彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

自然

霧ケ峰高原・霧ケ峰湿原の初夏、レンゲツツジは今が盛り

6月21,22日の両日にわたって車山肩の湿原と霧ケ峰高原を訪れた。

初日は車山肩のコロボックルヒュッテから見下ろせる湿原を歩き、湿原を貫く木道の両脇に広がる植物群落のなかにオレンジ色の花をつけたレンゲツツジや白い花をいっぱいに咲かせたコバイケイソウの群生を鑑賞した。

コロボックルヒュッテから見下ろす霧ケ峰湿原植物群落
ただ、ヒュッテから見下ろす湿原の遠景には白いコバイケイソウの植生は確認できるものの、レンゲツツジのおだやかなオレンジ色は残念ながら目に映えてはこない。

コロボックルヒュッテの脇から湿原におりる石ころの道を下ってゆくと、途中から湿原を貫くように一本の木道が伸びている。

⊆峪格の霧ケ峰湿原植物群落木道
この日は梅雨の合間とあって、自然道を歩く酔狂な人もほとんどない。車山のふもとに広がる湿原は静寂が支配している。湿原に響く音といえばそこここで啼くウグイスの声に、時折、ツガイの雉が鳴く声が交じるていど。頭上はるかに広がる大空と湿原の間にはまことに心鎮まるゆるやかな時の流れが満ちていた。

その木道の両脇に目をやるとようやくあの柔らかな橙色の彩りを目にすることができる。

細君はずっと昔見た写真ではオレンジ色がびっしりと敷き詰められたようなレンゲツツジの群落があったはずと云う。しかし、いまわれわれが目にできるレンゲツツジの木は老木が多いのか枝の半分くらいが枯れてしまい花のつかないものが数多く、また鳥にでも啄まれたのか枝につく蕾はまことに貧相である。

じ呂貉泙多く花の付きが悪いレンゲツツジ
そのため、オレンジ色が密集して目にも鮮やかに映えて見えるというのではなく、白っぽい枯れ枝の合間にチョロチョロと揺らめく小さな橙色の焔(ほむら)を観るようなものである。

勢いのあるレンゲツツジのオレンジは綺麗
その一方で、小さな白い花をとんがりコーンのような穂先に乱れ咲かすコバイケイソウは今を盛りと生気に満ちて見事である。湿原の各所に白い花で身を装い群れ咲いてみせている。

Д灰丱ぅ吋ぅ愁Δ侶架遒涼罎レンゲツツジの橙色
この梅雨の真っ最中に信州の高原を訪れる機会はこれまでめったになかった。コバイケイソウがこんなに清潔な白い花を咲かせるのだとはちょっとした驚きであった。というのもいつも盛りが過ぎた盛夏の頃によく湿原を訪れるためか、土気色の斑(ぶち)を染みつかせた葉っぱと、盛りを過ぎた花を冠したコバイケイソウの落魄した姿をたびたび目にするだけで、わたしはどうもこの花に薄汚いイメージを抱きつづけてきたようだ。

ジ事なコバイケイソウの白い群落
この度現金なもので、その可憐な白い花を穂先にまとわせる様を心ゆくまで目にしたゆえか、コバイケイソウという花が高原に初夏の訪れを告げる先触れの花、「高原の夏の魁(さきがけ)」とも名付けるべきであると掌返しに思ったところである。


次の日はレンゲツツジが多分、車山肩よりも沢山咲いているはずとの植物博士として我が家で高名な奥方さまがおっしゃるので、久しぶりに車山肩を過ぎてちょっとだけ足を延ばし、霧ケ峰高原へ向かった。

霧ケ峰高原へ ビーナスライン
霧ケ峰高原へ ビーナスラインをゆく
そこには自然研究路というアカデミックな名を冠する自然道がある。そこに目指すレンゲツツジの群落があるはずというのである。

〔献永自然研究路案内板
霧ケ峰自然研究路の説明板
小学生の時からどうも植物の名前を覚えるのがとんと苦手な私である。すぐ覚えられたのはイヌノフグリやブタクサといった悪ガキにはとても好ましい語感を伴う草花のみであった自分に、蓮華躑躅などというどこかありがたい名前をもつ植物を鑑賞する機会を持たせてくれた連れ合いには感謝するしかない・・・と、心より思っている。

ぢ茖官狠呂惴かう自然研究路
第4園地に向かう自然研究路
日頃運動不足の私である。5コースある自然研究路なる散策道を、できるだけ距離が稼げる、しかし、そんなに熱心に歩くことはどちらかと言えば避けたい。そんな自分が選んだのは第4園地をめぐる所要時間は40分ほど、距離にして1・5kmほどのコースである。


¬献永高原のレンゲツツジ
目指すレンゲツツジは園地の奥のほうに群生していた。なるほど車山肩よりも間近に鑑賞できて、まだ成木が多そうである。蕾も喰い荒らされていない。

トロトロ歩きの私である。途中で写真を撮るという理由で休憩しながらの歩きである。結局、1時間10分ほどの野辺歩きとなったが、群生するレンゲツツジの花をすぐ脇で鑑賞し、しっかり堪能することができた充実した時間であった。
ヂ茖官狠呂埜つけたアヤメ
と、ここで筆を置きたいところではあるが、実際のところは、野辺歩きのそこここで雑草の中からアヤメやハクサンフウロなどを見つけては歓声を上げる細君を横目に、いまだイヌノフグリに仲間意識を覚えてしまっている私に気づかされ、ひそかに舌を出している自分に、ほとほと情けなさを感じさせられた霧ケ峰高原のアカデミックな散策ではあった。

2021年京都の桜 琵琶湖疎水・“哲学の小径”を辿る

京都最終日の3月26日は哲学の小径を法然院あたりから南禅寺までゆっくりと散策することにした。


⓪法然院の茅葺の山門
法然院 山門
椿で有名な法然院であっても、桜の樹くらいはあるだろうと高をくくってお参りしたが、境内に桜を見つけることはできず、手水鉢に浮かべられた椿の二輪の花びらで花見に替えた。
法然院手水鉢に二輪の椿
ただ、未練がましく寺域内をうろついたところ、墓地の傾斜地に枝垂れ桜が一本咲いているのを見つけたので、写真を撮った。

法然院の墓地に立つ枝垂桜枝垂桜
法然院の墓地に一本の枝垂桜
桜がないからだろう、現金なもので訪れる人はほとんどなかった法然院をあとにして、大きな石段を下り、“哲学の小径”いや現在でいう“哲学の道”に出た。疎水の両岸に桜並木が続いている。それなりの人出である。

