮神社へ参詣すると、そのあぶり餅を持ち帰り、家人に分与し疫病を逃れたのだという。

その後、千利休がこの餅を茶菓がわりに用い、爾来、千家の御用達となっているとのこと。

6・一文字・あぶり餅
炭火で焼かれた一文字屋のあぶり餅

そんな所縁を訊くとこのあぶり餅、たかが餅というのも畏れ多い千年の物語をもった何ともゆかしいお菓子なのである。

そのあぶり餅、疫病除けの御利益以外に、俗姓をお玉と呼ばれた桂昌院にあやかり玉のような餅を食べるとお玉(桂昌院)のように玉の輿にのれるご利益があるとのことで、とくに若い女性の間で人気がうなぎ上りになったとか。

00・お玉の井を横から
今宮神社境内に桂昌院から寄進された”お玉の井”が現存

そのご利益は、参道を挟んで店を構える“かざり屋”さんでもあぶり餅をいただけるので、どちらの店が御利益があるか試してみられるのも一興。

7・あぶり餅 かざりや
こちらは創業四百年のかざり屋

その“かざり屋”は創業は四百年前の寛永14年(1637年)にさかのぼるこれまた古い、ふる〜いお店である。

かざり屋・財規への玄関
かざり屋の座敷への玄関

この度、われわれが訪ねた“一文字屋”さんこと“一和”さんが、源氏物語が書き起こされた時代に産声を上げたという“初代一文字屋和助”のお店であった。

8・一文字屋・いち和の暖簾
創業千年の一文字屋こと一和の暖簾

わたしは10年ほど前に、参道をはさんで店を構える“かざり屋”さんでこのあぶり餅をいただいたが、家内は今を去ること四十年ほど前、花も恥じらうお年頃にこの一文字屋さんでいただいたのだという。

9・奥に座敷 手前は今も使用する井戸
一文字屋の奥に座敷席 手前は現在も使用される創業時からの井戸

巷間、「一文字屋さんとかざり屋さん、どっちがおいしい?」、「わたしはかざり屋」、「いやわたしは一文字屋」とかいうやり取りが結構、交わされているようだが、これはその人の好みですなというしかない。


わたしが10年前に食べたかざり屋の味と今回の一文字屋(いち和)の味を10年越しに比較するのもはなはだ非科学的なことは承知の上で申し上げるが、白味噌の甘みが勝っている一文字屋の方が今のわたしはおいしいと感じた。

10・甘い白味噌が香ばしいあぶり餅
甘い白味噌だれがおいしい

ただ、両店の味は一子相伝のものといわれているので、味が一応、不変であると仮定すると、この10年余で甘いものに異様な執着心をよせるようになったわたしが変わってしまい、甘みが少し強い一文字がおいしいと感じたということであろう。

11・今宮神社東門前に二軒のあぶり餅屋
参道をはさみ一文字屋(右)とかざり屋

京都通、あぶり餅通の友人にご意見をたまわると言下に、「エッ? かざり屋がおいしいでしょう」とのたまう。

家内は40余年前との比較のこととて、「どっちもおいしいんじゃない」と、大人の対応。

12・今宮神社出てすぐ
今宮神社東門から一文字屋とかざり屋を

まぁ、紫野今宮神社名物の阿ぶり餅、神社参詣の折には是非、立ち寄られたらいかがでしょうか。

13・右の石灯篭の先に一文字
今宮神社参道に一文字屋、かざり屋はある

一文字屋、かざり屋ともに一人前五百円で、値段は同じです。あぶり餅のハシゴをして、「わたし、やっぱり、かざり屋」、「一文字屋のあぶりは香ばしくって、超ウマ!」なんて、ちょっと京都通ぶってみるのもどうですか。


祇園祭の夜、美山荘若女将ご贔屓の“リストランテ キメラ”でディナー

(ブログ「彦左の正眼」内の写真等一切のコンテンツの転用を禁じます)

泊ってみたい宿=摘み草料理の美山荘(2013.10.23)

東山区祇園町南側504 電話:075-525-4466


祇園祭の後祭を楽しんだ翌日、八坂神社の南楼門から100m、料亭「祇園畑中」に隣接するイタリアン 「リストランテ キメラ(CHIMERA」を初めて訪ねた。

1・八坂神社・南楼門と鳥居  2・祇園畑中の隣にキメラ
八坂神社南楼門と鳥居          祇園畑中とキメラ看板

美山荘の若女将に以前、ここで結婚記念日に食事をしてとてもよかったと教えられていた。

3・母屋へ入る若女将
美山荘母屋と若女将

京料理もよいが、たまには違った料理もと、今回は、家内がこのキメラを提案した。

思い立ったが吉日と6月の頭に電話を入れたが、予約はひと月前からということで、6月の末にリザーブし直して伺った。

4・祇園祭のキメラ
イタリアン・キメラ玄関にも祇園祭のお神酒貼付が

当夜は一万円のコースをお願いしていたが、料理の内容は当然として、食事の間中サーブされたスタッフの対応も、実は最後にお名刺をいただき支配人の小池聡貴氏であったのだが、申し分ないもので、一見の客であるにも関わらず細々とした当方の質問にも丁寧に答えて下さり、二人とも大満足の夜を過ごすことができた。

5・テーブル・セッティング
キメラのテーブルセッティング

なるほど美山荘の若女将ご贔屓のお店だけはあると感心したものである。

6・店内  7・畑中の楓を借景にした店内
二階店内のテーブル             窓外は祇園畑中の楓を借景

それでは料理の紹介に入っていこう。ディナーの内容は写真を見ていただけると、その味も伝わってくるのではないかと思う。


使用される器もそれぞれこだわりをもったもので、料理にかなったなかなかに客の目を楽しませてくれる味わい深いものであった。

8・おしゃれなインテリア  9・店内の様子
インテリアもシンプル             二階の様子

また、料理のサーブ、ワインのサーブも非常にスマートで、われわれは食事がスタートしてものの10分もしたころには、キメラの常連客のような気分で口にナイフを運び、ワインを喉に流し込んでいた。

