美山荘の蛍狩り(2006.7.5)
京都の旨い蕎麦処・“おがわ”は、味だけでなく、サプライズ!!(2013.6.30)
京都市左京区花脊原地町375
TEL 075-746-0231
この6月、京都北区紫竹にある蕎麦処の名店・“おがわ”で美山荘の若女将に偶然、お会いしてから3か月。
9月の初旬に美山荘を訪ねた。5年ぶりである。何だか、ずいぶんとご無沙汰していたことになる。
しかし、当日、母屋の前にタクシーが止められると、早速に若女将が雨のなか、風流な番傘を手にタクシーの窓を叩き、雨滴に濡れる硝子越しに笑顔でお迎えである。

母屋からみた離れ(川の棟)
すぐに離れの“楓・岩つつじ”の間へと案内された。
床の間を背に月見台を正面に見ると、もう、心はいつもの山深い花脊の美山荘の世界へいっきょに浸り込んでゆく。
しっとりとした雨音のなか離れの下を流れる清流の瀬音が表情豊かな旋律を奏でる。
そうした世界にわが身がおかれているのだと感得した刹那、まさに“静謐(せいひつ)”というシュールな浮遊感をもつ小宇宙に抱きすくめられたような気分になった。
あぁ、美山荘へかえってきた。
そう思わせる奇妙な位相空間、距離空間がここには化石生物のように厳然と棲息しているような気になるから不思議だ。
若女将の佐知子さんはさしずめわたしにとって、ドーナツの穴のようなものなのかも知れない。いや、失礼!
薪で炊かれた熱いお風呂へゆっくりと入り、雨に濡れた体躯と心をとろかす。いつも、ここの檜の湯船につかると、どこの温泉よりも温泉らしく感じる。

離れから湯殿へ
清浄な清水を薪で沸かす・・・。自然の恵みに感謝するつつましやかな営み・・・。
浴衣に着替えて、さぁ、母屋へ・・・。
夕餉である。
今回、もっとも驚いたのが、母屋の日本間に洋風テーブルがおかれていたことである。“どうして”と、訊ねたところ、最近、高齢化の影響で畳に坐るのが辛いというお客様が増えたということでそうした要望が強いのだという。
そういえば、わが家のお寺も最近は本堂の畳の上にならべられた椅子に坐って、法事などを行なっていたっけ。
何だか、日本文化を孫子(まごこ)の代へ伝えてゆくべき使命を担っている世代の人間が、その伝統文化を自らの使い勝手に合わせて毀すとまでは云わぬが、その連綿とした流れを結果的に断ち切る行為に手を貸してしまうというのも、ちょっと複雑な心持ちになる。(翌朝の朝餉はこのお部屋で坐っていただくように心配りされていました)
もちろん、医療的・物理的に無理な場合は、それはそれ、まったく別の話である。
今の子供たちに高坏膳で食事をさせることなど、日常生活のなかではまずありえない。
だからこそ、こうした美山荘という位相空間、位相の遅れが起こるような世界において、どんな圧力を加えようが、どんな形に変形させようが、ドーナツの穴はひとつなのだということを、若い人たちに気づかせたい・・・。
日本人の底流に流れる心の機微といったものはひとつなのだということを知ってほしい・・・と、わたしは考える。
まぁ、そうした気難しい話・・・、どうでもよい。ここ美山荘にくると、そうした七面倒な理屈、思念こそが、大悲山の上空高く、昇華され、霧消してしまう。そのことが言いたかっただけである。
さて、その日は6時半に夕餉がはじまり、席を立ったのが11時過ぎと、なんとまぁ長丁場となった。
ご挨拶に出てこられた大女将に長の無沙汰を詫び、手ずからの銘酒・“弥栄鶴”をいただきながら、
大女将の変わらぬ美しさに少々、驚きを禁じ得なかった。山深い花脊という地をおおう清浄な空気、冴えわたった清水、深山に充ちる木霊たち・・・。そのものたちが化身しているのかも知れぬと、一瞬、脳裡をよぎったのは嘘ではない。
そして、当夜はわれわれをふくめ双組だけの投宿であったので、のんびりとおいしい食事に箸を添えながら、お酒を嗜み、若女将ともゆっくり11時過ぎまでつもる話ができ、満足、満足の夜であった。
そう言えば、翌朝、家内が、“毎回のことですが(余計だぁ〜!)、ほんとうに夜遅くまで長話のお相手をしていただいて申し訳ありません”と若女将に深々とお詫びしておりましたなぁ。
なぜ? 旅はこうした話ができるのも、その大きな魅力のはず。どうしてダメなの?となんぞ理屈を述べようものなら、冷たく、“世の中には自ずから常識の範囲というものがあります”と、お叱りの言葉が頭上から雨あられと降ってきそうなので、ここらで止めておく。
翌朝、家内は、峰定寺の本堂をお参りした。わたしは石段がきつくて危ないとのご住職の奥様の指示のもと、麓の庫裡にて待機することに。
そして、いよいよ、美山荘ともお別れである。大女将と若女将ご両人のお見送りを受け、心を洗われた美山荘のひと夜を胸に、一路、周山街道を嵯峨野の清凉寺へ向けて南下していった。
さて次回は、若女将が云う平野屋に負けぬ“鮎のせごし”を食しに美山荘へ伺うとしよう。
その季節には事前に頼んでおくと、“献上鮎のせごし”が用意できるとのことであった(“せごし”はお客様によって好き嫌いがあり、依頼があったらご用意するのだそうだ)。
鳥居元の平野屋の鮎の“せごし”をわたしが褒めすぎたものだから、花脊の化身ともいえる淑やかな若女将も、やや、本気モードでありましたなぁ。
そんなこんなで、久しぶりの美山荘へのひと夜の旅。やはり、行ってよかった。
泊ってみたい宿。このタグでこれまで美山荘をアップしていぬことに、今回、気づき、美山荘の鮎のせごしもおいしいと語る若女将に敬意を表し、旅の思い出として心を籠めてここに記すこととした。