疎水の満開の桜
疎水沿いに哲学の道 桜が満開
不自由な脚で南禅寺まで歩きとおせるか不安であったが、疎水沿いの桜は満開であった。

哲学の道
のんびりと細君とそぞろ歩いた。追い越していく人も多くいたが、もう少し頭上の桜花を愛でながらゆったりと歩を進めたらよかろうになどと、年寄りの負け惜しみとでもいおうか、風流を解せぬ輩は困ったものと嘆いたものだ。

さて、琵琶湖疎水に沿ってつづくこの“哲学の道”であるが、はじめて歩いたのは今を去ること半世紀も前のことになる。一浪後に大学入学を果たして無上の解放感とほとばしる希望に溢れた19歳の春のことである。入学手続きを終えた4月、京の安宿には炬燵がまだ設えてあり、朝夕の冷え込みが厳しい季節であった。

哲学の小径
かねて高校の恩師から東山の麓には疎水に沿って“哲学の小径”と呼ばれる鄙びた土手道があるから一度歩いてみるとよいと勧められていた。あの偉大な哲学者、西田幾多郎京大教授が思索を深め、“思惟”の重みで踏み固めていった散歩道があるというのだ。

善の研究 西田幾多郎
青春時代のど真ん中、精一杯背伸びしていた頭でっかちの自分にとって、難解な哲学を語る思想界の巨人が日々逍遥したという土手道、しかも“哲学の小径”なる尊称を冠された小径を歩いてなぞることで、哲学という高邁な空気感のようなものを肌で感じることができるのではないか、

哲学の道
疎水のほとり、まだ見ぬ風致のなかにわが身を置くことで、幾多郎のいう“微妙幽遠なる人生”の奥義の片鱗にでも触れてみることができるのではないか・・・などと夢想を逞しくし、土手伝いに歩いてみようと思ったのである。

哲学の小径 満開の桜が
“哲学の道”はもともと1890年(明治23年)、琵琶湖疎水が完成した際に設置された管理用道路であったということを、この度、知った。


そんなことだったから、昭和46年当時は未舗装の堤の両側に雑草がはびこる何の変哲もない細長い土手道であった。その夕暮れ時も観光客がわざわざ歩くほどのこともなく、地元の人が散策に使う常の道という景観であった。

その日は銀閣寺から南禅寺までを逍遥というよりは一気にせかせかと歩きとおしたが、哲学の小径の終焉近くに琵琶湖疎水を跨ぐ鄙びた土橋があった。どこか風情を滴らせる橋であったので、興味本位に対岸の東山の麓を少し上ってみることにした。

その山道をわずかに登ったあたりに苔むした石塔がいくつも転がっているひと隅があった。摩滅した刻字のなかに元号らしきものが見えたので、これは室町時代の頃の無縁仏だと勝手に決めつけてなぜか大発見をしたような気分でひとり悦に入ったことを思い出した。

遠くに土橋のような橋が
疎水を跨ぐ橋が目に入ってきた
それから50年後、記憶の中ではずっと土橋だと思っていた古ぼけた石造りの橋に遭遇した。確かに意識の底ひに埋もれていたあの土橋だ、山麓への道ならぬ細道がかすかに記憶に残っていた。そこで、足を止め、暫し双眸を閉じた。十九歳の自分を瞼の内に投影してみようと思ったからである。

それからしずかに目を開けてみると、目前には背を丸めた老人が欄干に腰をおろし無心に写生する姿があった。

写生する人
そして、山麓への登り口には鐵柵が立ちはだかっていた。わたしの“青の時代へ続く小径”は無情にも立ち入り禁止となっていた。

暗擽兇寮茲藁ち入り禁止
その登り口のすぐ脇に、当時はなぜか気づかなかった王女のお墓があった。江戸時代末期の皇族伏見宮貞敬親王の皇女・宗諄女王のお墓だと駒形の説明にあった。室町時代?の無縁仏といい、王女の御廟といい、この一画はひょっとしたらむかしは墓所として利用されていたのかもしれない。

宗諄王女の墓所
白塀で囲われた宮内庁管理の宗諄王女の墓所
この思い入れ深い“土橋”を過ぎると、“哲学の小径”もいよいよ終着点の若王子(ニャクオウジ)橋が視界に入ってくる。天気にも恵まれ、法然院を出立してから杖を片手にほぼ2時間の長閑な道行きとなった。

花びらを山風に散らす桜並木も途絶え、おだやかに流れる疎水に視線を転じると、点々と桜花を貼りつけた川面に番(ツガ)いの鴨がゆったりと身を任せるように浮かんでいた。

曳屬い粒が疎水の流れにのって・・・
思えば、50年前に19歳の青年が独り歩き通した哲学の小径を、いま、縁という糸で結ばれた男と女が共に老いを迎え、陸続と続く若人たちに先を譲りながら人生の終着駅へと一歩一歩、時を刻んで歩をすすめている。そんな懐旧と寂寞の想いを惹起させた“哲学の小径”の道行きであった。

2021年京都の桜 平野神社の魁桜(さきがけざくら)は満開(3月25日)!

平野神社は平安時代の寛和元年(985)、時の花山天皇が桜樹をお手植えしてから桜の名所へと姿を変え、江戸時代には「平野の夜桜」と謳われるほどに観桜の名所として高名になってきたという。

〆の神紋の提灯をつるす本殿
平野神社・本殿
その境内には早咲きから遅咲きまで約60種類もの桜が植わっている。それ故に刹那(せつな)の美を愛でる櫻花でありながら、花見を愉しめる期間が長く、畢竟(ひっきょう)、桜の名所としての名を高らしめていったと云えなくもない。

∧震鄂声劼虜・桜・桜・桜
平野神社の桜・桜・桜
そんな数多(あまた)咲く桜のなかでも東神門と手水舎の間に植わるのが“魁桜(さきがけざくら)”と呼ばれる早咲きの枝垂れ桜である。

3〆と手水舎  こ〆の駒札
その開花は洛中の観桜の季節のはじまりを告げる予鈴、まさに「先駆け」として“魁桜(さきがけざくら)”の名誉に浴したのであろう。

ナ震鄂声劼粒〆(サキガケザクラ)
魁桜が枝垂れている
この度は願わくばこの魁桜の咲き誇るさまを一目見たいと、先般、アップした千本釈迦堂の阿亀桜(おかめざくら)を愛でたのちに、テクテクと平野神社へと足を向けたというわけである。

千本釈迦堂 阿亀桜
枝垂桜の銘木 千本釈迦堂の阿亀桜(おかめざくら)
北野天満宮の北縁を西に向かった先に平野神社の鳥居と花霞が見えてくる。遠目にも櫻花が開花しているのがよく見えた。