10・本日のワイン 重めのものを頼みました     11・すぐれもののナイフ&フォーク
重めの赤ワインを注文             凝ったナイフとフォーク

料理の内容は次の通りだが、初めてみる食材もあって、根掘り葉掘り問いただすなど、まぁ、退屈しないとてもおしゃれな時間を過ごした。


スターターがなんと三つに輪切りにされた鮎を盛りつけた鮎のコンフィ。

12・鮎が立つコンフィ
鮎のコンフィ 鮎が立つ・・・

おどり串を打たれた鮎の塩焼きになれたわたしどもにキメラのこのプレゼンテーションは目新しく、また、小骨の多い鮎のコンフィという調理法も骨ごと食べられるなど目新しさ満点の一品である。


オードブルも多彩で楽しい。オマールエビやトウモロコシのジェラート、生ハム。

13・オードブル
真中にトウモロコシのジェラート 玉蜀黍の葉が印象的

生ハムがおいしいというと、「本日の生ハムはこれですよ」とテーブルにその塊を持ってきて目でも楽しませてくれる。

14・本日の生ハム
迫力の生ハム

そして、次なるものが初めて食べる逸品である。イタリアのキノコの王様といわれる“ポルチーニ”と温度卵、芽キャベツにキノコから作り出した泡(フォンデュ・ソースというのだそうだ)をトッピングしたすぐれもの。

15・泡はキノコ・ポルチーニ
これでも結構なボリュームです

周りを囲んでいるのが“ポルチーニ”なるキノコである。一見、お肉のように見えた。キャベツのなかにとろりとした温度卵が隠れている。(下の写真、クリックで拡大)

16・泡はキノコのフォンデュソース  17・中身は温泉卵
この泡を見てください             中は温度卵です

そして、ポルチーニって、どんな茸なのと訊いたところ、早速、お持ちいただいたのが次なる写真。

18・イタリアのキノコの王様”ポルチーニ”
キノコの王様、ポルチーニ

なるほど松茸ではないが、果肉が分厚く、いかにもおいしそう。


続いてパスタが二種類サーブされるが、事前に量の確認がされた。そこで、われわれは当然、少な目でよいと頼む。実際に家内はその少量のパスタも失礼して少し残すこととなった。


一品目がバジリコ味のパスタに京の夏を代表する食材・炙り活鱧と九条葱をあしらい、イタリアの唐墨(からすみ)をすりおろし漆黒の容器に粉雪のように舞わせる。

19・鱧をあしらったバジリジョコ味のパスタ
この色彩・・・パスタ料理です

その様はその色彩効果は秀逸で一幅の絵画を見るようでもある。料理とは味のみにあらず、色彩、器、料理への寸言など総体的な芸術であることをまさに実感、視感したひと時である。

20・炙り鱧にパスタ
抜かりなく鱧の炙りがのっています

二品目がバジリコ豚のベーコンをトッピングしたトランペットキノコ入りのチーズパスタである。

21・イベリコ豚のベーコン とトランペットキノコ チーズパスタ
ガラスの器に盛られたパスタ

二品目はテーブル脇でガラスの器へ取り分けしてくれるが、このパフォーマンスもなかなか見物で、大切な人とのディナーの雰囲気を盛り上げるのには最高であった。

22・パフォーマンスで火がつけられたのですが・・・
この前に火があがるパフォーマンスが・・・

写真は実はタイミングが遅れてしまい、チーズから火があがった一瞬をとらえることができず何の変哲もないものとなった。

23・スマフォとチーズ
チーズの真中にパスタが スマフォの大きさと比較してみて

鮮やかな手さばきを披露された小池さんにはまことに申し訳ない次第とあいなった。家内に冷やかされることといったら・・・。でも、このチーズの器?大きかった。スマフォを横に置いて、ちょっと大きさを表現しました。


そんな笑いのなかでディナーもいよいよメイン料理に。


鴨肉のローストである。亀岡で飼育されたスコットランド種の鴨ということであった。

24・メイン料理・鴨のロースト
本日のメイン 鴨のロースト

鴨の上に森永のキャラメルのように乗っているのが、フォアグラである。まぁ、なんとも贅沢な。南瓜のスライスが添えられているが、これ、“鈴かぼちゃ”というのだそうだ。生のままで食べるので、サクッとした食感でなるほど夏向きの食材である。

25・ディナーも残り少なに
そろそろディナーも終わりです・・・

ディナーもさて、残り少なに、デザートへと到着。

わたしがココナツミルクにマンゴとパッションフルーツ。

26・マンゴ・パッションフルーツ・ココナツミルク
捻じれた容器なので、ひねって映しました

家内はオーソドックスにマスカットにバニラアイスとラズベリーシャーベット。

27・デザート
いたってオーソドックス

これでようやく終了と思いきや、とどめのデザートがサプライズで供された。次なる写真である。

28・とどめのデザート
これって、正直、ビックリ おいしかった

いやはや、プリティー・・・な〆である。


旅人にとって、祇園祭に京料理ももちろんよいが、八坂神社の隣にあるキメラでイタリアンというのもこれはこれで祇園祭の趣もあった。このキメラ、一階にはグランドピアノが置かれ、ミニコンサートも開催されている。

29・一階ではプチコンサートも
コンサート聴いてみたい

また、その横にはウォークイン・ワインセラーがドンと構えており、エントランスからして洛外の夷人はある意味、窮屈でもある京都らしさから開放される。

30・1階にあるウォークイン・ワインセラー
りっぱなワインセラーです

祇園祭の夜、RISTORANTE ITALIANO CHIMERA キメラで過ごした時間、

ほんによろしゅうおしたへ。いちど、おたずねやす・・・


なお、今後、当ブログの写真の無断転用を禁じます。最近、マナー違反のブロガーが多いため無粋な注意書きをせざるを得ない状況となりました。


 



 



 


 




 


 



 


