彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

泊ってみたい宿

ひと夏の忘れもの 竜串海岸、大堂海岸、柏島の碧い海

ひと夏の忘れ物 足摺岬


足摺岬の二日目は、細君が今を去ること50年前うら若きころ貧乏旅行をした竜串海岸や足摺海底館、観音岩といった奇岩のそびえる大堂海岸にもう一度、行ってみたい・・・そんな夢をかなえるためにやってきた。

大堂海岸 白亜の絶壁
花崗岩が白く光る大堂海岸

最近は夫婦してNHKの「ブラタモリ」のファンとなり、特に細君は地質構造やプレート移動といった地球規模の地殻変動に並みならぬ関心を寄せ、旅先で六角形の石柱に出逢うと、「アッ、柱状節理だ!」などとまるで旧知の友にめぐり逢ったかのような快哉をあげる

1億年前の地層・中央構造線・溝口露頭 長野県伊那市
長野県伊那市の中央構造線の溝口露頭 1億年前の地層が露出

そんな歴女ならぬ、地女(漢字を一字間違えるととんでもないことになるが・・・)に同行し、足摺の二泊目は大月半島の突端近くの「ベイリーフ大月」を宿にさだめた。

ベルリーフ大月外観
ホテルベイリーフ大月

足摺岬突端のTheMana Village(ザマナヴィレッジ)を出立、海岸沿いを西へ移動、その途上に「土佐清水ジオパーク」の一画をなす竜串海岸がある。

竜串海岸の奇勝奇岩 蜂の巣構造
竜串海岸

堤防からも異形の岩場が見渡せるが、もちろん細君はその先へと勇躍、足を運ぶ。

わたしも遅れじと杖を片手に用心深く岩伝いに移動したものの、細君の姿はいつしかわたしの視界から消え去った。

竜串海岸は日本列島がユーラシア大陸から離反移動してきた、地球規模の地震や津波の痕跡が残る岩場が陸地にあらわれた貴重な場所なのだという。

浸食奇岩
奇岩がいっぱいの竜串海岸

なるほど蒲鉾型の棒状の岩場や蜂の巣のように穴ぼこのあいた巨岩などそう思って眺めてみると地球の生命と巨大なエネルギーを身近に感じ取れる凄まじい光景である。

竜串海岸から遠くに足摺海底館がみえる
遠くに足摺海底館が見える

しばらくブラタモッタのち、海の向こうに見えた足摺海底館へと向かった。

爪白海岸と足摺海底館
爪白海岸と足摺海底館

海上に突っ立つように建つ海底館の入口に「50th ANNIVERSARY SINCE1972」とあった。

足摺海底館50周年
50周年記念

細君が遠い昔訪ねたのは、なんとこの海底館ができた直後に訪れていたことが判明した。

そして海底館の海底7mまで下る螺旋階段をおりていくと、ダークブルーの館内から小さな丸窓を通して海中の様子を見ることができた。

人間水族館
ダークブルーの館内

大小様々な天然の魚が游泳しているのがよく見えた。

⓪足摺の海中
泳ぎ回る魚たち

ただ、この状況をよくよく冷静に考えなおすと、狭い館内に閉じ込められた人間という陸上に棲息する生き物を、果てしない海中を遊弋(ゆうよく)している魚たちが興味深くのぞき込んでいるという逆水族館状態にあるといったほうが適切なような気がした。

黒潮を自在に泳ぐ魚たち - コピー
逆に魚がこっちを見ているのでは・・・

そして、おそらく魚たちは円筒状の筒に閉じこめられた奇妙な生き物が不自由の身を嘆き悲しんでいるのだとさざめき合っているのにちがいない。

そんな感慨にふけったあと、この日は大堂海岸の大景観を陸地から睥睨しようと、まず大堂山展望台へと向かった。

大堂山展望台
大堂山展望台
大堂山の頂上に建つ三階建ての展望台はだいぶ年季が入った代物だったが、そこからの景色は期待にたがわず圧巻であった。
⓪大堂山展望台頂上
大平洋が一望

東側には白亜の花崗岩の岩肌が露出する絶壁が山並み沿いに見えた。

大堂山展望台から大堂海岸を
東に大堂山

翌日、大堂海岸アドベンチャークルーズに参加し、クルーズ船から仰ぎ見る絶壁である。

そして今度は反対側へ移り西側を見下ろすと柏島大橋でつながる柏島が見えた。

大堂山展望台から柏島を見下ろす
西に柏島

山頂からはその海面に光が乱反射しているのか思い描いたエメラルドグリーンの海ではなく、くすんだ緑色にしか見えなかった。

次にこの日最後の観音岩展望所へと車を回した。

そこからの観音岩の姿はほんとうに観音様のお姿だったと、細君は云うのであるが・・・

こうした観光用にネーミングされた奇岩というものはたいてい、「そういわれれば・・・」といった態のものがほとんどである。

これまでで、こりゃすごい!と思ったのはただ一度。

壱岐の島で訪れた高さ45mの猿岩である。

壱岐の島・猿岩
壱岐の島の猿岩は見事 夕暮れにさびしそうな表情・・・

その姿かたちには息をのんだのだが、まつ毛まで本物そっくりなのだから・・・これはまさに命名通りの本物の猿岩であった。

さて、こちらはどうか・・・

観音岩展望所への登り口は、「えっ!」というほどに狭くて急勾配であった。

50年前の感動をもう一度という細君の思いに、引きずりあげられるようにして喬木の枝葉をかき分けて頂にある展望所をめざした。

観音岩展望所への登り口
観音岩展望所への狭い登り口

草生した狭い頂を通り過ぎて海側へ少し石段をおりたところに、観音岩展望所があった。

⓪観音岩展望所はこの先を少し下りた先にある
この先すぐ下に展望所

前方には茫漠たる太平洋が見渡せた。海風が肌に心地よい。

観音岩が見えない観音岩展望所
茫漠たる太平洋

早速に観音岩を探すが、どうもピンとくる岩が見当たらない。

観音岩展望所から大堂海岸を
展望所からの大堂海岸

そして細君がつぶやいた。

「こんなところじゃなかった・・・」

「もっと尾根のようなところを登っていって、下に観音岩が確かに見えたはず・・・」

向こうの尾根伝いに遊歩道があった
向こうの尾根にも登り路があった・・・

「おい、おい・・・」わたしは心中で呟いた。急こう配の坂を息を切らし登ってきたのに・・・

それでも、観音様は姿を顕さない・・・

後ろ髪をひかれたのだろう、坂道を下りながらも細君はどうも納得がいかぬ様子である。

中腹まで下りたところで、大堂展望台へむかう尾根道との分岐点で小休止。

観音岩を見る分岐点 大堂展望台方向へ行くとすぐ
分岐点

「そっちに少し行ってみたら・・・」といって、わたしの方は申し訳ないが、先に駐車場までおりておこうと階段をおりだした。

するとものの一分もしないうちに細君がわたしの名前を呼んでいるではないか。

小躍りしている様子が目に浮かぶような若やいだ声である。

わたしは萎えた心をもう一度奮い立たせて、踵を返し登り返した。

分岐点からほんの2、3mほどもいくと右手下に細身の岩が屹立しているのが見えた。

観音岩展望台途中から
あれが・・・観音岩か

彼女がと〜い昔に観たのはこの岩に違いない・・・

この棒状に突っ立った岩が観音さま・・・であると・・・世の人はいう・・・

不遜にも「鰯の頭も信心から」という言葉が頭に去来した。

なにごとも深く念じれば観音さまに見えぬこともない・・・

観音さまが胸元で手を合わせてくれているようにもみえる。

観音岩
観音岩

わたしは観音岩を見ることができたことより、無邪気に喜びをあらわし写真を撮っている細君の姿の方が実は微笑ましく見えていたのだが・・・

観音岩展望所と観音岩
中央岩の頂の緑の中、白い部分が観音岩展望所 右下の低い独立岩が観音岩

そんな不届きな想いをいだいたためだろうか、左肩に強烈な穿通感をおぼえた。

気づいたら頭の周りを大きな蜂がブンブンと不気味な羽音を響かせ飛び回っているではないか。

刺されたに違いない。手で必死に払うもその一匹の蜂はわたしから離れようとしない。

わたしの大声に驚いた細君が撮影もそこそこに蜂の撃退戦に参戦してくれた。

必死に階段を下り、車へとなんとか逃げ込んだが、蜂はなんと車まで私の頭上を旋回し続けたのである。

わたしにはそんな観音岩の思い出であったが、細君は半世紀ぶりの観音さまとの再会をもう少し愉しみたかっただろうにと、ホテルへ戻って申し訳ない気持ちになった。

⓪ベルリーフ大月ロビー
ホテルベイリーフ大月ロビー

「ホテルベルリーフ大月」は昔の国民宿舎のような飾らない作りで、スタッフの方もホテルマンというより近所の気の良いおじさんというのがぴったりで、当方もリラックス感満載でチェックイン。

ツイン ベルリーフ大月
ロッジ風の室内

ところが泊まる部屋はロッジ風のお洒落な造りで、バルコニー・・・ベランダからは谷筋に深く切れ込んだ美しい海まで見えた。

ベルリーフ大月の部屋から
バルコニーから見える景色

心鎮まるおだやかな風景であった。

夕食は簡素で小さな食堂で、地元の幡多郡自慢の海の幸をいただいた。

海の幸いっぱいの夕食
素朴だが海の幸がおいしかった

お刺身も新鮮だし、大きな海老のグラタンもおいしかった。

大きな海老の天ぷらも
大きな海老の天ぷらもおいしかった

さきほどのレセプションのおじさんに訊いたところ、お客さんの多くは釣りやダイビングを目的にやってくるのだそうで、なるほどコスパは最高の宿であった。

そしてお土産を買おうと呼び鈴を鳴らすと、さきの近所のおじさんが出てきてくれる・・・いやはやなんともつい頬が緩んでくる温もりのある宿であった。

ひと夏の忘れ物 足摺岬で泊まりたい宿・TheMana Village(ザマナヴィレッジ)

ひと夏の忘れ物 足摺岬


ひと夏の忘れ物でどうしてもお伝えしておきたいのが、足摺岬探訪で泊まった「TheMana Village(ザマナヴィレッジ)」という奇妙な名前のホテルである。

theMana village ロビー
大平洋を望む開放的なラウンジ
ネットで足摺岬に近い「評判の宿」を探していたら、「TheMana Village」と書かれた一枚のスライド写真に目が釘付けになった。

TheMana Village(ザマナヴィレッジ) HPショット
HPの写真
夕暮れ時、茜色の雲を映す水上に浮かぶデッキで憩う人たち・・・

そこには「悠々とながれる時間」が切り取られていた。

TheMana Village(ザマナヴィレッジ) エントランス
TheMana Village(ザマナヴィレッジ)エントランス

即座にこのホテルへ泊まってみたい、泊まろうと決めた。そして予約を入れた。

ウェルカム・ドリンク
ウエルカム・ドリンク
TheMana Village(ザマナヴィレッジ)はそもそも「足摺パシフィックホテル花椿」といっていた老舗旅館で、今般、それを一新、アジア屈指の滞在型リゾート施設として再生させて地方創生のひとつのモデルとしていきたいというのだそうだ。

海側 ツインルーム
ツイン でも掛布団が・・・
ただ宿泊してみて、予約したツインルームのベッドメイキングなど相応のホテルとして洗練度をブラッシュアップしてゆく点は多いと感じた。
部屋からレストランエリアを
宿泊棟からレストラン棟をみる

またホテル棟からレストラン・温泉棟へ移動する長い廻廊、周りのガーデニング、付属建物など「アジア屈指」を謳うにはまだまだ手を加え整備すべき箇所があり未だ改装途上にあるというのが実際のところである。

室内から太平洋をみる
ツインルームからの景色

そうした未熟さを知ったうえでも、当ホテルを推奨する所以は、ひとつは黒潮をながす大海原を前面に随える比類なき立地条件である。

室内からの眺望
室内から
広いラウンジやツインの部屋、どこからでも空と海を劃す水平線を一文字に引く太平洋が見渡せる。

もう一つが大自然と一体化したかのようなイタリアンレストランAzzurrissimo(アズリッシモ)の存在である。

Azzurrissimo店内
Azzurrissimo

このレストラン、今年3月にオープンしたばかりだという。

その事実こそが「TheMana Village(ザマナヴィレッジ)」がまさにこれから「名」に「実」をともなわせ「アジア屈指」へと変貌をとげてゆく、その可能性の途上にあるのだとおもわせたところである。

イタリアンレストラン
夕暮れのテラス 
Azzurrissimoよりみる
三つ目が「ONSEN」である。

懸崖に設けられた小さな露天風呂から眺める足摺岬の大海原は掛け値なしに素晴らしい。

残念ながら撮影禁止のため写真をお見せすることはできないが、遥か遠くに水平線を見晴るかし露天の岩風呂につかる。風にのって潮の仄かな香りがとどけられる。そっと瞼を閉じると磯をあらう潮騒の音や岩肌をたたく風の音が聴こえてくる。そして瞳をあけると頭上にはどこまでも蒼い空がひろがっている。