北野天満宮北縁の道の先に平野神社
“平野皇大神”と揮毫された大鳥居をくぐり境内に足を踏み入れると、正面に神紋である桜の紋をあしらった提灯が吊るす東神門が見えた。
平野神社・鳥居
その左手前に目指す魁桜が満開の花の重みで枝垂れて見えた。

東神門と魁桜
間近に見る枝垂れの魁桜は見事である。

満開の平野神社・魁桜
早速、写真撮影とカメラを構えるが、次から次に人々が押し寄せ、立ち止まり、魁桜を仰ぎ見てはシャッターをきる。という具合にて、魁桜の全体像を人影なしに撮るのは大変難しく、上方へ向けたアングルで仕上げたのがこの一枚である。だからこれが蒼天であれば・・・と欲深な思いをしたのは私だけではないはずである。

桜の神紋を吊るす東神門
神紋の桜をあしらった提灯のかかる東神門
そして東神門をくぐると正面に拝殿が見えるはずであった。

だが残念なことに平成30年9月4日に近畿地方を襲った台風21号により拝殿は壊滅し、現在修復の真っ最中で灰色の大きな覆いが掛けられていた。

2018年9月4日の台風21号で倒壊した修復中の拝殿
その修復費用捻出のため広い境内の桜苑の一部が有料観覧の措置がとられていた。

桜苑 有料500円
入場料が修復費用にあてられる
入場すると菜の花と桜の花で美しくはあった。

有料桜苑
菜の花の黄色と色とりどりの桜色が美しい桜苑
しかし、苑内の桜も枝の損傷がかなりひどいように見え、昔日は素晴らしい桜の園であったろうにと、思いを馳せたところである。

平野神社 有料桜苑
昨年の11月に嵯峨野の大覚寺を訪れた時にも、宸殿が21号台風で大きな被害を受けた様子を写真で目にしたところであった。

安膤仍宸殿の台風21号による被害
大覚寺宸殿に展示された台風21号被害の写真
そして、此度の平野神社ではまだその傷跡が癒されていないことを知った。

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平野神社拝殿の台風21号により拝殿は倒壊(写真展示)
自然の猛威というものがどれほど凄まじいものかをあらためて知らされた気がした。

ところで、魁桜とは別の意味でもうひとつ平野神社の花見名物がある。茶店や露店が出店され、しかもお酒など持ち込み自由という縁台花見が楽しめることだそうだ。この二年間はコロナのせいで、それもお預けということであった。

碓酒禁止の立て看板
飲酒禁止の立て看板が寂しく置かれていた
境内には「桜苑内での飲酒を禁止します」の立て看板が寂しそうに置かれていた。やはり花見は賑やかに生きたいものだと、“花より団子党”の党員としてはその意味でも1日も早いコロナ騒動の終息を祈らずにはいられないのである。

2021年京都の桜・千本釈迦堂(大報恩寺)の阿亀桜(おかめざくら)は見事!

千本釈迦堂の本堂前に年季の入った枝垂れ桜の銘木がある。9年前に訪ねた際、此度よりわずかに10日ほど早かった(2012.3.13)にもかかわらず開花にはほど遠かったものの、阿亀桜(おかめざくら)の頭上高くには蒼穹が広がっていた。

2012.3.13 千本釈迦堂の阿亀桜
2012.3.13の蒼天のもとに阿亀桜
これで枝垂れに櫻花が咲き誇っておれば、富安風生(とみやすふうせい)の名句、「まさをなる空よりしだれざくらかな」の実景が見られたのにと、悔しい思いをしたことが思い出される。

一度は蒼天の満開のときに訪れたいと願っていたが、2021325日、ようやく櫻花が満開の時に京都を訪れることができた。

阿亀桜看板正面
阿亀桜
前日は醍醐寺の満開の桜に感動しっぱなしで、強欲な老夫婦は「まさをなる空より阿亀桜かな」と、既にひとつの秀句をしたためて胸躍らせていたのである。

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千本釈迦堂の参道と標柱
ところが、ところがである。前日の晴天は雨空に変わり、春雨のそぼ降る生憎の日和となった。

タクシーが千本釈迦堂の山門へつづく細い石畳の前に着く。

雨に濡れた石畳の目先、山門からは枝垂桜が満開であることが見える。

┿殻腓ら阿亀桜が見える
山門の先に枝垂桜が咲いている
山門をくぐって、いよいよ花をつけた阿亀桜とご対面だ。

0さ戯と千本釈迦堂・本堂
本堂に雪崩れる阿亀桜
「天気荒天なれども心拍数高し」と日本海海戦の名参謀秋山真之も口にしたに違いないと確信した。

本堂に阿亀桜
阿亀桜と本堂
阿亀桜の古木の條々には見事な櫻花が咲き溢れている。

傘と阿亀桜
雨傘をかざして阿亀桜
「鈍色の空にも阿亀桜かな」

見事な枝垂れ桜 阿亀桜
本堂から今を盛りの阿亀桜
老夫婦は雨であろうと嵐であろうと、阿亀桜が満開の笑顔で我々を迎えてくれたことに心より感謝した。

ケ中の阿亀桜
雨中の阿亀桜
内東側に据わる阿亀多福像もそぼふる雨に肩口を濡らしながらも微笑んでいたのである。

異徳箸澆鮖つ阿亀多福像
阿亀多福像
最後に千本釈迦堂の魅力について述べておかねばならない。

千本釈迦堂とは嵐山にある清凉寺(嵯峨の釈迦堂)との区分けにおいての通称で、瑞応山大報恩寺というのが正式な寺号である。清凉寺とならび釈迦信仰の都の中心寺として古来、篤く庶民の崇敬を集めてきている。

ね戝羣埜鼎量畋し造物 国宝・本堂
国宝・千本釈迦堂本堂
その中心となる本堂は洛中で最も古い木造建造物として国宝に指定されている。安貞元年(1227)、鎌倉時代初期に建てられた創建時そのままの本堂は簡素な造りであるが、骨太の堂々とした佇まいが堂内に招き入れられた人々の心を寛がせる。ご本尊の釈迦如来坐像の前に坐り、しずかに手を合わせてみてほしい。心中から世の俗事がす〜っと消え去り、穏やかな気持ちになるから不思議だ。

また、本堂の西側にコンクリート造りの霊宝殿があるが、そこには貴重な仏像が多々、安置されている。

千本釈迦堂・霊宝殿
霊宝殿
わたしが好むのは、それぞれが国の重要文化財に指定されている定慶作の六體の観音像と快慶とその弟子作の十體の10大弟子像である。すべての仏像が一堂にしかもほぼ毀損なく残されているのは非常に珍しく、落ち着いた静謐の館内でじっくりと鑑賞するのは仏像好きの人にとっては至福の時である。
阿亀桜だけでなく、霊宝殿の拝観もぜひ、併せて勧めたいところである。