松花堂ゆかりの地・石清水八幡宮を参詣し、松花堂弁当を食べた=吉兆・松花堂店

京都府八幡市八幡女郎花43 

075−971−3311


最近は随分とポピュラーとなってしまったが、昔はちょっとしたお店でお昼をとる際に、松花堂弁当といえばお洒落で少々高級感の響きをもったお弁当であった。

1・吉兆・松花堂
モダンな吉兆・松花堂店

その松花堂弁当ゆかりの地が京都の南部に位置する八幡市に鎮座する石清水八幡宮である。

0・雨の石清水八幡宮
雨中の石清水八幡宮参詣でした

この7月に八幡宮を参拝した折りに、話のタネにとこの食いしん坊夫婦はタクシーを駆って吉兆・松花堂店へ向かった。

2・松花堂入口
吉兆・松花堂店玄関

吉兆の松花堂店は京阪電鉄八幡市駅からはタクシーで10分弱のところに位置する。

10・八幡市駅タクシー乗り場
京阪八幡市駅前のタクシー乗り場

そこで、なぜ、松花堂弁当が吉兆なのかということだが、答えは簡単で、吉兆の創業者湯木貞一が考案したものであるからである。


石清水八幡宮にあった瀧本坊の住持であった昭乗(俗名 中沼式部)は寛永の三筆(近衛信伊・本阿弥光悦)の一人に挙げられるほどの文化人で書や絵画、茶の湯にとくに秀でていた。55歳の折、瀧本坊の焼失を期に、現在、石清水八幡宮境内に跡地が残る松花堂と名付けた方丈で隠居生活に入る。


その昭乗が農家で種入れとして使われていた箱の内部を十字に区切った四つ切り箱の意匠に興趣を覚え、同様式の箱を茶会において煙草盆や絵の具箱として使用していたという。


それから時代が遠く下がった昭和8年、松花堂昭乗の旧跡での茶会で部屋の片隅に置かれた四つ切箱に目を留めたのが吉兆の創業者の湯木貞一である。その四つ切箱を茶懐石の点心などを盛りつける器にしたのが好評を得て、以降、松花堂弁当という形式になっていったというのだそうだ。

9・四つ切箱
十字に区切られています

その所縁の地でいただく松花堂弁当。小奇麗な店内には筝曲が流れ、雰囲気もよい。

4・店内

もちろん、即行で松花堂弁当を注文。お値段は4000円とお弁当にしては高いが、これも話のタネの値段の内。

3・メニュー

そして、早速、運ばれてきたのがこの真正・松花堂弁当である。

5・真正・松花堂弁当

蓋を開けると、彩りも鮮やかなお弁当である。味は上品で申し分ない。

お弁当にはそのほかに椀物とご飯、香の物がつく。

7・椀物

そして、デザートと流れるようにサービスされて、実に気分は良い。

8・デザート

二人とも完食で、御馳走様でした〜!!


当日は雨が降ったり止んだりのあいにくの天気であったためレストランから一部を眺めるのみで散策はあきらめたが、茶室などが点在する広い日本庭園や美術館を鑑賞できるのも、松花堂店の楽しみである。


そして、今度はどなたかが八幡様を拝んだら必ず立ち寄ると書いておられた、八幡市駅前にある朝日屋さんで棒寿司とおでんをたべてみたいと、この食いしん坊はさらにその食い意地を両サイドに目一杯、張らせるのでありました。



 

 

 

 

 

 

京の奥座敷、貴船で川床料理を楽しんだ=貴船の料理旅館・ひろや

貴船神社の七夕祭りのライトアップを鑑賞するついでに、貴船の料理旅館“ひろや”で川床料理を堪能した。

ひろや全貌
ひろや全貌・左手の赤い幟、貴船神社総本宮

ひと月前に予約を入れたが、七夕の頃の京都はまだ梅雨開け前であろうとたくさんある貴船の川床でも料理のおいしいところをと思い“ひろや”にした。


というのも、雨が降った場合は川床ではなく部屋食となるため、生憎の時のため、せめて料理のおいしいところを考えた次第。翌日が7月7日の貴船神社の大切な例祭”水まつり”であったが、裏千家による献茶のあとの茶席の本席は常に”ひろや”の大座敷で行われるとの由。実際に貴船神社の鳥居前にその旨、案内が記載されていた。

茶席本席はひろや

その深慮遠謀は幸か不幸か見事に当たってしまい、当日の空は雨模様。奥宮と結社(中宮)の参拝を終えた3時過ぎに雨が降り出し、少し雨脚が強まってくる。

貴船神社・奥宮
貴船神社奥宮

幸いに貴船神社総本宮は“ひろや”の真ん前。折り畳み傘一本だったわたしたちはそこで大きな傘をお借りし、総本宮はまったく濡れることなく参拝できた。ひろやの予約は5時であったが、早めの4時前に入店。

ひろや玄関
ひろや 玄関

やはり雨のため、残念だが部屋で食事とのことで、座敷へ案内される。畳部屋であるが、最近増えてきたテーブル席であった。部屋から川床が見おろせる。

部屋から見える川床

仲居さんが「雨が上がれば、途中からでも川床へ移動しますが」との有り難いお言葉。


料理は八寸からはじまる。

八寸

夏の趣向を凝らした料理には、お〜っ!と歓声が上がるほど。

若鮎が貴船の渓流に游ぶかのように塩で川の流れを描いた鮎の塩焼きは箸をつけるのがおしいほどの出来栄えである。

鮎の塩焼き
若鮎、渓流に游ぶ

味はもちろん、焼きも頭からかぶりつけもの、なかなかであった。

夏の趣向

天然氷でしつらえた器に盛られた刺身も、涼感を誘い、目も喜ばすなかなかなエンターテイメントであった。

氷の器に盛られたお刺身

そんなこんな、煮物、椀物などをいただいた食事も後半に、雨が上がり川床の用意が成ったということで、川床へと移動した。

ひろや 川床

川床の席へ座ると瀬音が耳を聾すほどで、自然の中に身を置いて食事をいただいているという実感は120%、爽快感も急上昇!!

川床料理

そこで、残りの食事の天麩羅などをいただきながら、熱燗の日本酒を一献。7月というのに雨あがりの天気ということもあり、肌寒かく感じたのである。


陽も落ちて提灯に灯も燈ると、川床の風情もまた一段と興趣を枡。お客がチラホラと集まって来て、賑やかな談笑が始まっている。

川床に灯が燈る

しかし、耳に届くのは川音のみで、お客の満面の笑顔が目に入るのみである。




食事を終えてからは、仄かに暗くなった貴船神社境内でライトアップされた笹飾りを鑑賞した。

貴船神社笹飾り
幻想的な貴船神社の笹飾り

その後、“ひろや”の車で貴船口まで送っていただいた。


京の奥座敷、貴船の七夕の日、貴船神社をゆっくりと逍遥し、川床料理を堪能しつくした充実した一日であった。



 

人情味熱い不思議な京料理のお店 八坂神社前・“かじ正(かじしょう)”