デッキから太平洋が一望
レストランからの景色
青い国、四国のはずれで猥雑な喧噪から解き放たれ大自然を体感できるTheMana Village(ザマナヴィレッジ)は都会の生活や人間関係のうっとおしさに疲れた人にはまさにうってつけの宿であるといってよい。

 

さて、そんなホテルのレストラン・「Azzurrissimo(アズリッシモ)」からは部屋から見渡す大海原を、より間近に感じることができる。

デッキから大海原
水平線が空と海を劃す
と云うよりも、大海原の真っ只中に浮かんでいるレストランであるといった方が感覚としては近い。

ザマナヴィレッジ
レストランのデッキ
レストランのデッキの突端に立ってみるとわかるのだが、爽快感というのとは少しちがう、潔(いさぎよ)さのような不思議な感覚に囚われるのである。

海風のなかで
朝のデッキ
朝食後の珈琲を突端にならぶテーブルで喫んだのだが、目の前にひろがる青海原と白い雲・・・その涯しない風景のなかで自分の姿はあまりに小さかった。

青海原で珈琲を
デッキ突端で珈琲を喫む
そして連綿と流れる時間のなかで「人の一生」とは瞬きの間にも充たぬと実感させられた。

人生の思い切りとでもいおうか、「見切る」時がすぐそこにきた・・・そんな潔い心持に自然とさせられる、不思議な小世界がこのデッキの突端には息づいていた。

夏の終わりに
ひと夏の忘れ物

さて、そんな絶景のなかでいただく「Azzurrissimo(アズリッシモ)」のイタリア料理であるが、

これがまた地産地消、地元の有機野菜をつかった一皿もおいしいし、盛り付けもきれいだ。
生ハムと山崎さんの有機野菜
地元の有機野菜と生ハム

海の幸は勿論おいしいにきまっている。

土佐清水の鮮魚のカルパッチョ
地元鮮魚のカルパッチョ
まず鮮魚のカルパッチョ。野菜との色合わせもよい。

鮮魚丸々一尾のアクアパッツァ
鮮魚一尾のアクアパッツァ
さらに、お薦めが鮮魚丸々一尾のアクアパッツァが豪快である。

手際よく骨をとってくれます
若い男の子の手さばき・・・
若い男の子が・・・、細君はそれだけで満足の様子・・・手際よく骨と身をとりわけてくれるから、不器用で面倒くさがり屋のわたしも問題なく美しくいただけた。

食べやすくなったアクアパッツァ
こんなきれいに捌いてくれました
この一皿が「あぁ土佐の国だぁ」と老夫婦を一挙に納得させたことは言うまでもない。

大きいピザ
この大きさ!!
さらに「安芸・土佐の赤うし」も旨かった。
土佐の赤うし
土佐の赤うし これで一人前なんです・・・

その前に実は、えっ!というほど大きなピザがサーブされていたので、赤うしの時には二人とも「いやぁ・・・おいしそうだけど・・・こりゃお腹が大変!」と、やや尻込みし、苦笑いの態・・・。

パスタ てっぺんトマト
形だけ・・・
さらにパスタがあるのだが、これは希望する量をちゃんと訊いてくれたので、

「お姿だけで結構」と、麺類党のわたしもさすがに形だけパスタをいただいた。

デザート
ティラミス・・・無言・・・
デザートもティラミスが・・・新鮮フルーツと一緒に・・・

夕暮れのテラスでディナー
テラスから夕暮れを・・・
その最中に夕暮れの闇があたりにおりてきたが、テーブルにそなえられたランプの灯がそこここでボ〜ッと浮かびあがってくる情景も興趣が掻き立てられた。

テラスで
テラスはランプの灯だけ・・・
そしてすっぽりとまわりが闇に支配されたころには、遠くの灯火が鬼火のようにもみえて、これも幻想的であった。

ランプのなかで
デッキにはランプの灯だけが浮かぶ・・・
こうしてこの夜、お腹は足摺の金剛福寺ではなく・・・満腹寺となったのだが、料理の美味しさ、レストランの景観のすばらしさもさることながら、わたしどもが「これは!」と感心しきりとなったのが、「Azzurrissimo(アズリッシモ)」に代表されるこのホテルのスタッフの皆さん方のはち切れんばかりの若さと笑顔とhospitalityであった。

hospitality溢れる若いスタッフ
若いスタッフの笑顔が素敵!!
退職後全国各地を旅してまわり常々実感させられているのが、昨今の厳しいホテル・旅館事情である。

人件費の圧縮策により人手が絶対的に少ないうえに従業員の高齢化、加えて日本語が今一つの外人スタッフの多さに興をそがれることが多々あった。

さらにかつての地方の老舗旅館のゆきとどいたサービスを覚えている者として、昨今の接客サービスの品質の劣化はさびしく嘆かわしい。

ところが、ここ「TheMana Village(ザマナヴィレッジ)」は違っていた。

なぜか? それは「映()える」のである。

前菜3種盛合せ
バエルと褒められた写真・・・うれしかった・・・
「バエます!バエます!」といって、わたしのカメラアングルをほめてくれた女の子。

そして、老夫婦のディナーの様子を何枚もスマフォで写真に撮ってくれた女の子。

わたしはその子に訊ねてみた。

「どうしてあなたみたいに若い人たちがこんな遠くのザマナでたくさん働いているの?」

「みんなダイビングとかマリンスポーツがやりたくてここで働かしてもらっているんです」と、

ゴム毬のように弾けた聲が間髪入れずに返ってきた。

柏島のエメラルドグリーンの海
こんな海がそこここに・・・柏島にて
なるほど四国西南端にはブルーオーシャンとブルースカイがあった。

そして若者の華やいだ聲や褐色の笑顔はこんなにも素晴らしかったのかと、あらためて思った。

そしてそうした時代が自分たちにも確かにあったのだと・・・なぜか胸に熱いものがこみあげてきた。

最後になったが、おそらくこれから訪ねる人たちは、わたしがお伝えした宿の姿とは異なる感慨を覚えることとおもう。

デッキのコーヒー
珈琲を一杯、いかが?
そしてその感動をあなたはきっとだれかに伝えたくなる、TheMana Village(ザマナヴィレッジ)はそんな素敵な宿になっているに違いないとわたしは確信している。

ぜひ機会を見つけて四国の突端まで足を延ばして、大自然の醍醐味と若者の弾ける笑顔を味わいに行ってもらいたいと願う。

湯河原 ラクラッセ・ドゥ・シェネガで見た白日夢

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を観ていて真鶴岬、伊豆半島へ行ってみたいと突然思いたち、ネットで探して公式HPから予約を入れたのが「湯河原ラクラッセ・ドゥ・シェネガ」という舌を噛みそうで、やたら覚えにくい名前のホテルであった。

ホテル ラクラッセ・ドゥ・セネガ
ラクラッセ・ドゥ・シェネガ
予約の決め手はおいしそうなフレンチ料理の写真であった。食いしん坊のわたしにとってそれはとても大事な宿選択の決め手である。

ということで、当日、真鶴岬に点在する源頼朝や鎌倉武士ゆかりの地をめぐって、午後3時半過ぎにホテルへ辿り着いた。

石造りの外観はやや黒ずんだ箇所があるものの、その曲線の造形と門前の椰子の樹はまさに南欧のリゾートホテル、たぶん・・・

コートダジュールあたりにはこんな小洒落た建物があふれかえっているに違いないとイメージしたのである。Never been なのだから想像するのは勝手である・・・

実際にホテル前の通りの先には地中海ならぬ相模湾が覗いていた。

相模湾はすぐそこ
確かに相模湾が見える
そして、眼前の電柱とおびただしい電線、カーブミラーにガードレールといった猥雑な障害物を取り除いてみれば、そこにはキラキラと陽光に照り映える群青の海原が瞼の内に広がっていく・・・南欧・・・南仏プロヴァンス・・・

想像の翼はどこまでもひろがってゆく

ラクラッセ・ドゥ・シェネガの入口
ここから入車
そして地下1階にあたる車寄せからどことなく小洒落たエントランスへ・・・

ラクラッセ・ドゥ・シェネガ エントランス車寄せ
ホテル入館の扉(ここが地下1階にあたる)
木製のドアを開けると・・・正面に南欧のホテルにはきっとあるに違いない優雅な曲線を描くサーキュラー階段が待ち受けていた。

エントランス
これはプロヴァンスのプチホテル
わたしは勇躍、期待に胸膨らませて1階のレセプションへとむかった。

温もりを感じさせるレセプション
レセプション 壁にはたくさんの絵画
木造りのぬくもりに満ちたレセプションの前がラウンジになっていた。

館内にはフランスの画家ルイ・イカールのアンニュイただよう絵画が数多く飾られ、この雰囲気は若い女性やカップルには最高なのだろうなと思ったりした。

さて、広い窓の向こうに水色の水が張られたガーデンプールが見えた。

ラウンジからガーデンプールを見る
ラウンジからガーデンプール、相模湾がみえる
そしてプールサイドに咲く赤紫色のブーゲンビリアが相模湾の海原をバックに映える・・・

ガーデンプール
ガーデンプールとブーゲンビリアと夏空
これが最近、若い娘たちがしばしば口の端にのせる“バエ、バエ”、“映えスポット”というのじゃなかろうか?

ラウンジからガーデンプールを
右手に伊豆半島が見える
・・・てな気分で脳内はう〜ん・・・ニースのプチホテル・・・

気分はアゲ!アゲ!・・・多分、これって死語・・・そしてチェックインをすませて3階のツインルームへと向かう。

オーシャンビュー ツイン
3階のオーシャンビューのツインルーム
室内に入るとオーシャンビューの窓際には長椅子が置かれ、ゆったりとした空間が演出されている。

レースカーテンに透けて小さなバルコニーが見える。

カーテンをあけて窓を開放するとプロヴァンスの白い太陽の光がまばゆい。

バルコニーから初島と伊豆半島を見る
バルコニーに夏の白い陽光がふりそそぐ・・・
しかもバルコニーに何気なく置かれた二脚の真っ白な椅子がふるっている。

室内から相模湾を一望
二脚の白い椅子
これはもう洋画「太陽がいっぱい」の世界である・・・

なにせ太陽がいっぱいなのである!!

ガーデンプールと円型レストラン
バルコニーから陽光に照らされたアクアブルーのプールを・・
真下にはブーゲンビリアが咲き誇るアクアブルーのガーデンプール、そして石造りの円形レストランが見下ろせる。

映画の舞台はナポリとかイタリアだったような気もするが、それはそれ、脳内はコートダジュールである・・・

レストランと湯河原の町
ナポリならぬ湯河原の町が見える
長椅子に寝そべる細君はさしずめマリー・ラフォレ・・・

バルコニーの真っ白な椅子に坐っているのは、何を隠そう、アランドロン・・・

いやはや妄想は海原の涯てをつきぬけて水平線から夏空へと飛揚してゆく・・・

室内から初島と伊豆半島を一望
すばらしい眺望 右に伊豆半島 正面に初島が・・・ 

正気に返って・・・やっぱり・・・目の前には青い海が広がっている・・・

相模湾のとおくに伊豆半島の山並み
うつくしい・・・
う〜ん、やはり・・・ここはコートダジュールいやニースだ!! NEVER BEEN TO・・・

そしてはるか遠くに地中海に浮かぶ島影が見えている・・・

そんな白日夢をみせてくれるラクラッセ・ドゥ・シェネガはまさに大人のホテルである。

フランス語で灯台を意味する“Le Phare(ル・ファール)”が当夜のディナーをいただくレストランである。

Le Phare(ル・ファール)
レストラン“Le Phare(ル・ファール)
当夜のメニューは次の通り。

ディナーメニュー
メニュー
そのスターターに本日のシェフからの「ひと口小皿」ですと差し出されたのが、驚愕の一品料理。

駿河湾朝どり鯵のエクレア
鯵のエクレア?
「相模湾で当日採れた鯵のエクレア」というではないか。

誰でもそんな料理・・・生臭さとチョコレート“鯵”ならぬ“味”は想像できない。

おそるおそる口に入れてみる。

本日のシェフのひと品 駿河湾鯵のエクレア
イケル!!
鯵というより白身魚のような味にカカオの苦味がうまくまざった、イケル!!これは表彰物の一品である。

このサプライズで一挙にディナーへの期待が膨らんだのはいうまでもない。

すばらしい演出である。

それからきれいにデコレートされたオードブル・・・「伊豆天城産軍鶏プレステリーヌと赤パプリカムースとビーツジャム」がはこばれてきた。

オードブル
オードブル
次に魚料理の「鮎コンフィとラビゴットソースのフェンネル風味」

鮎コンフィとラビゴットソースのフェンネル風味
鮎のコンフィ
夏本番前の鮎、塩焼きだけが鮎じゃないと知らせる一品、おいしかった。

このあとにメニューにはない箸休めなるこれまた遊び心の一品が供された。

箸休め お稲荷さん
ソーセージ?
目の前の包みを開けて・・・エッ!! えぇえぇ〜!!なのである。

フレンチの箸休めが・・・お稲荷さんだなんて・・・

お稲荷さん
シンプルなおいなりさん
Le Phare(ル・ファール)”のシェフはお客を驚かし小躍りさせる名人であると彦左は喝破した、お見事!!のひと言である。

その興奮冷めやらぬなかお肉料理がやってきた。「黒毛和牛静岡育ちフィレ肉にグリル夏野菜と生姜香る仔牛のジュ」である。

肉料理
フィレ肉料理
もちろんお肉はやわらかく量もほどほどで助かった。

当日は繁忙期直前ということもあって、ほかに一組のみのお客であったのでゆったりとした雰囲気のなかで心落ち着く食事が愉しめた。

また宴たけなわの頃、ハッピーバースデイのメロディーがピアノから流れてきた。もう一組のお客さまの誕生日なのだろう。

もちろんアランドロンとマリー・ラフォレは惜しみない祝福の拍手をおくった。

そして・・・「ショコラムースとメロンのゼリーに紫陽花仕立てヨーグルトのソルベ」なる長〜い名前のデザートが供され・・・

デザート
デザート
南欧のフレンチの宴はしずかに終焉を迎えた。フレンチのしつこさをおさえたとても上品な味付けと適度な量にわれわれは満足!