2021年京都の桜 醍醐の花見を愉しむ(3月24日)

老い先もそう長くもないわれわれ老夫婦、コロナ禍の緊急事態宣言の間隙を縫って昨年11月の紅葉狩りにつづき、京都の満開時の桜を満喫しておこうと数か月前にピンポイントでホテルを予約した。

‖藐鏤仁王門
醍醐寺仁王門の桜も満開
観桜は紅葉と違い旬の見ごろというのは一週間そこそこである。

だから324日から二泊の宿泊日を前もって定めたのは一種の賭けであった。当れば儲けものといったところで桜花の一輪でも咲いていれば花見ができたということにしようと老妻と互いに納得し合い、ハズレの場合の失望を前もって共有しておいた。お互いに文句は言いっこなしということである。

∋淇發貂に五重塔
下醍醐五重塔と枝垂桜
ということで3月に入ってからというものは、「桜ナビという各地の桜の開花・満開予想を日々伝えているWEBサイトを日に幾度も確認しては「今年の開花は早そうだ」と念じ、その熱意が神様に届いたのか、当初の願いは満開予想日が日毎に前倒しになるにつれ、徐々に期待から確信へと変じていった。

だ饗躓槐凖堆討了淇盧
清瀧宮拝殿脇に立つ豪奢な枝垂桜 この無効に五重塔が隠れている
旅の初日、天気は晴天、京都駅に12時過ぎに到着。駅前にあるホテルのウエルカムラウンジがコロナのため相変わらず閉鎖中ということで、新幹線八条東口の外にある“京都駅八条口・デリバリーサービス”を利用、ホテルまでの荷物の配送を頼んだ。

京阪バス 京都駅八条口のりば
そして八条口前の京阪バス京都醍醐寺線(H4)を利用し、醍醐寺に到着。20年ほど前の2003330日に訪ね、その時はまだ桜の開花には早く一輪の桜も目にしなかったのだが、それ以来18年ぶりの醍醐寺の拝観である。
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桜に埋まる五重塔
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年前の日付が確かなのは、この醍醐寺で初めて「御朱印」なるものを知り、御朱印帳を購入し、人生最初の御朱印をいただいたからである。醍醐寺から始めた全国を巡る御朱印の旅により、現在の御朱印帖は15冊目に入っている。

  
醍醐寺御朱印 平成15年令和三年 醍醐寺御朱印
平成15年の御朱印       令和3年の御朱印
さて、その醍醐寺であるが、慶長3年3月15(1598年4月20日)に時の天下人、豊臣秀吉が「醍醐の花見」を催したことはあまりにも有名である。秀吉は家臣の前田玄以に命じて伽藍から醍醐山の山腹まで七百本の桜を植樹させたという。

弁天堂の池に舞う桜吹雪
観音堂の池に舞い散る櫻花
京都の花見は醍醐の花見にはじまり、仁和寺の御室桜(おむろざくら)で終わるともいわれている。此度は都の花見のはじまりを僥倖ともいうべき絶好のタイミングで愉しむことができた。

櫻花に観音堂
櫻花に観音堂
アップした数々の写真をご覧いただくと、青空を背景とした醍醐寺の満開の桜が洛中の人々の度肝を抜いた、あの太閤以来、その豪華さと絢爛さにおいて寸分も衰えていないことがご理解いただけると思う。
清瀧宮本殿
清瀧宮と桜
といっても太閤の花見を観覧したことはないんですが・・・。

まずは京都の一日目。夕方までの四時間弱を醍醐寺のみで過ごしたが、それだけの時間を費やしても下醍醐を一巡できたばかりで、予定していた上醍醐までは足は伸ばせなかった。

醍醐寺不動堂と桜
不動堂に桜
しかし、かねて念願の醍醐の花見が心行くまで堪能出来て老夫婦は満面の笑みでホテルへと向かった。

醍醐寺・仁王門の桜
仁王門への参道
翌日は平野神社の魁桜(さきがけざくら)と千本釈迦堂の銘木、枝垂れの阿亀桜(おかめざくら)を観に行く予定である。そして、当夜の晩餐は昨年11月以来の“割烹やました”で、春を彩る“花山椒の鍋”の馳走にあずかることになり、夫婦して大きな舌鼓を打ったのである。

茶寮・寿庵のわらび餅
寿庵のわらび餅
醍醐寺の境内はあまりに広い。下醍醐の奥に位置する観音堂の池を挟んだ弁天堂の前にお休み処・阿闍梨寮寿庵がある。そこで、一服のほうじ茶とおいしい“わらび餅”は是また美味で、ぜひ大口開けて頬張ることをお薦めしておきたい。
古来、花より団子とはこの事を云う。

古代氏族・忌部氏の精霊が散らす吉良のエドヒガン桜の花吹雪

令和3年3月28日 吉良のエドヒガン桜
徳島県の北西部、吉野川上流の山中に御所神社(美馬郡つるぎ町)というゆかしい名をもつ神社がある。

御所神社(忌部神社
御所神社
阿波忌部(インベ)氏の本貫(根拠地)である当地にその始祖(天日鷲命=アマノヒワシノミコト)を祀ったものである。そもそも忌部氏は、斎部広成(インベノヒロナリ)によって大同2年(807)に撰上された「古語拾遺(コゴシュウイ)」に詳しいが、中臣氏(中臣鎌足が有名)とともに古代大和朝廷の宮廷祭祀を司った一方の旗頭であった。その中央の忌部氏に奉仕していた地方忌部のひとつが麻布や木綿(ゆう)を大嘗祭の際に貢納する役を担った阿波忌部である。

御所神社・拝殿
御所神社 拝殿
そんな往古まで遡る歴史を誇る御所神社であるが、明治初期に延喜式内社・忌部神社の本家争いが当社の東北東18kmの吉野川沿いに建つ山崎・忌部神社(吉野川市山川町)との間で勃発、紆余曲折ののち太政官の調停により徳島市二軒屋町に新たに忌部神社が創祀され喧嘩両成敗の裁定で事が収まるという経緯を持つ。

桜と山崎忌部神社   徳島市二軒屋町 忌部神社
           本家争いが起った山崎忌部神社   徳島市内二軒屋町の忌部神社
現在は徳島市内の眉山中腹に建つ忌部神社の摂社としておさまり、当社鳥居の扁額には「忌部奥社 御
所神社」と記されている。