流山の京料理“かねき”はホンモノの職人の味!!(2012.4.17)
餡子好きには堪らぬ、甘泉堂の“とりどりもなか”=旅人の見た京都のお菓子(2014.5.19)

東山区東大路通四条上ル祇園町北側300 ムーンビューティー祇園ビル3F

 ☎ 075−525−8211

午後5時から営業 定休日水曜日


9月の下旬、八坂神社西楼門のすぐ脇にある京料理・”かじ正”を訪れた。

1・八坂神社西楼門
この横断歩道を渡って左手徒歩1分のビルに”かじ正”

東大路通りを挟んで祇園花月会館の斜め前に位置するムーンビューティー祇園ビルという小さなビルの三階に”かじ正”はある。

2・ムーンビューティー祇園ビル  3・3階です
この小さなビルの三階に京料理”かじ正”がある

“かじ正”は、カウンター7席、小上り座敷6人のこじんまりしたお店である。

4・かじ正

ご主人である梶原孝徳氏は、京の老舗仕出し料理店(天保元年(1830)創業)・“菱岩(ひしいわ)”で10年間、修業をされていたという。


そして、梶原氏と奥様のお二人で切り盛りする家族的雰囲気のする温かなお店である。


このお店を知った契機は、ここで時折、修業をする篠宮氏の誘いであった。

同氏は京料理かねき(流山市流山5丁目194)の支店、西麻布の“かねき”(2013年8月閉店)の料理長をしていたが、かねてよりここに来てはいろいろと修業を重ねているという。


今回はちょうどひと月ほど“かじ正”にいるので、ついでがあったら訪ねてもらいたいと電話があった。


そこで、家内の実家・四国の高松へ向かう途中、京都に一泊だけの途中下車にて、かじ正に伺った。


ひと晩は篠宮さんが木屋町の“割烹やました”へ一度は行ってみたいというので案内をした都合で、“かじ正”はその翌日の17:00の開店と同時に入店、午後9時半の岡山行き新幹線に間に合うようにと少々、駆け足の訪問であった。


その為、私流のカウンター越しの会話の合間にトロトロと料理や日本酒を口へ運ぶというわけにもいかず、かなり失礼を”かじ正”にはしてしまった。次回は家内同伴のうえゆっくりと腰を落ち着けて“かじ正”を食べ尽すつもりである。


さて、そんな事情のなかでの当日の料理はおまかせであった。

後日、メニューを篠宮さんからメールで送っていただいたので、これを写真とともに次に記す。


八寸  このわた大根・合鴨ロース・蛸軟煮・落花生・銀杏コロッケ

5・八寸

造り  かつお・鯛・鱧焼霜

6・お造り(鰹・鯛・鱧焼霜)

焼物  子持ち鮎塩焼き

7・子持ち鮎の塩焼き

造り   鱧落とし(暖)

8・お造り・鱧落とし(暖)

焼物   焼き胡麻豆腐

9・焼胡麻豆腐

炊き合わせ  鰊(にしん)茄子

10・鰊(にしん)と茄子の炊合せ

さすが“菱岩”に長年、おられただけあり、食材の吟味、味つけ、気の利いた目先をちょっと変えた料理、ともに及第点である。


お造りが二点になっているのは、梶原さんと鱧談義になり、梶原さんのいう美味しい鱧調理の一品をいただいたものである。


わたしが鱧の湯引きの梅肉付けがどうも苦手で鱧は炙りが大好きだと言ったところ、「鱧落としの温かいのも自分は好きだ」と言われたので、急遽、料理していただいたわけである。


なるほど、身はプリンとしたまま上品な味つけの汁仕上げの一品であった。


時間の都合で、御料理も中途でお仕舞としてしまったが、こうして写真を選んでいるともう一泊してゆっくりと”かじ正”の夜を愉しむべきであったといま後悔しきりである。


こうした”かじ正”、どちらかといえばくっきりとした味付けは京料理の苦手な東京人にも受け入れやすいのではないかと感じたところである。また、自分の好み、我が儘も訊いていただけるようなそんな親しみ易さを感じさせたお店である。


また一店、訪ねたいお店ができてこれからの京都への旅の楽しみがふえたひと夜であった。


加えて、新幹線の乗車時刻が迫るなか、話題があの”とりどり最中”の”甘泉堂”(かじ正から至近)に及び、食いしん坊のこのワタシ、「まだ水羊羹はあるのだろうか、食べてみたいな」と、口走った。

11・甘泉堂店内

すると奥様は即座に甘泉堂さんへ「今から大丈夫ですか」と電話で確認を取ってくださり、梶原さんが走って買ってきてくださるというご夫婦の連携プレイ。

とんでもない自儘、不躾をお許しいただいた。


何せ、甘泉堂の水羊羹は季節限定のレアものである。当日、遅くに高松へ到着、夜食に早速、この甘泉堂の水羊羹をいただいた。梶原さん、ありがとうございました!!

12・甘泉堂・水羊羹
この水羊羹は癖になる!

こうした出来の悪いお客の勝手にまでご配慮というか心遣いをいただき、本当に、この”かじ正”、これから大切にしていきたいハートフルで人情味熱い不思議な京料理のお店である。


次回、じっくり伺った際に再度、詳しい”かじ正”のご案内をブログにアップすることにしたい。

あなたも癖になる、“松屋常盤”の“味噌松風”=旅人の見た京都のお菓子

中京区堺町通丸太町下ル橘町83 ☎ 075-231-2884



0・名刺

今回は、またまた“和生菓子特殊銘柄品・18品(昭和17年・京都府指定)“の一つである“味噌松風”にチャレンジした。


予約しないと売切れ御免のお菓子だと後に知ったが、そこは旅人の無知なる厚顔さで“味噌松風”を二箱購入した。本当にラッキーであったし、何ともおいしかった。


その“味噌松風”を製造販売する“松屋常盤”は、七卿落ちの舞台、京都御所堺町御門の前、堺町通りを70メートルほど下った右手にある。

1・堺町御門  2・松屋常盤から御所・堺町御門を
京都御所堺町御門            松屋常盤前から堺町御門

当日はタクシーで向かったのだが、運転手さんも地図片手にようやく控えめな看板を見つけて到着した。注意しないと見つけることが難しい何気ない看板である。

3・お店の看板がわかりづらい
控えめで目立たぬ看板

お店は通りより少し引っ込んで建つ三階建てビルの一階にある。

4・松屋常盤のビル店舗

その“松屋常盤”であるが、その創業は承応年間(1652−55)の後期、後光明天皇(在位1643-1654)から“御菓子大将山城大掾(だいじょう)”という官位を賜るほどに由緒正しき御菓子調進所である。