ディナー前に
雰囲気、最高です
くわえてスタッフのスマートなおもてなしに・・・Merci beaucoup(メルシー・僕!!)と叫んだのはご愛敬である。

ところでラクラッセ・ドゥ・シェネガには2019年にできた温泉もある。

ここは湯河原である、温泉がなければと・・・ここはドロンも日本人・・・

この日の男湯はわたしの貸し切りであった。

ゆったりと温泉につかり、ミストサウナなる変わったサウナにも入り?至福のひと時を愉しんだ。

そしてベッドにはいるともう夢見心地。

翌朝の朝焼けも素晴らしかった・・・

相模湾の朝焼け 初島の先に大島が見える
大島も見える朝のバルコニー
・・・と、細君が写真を見せてくれた・・・

早朝の大気のなか遠くまで視界がひろがり、初島の先、大島の島影が見えた・・・

・・・と、話してくれた。

もちろん私だって夢の中で地中海に浮かぶ島影をいくつも見ていたのだが、その話は宝物なので、細君にも話はしてあげていない。

気分は南欧
まさに南仏のバルコニー・・・
これから本格的な夏になるとガーデンプールには白いパラソルがいくつも開くという。

この静寂の支配するプールサイドも南欧の気分がアゲ!アゲ!の生気あふれた若者にこそふさわしい世界へと姿を一変させてゆくのだろう・・・


そして真夏のまばゆい太陽の日差しに無防備に身を投げ出すアランドロンの世界、そんなシーンのなかに老夫婦が身を横たえる真っ白な椅子はもう用意されていない・・・

そうそのとき悟らされた・・・

コキ、コキ ドライブ旅の2―3日目下呂温泉・湯之島館

コキ、コキ ドライブ旅の2日目は浜名湖の龍潭寺を拝観したのち、一路、187km先にある下呂温泉を目指す。所要時間は約3時間の予定。

|羆道・恵那峡SA
中央道 恵那峡SA
途中、中央自動車道の恵那峡SAなどで休憩をとったりしながらののんびり旅で、日が短くなった11月、ちょうど日も落ちる頃、下呂温泉の街に入った。

〕執錣硫C紂_赦げ浩瑤療鯒慧膣
下呂温泉の高台にある湯之島館に到着
下呂温泉は室町時代の京都五山の僧・万里集九や徳川時代の儒学者の林羅山によって兵庫県の有馬温泉、群馬県の草津温泉と並び「日本三名泉のひとつ」と紹介されている紛うことなき天下の名湯である。

湯之島館 露天風呂
湯之島館 露天風呂
だが、日本書紀や古事記という勅命による最古の正史や史書を紐解くと、有馬温湯(ありまのゆ)【摂津の有馬温泉=舒明天皇631638)】や紀温湯(きのゆ=牟婁(むろ)温湯)【紀伊の白浜温泉=有馬皇子・斉明天皇657658年】へ行幸した記述を認めることができるが、そこに草津・下呂温泉の名は顕れない。

また風土記のなかでは、出雲風土記・意宇郡に「神の湯(=玉造温泉)」が「男も女も老いたるも少(わか)きも或いは道路につらなり、或いは海中を洲に沿い、日に集い市をなし、繽粉(まが)いて燕楽(うたげ)(歌い乱れて宴をひらく)。・・・万の病ことごとく癒ゆ・・・故に神の湯という」と詳細な描写がされている。

玉造温泉 旅館松の湯
玉造温泉 旅館・松之湯
さらに伊予国風土記逸文「湯の郡」には、少彦名命が豊後の速見の湯(=別府温泉)を地下トンネルで伊予まで引き大国主命の病を治癒させた「湯の岡(=伊佐尓波神社 道後温泉)」の話が登場するなど、1300年ほど前の世に、既に現在でも著名な温泉地が知られていたことがわかる。

‘燦絏浩 湯の岡 伊佐爾波神社
道後温泉 湯の岡 伊佐爾波神社
そのなかに、冒頭の三名泉の下呂温泉と草津温泉の名が挙がっていないのは単純に記紀などが編纂された八世紀初頭にこの両泉がまだ開湯されていないか(事実下呂温泉は平安時代の発見、草津温泉は日本武尊が発見との伝誦があるものの資料での確認は鎌倉時代初頭)、または中央にその評判が届くほどの知名度がなかったものと想像される。

“騨川支流沿いの下呂温泉街
飛騨川支流沿いに下呂温泉街
さて、前置きはそれくらいにして、下呂温泉についてである。

下呂温泉の呼称であるが、この独特な名前は実は昭和初期からのもので、それまでは「湯之島」と呼ばれていたという。

⊇蕕瓩禿鯒慧(下呂温泉)を天下に紹介した万里集九の銅像
室町時代に下呂温泉を知らしめた万里集九
実際、「三名泉」の生みの親である万里集九や林羅山も当地を「飛州の湯島」、「飛騨の湯嶋」の名前で紹介している。

下呂温泉の名を広めた林羅山の銅像
江戸時代に紹介した林羅山の銅像
それがどうして「ゲロ」などという、ちょっと引いてしまう名前になったのか?ということだが、下呂市の公式観光サイトには、「『続日本紀』宝亀7年(西暦776年)10月の条に、「美濃国菅田駅(※(1))と飛騨国大野郡伴有(上留)駅(※(2))と相去ること74里、岩谷険深にして行程殊に遠し。其の中間に一駅を置き、名付けて下留(※(3))という」とあり、この下留(しものとまり)が、下留(げる)、下呂となったといわれています。」と、転訛説を紹介している。

(1) 美濃国菅田駅・・・現在の下呂市金山町菅田 

※(2) 飛騨国大野郡伴有駅・・・現在の萩原町上呂 

※(3) 下留駅・・・現在の下呂


そして飛騨地方の名誉のために、この地方ではいわゆる吐瀉物(としゃぶつ)のことは「げぼ」と呼ぶため、「ゲロ」に汚いといった語感は覚えないのだという。

さらに、飛騨川沿いに走る国道41号線を富山方面へ走ると、中呂、上呂という地名が途中の道路標示に認めることができる。


そのため、「呂」が何か土地の特性を表す言葉なのではないかと、調べてみたがよくわからなかった。

そこから「風呂」にも「呂」の漢字が充てられているが、「呂」に「豊かな湯の出る場所」といった語源でもないかと探してみたが、これもハズレで、結局、地名の由来は消化不良のままとなっている。


さて、当夜の宿は湯ノ島温泉の名を冠する昭和6年創業の「湯之島館」である。本館建物が登録有形文化財に指定されているなど、下呂温泉を今日の繁栄に導くきっかけとなった旅館である。

ヅ佻進顕什盪慊蠅遼楷
湯之島館 本館
私たちが泊まったのはその本館3階建ての建物であったが、なるほど趣きはあるものの、後方に山の斜面に沿って増築されたコンクリート造りの建物は何の変哲もない普通の温泉ホテルであった。

下呂温泉の街並を部屋から見下ろす
部屋から下呂温泉の街を見下ろす
しかも、増築を重ねていったのか、館内の廊下は迷路のように廻らされ、特に大浴場への行きかえりに方向音痴の私が迷子になるのは必定であったものの、常にナビゲーターとして私を先導してくれる細君までが帰りに迷ってしまったというのだから、これは意図してつくられた迷路であったに違いないと思ったものである。

湯之島館 夕食
湯之島館の夕食
翌朝、下呂温泉の街並みというか、中心部分にある白鷺橋に立ち寄った。

部屋から紅葉と下呂温泉市街
お部屋から
そこに下呂温泉を世に知らしめた恩人たちの銅像が三体、建っている。

万里集九と林羅山は得心がいったのだが・・。

実は、もう一体、脇に座って記念写真が撮れるように配慮されたチャップリンの銅像があった。

チャップリンは1932年の初来日以来、4度も我が国を訪ねている。そのどこかで、この下呂温泉を訪れたのだと、さすがは天下の下呂温泉と夫婦してチャップリンとならんでにこやかに記念写真を撮った。

下呂温泉のチャップリン像
哀しげなチャップリン像
ところが帰京後、調べてみてビックリ!! 一度も訪れてはいないという。

ではなぜ、銅像がということだが、2001年に町おこしではないが、映画を語り合いながら温泉街を散策できるとよいとの観光協会の発案で、第一号の銅像設置の栄誉を授かったのが、チャップリンだったというのである。

しかし、その後その運動は尻すぼみとなり、2番目のブロンズ像が建てられることはなく、そのためか哀愁に満ちたチャップリン像が縁もゆかりもない飛騨の国にポツネンとして据え置かれているとは、清少納言ではないが、ホンマに「いとをかし」な風情ではあっ た。

そして古希を迎えた老夫婦が嬉々として記念写真を撮りあっている姿こそ、「いと可笑し」な光景であったに違いない。



泊まってみたい宿 日光金谷ホテル

(当ブログの写真の転用・二次利用を禁じます)

ある親しい方から日光金谷ホテルは一度、泊まってみられる価値があるとかねてご推奨をいただいていた。

1・金谷ホテル外観
日光金谷ホテル・本館

また、独身時代に全国を旅してまわった家内も、なぜか日光を訪ねたことがなく、一度、連れて行ってといわれていて、なんと38年が過ぎてしまった。もちろん、とうにしびれを切らした家内は「日光に行かずして結構ということなかれ」で、ご近所の友人らと数年前だったか訪れていた。


しかし、その時は旦那どもをほったらかしにした科により華厳の滝が濃霧のためでまったく見ることができなかったという。


ということで、急きょ金谷ホテルへ泊まりに行こうと何故か話がまとまり、ホテルに予約を入れ、あれよあれよとあいなった次第。


日光金谷ホテルは西洋人相手に明治6年に創業された現存するもっとも古いクラシックホテルということである。

2・本館エントランス
本館・エントランス

現本館がその当時の様子を多く伝え、洋式造りの建物となっている。

3・レセプションで百年前のスタンドが現役で使われている
レセプションで現役の百年前のスタンド

今回、私たちが宿泊した別館は昭和10年に建てられたもので、唐破風造り、木造三階建の和のテーストを凝らした外観となっている。

4・金谷ホテル別館
唐破風の別館

入口の両柱には尾長鶏の木鼻をあしらえ、柱に沿い長い尾っぽを浮き彫りにしているなどその造作には多大な財力と匠の技が投じられている。

5・唐破風の柱には尾長鶏の木鼻、柱には長い尾が掘り出されている
唐破風下の木鼻は尾長鶏・尾が柱に浮し彫

そのためこの別館にはヘレンケラーや昭和天皇もご宿泊になったのだという。


もちろん客室はリゾートホテルということで洋式に統一され、スチーム暖房やアンティークなバスタブなど古き良き時代の香りが満ちている。

6・懐かしいスチーム暖房
部屋にはスチーム暖房

昨今の機能性重視やアメニティグッズの充実といったシティホテルに慣れた人間には少々、戸惑いもあることは仕方のないところ。


何を隠そう、このわたしはこの旧式の、いや、格調高いバスタブはやはり落ち着かなかったことは正直に白状しよう。

7・バスタブもアンティーク
まさにアンティークなバスタブ

しかし、本館二階のダイニングルームでのディナーはさすが日光金谷ホテル、圧巻であった。

8・ダイニングルーム
ダイニングルーム

当夜のメニューは以下の通り。

9・家内のメニュー  10・私のメニュー

家内が熟成子羊のポワレ、わたしは“特製日光虹鱒ディナー”にした。

15・熟成子羊のポワレ
熟成子羊のポワレ

オードブルやサラダは洒落ていて過不足がない。金谷ホテルの料理を先に総括すれば、“質実剛健な西洋料理”と評するのがもっとも当を得ている。


不要なデコレートや捏ね繰り回したようなソースもなく、いたってシンプル、スマートな料理なのである。

その典型がコンソメスープである。さらりと淡白で、西洋おすましのようなスープであったと家内の言。

11・コンソメ
コンソメ

そして、わたしのオニオングラタンスープは器の蓋を開けてビックリ。なんとハート型をしている。

12・オニオングラタンスープ
ハートです

今年、65歳を迎え、めでたく高齢者の仲間入りを果たした男の目の前に、まぁ、かわいらしいハートのカップが置かれたわけである。


家内もこれにはただ微笑む、いや、憐みの笑みを浮かべるしかリアクションのとりようはなかったようである。


もちろん、お味は質実剛健、玉ねぎ大好きな私好みのこってりした、農作業の後にでも呑むとさらに味が際立つといった体のスープであった。

13・食器に刻印された金谷ホテルのベルトのロゴマーク

そして、エッと驚いたのがそのカップの蓋の裏に刻印されたロゴである。聞けば、金谷ホテルでは古い食器をたくさん今でも使用しているということで、この陶器もそのひとつなのだそうだ。こうした貴重な出会いが古い格式を誇るホテルにはあるのだと改めて感じたところである。