御所神社 忌部奥社と記された扁額
御所神社鳥居の扁額に忌部奥社とある
そうした人間臭い謂れを持つ古社の社前に樹齢四百年を誇る桜の巨木が立っている。
社前に立つエドヒガン桜
社前小高い斜面に立つ樹齢四百年の吉良のエドヒガン桜
「吉良のエドヒガン桜」と呼ばれ、昭和46年に徳島県の天然記念物に指定されている。

御所神社社前に立つ吉良のエドヒガン桜
今を盛りに枝ぶりも見えぬほどの満開の櫻花(2021年3月28日)
桜の古木は得てして幹こそ太いものの花のつきが悪いものを多く目にするが、ここのエドヒガン桜は花びらの色も雅な桜色で四方に伸びた枝々が隠れるほどに全面に櫻花が咲き誇っている。山腹に立つその様は悠揚として孤高の品格を放っている。

樹齢四百年の吉良のエドヒガン桜
静謐の中に咲き誇る吉良のエドヒガン桜
その日は雨もよいのあいにくの空模様であったが、時折、吹き下ろしてくる山風がエドヒガン桜の今を盛りの花びらを鶯の啼き聲を透き通す嵐気のなかに輪舞させる。

精霊たちの花吹雪 - コピー
精霊たちが踊り戯れ花吹雪を舞わす
わたしはその風韻ただよう小宇宙の中に身をゆだねつづけた。すると、往古、ひたすら祈りの時を刻んでいた氏族の精霊たちがこの春のひととき、花冠を目深に被り踊り戯れている様子が目の前にひろがってみえたのである。

大徳寺黄梅院と興臨院のモミジの饗宴(2020.11.19)

紅葉狩りの京都、三日目は当初、真如堂を訪ねる予定であったが、タクシーの運転手が人込みを見るよりしずかに広縁にすわってモミジがゆっくり鑑賞できるお薦めのところがあるという。

大徳寺黄梅院の門内の紅葉
大徳寺黄梅院の前庭
秋の特別公開がされている大徳寺の黄梅院のモミジが見事だというのである。写真撮影は禁止だが、すばらしいところなので、ぜひ、行くべしと云うではないか。そこで車は急遽、方向転換、紫野の大徳寺へと向かった。

大徳寺総門   大徳寺 境内図
大徳寺の総門          大徳寺境内図
大徳寺の総門へ着くと、入ってすぐに黄梅院があった。織田信長、豊臣秀吉、小早川隆景、蒲生氏郷、千利休といった戦国時代の錚々たる人物ゆかりの塔頭だという。
大徳寺黄梅院
黄梅院塔頭の山門
撮影禁止のため門内の一区画のみの写真にとどまるが、
大徳寺黄梅院 秋の特別公開
モスグリーンの苔を這わした前庭の頭上に錦のモミジが織りなす景観を目にしただけで境内の紅葉の華やかさを想像させて心は躍った。

大徳寺黄梅院 梵鐘にもみじ
黄梅院前庭 梵鐘ともみじ
千利休の造営とされる、野趣あふれた“直中庭”(じきちゅうてい)をぬけて方丈の広縁へ向かう。そこに広がる「破頭庭」をめぐる築地塀の外側、西方に楓の巨木がそびえたっている。わたしたちは誰もいない広縁に腰を落とし、日向ぼっこをしながらその豊穣の葉叢が織りなす紅や黄のもみじのグラデーションを心ゆくまで愉しんだ。

秋天にもみじ 大徳寺黄梅院
秋天の青に紅色 黄梅院前庭
吹きわたる風のそよぎと秋の陽光のいたずらで、真っ青な秋空を背景に黄金色と紅色(くれないいろ)の小世界はめまぐるしく映像をコマおくりして観る者の目を飽きさせることがなかった。これはいくら言葉を尽くしても、観るに如かずとしかいいようのないアートである。

庫裡と紅葉 大徳寺黄梅院
黄梅院庫裡を覆うモミジ
さてこの絢爛の色モミジを鑑賞したあと、同じく特別公開中の近くの興臨院へと向かう。
大徳寺興臨院 秋の特別公開
大徳寺・興臨院 秋の特別公開
こちらは写真撮影可ということで、腕を撫して院内へ足を踏み入れた。
大徳寺興臨院 門内前庭
興臨院門内前庭
こちらも特別公開するだけあって見事な紅葉である。方丈前の枯山水は簡素で楓の木も庭の片隅にひっそりとたたずんでいる。白と紅と青の世界が清々しい。

興臨院 中根金作修復の枯山水庭園
方丈の南に枯山水の白沙の庭
ところが方丈の北側へ回廊を回り込むと、一転、南庭の画然たる色合いとは異なり、紅や黄色に緑の水彩絵の具を刷いたようで、その綾なす色模様に一瞬にして魅入られる。
大徳寺興臨院 モミジ
方丈北庭の陰翳
秋の光芒は南庭に雪崩れるようにして注ぎこみ、白沙の乱反射に双眸を細める。
興臨院 南庭
ところが一旦方丈の北庭へ廻り込むや、一面、苔色の地衣類に覆われた湿潤な土壌に楓の木々が枝葉をのばす。大きな軒先に遮られた秋の日差しは、ひかえめな陰影を随えて色モミジを照らす。
秋の風情 興臨院北庭
秋天のもとの溌剌とした色もみじとは一味違う、しっとりとした秋の風情である。

常寂光寺 黄葉が紅葉に色変わり(2020.11.18)

楓のなかに常寂光寺仁王門
常寂光寺仁王門
嵯峨野の落柿舎を正面に望むところに瀟洒なお店がある。京あられの老舗、小倉山荘という。
晩秋の嵯峨野落柿舎
小倉山荘から落柿舎をみる
そのHPに「一期一会」という山本雄吉社長の対談集が連載されている。そのなかに万葉の時代には“もみじ”は中秋の萩を詠い「黄葉」と表記されていたものが、藤原定家が新古今和歌集や小倉百人一首の編纂を通じて、晩秋の楓の「紅葉」へと読み替えて、“もみじ”をもののあわれを感じる晩秋の色彩へと変じさせたとの興味深い話が紹介されていた。     

京あられのお店 小倉山荘  小倉山荘 あられお土産(冬おぐら山春秋&山椒あられ)

京あられ老舗の小倉山荘 おぐら山春秋・山椒あられ
日本の秋を彩る代表的な色を黄から紅へと転じてみせたのが藤原定家だというのである。万葉集には180首の“もみじ”の歌が載るが、その表記は「黄葉」あるいは「毛美知」となっている。「紅葉」の文字を使っているのはたったの1首なのだそうだ。