入口に白い麻暖簾がかかっているが、お店の説明書きによると後光明天皇から “禁裏御菓子司” の白暖簾を賜ったとある。

5・松屋常盤暖簾

その白い暖簾の中央に“大掾(だいじょう)”であったことを今に伝える“松屋山城”と黒抜きされているのがなぜかとても印象に残った。


さて、暖簾を分けて店へ入ったのだが、少々、戸惑った。六畳ほどの畳敷きの小上りがあるのみで、いわゆるショーケースなど商品の陳列物が一切ない。


ちょっと驚きを隠せぬわれわれの目の前には小荷物の荷造りか発送作業のようなことをされている奥さまがおひとり。


こざっぱりとしたあまりにも簡素な店内である。由緒のありそうな書が額に入っているが、それも何気なく掲げられている。

6・由緒があるに違いない書もさり気なく

それから松風と書かれた木額も・・・

7・松風の木額があまりにもさり気ない

すべてが自然体・・・な店内。

8・古い看板でしょうか

入って左手に古い木箱や菓子の木型が置かれているのが、ようやくここが菓子屋の老舗であることをうかがわせる。

9・菓子の木型や古式ゆかしいお重がならぶ

「すみません、ここで味噌松風を・・・」と小声で訊ねると、「松風ですね」と応えてくれた。ここで間違いないと胸中でつぶやく。まずはひと安心である。


そして、さらに驚いたのだが、何個入りですかとかカステラのような大きさ何号といった問いかけがない。


そして訊かれたのが、「おいくつですか」


日持ちが三日間と聞いていたので、そう多くも買えないので二箱と注文する。

「少々、お待ちください」と、奥さまが奥へ入る。その間に、快諾いただけた店内撮影を心置きなく行なう。


ひと箱はその夜、夕食をご一緒するご夫婦へのお土産、もうひとつが翌日東京へ戻るわれわれの分である。


小上りで清算しているときに、切手盆のような小さなお盆に目がいった。“松屋常盤”の長い歴史を感じさせられた一品である。お願いして、それも写真に撮らせていただいた。

10・歴史を感じるお盆

帰京後、早速に“味噌松風”をいただく。まず包装紙の闊達な書に興を覚える。中身が楽しみである。

11・包装

包装紙を除けると紙箱が出て来る。今度の書は見事な風格を見せる。

12・紙箱に達筆

松風が我が口に至るまでにも思わず不覚の嘆声をもらしてしまう。


そして、おもむろに箱の蓋を開ける・・・

13・紙箱の蓋をあけるといっぱいに松風
いやぁ〜嬉しくなるこのみっちり感・・・

紙箱の中に香ばしい焦げ色のついた“松風”が目一杯詰まっているではないか。


それもカステラを覆う油紙のような遮蔽物も一切なく、“松風”そのものがド〜ンと目に飛び込んで来る。何故だか嬉しくなるような、得した気分になるような、駄菓子屋でおまけをちょっと貰えた幼児の頃の気持ちに戻った気がしたのである。


とても懐かしくて甘酸っぱくなるような感覚を呼び起こす不思議な箱詰めである。


さて、そこからギッシリ詰まったこれをどうやって取り出すのか、家内と協議となった。そして、まず、包丁で一本分を縦に切って、箱の外へ取り出した。

14・大胆に切り取りました

その作業、見ているだけだが、形を崩さずに取り出すのは、結構、難しそう。それから、ひとり分ずつ切り分けて仲良く食べた。

15・味噌松風

カステラのように切り口がきれいにならぬのは、口にしてみてよくわかった。

モッちりとした歯ごたえがあった。これではスパッと切れぬはず。家内のせいでも包丁の切れ味のせいでもないので、一応、ここに付言しておく。


そして松風の説明書に書いてあったが、西京味噌に小麦粉を練り混ぜ、焼き上げた味は、はっきり言って“癖”になる。

16・紫野味噌松風説明書

味噌味というより、なんだろう・・・ちょっと辛くて甘い・・・そしてこんがり感・・・あぁ〜

この文章を書きながらイヤシン坊の口の中に唾が湧き出すのを止められない。


この“松風”・・・、これは“癖”になる菓子である。美味しい・・・うまい・・・また早く食べたい・・・


でも、京都まで行かぬと手には入らぬ。どうしたものかと、いま、思案中である。


そんな“松風”後でいろいろ調べてみたところ、どなたかのブログで拝見したのだが、手づかみで毟(むし)って豪快に食べるのが大好きという方がおられたが、今度、手に入れた際にはぜひ豪快にと考えている。その方が絶対においしいに決まっている。

17・紙箱にドカンと入っています

ということで、今回の“和生菓子特殊銘柄品18品”は、“松屋常盤”の“味噌松風”でした。


これで、18品目のうち半分の9品目となった。あと9品、全品踏破まで道は遠い。今後、さらなる研鑽に努めねばと決意を新たにしたところである。

2014年、祇園祭の“割烹やました”で、涼をもとめる=京都グルメ

2016年9月、倦怠期に木屋町通りの「割烹やました」のランチは格別!(2016.9.30)
2014年祇園祭・山鉾巡行前祭(さきまつり)に興じる(2014.7.21)
2013年・水無月の割烹“やました”、“あこう”の洗いで初夏の爽やかな音色を聴く=京都グルメ
(2013.7.1)