いよいよ、メイン。伝統のフランス料理、 “虹鱒のソテー金谷風”の登場である。

14・日光虹鱒のソテー 金谷風
日光虹鱒のソテー 金谷風

見た目がしっかりとしたソテーである。結構な大きさの虹鱒である。

これ全部、食せるかと心配しながらソースをかけ、ナイフを入れる。


やわらかい!! 骨もすんなり切れてしまう。口に運ぶ。骨がまったく気にならない。

おいしい・・・。いや、お見事。


ソースもどことなく田舎風で、これ良い意味で言っているのだが、濃い目の味付けなのだが、口に残らぬあっさり味。矛盾しているようだが、それが虹鱒を食べおわってみての素直な感覚なのである。


さて、食事についてはそれくらいにして、ダイニングルームの造作もなかなかにわたし好みでありました。


入口を入ってすぐ右手には年代物と思しきレリーフなどが壁を埋めていた。さらに天井はなんと部屋の最高の格式を表わす折り上げ格天井(ごうてんじょう)で、しかもその一枚、一枚に図柄が描かれている。

16・折り上げ格天井と柱頭彫刻

柱にも頭に彫刻がほどこされ、その贅をつくした造りに、明治初期の日本人が西洋に負けまい侮られまいとした生真面目さが窺えて、いじらしさすら感じてしまう。


そんな金谷ホテルのディナーも終了、部屋へ戻り、翌日の東照宮参詣にそなえ、早々と床に就いた。

17・別館の客室
新緑が手に届く部屋でした

したがって、本館一階にあるクラシックバーには、家内の「寄らなくていいの?」という悪魔の囁きを物ともせずに別館を一目散に目指したところである。


翌朝、朝食をダイニングルームの朝陽が差し込む窓際でとった。

18・朝陽が差し込むテラス風の席で朝食を

これも今風のビュッフェ方式ではなく、スタッフによるオールサーブのアメリカンブレックファーストである。

わたしは目玉焼き、もとい、sunnyside up・・・、いや、over easyというのかこれはと久しぶりに英単語を探り出す自分にひとり苦笑い。

卵焼き overeasy

本式に焼かれた目玉焼きである。頼めば本物のsunny side up(片面焼き)が口にできたのだろうと思った。


家内はシンプルにプレーンオムレツで苦労もなしといったところ。

20・ふわふわプレーン・オムレツ

朝陽が零れ落ちるテーブルでオールサーブでのブレックファースト。少なくなりました・・・こんな朝食の時間。


効率性追求、コストダウン、人手不足などなど、今の時代、確実に昔の豊かさは失われていっていると実感したところであった。


ゆっくり朝食を摂ったあと、金谷ホテル探索の散策に挑む。まず、家内が目をつけたのが竜宮と称する観覧亭と展望閣。

21・展望閣より観覧亭を見る
展望閣から観覧亭を見る

本館三階の北側廊下を東方向にずっと奥へ進む。途中に本館のもっとも古い部屋であるナンバーがシングルの部屋が覗けた。う〜ん、さすがの格天井である。

22・本館のシングルナンバーの部屋
格式あるシングルナンバールーム

それを過ぎてさらにゆくと最後に石段を上がる。そして屋上のような場所へ出る。

そこに日光の山並みを眺望する展望閣やプールや天然のスケートリンクで遊ぶ人々を見物する観覧亭がある。

23・観覧亭の方から展望閣を
観覧亭から展望閣を見る

現在はもう使用を中止しているということだった。ただ、リンクになる池?にはアオコが一面に発生し、黄緑色に水面が映えていた。

24・プールとスケートリンク
右がプール 奥が天然スケートリンク

また、プールには水が張られ、それがきれいであったのが、往年の夏の金谷ホテルの賑わいが耳朶の奥に響き出すようで奇妙な感覚にとらわれた。

25・展望閣からの眺望
展望閣からの眺望

そのあと、ホテルの裏庭へ出て神橋へ向かおうとしたが、生憎の工事中、途中で引き返した。


庭には木のベンチなどがおかれ、かつてはそこで団欒に耽る西洋人たちがいたのだろう。

26・裏庭
裏庭

ここからの本館の景色も新緑の中に白色と赤色がうまい具合にとけこみ美しい。

27・裏庭より本館を

一方で、別館の和風の建物はどこか寺院を見るようで、日本の伝統、格式を感じさせ、これも興趣が尽きない。

28・裏庭より別館を

一時間余の散策であったが、日光金谷ホテル、ただ、泊まって、食べて、出かけるだけではもったいない。

まさに本物のリゾートホテルである。ここでのアンニュイな時間の流れこそが一番のお宝なのだと思った。

29・レセプション
伝統を感じさせるレセプション

そして、昔の日本人は真に本物を追求し、生真面目にその達成に努力と犠牲を惜しまなかったのだと思い知らされた。そんな価値ある時間をこの日光金谷ホテルはわたしに与えてくれたのである。一度、訪れる意味は大きいと自信をもってお勧めできる“泊まってみたい宿”である。



温泉へ行こう・泊まってみたい宿=大正浪漫あふれる銀山温泉の古山閣

BS・TBSの「美しい日本に出会う旅・東北の秘湯」(1月14日)という番組で銀山温泉が紹介された。その宿のひとつに古山閣が採りあげられた。
1・古山閣正面
古山閣

大正浪漫あふれる秘境の温泉という謳い文句につられ、即刻、その場でネット予約をした。

01・銀山温泉撮影スポットから
銀山温泉の街並み

NHK朝ドラ「おしん」のロケ場所として有名な能登屋旅館も魅力的であったが、川側の部屋が予約でいっぱいであったうえ、改装をしたのち部屋が新しくなった分、古きもののよさがやや損なわれた感もあるとの口コミもあった。そこで、ベンガラ色の壁と折り上げ格天井という古式な部屋が空いていた古山閣を選択した。

6・招福の間
ベンガラ色の壁に味わいがある和室・招福

TVで紹介された“招福”という部屋にわたしが一目ぼれしたのだ。

7・折り上げ格天井  8・落ち着いた部屋です
折り上げ格天井            落ち着いた和室

その古山閣は木造四階建ての伝統的な日本建築である。

4・古山閣入口  34・アンティークな世界
 古山閣入口              玄関は大正時代にあふれる

内装のすばらしさとともに外観を飾る鏝絵(こて)には職人の技とそれを育てた往時の旅館の主人たちの剛毅な芸心が偲ばれる。

2・三階の右 電気がついた部屋が招寿の間
四季を彩る鏝絵が圧巻

銀山温泉の入口を入ってすぐに古山閣が位置するため、湯治客がまず目にするのが古山閣の鏝絵である。四季の絵柄を鏝(こて)で描いた見事なものである。

25・豪華な鏝絵の古山閣
すばらしい鏝絵が壁を覆う

近くで見れば見るほどその職人芸には驚かされるのだが、一見だけでは彩がゆたかできれいだといった感想に終わってしまうので、3Dの立体的な鏝絵はよくよく目を凝らすことが肝要。

20・3Dな鏝絵・秋祭り
秋祭りを描く凹凸のある鏝絵

まず、食事の前に昼間の銀山温泉をぶらぶらした。ゆっくり写真を撮りながら“はいからカリーパン”やお土産屋に入ったりしても30〜40分ほどでひと廻りできる。

18・はいからさんのカリーパン  カリーパン
銀山温泉名物のはいからカリーパン

と言っても、冬場は白銀の滝のかなり手前で積雪により侵入不可。橋を渡って、“そば処滝見館”の玄関先をちょっとお借りして何とか白銀の滝を見ることができた。

24・白銀の滝
白銀の滝

古山閣へ戻り、まず温泉へ入る。一回目は一階の大浴場を使用。だれも入っていず、独り占め状態。少々、熱めの湯であるが、湯屋の天井が高く、空気もひんやりとしているため、湯船のなかがとても気持ちがよい。

10・大浴場
いい湯です

翌朝に貸切り風呂へ入った。貸切り風呂は二か所あるが、両方とも招福の間のある三階にある。

11・右の貸切風呂  12・左の貸切風呂
貸切風呂もゆったり

さて、夜の散策する前に夕食をとった。部屋食で高坏膳である。

26・高坏膳の夕食
なんとお膳でお出ましです

夜の街並みをそぞろあるくのがひとつの目的であるので、お神酒はほどほどに食事を愉しむ。

27・尾花沢牛温泉蒸し  28・フカヒレの中華風蒸し
左:尾花沢牛温泉蒸し       右:フカヒレの中華風蒸し

尾花沢牛あり、フカヒレあり、温かな団子汁ありと思った以上の山間の旅館の料理であった。

29・蕪と赤魚の吉野餡かけ  30・鳥団子汁
左:蕪と赤魚の吉野餡かけ          右:鳥団子汁 

丁寧に盛り付けされ、味付けも薄味で、どれもとてもおいしかった。

31・サーモンの塩麹焼き  32・蕎麦まんじゅう
左:サーモンの塩麹焼        右:そばまんじゅう

お腹も満腹、ちょっと風に当たろうと窓を開けると、そこには昼間とは異なった風情の景色がひろがっていた。

9・部屋から
部屋から対岸の伊豆の華を見る

そして、午後八時前、いよいよ大正浪漫の世界へと足を踏み入れる。当夜は雪もなく見通しがよく、これはこれでよい。まだ人通りも少ない温泉街の奥へと歩いてみた。ガス燈に灯がともり、淡い橙色の燭台のように浮かび上がる旅籠が川筋の両側にならんでいる。

15・如月の銀山温泉

遠い昔、どこかで経験したことがあるとても懐かしい光景、添い寝した母が諳(そら)語った昔話の世界のような心やすらぐおだやかな情景である。これを大正浪漫というのもよい。だが、わたしには誰しもが心の奥襞に大切に温め宿らしている童の無垢な魂のような景色、原風景のようにも思えてきた。

17・湯煙りの立ち昇る川筋
湯けむりに浮かぶ銀山温泉

幻想的とひと言でいうのはたやすいが、もっと人間の本源にある剥き出しのやさしさ、思いやりのような、そんなあったかくも産毛のような小世界にいま自分は身を置いている・・・そんな夢を見た。

16・銀山温泉奥からの夜景
銀山温泉の奥から見る

翌朝、障子を開けるとこんんこんと雪が降っていた。今回の雪国の旅で初めての降雪である。

21・翌朝は雪が降っていました
雪が降っていました

二日前はホワイトアウトで外出もままならなかったと仲居さんから訊いていた。それはさすがに勘弁いただきたいが、やはり北国の雪降る情景を目にしたいのは自然な旅人の気持ち。



旅の三日目にして空から雪が舞い落ちてきてくれた。朝食をすませると、早速に雪降る銀山温泉の散策に移った。

22・銀山温泉の雪の朝

湯治客は朝食中か温泉にでも浸かっているのか、朝の温泉街はまだまだ静寂の世界である。

23・雪の能登屋
雪降るなかに能登屋旅館

冬空から舞い散る雪はその景色を小さな物語の世界へとかえてくれる。夢のようなおとぎ話の世界にいるようである。本当に銀山温泉に来てよかった・・・そう思わせる雪景色であった。






 

泊ってみたい宿=江戸の風情を残す宇和町・卯之町の“松屋旅館”