常寂光寺 紅葉に隠れる仁王門
山門から仁王門へ
小倉山荘から百メートルほど歩いた小倉山山麓に常寂光寺はある。
常寂光寺 仁王門に紅葉
紅葉のなか仁王門
紅葉と白壁のコントラストの美しい仁王門から石段をまっすぐにのぼった高台に本堂が建つ。
常寂光寺 本堂と紅葉
本堂
さらに妙見堂との間の山路をのぼっていくとひっそりと立つ小さな石碑にぶつかる。定家が小倉百人一首を編んだ“時雨亭跡”と刻まれている。

ひっそりと立つ時雨亭跡石碑 常寂光寺
時雨亭跡の石碑
時雨亭跡は近くの二尊院や厭離庵もその名があがるが、小倉百人一首が完成した八百年前、すでに嵯峨野一帯が楓の紅葉で有名であったことがうかがわれる。

二尊院・時雨亭跡から嵯峨野の紅葉を俯瞰   厭離庵の紅葉
二尊院時雨亭跡から嵯峨野を見下ろす  厭離庵の黄葉(共に2017.11.30撮影)
常寂光寺の境内にはひしめきあうように楓の木が植わっている。紅色の世界が広がる境内で、鐘撞堂近くに一本の鴨脚(いちょう)の大樹がそびえたつ。
常寂光寺 黄葉と紅葉の競演
万葉と平安の競演
その一画だけは黄色の小世界が息づいているようで、萩が鴨脚の木に代わってはいるものの、万葉の黄葉と平安の紅葉が相寄り添うて時代の色彩を競い合っているようにも見えた。


大覚寺・大沢の池 秋景色は一幅の絵画(2020.11.18)

京都二日目はわが老夫婦にしてはめずらしく朝も早い?八時半にホテルを出立。一路、嵯峨野の大覚寺を目指した。9時直前に明智門前に到着、開門と同時に清冽な空気に満ちた宸殿大玄関へ一番乗りを果たした。

大覚寺・明智門  大覚寺・表門
明智門              大覚寺表門
嵯峨野は東山よりも冷え込みがきつく、紅葉も進んでいるのだろうと思って訪ねることにしたが、2020年は東山の方が、もみじの色づきが早く発色もきれいだとのタクシー運転手の証言を車内で耳にしたとおり、大覚寺境内の紅葉も11月18日現在ではまだ盛り前というところであった。

大覚寺・御影堂 安井堂から
大覚寺の御影堂
大覚寺は十数年前に訪れたのが最後で、久しぶりの拝観である。宸殿から御影堂、安井殿、大沢の池を一望する五大堂と、それらを折れ曲がってつなぐ村雨の廊下。時代劇の映像で一度は目にしたことのある光景が眼前に展開する。

村雨の廊下から紅葉もチラホラ
村雨の廊下からチラホラと紅葉を観る
宸殿の広縁や村雨の回廊から色づいた紅葉がチラホラ見えて嵯峨野の秋もこれから深まってゆくのだろう、本格的な紅葉狩りには今一歩のところである。11月の下旬から12月上旬にかけてが、大覚寺・大沢の池の秋を愉しめるよい頃合いだと感じた。

宸殿・襖絵
大覚寺・宸殿の襖絵
そこで、これまで大覚寺の拝観はしても時間の関係で省いていた大沢の池の回遊に今回は挑戦してみた。
大沢の池 天神島の紅葉
大沢の池 天神島の紅葉
まずは、小倉百人一首・第55首の“滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ” で有名な“名古曽の滝”を目指した。歌が詠まれた千年前、既にこの滝は枯れていたことになるが、この和歌によって永遠の名声をこの世にとどめることになった。滝そのものは石組みを当時のまま伝えるのみで、千年のときを枯滝のまま過ごしてきたという奇妙な顛末となっている。ようやく名古曽の滝と対面がかなったものの、その滝石の造作に千年の風雪や風雅をしのぶ縁(ヨスガ)など一片も認められず、潔いまでになんの変哲もない石組みであったのは、時を超越して一切の感傷を拒絶しているように思えて、逆に痛快ではあった。

色づきはじめた紅葉のむこうに名古曽の滝
中央の石組みが名古曽の滝
その名滝をあとにして、大沢の池の東岸をなぞる紅葉の回廊へと足を向けた。堤の両端にはもみじの樹々が植えられ交錯する葉叢によって紅葉の隧道ができている。
大沢の池 もみじの隧道
大沢の池 もみじの隧道
まだ青紅葉が多いものの、一部に色づくもみじ葉が最盛期になれば土手道いっぱいに朱色の日差しをおとし、そのさまはさぞかし美しかろうにと、感じた。

大沢の池 秋景色
大沢の池の秋景色
また、樹間から大沢の池越しに見る大覚寺や紅葉の回廊を遠望すると、それはもう嵯峨野の秋の静寂を十分満喫できる一幅の絵画であった。


いよっ!! もみじの永観堂(2020.11.17)

“奥山の岩垣もみぢ散りぬべし照る日のひかり見る時なくて”

永観堂多宝塔の黄昏
この古今集の収録歌はいまから1200年ほど昔に永観堂の地に建っていた山荘を彩る紅葉を詠じたものである。爾来、洛中近境のもみじの代表的景勝地として“もみじの永観堂”とながく呼び習わされるようになった。

永観堂門前で息をのむ紅葉の競演
永観堂(禅林寺)は平安時代の初期、弘法大師の弟子真紹により藤原北家の公卿、藤原関雄の旧宅を譲り受け開基された。先の和歌は秀才の試験(中国でいう科挙)に合格した関雄が官途を厭い琴歌酒賦(キンカシュフ)の日々をすごした山荘から見た紅葉を、わが身の行く末に重ねて詠ったものだという。

紅葉トンネルの石橋
そんな奥ゆかしい由緒をもつ永観堂とは露知らず、わたしはこれまで、「もみじの〇〇」なんぞと称されるところなど俗臭ぷんぷんたる雑踏を見に行くようなものと嘯(ウソブ)き、足を遠ざけていた。

ところが古希を目前にし、わが人生を顧みることが多くなった。そして思ったのである。わたしの人生、スノッブそのものじゃないかと。そんなら、残り少ない時間をスノビズム礼賛で駆け抜けてみようじゃないかと。ひらきなおりの人生とでもいうのだろうか、肩が軽くなったような気がするから不思議だ、誰も見ていないのに・・・笑止である。

満艦飾の永観堂境内
という次第で、初めてもみじの永観堂なるところへ足を踏み入れてみた。門前に立った。山門に差し掛かる紅葉だけで心が震えた。

永観堂 甍越しにもみじの色模様
境内に植わる紅葉は三千本を数えるというではないか、そう聴いただけで眼前に紅蓮の炎は大袈裟にすぎるが、ひと筋の緋毛氈がす〜っと横にながれていったような気がしたのである。