中京区木屋町通二条下ル上樵木町491−3 ☎075−256−4506


7月17日、山鉾巡行が終了した夜、京都の知人ご夫妻と“割烹やました”で会食をした。

0・いつもながらいい笑顔です
いつもこの笑顔がたまらぬ山下茂氏

祇園祭の本義である神幸祭の神輿渡御が木屋町通りすなわち“やました”の前を通ることを知ったので、この日に“やました”を予約した。

1・舞殿に並ぶ三基の神輿
宵宮に八坂神社舞殿にならぶ三基の神輿

要は、“やました”の料理に舌鼓を打ちながら神輿渡御も観覧するといった一挙両得、ぜいたくな目論見を立てたというわけだ。


加えて一年半ぶりの再会となる旧知のご夫妻と積もる話も同時に楽しもうとイベント、テンコ盛りな“やました”の夜を計画したわけである。


6時の予約にあわせ押小路橋を歩いていると“やました”の前で祭りの出店を準備する大将の姿を認めた。

2・割烹やましたへ

え〜っ! やました”が出店屋台?と訝(いぶか)るわたし、つい、「大将! 商売熱心だねぇ」と声をかけた。

3・神輿渡御振舞い酒の準備をする大将

気づいた大将が何か言うがよく聞こえない。近づくと缶ビールやらペットボトル飲料を氷で冷やす仕度中である。


神輿を挙げる連の人たちへの差入だという。当方、冗談にせよ商売熱心だねなどと声をかけたことに、少々、赤面の態。


それと、“やました”へ通うのに一斗樽を積んだ高瀬舟が見えないのはちょっと情緒に欠けていた。

4・高瀬川に浮かぶ旧高瀬舟  5・高瀬舟のない高瀬川
左:旧高瀬舟(2008年撮影)  右:2013年、撤去されて何もない高瀬川

当日はまだ明るい高瀬川にひとまわり大きくなった高瀬舟が新調なって浮かんでいた。そこで一枚、写真を撮った。

6・0新調なった高瀬舟

高瀬舟が浮かぶ景色、京都情緒たっぷりのまことにいい雰囲気である。


さて、店内、いつものカウンター奥の席へ陣取った。

6・1先付
先付

早速、乾いた喉を潤すべく恵比寿ビールを注文、それから“桃の滴”の冷酒をいただく。

6・2冷えた桃の滴

料理の方は今回のサプライズは“鱧の洗い”と“冷やし肉”。


これまで“やました”の鱧と云えば“炙り”であった。もちろん、当夜も炙ってもらった。

7・真剣に鱧を炙る芹生君
鱧を炙る芹生君

ところが、芹生君が“鱧の洗い”はいかがですかとさらに問う。

8・活きの良い鱧を捌く芹生君
跳ねる鱧を捌く芹生君、頑張る!!

「エッ? 鱧の洗い」と問い返すと同時に「それもちょうだい」と即答する。まだまだ私も若い、すばらしいクイックリスポンス、条件反射能力であると妙なところで悦に入る。

9・鱧の洗い
これが鱧の洗いです

ともあれ、この洗いには正直、唸り声を上げた。この発想、仕上げにはアッパレというしかなかったのである。

あまりにも新鮮な食感! 炙り鱧にも、もちろん湯引きの鱧など遠く足元にもおよばぬ斬新なまさに炎暑に涼を呼び込む食感である。

10・鱧の洗い、これは新たな発見
お見事、この食感!!

常に食材の新たな調理法を追い求める“やました”の姿勢に恐れ入り、またまた惚れ直したところである。


次に“冷やし肉”なる、これまたこんなお肉の食べ方、初めてという代物。

実のところ男性陣は網焼きを頼んでいたのだが、お隣のご婦人方の前にならぶお肉に目がいった。

11・牛の網焼き
男性陣が頼んだ網焼き

それに気づいた女性陣がおひとついかがと憐憫をかけてくれたので、この新たなる珍味にありつけたもの。

12・0冷やし肉
これが冷やし肉です

二杯酢でさっぱりと“涼”をいただく、美味である。


12・1万願寺唐辛子の掏り流し  12・2冷たい野菜の炊合せ
左:万願寺唐辛子の掏り流し 右:詰めた野菜の炊き合せ

炎暑の夜に斯様な涼を次々と演出する大将の凄腕にあらためて驚嘆するとともに、衷心からの敬意を表するところである。


そして、いよいよもうひとつのビッグイベント、神輿渡御の始まりである。


まだまだ明るい午後7時少し前。神輿を先導する行列が“やました”の前の木屋町通りに入ってきた。

13・色々、雅な行列が続きます

お客さんも一時、食事を中断、外にて観覧。駒形稚児や騎馬で進む神官の行列がつづく。

14・稚児さんも騎馬でゆく
可愛らしい駒形稚児が通る

神輿の前にこれほど本格的な行列を見たのは初めてであった。

15・騎馬行列がゆく

7時17分。三若神輿会の担ぐ中御座神輿が“ほいっと、ほいっと〜!”の掛け声とともに近づいてきた。

道路を埋め尽くす人、人、人にはビックリ。

16・道を埋め尽くす人
大勢の人と共に中御座が見えて来る

中御座は六角形の屋根に鳳凰を冠し、ご祭神は八坂神社の主祭神・素戔嗚尊(スサノオノミコト)である。

17・中御座
中御座神輿

何しろすごい人数が次々と店の前を通り過ぎてゆく。

18・大勢の担ぎ手が過ぎてゆく

中御座を見送ると、一同、一旦、店内へ戻る。


午後9時前、錦神輿会が担ぐ西御座がやってきたので外へどうぞとの声。大将以下、お客とともに道路へ出る。さすがにもう外は真っ暗。


だが、神輿が近づくにつれ人の大群が押し寄せるようなどよめきが聴こえる。

19・西御座がやって来る
西御座が近づく

“ほいっと!ほいっと!” 西御座神輿が現われる。

屋根が八角形の鳳凰を冠するこれまたりっぱな神輿である。ご祭神は素戔嗚尊の御子たちである八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)。

20・錦神輿会・西御座
西御座神輿

錦神輿会のメンバーは“やました”が仕入れでお世話になる錦市場の人たちが大勢いるのだという。

“やました”の前で神輿もしばし休憩。担ぎ手の人たちも乾いた喉を潤す。大将が準備した飲料の前は昂揚した連の人たちの熱気があふれる。芹生君や女子衆もお世話に大活躍。

21・錦神輿会の人たちに振る舞う

そんななかを粛然と騎乗の神官が行く姿もこれまたすばらしい。

22・担ぎ手のなかを行く騎馬

そして、神輿はふたたび大勢の担ぎ手に担がれ、暗闇に“ほいっと! ほいっと!”の響(とよ)みを残し四条の御旅所へと去っていった。

23・西御座

嵐のようにやってきた神輿を見送り、暖簾の方を見返ると大将が満足の笑みである。

大将、満面の笑み
大将、最高の祭だね〜

神輿渡御の迫力と行列の厳かさを目にし、1100年の歴史を有する祇園祭の本義・神幸祭は京都の町衆に支えられてきたまさに神儀であると実感させられた。


路傍から観覧するだけで祭の当事者のような高揚感を味わったわれわれはふたたび店内へ戻り、じっくりと“やました”の料理を堪能。

25・料理が並んでいます
まだまだ祇園祭の夜は長いのです・・・

神輿渡御を“やました”の前で観覧するという最高の祇園祭を過ごすことが出来た。満足この上ない一日であった。


そして、“やました”の“もてなし”の真義が大将の日頃の心映えにこそあったのだと心底、納得した。


2014年の“割烹やました”!!