愛媛県西予市宇和町卯之町3丁目215番地

TEL0894-62-0013


松屋旅館は江戸時代の街並みが残る卯之町(うのまち)の“中町通り”に面してある。

松屋旅館
松屋旅館

その主な建物は今を去ること二百余年前の文化元年(1804)に建築されている。


旅館正門に掲げられる“松屋旅館”と書かれた扁額も右横書きで、前を通る往還の情景をこの旅館が眺めてきた歴史の長さを感じさせる。

松屋旅館正門


ここ卯之町は、江戸時代、宇和島藩唯一の宿場町として、また、四国霊場四十三番札所・明石(めいせき)寺の参道入口の地として賑わいを誇ったという。


宇和島城 四十三番札所・明石寺
左:宇和島城              右:明石寺

格子戸、梲(うだつ)、半蔀(はじとみ)、出格子など古い景観を残すその街並みは200912月に重要伝統的建造物群保存(重伝建)地区に指定されている。


古い街並みの残る中町通り
江戸の面影を残す中町通り


こうした伝統的情緒を残す一方で、この卯之町が幕末・維新の頃、文化的にも高い水準にあったことが、この地に足跡を残した文化人たちの顔ぶれを見ても明らかである。


明治15年に建てられた四国最古の小学校・開明学校    大正年間に建てられた教会
四国最古の小学校・開明学校(明治15年創立)  開明学校より大正時代造の教会を見る  

シーボルトの門弟・二宮敬作(蘭学者・医学者)がシーボルト事件(1828年)に連座し、投獄後、故郷の八幡浜に近い卯之町に戻り、開業、シーボルトから請われその娘・楠本イネを日本初の女医(産婦人科)として養育・教育したのも当地である。

二宮敬作住居の地
二宮敬作の住居跡・現在、個人のお宅が建っています

また、脱獄逃亡中のシーボルトの高弟・高野長英が鳴滝塾時代の学友である二宮敬作を頼り、同人住居の裏手に潜居していた住居が細い路地裏にひっそりと残されている。

細い路地にあった高野長英の隠れ家  高野長英の隠れ家
長英の隠れ家は細い路地、二宮敬作邸の裏手にあります

斯様に、この小さな古い街並みは、幕末激動の時代の息遣いが今でもかすかに聴こえてくる、そんな錯覚を感じさせる落ち着きをもった静かな町なのである。

そのような地で、長年、旅籠を営んできた松屋旅館の宿泊者のなかにも、後藤新平、犬飼毅、浜口雄幸、若槻礼次郎、尾崎行雄などの政治家や前島密、新渡戸稲造など歴史に名をとどめた人物の名前を多数認めることが出来る。

文化元年(1804)建築の松屋旅館
幕末・維新を飾る人物が宿泊した松屋旅館

その由緒ある文化財特別室に泊まってみたいと思ったのが、今回、卯之町を訪ねた動機であった。

洋椅子がなぜか似合います
8畳の和室・なぜか洋椅子の似合う空間

当日、若女将の大氣真紀さんに案内された部屋は三つある特別室のうち“けやき”という客室であった。

8畳の居間です
8畳の和室

一階に洋間と8畳の和室、二階が寝所となっていた。一人旅のわたしにはとても贅沢な空間である。

お部屋入口から
手前がエントランス、次に洋間、その奥に8畳の和室


洋間手前に4畳ほどのエントランスにあたる板の間があるが、そこに足を踏み入れた瞬間、壁面に掲げられた額縁に目が留まった。その字体といい、時をじっくり浸潤させたかのような飴色の色調といい、飾らぬ装丁といい、自然流の時の流れを感じさせる味のある書である。

お部屋の到る所に書があります


そして次の洋間、奥の8畳和室、二階の寝所と、各部屋に謂れのありそうな書が飾られている。

書の額がいっぱいです  面白い書も


2007年には傷みがひどくなった特別室の改装、修復を行なったということで、部屋の佇まいも往時とは幾分、趣きを異にしているのだろう。洋間風の間などを設けたのも時代の流れのひとつと理解するしかない。


ただ、和風の洗面所両脇にある男女トイレも最新式のウォシュレットなどを設置し、清潔感にあふれ、現代の旅人にとってはやはりありがたいと言わざるを得ない。

ウォシュレットのトイレ

さて、特別室の外の大浴場、といっても当日は私一人の貸し切りであったが、ひと風呂浴びて部屋へ戻ると、洋間のテーブルに一人きりの晩餐のお皿が待っていた。


名物料理の用意された洋間

今朝、魚市場に揚がったという新鮮な伊勢海老、天然鯛、太刀魚の刺身の盛合せが真っ先に目に飛び込んできた。

まぁ、何とも豪快ともいえる膳である。

伊勢海老など新鮮なお刺身盛合せ

こんなにたくさんの料理・・・、食べられるだろうか・・・と、やや尻込みをしていたわたしに、若女将が気持ちをほぐしてくれるかのように、“まず、お酒の方はいかがいたしましょうか”と言うではないか。

一人前のご膳です


“ぬる燗のお勧めは?”と、訊ねると、
“うちの前の造り酒屋の開明はおいしいですよ”というので、それを頼む。
熟成純米酒・開明である。

地酒・開明


若女将のお酌と話し相手で、お酒も食事も退屈することなくスイスイと順調過ぎるほどにすすむ。


八寸


当夜のご酒・“開明”を造る造り酒屋・ “元見屋酒店”の創業は幕末の安政5年(1859)である。

ここも寛政年間(1789-1801)に建てられた前蔵も残る古い建物であるが、老朽化がすすみ、2009年に白壁は応急修理を施したものの、予算の都合上、瓦葺はスレート葺きへと変えられてしまったという。

寛政年間に建った前蔵が残る元見屋酒店
中町通りに面する元見屋酒店

伝統的建造物は日本人全員で後世に伝えてゆくべきもの。その維持・補修など保存については、その住人の大きな負担とならぬ程度の公的扶助が必要だと感じたところである。


さて、さて、食事もぬる燗で天然の鯛の刺身を・・・

最高でした。そして、わたしは初めてだったのだが、“煎り酒”という江戸時代には食卓に欠かせぬ調味料であったという醤油もどきにつけて食べました。

右が煎り酒
右が煎り酒です


松屋の煎り酒は吟醸酒に梅干しを入れ、そこに鰹節などちょっと加えてコトコト煮詰めて作るのだそうです。

これが白身魚の刺身によく合うのである。当夜はほとんどお醤油をつけずに煎り酒を使用したほどに、素材の味にやさしく、その味を引き立てる控えめというか献身的な調味料であると実感した。

そして若女将が奨めてくれた鯛の皮。

鯛の皮で一品


こうして食するとコリコリ感もあり、一種の珍味のような贅沢品に変身。

人気のNHK朝ドラ・“ごちそうさん”の始末の料理の一端を経験させていただいた。

まぁ、変わった食べ方があるものだと感じたのが、太刀魚のねじり焼き。
それと紅葵のゼリー。これもさっぱりとしたヘルシーなもの。

太刀魚の捻じり
左がねじり焼き・右の紅葉が紅葵


これも太刀魚が大振りでないとできない料理法であると、豊かな南予の海に感謝した次第である。


あと、宇和島牛・・・


宇和島牛の鍋

鱧の湯引き・・・・


鱧の湯引き

・・・と、松屋旅館の大女将が漬ける松屋名物の漬物。

松屋名物の漬物
200年の糠床でつけた松屋名物の漬物


若女将が終始、そばに居ていただけて、卯之町の歴史やわたしの他愛ない話し相手になっていただき、食事もお酒も本当においしくいただけました。

鱧の汁椀
鱧のお椀もあたたかくおいしかったです

真紀さん、本当にごちそうさまでした。


二階寝所から一階の居間への階段
修復された階段には手すりもあります

それから二階の寝所へ向かい、二百余年の月日の流れを眺め続けてきた大きな梁の下に敷かれたあったかいお布団に入り、心地よい眠りへと落ちていった“松屋旅館”の一夜でありました。

大きな梁のある二階の寝所


落ち着いた古い町並みにとけ込むようにしてたたずむ“松屋旅館”。


玄関への石畳
玄関への石畳

そしてその伝統を控えめに素朴に守っておられる若女将をはじめ松屋旅館の方々。


しっとりと来し方に思いを馳せてみたい方など、ぜひ、訪れられたらいかがでしょうか。

なんだか自分がすこしやさしい人間に変わったように思える、そんな素敵な旅館でした。

泊ってみたい宿=摘み草料理の美山荘

美山荘の蛍狩り(2006.7.5)
京都の旨い蕎麦処・“おがわ”は、味だけでなく、サプライズ!!(2013.6.30)

京都市左京区花脊原地町375

TEL 075-746-0231


この6月、京都北区紫竹にある蕎麦処の名店・“おがわ”で美山荘の若女将に偶然、お会いしてから3か月。

9月の初旬に美山荘を訪ねた。5年ぶりである。何だか、ずいぶんとご無沙汰していたことになる。

美山荘
美山荘

しかし、当日、母屋の前にタクシーが止められると、早速に若女将が雨のなか、風流な番傘を手にタクシーの窓を叩き、雨滴に濡れる硝子越しに笑顔でお迎えである。

母屋から離れ(川の棟)を見る
母屋からみた離れ(川の棟)

すぐに離れの“楓・岩つつじ”の間へと案内された。

岩つつじの間

床の間を背に月見台を正面に見ると、もう、心はいつもの山深い花脊の美山荘の世界へいっきょに浸り込んでゆく。

雨の月見台

しっとりとした雨音のなか離れの下を流れる清流の瀬音が表情豊かな旋律を奏でる。

お薄 お茶請け
到着時に供されるお薄とお茶請け

そうした世界にわが身がおかれているのだと感得した刹那、まさに“静謐(せいひつ)”というシュールな浮遊感をもつ小宇宙に抱きすくめられたような気分になった。

橙と翠

あぁ、美山荘へかえってきた。

母屋

そう思わせる奇妙な位相空間、距離空間がここには化石生物のように厳然と棲息しているような気になるから不思議だ。

母屋へ入る若女将
母屋へ入る若女将

若女将の佐知子さんはさしずめわたしにとって、ドーナツの穴のようなものなのかも知れない。いや、失礼!


薪で炊かれた熱いお風呂へゆっくりと入り、雨に濡れた体躯と心をとろかす。いつも、ここの檜の湯船につかると、どこの温泉よりも温泉らしく感じる。

お風呂への渡り廊下
離れから湯殿へ

清浄な清水を薪で沸かす・・・。自然の恵みに感謝するつつましやかな営み・・・。

清流をながめる湯船
清流を眺める湯船

浴衣に着替えて、さぁ、母屋へ・・・。

渡り廊下から母屋を
湯殿の渡り廊下から黄昏る母屋をみる

夕餉である。

母屋玄関内

今回、もっとも驚いたのが、母屋の日本間に洋風テーブルがおかれていたことである。“どうして”と、訊ねたところ、最近、高齢化の影響で畳に坐るのが辛いというお客様が増えたということでそうした要望が強いのだという。

母屋・夕餉の間

そういえば、わが家のお寺も最近は本堂の畳の上にならべられた椅子に坐って、法事などを行なっていたっけ。

次の間の流水の襖絵
テーブル席から次の間・流水の襖絵を
母屋夕餉の間・床の間
夕餉の間・床の間

何だか、日本文化を孫子(まごこ)の代へ伝えてゆくべき使命を担っている世代の人間が、その伝統文化を自らの使い勝手に合わせて毀すとまでは云わぬが、その連綿とした流れを結果的に断ち切る行為に手を貸してしまうというのも、ちょっと複雑な心持ちになる。(翌朝の朝餉はこのお部屋で坐っていただくように心配りされていました)

岩つつじの間・床の間
岩つつじの床の間
鞍馬より天狗風わく・・・軸にも縁を感じる
鞍馬より天狗風わく・・・

もちろん、医療的・物理的に無理な場合は、それはそれ、まったく別の話である。

月見台と木立と清流
お部屋から月見台、当日は雨で縁台へ出ることはかないませんでした

今の子供たちに高坏膳で食事をさせることなど、日常生活のなかではまずありえない。
だからこそ、こうした美山荘という位相空間、位相の遅れが起こるような世界において、どんな圧力を加えようが、どんな形に変形させようが、ドーナツの穴はひとつなのだということを、若い人たちに気づかせたい・・・。

美山荘・石畳

日本人の底流に流れる心の機微といったものはひとつなのだということを知ってほしい・・・と、わたしは考える。

まぁ、そうした気難しい話・・・、どうでもよい。ここ美山荘にくると、そうした七面倒な理屈、思念こそが、大悲山の上空高く、昇華され、霧消してしまう。そのことが言いたかっただけである。