息をのむ永観堂のもみじ
境内に歩を進めてゆくにつれ視界に映る紅葉の占める程合いは弥(イヤ)増しに増す。そして黄昏時へむかって秋のつるべ落としの光芒は三千本のもみじ葉に時の移ろいを燈(トモ)してみせ、色もようを赫々(カクカク)と滑らして大向こうを唸らせた。まさに千両役者の貫禄で“もみじの永観堂”を見事に演じきってみせたのである。

永観堂紅葉狩りの人々
境内に参集する観衆はカメラ片手に、「あの多宝塔のところ、綺麗ですよ」と、こみ上げる感動を伝えたくて、傍らの見知らぬ人につい声をかけてしまう。語りかけられたわたしも、つい、「あそこの紅葉も夕日に映えて美しい・・・」と、昼日中であればとても恥ずかしくて口に出せぬ言の葉で応じていたのである。

永観堂多宝塔 秋景色
黄昏時にしか訪れぬ面妖な永観堂の紅葉狩りのひとコマであった。
いよっ! 永観堂!

2020年京都の紅葉狩り 洛北・圓光寺の額縁に映える紅葉(2020.11.17)

コロナ禍のなか遠出は控えようと自粛三昧の日々を過ごしてきたが、秋の訪れとともにどうにもこうにも辛抱できず今年初の京都への旅を紅葉狩りとしゃれこんでみた。紅葉真っ盛りの京都を訪ねるのは久しぶりである。

圓光寺 竹林のむこうにもみじ模様
圓光寺 竹林ともみじ
ピーク時に訪れても観光客の頭頂を拝観させていただくだけで京(ミヤコ)の風情も情緒もあったものではないと永年にわたり避けてきたが、老夫婦に残された時間はそれほどないのだと悟ることこれあり、晩秋の京都を二泊三日で訪れた。

大原・宝泉院 額縁におんな
大原・宝泉院 額縁におんな(2003.12)
初日は最近、人気の紅葉スポットとして脚光を浴びる洛北の圓光寺へ向かった。HPに拝観前には事前に拝観予約を入れてからとあったので午後2時からの予約を取っていた。
予約なしの拝観可能だった圓光寺
予約無拝観可の看板(写真のどこかに💛印が・・・)
ただ当日は平日で人数制限の1時間当り300名という拝観者数に達していなかったのだろう、予約なしでも拝観は可能であった。

圓光寺 境内を彩る紅葉  圓光寺定番の子地蔵ショット
圓光寺境内               定番の小地蔵ショット
さて、わたしも初めての拝観となる圓光寺であるが、京都大原に名高い宝泉院と趣向を一にして、座敷奥に坐り縁側越しに額縁を覗き込むように紅葉を観るのだというではないか。そこで、いの一番に本堂にあがり額縁庭園を眺めることにした。この日は自由に拝観できるくらいだから・・・人はすくな・・い・・・と高をくくって座敷に足を踏み入れ・・て・・・。

圓光寺 額縁庭園ブログ2
それが・・・なん・・・なんと目に飛び込んできたのは・・・座敷奥に坐りこむ人、人、人・・・、それに縁側に坐りこむツワモノまでいて・・・千牛之庭(センギュウノニワ)に色づく紅葉が零す幽(カソケ)き聲に聴き入る静謐とはほど遠いものであった。

額縁庭園の実態は?
そういうことなら・・・自慢の腕で傑作写真をとタイミングをはかるも、視界を過ぎる人影の連鎖・・・シャッターチャンスは訪れない。そんななかわずかに巡ってきた刹那、デジカメのシャッターを切る。室内に一斉にとどろくシャッターの連写音・・・。

圓光寺 額縁庭園ブログ4
慌てていたので、額縁がない・・・
その彦左の手練れ?の写真が緋毛氈と縁側と軒先の構図に嵌まる圓光寺のもみじである。構図がいま一、いや、いま三ではあるが・・・人の映り込みを避けアングルを工夫したその苦労をくみ取って欲しい・・・。

額縁庭園ブログ1
軒の庇と縁の柱・・・額縁完成!!
額縁に映る紅葉を摘まみ食いのように玩味し尽くしてからようやく千牛之庭へおりた。こじんまりした庭園をぬけて裏山へ上る。中腹に当寺を創建した徳川家康の歯を埋葬したお墓がある。傍らには東照権現のお堂が祀られていた。
圓光寺開基の徳川家康の墓(歯を埋葬)
徳川家康の墓
そこからは境内のもみじ模様が眼下に見下ろせ、ところどころに紅葉を配する洛北の街も一望できた。

境内の紅葉模様
初めての圓光寺はまずはこんなものか。そして、次に紅葉の時季に来られる機会があれば70名限定の7時半からの早朝拝観を事前予約して紅葉を独り占め、いや、70人占めにするのも一興だと思ったところである。




 

福永武彦「草の花」の舞台、西伊豆・戸田温泉へ旅した

「戸田村は伊豆西海岸の小さな漁村だ。細長い岬と荒れ果てた断崖とに入口を扼され、漣波に浮んだ油の汚点がひとりでに伸び縮みしながらひろがって行くものうい内海」

出逢い岬から御浜岬と戸田湾を見下ろす

                                                    出逢い岬から戸田湾と御浜岬を一望

これは福永武彦の「草の花」のなかの「第一の手帳」の一節である。一高生の汐見茂思が弓道部の合宿で戸田寮へ行った際の描写である。

 

わたしは20歳のころ福永武彦に傾倒し、「風土」、「海市」、「忘却の河」、「廃市・飛ぶ男」など一挙に読み漁ったなかにこの「草の花」があった。当時、わたしは昔の旧制一高にあたる東大の駒場に在籍していた。だから、18歳という年齢で汐見茂思がまとった死人のように冷たい孤独感や虚無感のようなものが一体何故生じるのか背伸びしてでも理解しようとつとめた。が、その鋭利な感性を透徹しうることなど希望に満ちたその時の自分にはとうてい無理だと断念したことを覚えている。

 

そして、ほぼ半世紀がたったこの3月下旬、「桜の樹が蕾を膨らませている。が、花にはまだちょっと早いようだ」と描かれた同じ季節に、田方郡戸田村(現在、沼津市戸田町)を訪なった。

 

「草の花」には小さな港の様子を村役場や郵便局、小学校にならんで「二軒の旅人宿」があると記している。この度はそのひとつ、明治3年開業の「ときわや」に宿をとり、湾口を扼す細長い御浜岬の突端に建つ東大戸田寮を訪ね、駿河湾越しに家内が大好きな富士山を眺めようと思い立ったというわけである。