祇園祭の神輿渡御を観ながら料理に舌鼓をうつという新たな“やました”の魅力を発見した一日でもあった。


そして最後に新料理長を紹介しておかねばならない。安達料理長である。

26・大将と新料理長の安達さん
新料理長・安達さん

以前、長年“やました”におられたということで、これから勝手知ったる板場で大将の右腕として思う存分その腕を振るっていただけると大いに期待している。


何せ、当夜は神輿見物に出たり入ったり、久しぶりの旧知の友との語らいとやたら忙しく慌ただしい時間を“やました”で過ごした。


次回にじっくり安達さんとお話できることをきたいして2014年の“やました・訪問記”の筆を置くことにする。



祇園祭ゆかりの“祇園ちご餅”・三条若狭屋=旅人の見た京都のお菓子

中京区三条通堀川西入ル橋西町675


祇園祭といえば三条若狭屋の“ちご餅”というのは、京都人の常識だとか。


と云うことで、山鉾巡行の翌日、帰京前に地下鉄東西線にて二条城前駅へ。

1・二条城前
二条城前駅を出たところ

そして、堀川通を下ること500m、三条通堀河西入る、つまり三条通り商店街入口角にある“三条若狭屋”へ銘菓・“祇園ちご餅”を求めに伺った。

2・三条商店街入口角にある
トラックの入った角が入口

本店店舗の外観はいかにも京菓子司の趣きを醸し出す古風な造りである。

3・三条若狭屋

店内に入ると、すぐに“祇園ちご餅”が陳列されたショーケースが目に入る。正面にちご餅を印した暖簾が下がる。

13・祇園ちご餅の暖簾がかかる店内

そして、堀川通りに面してカウンターカフェがある。店内でお茶を戴きながら若狭屋の菓子を愉しむことのできる造りになっていた。

4・カウンターカフェ
早朝の入店のため、まだカフェが準備中であった

“ちご餅”は祇園祭所縁の京菓子であるが、昭和17年12月に京都府が指定した“銘菓和生菓子特殊銘柄品18品目”のひとつとしても有名である。

18・ちご餅
祇園ちご餅

祇園祭所縁というのは、この“祇園ちご餅”誕生譚が以下の説明書にあるので参照されたい。

5・祇園ちご餅

要は山鉾に載る生き稚児さんたちが八坂神社で御位貰いの儀式を終えたのち、楼門前で味噌だれをつけた餅を衆生にふるまったことに因むというのだ。


そしてこれを食べると、ちご餅に添えられた短冊にあるように“疫を除き福を招く”というので、京の人々はこぞって稚児さんからふるまわれる餅を求めたのだそうだ。

7・三本入りのちご餅

この三条若狭屋の“祇園ちご餅”の包の形状が山鉾町で求める厄除けの粽に似せてあることも、厄除けの祭、祇園祭にはなくてはならぬ菓子となっていったのではなかろうか。

6・粽の形をした包  8・蘇民将来の子孫也と記された粽と長刀鉾のフィギュア
左:3本のちご餅の入る包      右:放下鉾の粽と長刀鉾のフィギュア

包を開けると竹串に刺された“ちご餅”が現われるが、氷餅をまぶした求肥のなかに甘く炊いた上品な白味噌が入っているのもそうした所縁に基づいたものである。


ひと串口に入れると、氷餅のザラメが甘みを舌の上に載せ、やわらかな求肥を噛むうちに楚々とした白味噌の風味が口中に残る甘みとしとやかに調和する。

9・疫を除き福を招くちご餅

その味は上品でかつひと包に三本というのもまた奥ゆかしく、その由来と併せてまさに京都のお菓子というのにふさわしい逸品である。


お店のお嬢さんにまずは“祇園ちご餅”の5包入りをお願いする。

10・五包入り

その“ちご餅”を包装していただいている間にショーケースを子細に覗き込む。ちご餅以外にも甘党の心根をいたくくすぐるおいしそうな京菓子が並んでいる。

11・ちご餅以外にショーケースにはおいしそうな京菓子が並ぶ

そこで、いまは残念ながら製造が停止された“御所羊羹(銘菓和生菓子特殊銘柄品)”の代わりに“小倉羊羹”をひとつ求めた。これも18品目踏破を目論むわたしである、当然、それに少しでも肖(あやか)るお菓子だと勝手にわたしが決めて、注文したのである。


このようにして見境なくお菓子を購入し過ぎたため、実は、まだ小倉羊羹まで食すに至っていない。ということで、ここでは包装箱入りの写真を掲載する。

12・小倉羊羹

もちろん後日、小倉羊羹の生身写真は補遺することにする。


次にわたしの視線は小倉羊羹からちょっと右手にスパンして、あるお菓子を認めた。炎暑の夏に涼をもとめるかのような“京のせせらぎ”である。

14・今日のせせらぎ箱入り

色合いがまるで山間をめぐる清流のごとく目にも涼やかであったので、暑い京都でつい手が出たのは致し方のないところである。

15・京のせせらぎ説明書

本日、東京も36度という猛暑日。早速、“京のせせらぎ”で涼感を求めたという次第。

16・京のせせらぎ

口にしたこの家伝の琥珀糖を使った干菓子がまたミントのかすかな香りがしたりまことに爽快な風味であり好ましい。


三条若狭屋は明治26(1893)年に初代の藤本茂弘氏が“本家若狭屋(江戸文化年間に創業、屋号・若狭屋は若狭高浜の出身による。戦後この本家は廃業)”から“若狭屋茂弘”として分家独立したのが始まりという。 その後屋号を“三條若狭屋”と改め、昭和21年に現在の場所に移転し、今日に至っている。現在の当主は四代目・藤本知靖氏である。

17・暖簾

二条城前から歩いて6分ほどの至近にある三条若狭屋。祇園ちご餅はまさに京都の菓子、それにカフェもよし、お土産に日持ちが14日間という“京のせせらぎ”もお洒落でよし。


よいことずくめの三条若狭屋!! ぜひ一度、古風な佇まいの本店へ立ち寄って見られてはいかが。




佐々木蔵ノ介・ハンチョウの蔵元、佐々木酒造に御礼=京都グルメ

6月30日の“鶴瓶の家族に乾杯”で佐々木蔵ノ介が茨城県石岡市の造り酒屋を訪問していた。現在、上映中の超高速参勤交代の舞台となる街道筋の宿場町を訪ねてみたいというのが訪問の契機ということであった。

1・超高速参勤交代
くだらねぇ〜!! でも超!面白かった!!