花脊の空
花脊の空
花脊の山
花脊の山

さて、その日は6時半に夕餉がはじまり、席を立ったのが11時過ぎと、なんとまぁ長丁場となった。

八寸 ちょっとお洒落な八寸

ご挨拶に出てこられた大女将に長の無沙汰を詫び、手ずからの銘酒・“弥栄鶴”をいただきながら、

弥栄鶴
美山荘でいつもいただく弥栄鶴

大女将の変わらぬ美しさに少々、驚きを禁じ得なかった。山深い花脊という地をおおう清浄な空気、冴えわたった清水、深山に充ちる木霊たち・・・。そのものたちが化身しているのかも知れぬと、一瞬、脳裡をよぎったのは嘘ではない。

向付 季節の茸汁
向付と季節のキノコ汁
玉蜀黍とオクラ 鮨
玉蜀黍とオクラ 箸休めの鮎の鮨
鱧の汁 つくね
鱧のお椀     つみれ
鮎ご飯
鮎ご飯

そして、当夜はわれわれをふくめ双組だけの投宿であったので、のんびりとおいしい食事に箸を添えながら、お酒を嗜み、若女将ともゆっくり11時過ぎまでつもる話ができ、満足、満足の夜であった。

鮎の盛りつけ
若女将が鮎の塩焼きを、豪勢です・・・
鮎の塩焼き

そう言えば、翌朝、家内が、“毎回のことですが(余計だぁ〜!)、ほんとうに夜遅くまで長話のお相手をしていただいて申し訳ありません”と若女将に深々とお詫びしておりましたなぁ。


なぜ? 旅はこうした話ができるのも、その大きな魅力のはず。どうしてダメなの?となんぞ理屈を述べようものなら、冷たく、“世の中には自ずから常識の範囲というものがあります”と、お叱りの言葉が頭上から雨あられと降ってきそうなので、ここらで止めておく。

離れ前から峰定寺の正門を
離れ前から峰定寺正門を
峰定寺内を流れる清流・寺谷川
峰定寺前を流れる寺谷川・離れの下の清流の上流

翌朝、家内は、峰定寺の本堂をお参りした。わたしは石段がきつくて危ないとのご住職の奥様の指示のもと、麓の庫裡にて待機することに。

峰定寺仁王門
峰定寺仁王門


峰定寺・庫裡
峰定寺・庫裡


そして、いよいよ、美山荘ともお別れである。大女将と若女将ご両人のお見送りを受け、心を洗われた美山荘のひと夜を胸に、一路、周山街道を嵯峨野の清凉寺へ向けて南下していった。

大女将と若女将のお見送り

さて次回は、若女将が云う平野屋に負けぬ“鮎のせごし”を食しに美山荘へ伺うとしよう。


その季節には事前に頼んでおくと、“献上鮎のせごし”が用意できるとのことであった(“せごし”はお客様によって好き嫌いがあり、依頼があったらご用意するのだそうだ)。

相変わらずおきれいな若女将

鳥居元の平野屋の鮎の“せごし”をわたしが褒めすぎたものだから、花脊の化身ともいえる淑やかな若女将も、やや、本気モードでありましたなぁ。

美山荘・扁額

そんなこんなで、久しぶりの美山荘へのひと夜の旅。やはり、行ってよかった。

美山荘母屋玄関

泊ってみたい宿。このタグでこれまで美山荘をアップしていぬことに、今回、気づき、美山荘の鮎のせごしもおいしいと語る若女将に敬意を表し、旅の思い出として心を籠めてここに記すこととした。



穂高温泉郷・安曇野、泊まってみたい宿=なごみ野

穂高温泉・安曇野、泊まってみたい宿=にし屋別荘
湧水の郷、安曇野を歩く その1=NHK「おひさま」ロケ地・陽子の通学したあぜ道
「おひさま」ロケ地・安曇野を歩く その2=陽子(若尾文子)の「百白花」・大王わさび園水車のある風景

安曇野市穂高有明3618-44

電話:0263-81-5566


 お宿「なごみ野」は北アルプスの麓を走る山麓線沿い、4000坪の広い敷地にゆったりと建つ大きな「お宿」である。


DSCF8465
なごみ野

前泊した「にし屋別荘」の一年後の2001年の創業である。「にし屋別荘」が新潟の古民家を移築し、その素朴かつ骨太な造作を活かして実に味のある大人の雰囲気を醸し出しているのに対し、「なごみ野」は外観から内装まで新しく木の香りが漂ってくるようで、新築まだ間もないと勘違いするほど手入れが行き届き、「宿」というよりどこか和風ホテルといった趣きである。


ロビー
暖炉のあるロビーでウェルカム・ドリンクで〜す (☆゚∀゚)

 部屋は大人数向けの18畳間(和室二間)からわれわれのような夫婦もの向けの8畳間まで合計で15室あり、各パーティーの目的に合わせた利用が可能である。     


婦人向け露天風呂
貸切家族露天風呂

そのため温泉も男女大浴場から露天、家族用貸切露天風呂とお客の用途に合わせた設営になっている。

緑に囲まれたテラス
テラスでコーヒーを
テラスで朝食後のコーヒーを

 そしてティータイムが愉しめるゆったりとしたロビーや広いテラス、湯あがりにのびのびと憩える湯上り処やリラクゼーションルームといった共用スペースが充実し、魅力的である。

リラクゼーションルーム
湯上り処

 そうした「なごみ野」でやはり一番の押しは、料理長の神社(ジンジャ)正樹氏の手になる創作懐石料理であろう。素材ひとつひとつの細かいところまで手をかけた一品、一品に正直、驚き、感心もした。 


なごみ野献立
当夜の献立

 そして味はもちろんだが、見た目の美しさ、可愛らしさはとくに女性客には堪らないのではないかと感じた。そう・・・、家内もこの夜のディナーには殊のほかご満悦の様子であったので、神社さんに花マル (*'-'*)!!


さぁ、ディナーで〜す!!
前菜
空豆の挟み揚げ・・・、細か〜い!
冷やし茶碗蒸し
岩魚のお造り、最高で〜す!
焼物だけど、やけにお洒落
丁寧な調理、よ〜く見てください
信州サーモン湯霜がおいしい・・・、冬瓜のこの薄切り、初めての食感でした
信州桜井牛の蒸焼と青海苔入りの畳鰯、これまた上品!
鮎茶漬
可愛らしいけどボリュームたっぷりの嬉しいデザート

 前日の「にし屋別荘」と当日の「なごみ野」はお客の旅の目的、その時の心持ちによってその良さが格段に引き立てられる性格の宿である。その旅を「どう演出したいのか」、その主題によって、この二つの宿はひときわ魅力を増すのだと思う。


木漏れ日のなかで
朝食後のコーヒーとデザートを・・・

旅路にある人それぞれが、手造りのドラマを演じる主人公として立つ舞台こそ、「にし屋別荘」であり「なごみ野」である。それこそが、そう名画に流れる主旋律のように・・・、旅のひと時に美しいメロディーを添えてくれる・・・、本物の「宿」なのだと気づかされたところである。

穂高温泉・安曇野、泊まってみたい宿=にし屋別荘

湧水の郷、安曇野を歩く その1=NHK「おひさま」ロケ地・陽子の通学したあぜ道
「おひさま」ロケ地・安曇野を歩く その2=陽子(若尾文子)の「百白花」・大王わさび園水車のある風景
穂高温泉郷・安曇野、泊まってみたい宿=なごみ野

安曇野市穂高有明3613-42

電話:0263-81-5248



いま、NHKの朝の連続テレビ小説「おひさま」で注目の安曇野を二泊三日で訪ねた。 


水色の時「道祖神」
「水色の時」道祖神

当初、ひとつ宿での連泊を考えたが、ネットで調べるうちに気になる宿が二軒あった。そこで少し面倒ではあるが、穂高温泉内のほんの半里ほどしか離れていない宿を渡り歩くことになった。

その一日目の宿が、一日に五組しか宿泊客をとらぬ「にし屋別荘」という小さな宿である。


安曇野・にし屋別荘
にし屋別荘玄関へ
小さなお宿です
玄関を入ると「にし屋」の額縁が

この「にし屋別荘」は神戸出身のオーナー林田茂巳氏(63歳)が50代初めでサラリーマン生活に終止符を打ち、2000年に開業したもので、同氏の夢とこだわりが随所に詰まった「大人の空間」である。

 
にし屋別荘・益子の間ベッドルーム
古民家の温かみあふれるベッドルーム
ベッドの下に秘密の空間が
ベッドの下に隠れ家のような心躍る空間が
 各部屋に冠された名前が「伊万里」「織部」「備前」といった焼き物に因んでいるのもオーナーの「こだわり」のあらわれである。われわれ夫婦が通されたのは「益子」というロフト形式の部屋で、幼い頃に読んだ世界文学全集のなかに出て来るような浪漫に満ちた遊び心豊かな空間であった。
益子の間

以前はもうひとつ「唐津」という部屋があったが、現在は和室の食事の間に改装されており、和洋の異なる空間が「懐かしい時間」というコンセプトのもとに巧みに演出され、共存を許されている。われわれが食事をいただいたのがかつての「唐津」の間であった。


和室の食事の間
洋間の食事の間から

そこで供される食事も「八月のお献立」に印されているように丁寧に料理され、味付けも上品でおいしかった。
 

にし屋別荘献立
当夜の献立
こだわりの器に盛られた前菜・にし屋別荘
こだわりの器に盛られた前菜

 日頃、ついついお酒に走ってしまうわたしも、この夜は料理に舌鼓を打つのに忙しかった。
それでも最後に御飯が残ったのだが、ご主人が「お握りにしてお部屋でお夜食にいかがですか」と、持たせてくれるなど、その心尽くしのお持て成しにはいたって満足!
 

前菜
油皿・鰻白焼砥草揚げなど
岩魚の塩焼き
牛フィレ肉の炭火焼

そしておいしい料理を一段と引き立ててくれたのが、林田氏ご自慢の器の数々であったことは言うまでもない。


囲炉裏の間に飾られた趣味の大皿
御主人ご自慢のそば猪口コレクション
新潟の古民家を移築、天井が高い
新潟から移築した古民家によく似合う陶器の数々

食後は自室に戻り、ベッドルーム下に設えられたロフト式の居間で、マッサージチェアにもたれ、またソファーに横たわり、翌日の道祖神巡りのことなど取り止めのない話を語り合った。正直、旅先でこれほどくつろいだ時間が過ごせるとは思っていなかった。

BlogPaint
「屋根裏の世界」でくつろぐ
マッサージチェアもよく似合うロフト式のくつろぎの空間

そう・・・、「にし屋別荘」には幼年時代に幾度も夢見たあの心ときめく屋根裏の世界がひっそりと息づいていたのである。翌日に宿泊した「なごみ野」とはまた趣きの異なる手造りの空間と時間が味わえる温かい宿であった。

 

それと、温泉についてもひと言、言っとかなければいけない。にし屋別荘には宿泊客5組に対して中房温泉から引いた内湯と露天風呂あわせて3つの温泉がある。各々が家族貸切で入湯できるという贅沢なものであり、こうした仕組みもここを「別荘」と呼ぶにふさわしい由縁である。

平戸・旅亭「彩月庵(さいげつあん)」=泊ってみたい宿

平戸市戸石川町長者原178−1

電話:0950−21−8811


 彩月庵は平戸大橋をわたり国道383号線から県道19号線を経由し約3km、川内峠へあと数分の中腹に位置する部屋数10室の小さな宿である。

平目の活け造り

彩月庵玄関へのアプローチ(前日は雨でした)

彩月庵入口案内

 

 当日は昼過ぎからの雨の中、夕刻の5時過ぎに彩月庵に到着した。宿の前にはゆったりとした駐車スペースがあるのだが、激しい雨である。宿の屋根のあるアプローチまでのわずかなアプローチをどうしようかと思案する間もなく、すぐに仲居さんと若い衆が大きな傘を手に車まで駆けつけてくれた。ドアを開け、大きな傘を差し掛けてくれ濡れることなく入館。めでたし!メデタシ!



大きな傘でお出迎え

  エントランスで梅昆布茶のサービスを受けた後、屋根つきの通路を案内され、部屋へ向かった。各部屋に玄関が設けられ、独立性の高い造りになっているのには驚いた。



この通路の右手側に各お部屋がある

引き戸を引きそこで靴を脱ぐ。どこか料亭でも訪れているような錯覚を覚えた。  


私たちの「もみじ」の間の玄関です
右手奥が玄関になります

 
 二間続きの部屋で、南蛮風いや中華風だろうか奥の8畳の和室の窓際に鮮やかな朱色の腰掛けが置かれているのが印象的であった。




この八畳間でお食事をいただきます

そして、仲居さんがお部屋の案内の最後に満を持するようにして開いたドアの向こうに・・・


 

何と岩風呂風の温泉があって、われわれは仲居さんの期待に応えて「すご〜い!!」。



岩風呂温泉

そう言えば予約する際に、「ここは部屋ごとの温泉で大浴場がないんだ。変わってておもしろいね」と家内と話したことをすっかり忘れていたのだ。

 食事はお部屋で摂るというので、女性陣が先に温泉へ入ることになった。窓から平戸大橋も見えるのだろうか、「わぁ〜!」とか何たらまぁ、楽しそうであった。



正面に朱色の平戸大橋

 

 わたしもひと風呂浴びて、ゆっくりした。風呂は清潔で天気が良い時は素晴らしい見晴らしなのだろう(実際に翌朝、朝風呂に入った女性陣は朱色の平戸大橋を見降ろしてキレイ!と叫んでいた)。ベランダからは最教寺霊宝館の朱色の塔も見え、まさに眺望は抜群である。もう少し天気がよければなぁ〜、もっと最高だったのに・・・



中央左に朱色の最教寺霊宝館の塔が見える

そして頃合いでも計っていたのだろうか、ちょうど浴衣に着替え終わったときに、「お食事の用意をさせていただきます!」と、声がかかった。

 



さぁ、お目当ての晩餐だ〜!!

 

 あとは冷えたビールに始まり、地酒の説明を聴き、その名も目出度い「福鶴」を注文。



福鶴、おいしかったな!

 

料理は新鮮な魚介類を中心に当地自慢の「平戸和牛」も洋皿として付けられた献立であった。表に「卯月」と書かれた当日の「おしながき」は下の写真の通り。



卯月のお品書き
平戸和牛の網焼き

 当夜は今が旬の平戸名物「ヒラメの活造り」を予約時に別途、お願いしていた。



天然ひらめの活造り

志々岐灘の強い海流にもまれたヒラメの身は艶やかに引き締まり、美味であったことはもちろん、縁側のコリコリ感は今も忘れることができない。

 



このエンガワは絶品でした!!

そして旬菜、先付から始まった食事の量は十分過ぎるほどであった。

 



旬菜と珍味で旨味のある蛸の塩辛
先付・平戸産グリーンアスパラと水烏賊白海月胡麻和え

潮の香の漂う青佐海苔の澄ましは、港町にやって来たのだと教えてくれるこれも優れものであった。

 



材料は地元尽くしで、新鮮、味付けも上品で盛り付けも美しい。



蓋物/赤ムツ大和蒸・蟹身高野豆腐
焼物/車海老・鱈バターソテ
酢の物 筍と桜鯛昆布〆め・カラスミ海月


梅粥真昆布

桜香豆腐黒蜜掛け

 

料理に目のない旅人には堪らない旅亭である。



宿から数分で川内峠です

川内峠に数分の場所で景色最高、料理も申し分なく、温泉の一人占めと、まぁ、平戸へゆく機会があったら、このこぢんまりとした「彩月庵」も一興だと思う。

 


 一度、南蛮の風の吹く平戸の街を散策されてみたらいかがであろう。

泊まってみたい宿=伊豆・峰温泉の「玉峰館(ぎょくほうかん)」

河津桜はこの週末頃(2月26、27日)から満開!!
 
住所:静岡県賀茂郡河津町440
電話:0558-32-1031

自家源泉を有する峰温泉の「玉峰館」は、おそらく人によってかなり評価が異なる宿のひとつであろう。


 

 「玉峰館」のすぐ隣にある大噴湯公園の源泉大噴湯(1時間毎の噴上げ)。この日9時半の噴上げの時は虹も見えた。


 玉峰館は大正15年創業の老舗である。というより奈良時代の宝亀10年(779)に起源を持つ峰温泉がその後廃れ、平安時代後半より言い伝えだけが残っていたものを、地元の素封家の援助も得ながら大正15年に源泉を掘り当て、千年の眠りから甦らせた人物こそ、誰あろう「玉峰館」初代の稲葉時太郎氏である。


 

 だから「玉峰館」は老舗というより峰温泉そのものと云ってよい宿である。実際に玄関脇には源泉櫓が聳え立ち、大量の湯煙が宿の入口に靡いてくるのは圧巻であり、ある種の感動を覚える。


玄関脇に源泉櫓(やぐら)と湯煙が・・・
 

 バリ島の家具をあつらえたAsian Tasteの部屋に泊まりたかったが、JTBは純和風の部屋しか契約していないとのことで、次回はネットか電話で「和洋風の部屋」で直接予約を取ることにした(「和洋風に泊まりたいがどうしたらよいか」との質問に対する玉峰館のお話)。


玉峰館HPより、和洋の間(写真・玉峰館に掲載確認済)
 

 ただ、当宿は夕食も朝食もすべてお部屋で摂ることになっており、昔ながらの純粋な和風旅館のお持て成しを継承している。


玄関に入って格子越しにおしゃれなロビーが

玄関ロビー
 

 客室は14室ということで、和洋風4室、純和風10室とこじんまりとした旅館である。それに対し終日利用可能な源泉かけ流しの温泉が5つあり、温泉好きの旅人には堪らない宿と云える。実際に家内は3つの温泉をめぐって源泉を満喫していた。


 

 しかも平日の宿泊であったため、われわれ家族三人は大露天岩風呂を併設する温泉を家族風呂として使用させてもらえた。内鍵を掛け、ドアの外に「入浴中」の木札を掛け、まことに贅沢な時間を過ごすことができた。


大きな露天岩風呂
 

 浴室内は屋内風呂も大露天岩風呂も20余名は同時に入浴できるほどの広さである。「ご家族でどうぞ」と言われた時には、それなりの広さと思っていたので、本当にびっくりした。露天の塀越しに源泉櫓が見えて、いかにも湯治に来たという実感しきりであった。


露天風呂から源泉櫓が見える
 

 夕餉は伊豆の海の幸が豊富で黒田泰蔵氏作の白磁の清楚な器で戴く懐石料理は魚好きのわたしには文句なしであった。



温・里芋と大根
むつ・めじ・あこう鯛のお造り

和紙で包んだ「ぶりの奉書焼」

ブリの奉書焼の中身です。蓮根・豆鼓(とうち)・葱でからめてます
 

食事の最後の方に板長の大賀氏が挨拶旁々、料理の説明や感想を聞きに来られたのも新鮮であった。「ぶりの奉書焼」のレシピをお聞きし、一度、家内に造ってもらうことにした。分からないときは電話を戴ければFAXでお送りするとのことで、一見の客にも実にアットホームな気分を味合わせてくれる宿である。


甘鯛の蕪蒸し
地鶏と丸大根の炊合せ





 また、われわれはベースに懐石コースをお願いし、別途、伊勢海老のお造りをつけてもらったが、その日に揚がったお魚を焼くなり、煮るなり、事前にオーダーしておけば、お客好みのメニューにも自在に応えていますとのことであった。これも客室がたったの14室という少なさであるからこその手作り感の伝わるお持て成しであると感じた。

 

朝食も海の幸が一杯。
 


昨夜の伊勢海老のお頭入りのお味噌汁も絶品でした。

 
 話は戻って、夕食後には歩いて数分の川岸にライトアップされた河津桜を観に行った。


 戻ってから「蔵」を改装したシックなBARでカクテルを戴いた。われわれ家族のほかには中年のご夫婦がカウンターで男衆の木村氏を相手に静かに旅の話をされていただけである。静かで落ち着いた大人の空間と時間がその蔵のなかにはあった。


BAR入口

BAR の奥には囲炉裏席も

 
 冒頭に述べた「人によってかなり評価が異なる」と書いたのは、全体が純和風であるために、室内の洗面台も昔風で、今流の可愛らしい「アメニティー」などはなく、いたって簡素で必要最低限のものしか置いていないことである。さすがにトイレはウォシュレットで清潔であるので、そこはまったく問題ない。


泊まった部屋は縁側に洗面台が
 

 要はベッドじゃないと駄目とか部屋にシャワーがないと厭だといったホテル派の旅人にはかなり難があるかなと思ったまでである。


 また大きな温泉でも洗面・蛇口の数が少なく、本当に少人数向きに敢えて造られた贅沢な宿であり、便利さという名のもとに忘れ去った手造りのひと肌のぬくもりを感じ取れる宿であり、わたしは心地よく感じたということである。


asian goodsがさりげなく置かれた談話室
 

 次回は河津桜の満開時に和洋風部屋に泊まることでわたしの心はきまっている。


 さらに、おいしい料理と湯量豊かな温泉を愉しめるだけでも、玉峰館は十分な価値がある。だからお抱えシェフ付きの別荘のような気分で、気ままに泊まりにゆける隠れ家のようなものだとも思った。


「島宿 桜櫻(サクラ・サクラ)」が描いてくれた絵巻物---長崎県・崎戸

長崎県西海市崎戸町本郷953

電話:0959-35-3422090-9798-3467

 

 92日、長崎市内から車を駆って2時間ほどで、西海市にある崎戸町に到着した。9月に入ったというのに気温が33度に達する、まだ盛夏、真っ只中といった一日であった。

 

 

北緯33度展望台より東シナ海を

 

 現在の崎戸町は人口二千人ほどだが、三菱崎戸炭鉱で繁栄した時代は、5.2平方kmの小さな島(蛎浦島+崎戸島)に二万五千人を超える人々で賑わいを見せていた。その当時は、大島大橋もなく(99年開通)文字通りの離島であったが、いまは長崎市から車ひとつで行ける地続きにある。便利と云えば便利になったものである。

 

 崎戸町歴史民俗資料館前に立つ炭鉱夫像

炭鉱夫像(崎戸町歴史民俗資料館前)

 

 その小島であった頃、私は小学三年生になるまでこの地で過ごし、父の転勤と共に東京へ移った。

 

 そして、今回、長崎での龍馬伝巡りの合間に、半世紀ぶりに崎戸での一晩を愉しんだ。宿は、長崎市で教職を務める従弟が紹介してくれた「島宿 桜櫻」である。帰京後、速やかに、この「ぬくもりの宿」を紹介しなければと思いつつ、「対馬巡礼の旅」などという、とんでもない大河?ブログに挑戦中なもので、アップが延び延びとなっていた。今日はと思い、「桜櫻」の御主人、松本弥代吉さんのブログをあけると、なんと、あの日のことがアップされていた。参った!(松本さん、ゴメンナサイ!)

 

本郷橋を渡ってすぐ、「桜櫻」が

 

桜櫻より前方の海を
「桜櫻」前には美しい海が

 

 と云うことで、慌てて、でも、思い入れたっぷりに書かねばならぬ・・・

 

 島宿の桜櫻

島宿「桜櫻」
 
松本弥代吉さんと奥様

 

 食事は海の幸主体の素材を生かした素朴な料理だろうと、事前に勝手に思い込んでいたが、然に非ず。こう云っては大変失礼だが、非常に洗練された料理であったので、正直、びっくりした。皿の種類も豊富で、ダイエットにいそしむ家内と娘がひと夜だけの小休止を余儀なくされたのは云うまでもない。

 

先付け
 
おいしくてお洒落な先付け

 

 盛り皿や取り皿などに使われた食器はセンスがよく、奥様がひとつひとつ料理を運んで来られるにつれ、私はいつしか、どこか都会の片隅の小洒落た隠れ家にいるような錯覚に捉われていった。

伊勢海老・あわび・サザエ・水烏賊・きじハタの刺身盛合せ

角度を変えて、豪勢ぶりをもう一枚パチッ!(枚数が少ないので・・・)
これ一人前です

 そうだ、荒カブのから揚げもおいしかったなぁ・・・

 

姿よく盛りつけられた料理も、和洋といったジャンルに捉われない、料理人の心がストレートに伝わってくる素敵なものであった。素晴らしい手造りの作品を紹介しようと、写真を探したところ、最初のオードブルと伊勢海老など豪華盛りが数枚ある程度で、いかに会話が急速に盛り上がったのかが、これでよく分かるというものだ(言訳かい?)。

伊勢エビの味噌汁
伊勢海老の味噌汁

 

 食事が一段落したところで、厨房からご主人の弥代吉さんがご挨拶に出て来られた。そして、掘り炬燵形式のテーブルに同席し、奥様と一緒になって、会話に加わってくれた。吹き抜けの天井を見上げると、大きな火棚とそこから垂れる自在鉤が目に入る。この木の空間に風趣を添えて見事である。

掘り炬燵形式のテーブル
火棚もある木の空間
 
火棚のある木の空間 

 それからまさに囲炉裏端に座っているような気分で、話に夢中になっていくのである。ご両者のひと言ひと言は鋭いタッチで筆を入れる匠の絵師のようで、50年前のピンボケたセピア色の記憶に、次第にくっきりとした輪郭を浮かび上がらせ、彩色がほどこされていった。ある時は、いま、流行りの3Dならぬ立体的な映像として、思い出のひとコマがゆっくりとではあるが命を吹き込まれ、動き出すこともあった。

 

 そう、この小さな島に佐世保に本店のある「玉屋」というデパートの支店までがあった・・・。横綱の千代の山や栃錦が参加した大相撲の巡業で大興奮した・・・。小学校の通学路に崖のこわい場所があった・・・。それから、おびただしい数の炭住の棟々から立ち昇る熱気と喧騒がまざまざと目蓋の内に映った。

 