そこで、佐々木蔵ノ介が実家と同業の造り酒屋を訪ね、蔵の中を見学。蔵主との何気ない会話のなかで日本酒への造詣の深さが何気なく語られ、そうだ、彼の実家、佐々木酒造のアップを忘れていたと、本日、こうして京都の旅の写真フォルダから引っ張り出してここに掲載する次第である。


訪問日は2011年6月13日、TBSドラマ・“ハンチョウ〜神南署安積班〜のシリーズ#4が放映中の最中であった(シリーズ#5から“ハンチョウ〜警視庁安積班〜)。


さて、16世紀頃の京都市街の景観や風俗を描いた“洛中洛外図”という屏風はあまりにも有名である。正確な名前は言えずともその屏風絵を目にすれば、あぁ、この絵かと誰しも頷(うなず)くはずである。


そこで、“洛中洛外”とは一体何を意味するのか?


この佐々木酒造を紹介するには、そこから話を進めてゆかねばならない。
なぜなら、現在、洛中で唯一、酒蔵を営んでいる蔵元が、ほかならぬ佐々木酒造であるからである。

2・佐々木酒造正面
佐々木酒造・正面

豊臣秀吉は“御土居”といわれる土塁で京の町全体をぐるりと囲撓(いにょう)した。そして御土居の内側を洛中、外側を洛外と区分、御土居の数か所に関所を設け洛外から洛中へ入る者を検分したという。

3・北野天満宮・御土居説明板
北野天満宮の御土居案内

その意味でいう洛中は現在の京都市内中心部と比較しても、相当に狭い範囲を指すことが分る。東西が鴨川の西側から北野天満宮辺りまで、南北が京都駅から大宮交通公園へ辺りまでの南北に細長い地域となっている。

4・北野天満宮・御土居の上部 5・蘆山寺墓地内にある”史蹟御土居”
左:北野天満宮の御土居の上部  右:蘆山寺の御土居跡

その狭い、京都のいわゆる中心部で蔵元として日本酒を造り続けているのが、この佐々木酒造一軒ということになる。


余談であるが、今に名前が残る鞍馬口や粟田口、丹波口といった“口”のつく地名は関所のあった名残であるという。


さて、佐々木酒造はここ良質な湧き水が豊かな上京の地で明治26年(1893)に創業、120年の歴史を有する、現在では、先述の洛中における唯一の蔵元・造り酒屋となっている。


いまでは京都のお酒といえば“伏見”と相場が決まっているが、室町時代中期にはこの洛中の地下水の良い処に300軒を超える蔵元が建っていた(佐々木酒造について・佐々木晃社長)のだそうで、京都の造り酒屋の起源は洛中にあったということである。


その由緒正しき場所・洛中に残るただ一つの蔵元“佐々木酒造”は二条城の北側にあり、当日は千本釈迦堂へお参りする途中にお寄りしたという次第。


丸太町通を日暮通へ上がると、茶色の杉玉が店頭に下がる懐かしい商店造りの二階建ての佐々木酒造が見える。

6・佐々木酒造
佐々木酒造

店舗の脇、手前に日本酒を造る大きな蔵が併設されている。この時代、よくぞ京都のど真ん中に造り酒屋の蔵が現存しているなと感心したというより、ちょっとした感動を覚えたのを思い出した。

洛中唯一の蔵元・佐々木酒造
右手が店舗入口

早速、店内に入る。こじんまりしたお店である。入って正面に“ハンチョウ”のポスターが貼ってあった。

7・ハンチョウのポスターが貼られた店内

右手コーナーに佐々木酒造の代表銘柄の“古都”をはじめ純米大吟醸の“聚楽第”など豊富な銘柄が取り揃えられていた。

8・たくさんの銘柄があります

その “古都”のラベルの文字は、同名の小説を物し、「この酒の風味こそ京都の味」と愛飲された川端康成の揮毫によるものである。


そうした古都京都に所縁のある佐々木酒造のお酒を、旅先でもあり、荷物にあまりならないようにと夏季限定のセットと放映中のみの限定販売の“ハンチョウ”を購入した。


そして帰京後、早速、封を開け、以下の銘柄をおいしくいただいたというわけである。


特別純米・“西陣”と蔵出し原酒・“呑切り”である。

9・特別純米酒”西陣”     蔵出原酒”古都”の”呑切り”

シュワーっと爽やかな純米吟醸原酒の“夏方(なつざま)”

10・”古都”の純米吟醸・生貯蔵酒”夏方(なつざま)”

そして、娘が大ファンのTVドラマ“ハンチョウ〜警視庁安積班〜”に因んだ特別純米酒“ハンチョウ”である。

11・神南署安積班の刻印のある”ハンチョウ”

帰ってから判ったのだが、この銘柄は“ハンチョウ”が放映されている期間だけの限定販売で超レアものであったといってよい。


そんなことはもちろん知らずに訪ねたのだが、娘への土産といってもお酒を嗜むわけではないが、土産話にと思い買って帰った。


案の定、娘には大うけに受けて、早く飲んで頂戴と日頃にない“飲酒慫慂令”が出されて700mlの中瓶はあっという間に空瓶と化したのである。


そして、その空き瓶はきれいに洗浄され、現在、娘の机の上に麗麗しく鎮座している。

12・佐々木酒造”ハンチョウ”

グループホームの生活が楽し過ぎてなかなかこちらへ帰って来てくれない娘に、実家の良さを再認識させるに当り多大な貢献を戴いている佐々木酒造さんにこの場をお借りして御礼申し上げて、この稿を閉じることとする。



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