 それはまるでストーリーのある絵巻物のようで、また今では甘酸っぱい匂いに変わってしまったが、潮風にのせて刺激臭のある石炭の匂いさえも運んでくれるようだ・・・

 

 人口二千人という過疎の島に、そうした活況の時代があったことは夢のようである。松本ご夫妻との話が盛り上がるうちに、あの頃の日本という国は、こんな九州の端っこにある小さな島でも活気にあふれ、夢いっぱいの人生で押し合いへし合いしていたことに気づかされた。

 

 坂の上の雲を見つめ続け、歩みの歩を進めてきたはずの日本。半世紀の星霜を経て、この国は、その結果、何を手にしたのか。大人たちの笑顔からあふれるエネルギーや笑い声に突き上げられるように南国の青空はどこまでも高かったことを、幼心にも感じていた・・・。まばゆかった日本・・・。

 

 翌朝、松本さんに往時の炭鉱時代の遺跡、いや廃墟をご案内いただいた。幼い自分が通った小学校の廃墟を山上に認めた時には、正直、言葉がなかった。また、海水プールの跡を見せられた時には、東京で初めてプールに入った時に、真水であったことに驚き、うまく泳げなかったことを思い出した。

 

昭和小学校
 山上にある
昭和小学校の廃墟

福浦発電所の煙突

黒く煤けた貯炭場の遺構


 そして、根の強い夏草が生い茂るなかを短パン姿の松本さんが先導してゆく先に、炭鉱時代の構築物があった。頂に緑を繁茂させた煉瓦造りの煙突。貯炭場の黒く煤けたコンクリートの頑丈な骨組み。深緑の蔦に覆われた大きな煉瓦壁・・・。どこか、異次元の世界へと迷い込んだような時間であった。

蔦に覆われた変電所の煉瓦壁

半世紀という時の流れは、ある意味、人間という生き物の愚かしさを教え諭すためにあったのではないのか、背丈を越える夏草の叢生する場に止まり、真っ青な空に樹木を戴く煙突を眺めているうちに、そう感じたのである。 

あの頃も、今日のように空は高く、青く澄み渡っていた。

崎戸の空 

何のことはないのだ。自然は、横暴な人の営みの残滓すら、長い時間をかけ風化させ、また覆い尽くし、そして消し去ってゆくのだ。

 

そう! 歴史はその繰り返しなだけなのだ・・・。

 

その時、誰かが耳元で囁いたのである。

 

「空はいつも無窮なんだ・・・、海は果てしなく広いんだ・・・、そして、失くしたはずの緑ですら空の上にだって甦させることができるんだ」と・・・・。 

桜櫻からの朝日

 たった一泊二日の「桜櫻」の時間であった。

 

しかし、そこで過ごした僅かな時間は、人間は所詮、大きな自然の懐に借り棲まいしている小さな生き物なのだ。自然を為す生態系のひとつとして、その共生の中にこそ命の幸せはあるのだと、小さな絵巻物にして、愚かな私の目の前に具象化して示してくれたのである・・・。

 

泊ってみたい宿、宮島・「岩惣(いわそう)」


友枝昭世の第13回厳島観月能「紅葉狩」の夜(2009.10.14)

初春の厳島神社(2008.3)

広島県廿日市市宮島町もみじ谷

電話:0829-44-2233

 

 宮島は日本三景のひとつとして昔より名勝の地として名高い。加えて、平成812月、ユネスコの世界文化遺産に登録された。その区域は、社殿を中心とする厳島神社と、前面の海および背後の弥山(みせん)の原始林(天然記念物)を含む森林区域431.2haと宮島全域の14%を占める広い範囲となっている。

 

 そうした厳島神社へ10月の「友枝昭世の観月能」のため再訪した。お能の終演が午後8時頃であるため、宮島内で宿をと廿日市市の知人に照会したところ、この「岩惣」を勧められた。厳島神社から徒歩数分の距離であり、しかも本館に泊るのがよいとのアドバイスであった(「新館」と「離れ」があるが、「離れ」は料金が高く私には無理)。

 

 「岩惣」は安政元年(1854年)に岩国屋惣兵衛茶屋として創業された150年余の歴史を誇る老舗旅館である。初代岩国屋惣兵衛が弥山麓の紅葉谷の景観を多くの人々に愉しんでもらいたいと開拓を進め旅館業も発展させたと、店の案内にある。



本館玄関前庭
岩惣本館前庭

 

 現在の玄関に当たる母屋は現地の松材である弥山木を使用し、明治25年に建てられた趣のある建築物である。そこに岩惣の受付はあるが、いわゆる旅館の番頭さんが出て来られるのがその玄関内の和風の控室と相まってまことに心持ちよい。客は受付の手続きの段階から自然に昭和初期の世界へといざなわれることになる。


岩惣本館
岩惣本館正面

岩惣本館玄関
岩惣本館の玄関
旅館受付
趣ある受付
受付脇のつくばい
玄関を入ってすぐ左手にある蹲(つくばい)

 


 そして母屋に続く本館は昭和初期の造作で五室のみの和室を備えるが、われわれはその一室「養老の間」に泊った。夕食はお隣の「牡丹の間」でいただいた。

 

 ひんやりとした和室に足を踏み入れると、正面縁側の硝子窓が目に飛び込んで来る。木枠の、あの昭和30年代の家屋にあった硝子戸である。それを開けると木目のくっきりと美しい勾覧がある。

養老の間
養老の間
縁の間
縁に置かれた椅子と木枠の硝子戸
2009_10160910月14日厳島・京都0283
木目の美しい勾覧
懐かしい鍵
懐かしい硝子戸の鍵

そこに肘をつき目を戸外に向けると、視界を遮るほどにモミジ葉が美しく、高みには赤松の大木が見える。その下には小川が流れ、対岸の石灯篭が興趣をそそる。まだ紅葉には早かったが、これが全面に色づいた時には、この室内も紅色一色に染め上げられるかと思わせるほど間近に紅葉がひしめいているのである。


窓から紅葉が
紅葉の雲海
部屋から赤松の大樹と紅葉
高みに赤松の大木
部屋から石灯篭が見える
小川の向こうに石灯篭を望む

 

 多分、この景観を目にした客はきっと再度の予約を入れるに違いないと確信した。モミジの葉叢と等しい目線で縁側の椅子から紅葉狩りをする、そのポジションは京都や紅葉の山を歩くのとはまた異なった風情を愉しめると思った。まるで「茜色の海」に身を沈めるような不思議な感覚に陥るのではないかと想像したのである。人手の多いのが苦手な方には、ここの縁側からの独り占めの絶景スポットはとりわけお奨めである。

 

 また、裏山?の弥山(みせん)に登り、瀬戸内の海と中国山脈や四国山脈を一望にした後に、ラドンを含んだ温泉につかるのもよい。われわれは実際には翌日の午前中に登ったのだが・・・。

 

 さらにこの旅館は外人客の姿が多いのに驚く。仲居さんに訊くと、多いときは宿泊客の半分が海外からの客という時があるとのこと。現に、翌朝、ひとりで温泉に浸かっていると、イタリアとベルギーからの客がひとりずつ入ってきた(各々、2〜3週間の休暇を取っての初来日とのことであった)。そして弥山や厳島神社を歩いていて気づいたのだが、ここは英語圏の外人が少なくヨーロッパの人が2、3人ずつで観光しているのが印象に残った。海に浮かぶ朱色の「テンプル」と彼らの呼ぶ神社(シュライン)がヨーロッパ人好みなのだろうか、それとも向こうの旅行代理店が世界遺産の宮島をうまく宣伝しているのかしらと考えてみたりした。それほどにEU圏の観光客が目につくのである。弥山でどれほどのスペイン語?やフランス語、イタリア語を喋る健脚の外人たちに追い抜かれたことか。温泉で顔見知りとなったベルギー人が汗だくの私に気づくと、「ハ〜イ!」とにこやかに手を振って軽やかな足取りで追い抜いて行った。

 

 さて、最後になってしまったが、料理の方は牡蠣の季節に早いのだとかで、いわゆる旅館料理であった。ただ、お部屋に一品ずつ運んでいただけるので、温かいまま口に出来、おいしかった。とくにその日は、野外観劇であったため体が冷え切っており(家内はさっと温泉に入ったが、私は熱燗で内から温めることにしたのだ)、とくにうれしかった。


先付け前八寸
   先付け           前八寸

お造り鰆杉板焼き
   お造り           鰆杉板焼き

煮物進肴
   煮物         進肴


強肴松茸ご飯
 強肴          松茸ご飯

水菓子
 水菓子

 

 そして、次回は観月能の開演日ができたら紅葉の見頃のときに重なるといいのにねと、手前勝手で欲張りな話を家内としたものである。


 さらに夕食の時間を能の終演に合わせて午後9時という遅いスタートに快く応じていただけたこと(夕食は午後6時から8時まで)や当店の土産に置いていないモミジ饅頭の取り寄せ(「岩村もみじ屋」)など融通を利かせた接客サービスには、仲居さんの細やかな気遣いや丁寧な対応と合わせて、とても気分のよい宿であった。

別所温泉 旅館 「花屋」に行ってきました!5

別所温泉 旅館 「花屋」に行ってきました!

 

長野県上田市別所温泉169

0268-38-3131


信州の鎌倉 北向観音堂=神社・仏閣めぐり
 

 

 大正浪漫の建築で有名な旅館「花屋」にようやく泊ることができた。「ようやく」というのも、昨年の夏にこの大正浪漫溢れる旅館をネットで見つけ、予約を入れようとしたが、生憎、満室で断念した経緯があった。だから今年は3ヶ月ほど前から早々と予約を入れ、万全を期した。

 

 「花屋」のHPを開くと分かるのだが、わたしは大正時代の宮大工が腕によりをかけて造作したという本館の21番か23番の部屋に泊りたいと思い、旅行代理店を通じて申し込んだが、家族3人では部屋が大きすぎる(定員が6〜8名)うえ、そもそも予約で一杯との回答であった。人数と予算の問題もあり、仕方がないので別の部屋でもよいと当日を迎えることになった。

 

花屋の正面から玄関ははさすがに老舗の風格があった。そして館内へ上がり、部屋へと案内されるのだが、建物を結ぶ良質の栂(つが)を使用した渡り廊下と釣り灯篭という風情が「大正浪漫」をいやがおうにも掻きたてる。
 

宵闇が迫る頃、温泉へと向かった。その渡り廊下の途中から見える中庭の赤石や水車が回る日本庭園は幻想的で、気持ちは一挙に大正浪漫の世界へ飛んで行った。


 温泉はすべて源泉掛け流しで3種類ある。わたしは大理石造りの室内温泉風呂に入った。


 そこのステンドグラスがお目当てだったからである。温泉の質はさすがに老舗だけあってよい。黄色や赤、青色のステンドグラスと大理石造りの造形がよくマッチし、湯船に浸かった気分は最高である。


 

 そして部屋での夕食となった。この部屋の造作はまぁ、普通の旅館とあまり変わりはなく、HPで見た21番や23番の部屋の匠の技を見出すことは難しかった。また、室内のトイレ・洗面の配置がどうにも窮屈。そして洗面の設備は古過ぎていただけない。アメニィティ・グッズも大きく見劣りするので、今後の改善を期待。下の写真は泊まった部屋の縁側と畳間を仕切る欄間であるが、21番の部屋の造作には劣る。値段が違うので仕方はないのだが・・・。

 
 料理は部屋に順番に仲居が運んでくれるので、温かく味わえる。ただ、わたしには料理の皿数が多すぎて、種類を減らして質を高めてくれる方がよいと感じた。それは家内も同意見であった。

前菜

鯛のしゃぶしゃぶ

千曲川産のアユの塩焼き

信州牛のローストビーフ


 
 
 翌朝は大正浪漫溢れる木造りの食堂で朝食を取った。

大正浪漫あふれるダイニングルーム
そこで食べる朝食


 その後のチェックアウトまでの時間、前日にお願いしていた21番の部屋を見せていただくことになった。部屋へ足を踏み入れ、天井板に描かれた色鮮やかな絵柄を目にしてびっくり。障子に細工された細やかな桟の造作。床の間の床柱も素晴らしい。ひっそりとした座敷で仲居さんが「ご家族でお写真を撮りましょうか」というので、床の間を背にして三人、座布団に坐って、ひと時、大正時代の匠の技の部屋の空気を吸わせていただいた。広々としてゆったりとした贅沢な空間と時間であった。


障子の桟に匠の技

21番部屋の見事な天井絵

 

 ただ、家内はこの天井絵の下に寝るのは、何とも落ち着かないかも・・・、なぞと身の程知らずのことを言っておりましたが、わたしは機会があれば、もう一度、人数を募り、この部屋であれば泊ってみたいと思ったものである。 



大正浪漫あふれる談話室も雰囲気がありましたね・・・ 

 

最新記事
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

月別アーカイブ
記事検索
プロフィール

彦左衛門

  • ライブドアブログ