 

ときわやの角部屋部屋から薄暮の駿河湾

                    ときわやの広い角部屋       そこから駿河湾の薄暮を見た

稜線のくっきりした美しい富士山がみたいのだとかねがね言い募っていた家内のために、宿は天気予報とにらめっこしながらギリギリまで待って決めた。日を追って予報がくるくる変わる春の空模様である、結局、予約を入れたのはほんの五日前であった。

 

当日、修善寺戸田線(県道18号線)を通って小さな内海沿いのわずかな平地にへばりつくようにできた戸田の町へと入っていった。

 

天気は曇り、翌日が朝から晴れの予定であった。早速、御浜岬へと車を駆った。戸田湾の最奥部から御浜岬の突端に建つ諸口神社の朱色の鳥居越しに富士山を仰いだ。曇りでこれだけ見えれば十分と細君も満足。

戸田湾奥より富士山を

                           雲が多いが富士の頂は見えている
そしていよいよ快晴の翌日は6時起きで再度、御浜岬へ向かった。日の出直後の早春の澄んだ青空を背景にした富士山を拝むためだ。日頃、そんな早起きなどせぬわたしが言葉通りに起床したのには、家内も目をまん丸くしていたっけ。わたしだって、やるときにゃやる! 

 

ただ、う〜ん、晴れといってもうすい霞がかかっている。故に蒼穹に稜線くっきりというわけにはいかなかったが、岬から見る駿河湾越しの富士山は昨日にくらべて麓まで見渡せたのでよしとしようと二人で納得。

早朝の富士山 御浜岬の遠景として
                     昨日よりはっきりした富士の山 

その後、早朝のうちにと宿の“ときわや”を通り過ぎ、出逢い岬からの大富士を堪能しにいった。朝早くて物好きな人いない。誰もいない岬の上、先ほどと違い目線が上になり、さえぎるもののない富士の山が目前に見えた。早春の朝の澄んだ空気を胸いっぱいに吸って、爽快このうえなし。

4・出逢い岬の人気のアングル

                        出逢い岬のオブジェの輪のなかに富士山

それから宿にもどって、ゆっくりとした朝食を摂った。宿を出たのは10時前、早起きの分だけ、旅立ちも遅い。そして、まずは伊豆半島を再度、北上、“煌めきの丘”という絶景スポットへ向かう。やはり、今度は一眼レフを脇に抱えた人たちがいた、いた、いた・・・。

煌めきの丘から見る富士山
                     煌めきの丘から富士山、ズーム 


次いで今度は半島を南下し、富士山の絶景スポット、“恋人岬”へ駿河湾越しの富士山を見にむかった。恋人岬では駐車場から突端の展望台まで1km余の道のりを歩いて、二人で140歳になんなんとする老夫婦が、“ラブコールベル”などという頬を紅くしてしか口にできぬ、恋人たちの鐘を高らかに鳴らした。この無体を酔狂と言われても仕方のない仕儀であった。

恋人岬から富士山を
                      恋人岬の先端デッキにはこんな甘いオブジェが・・・ 

恋人岬の先端デッキ ラブコールベルと富士山
                         この鐘を鳴らして・・・

こうした西伊豆への道行きとなったが、そもそもは福永武彦のいう孤独を半世紀経った己の肌で確かめようと思い立って計画した戸田への旅であった。もちろん、駿河湾越しの雄大な富士山をみせたいとの家内への感謝の気持ちもあってではあるが・・・。

出逢い岬から駿河湾越しに富士山を望む
                       出逢い岬から眺望できる富士山
 

福永が通ったであろう古い時代の東大戸田寮は数年前に取り壊されていたが、現在の寮も相当、年季が入っていた。

 

東大戸田緑蔭館

                            東大の現在の戸田寮
ただ、松林に囲まれた風情は「草の花」のままであった。この小径をあの汐見が・・・あの藤木が・・・、そう思うと、己のうえにむなしく過ぎ去った年月に呆然とするのみで、静寂の松林のなかにしばらく立ちすくんだのである。

 

そして、岬の駿河湾に面し築かれた堤防のうえを散策した。わたしは腰をおろして早春の陽光にきらきらと光芒を放ちながらゆったりとしたうねりを繰り返す海面をながめながら、人の孤独、死生について思いをはせた。

 

隣にすわる伴侶とはもう40年の歳月をともに歩んできた。永いようでもあり、あっという間のような気もする。最近、二人は残された短い時間をどう過ごしていったらよいか話す機会がふえた。迷惑をかけぬ死を迎えたい、でも、それは恣意的にやれるわけではない。死ぬのもなかなかむずかしいねと、いつも会話はそこでおわってしまう。スイスであったか、そこでは自裁死が法的に認められている。つい、先ごろも、オーストラリアの科学者がスイスへ旅立ち、当初の決心通りに自らの意思で安らかな眠りについた。

 

そんなことがそろそろ許されてもいいのではないか・・・、人生百年時代と声高に叫ばれる時代には・・・。そして、20代のある日、逗子の渚ホテルで先ごろ自裁死を選んだ三十歳代の西部邁氏と相部屋になって往生したことなど想い描きながら、人の「生き死に」の難しさをつくづく考えた。

渚ホテルの面影(旧HPより)
                                                      今は亡き渚ホテルの面影(旧HPより)                      

ただ確かなのは、いまのわたしにとって人の生き死は、20歳のころ頭で思い描いた硝子越しの死生観とははっきり違っているということ。わたしに見えている「生き死に」は明日、やって来ても何の不思議もない日常の一情景であるということ。来世も一緒になれたらいいねと、富士山に魅入られ隣で大富士に目を凝らしている伴侶にいうほどわたしも愚かではない。孤独は人であると認識したと同時に脇に実存するもの・・・。それに気づいている人、ある時、気づく人そして、死を前にしてようやく気づく人・・・。最後まで気づかぬ、ある意味、幸せな人・・・。

 

汐見の孤独にたいする思念は、肺結核という当時、不治の病に罹患していたからといった単純なものではなく、はじけるような青春時代の最中においてその本質に直接、手を触れていたと思われるところに、古希を目前とする男があぁかなわないな、もっとはやくにそれを認識しておれば・・・と、悔いるしかない。

 

が、仮にそれに覚醒していたら自分はどうなっていたのかとも考えたのも事実である。孤独の深淵というか真相を覗き込んだ人生はとてもではないが、伴侶など持てるはずもないし、それは不誠実、無責任というもの。

 

戸田港に帰る漁船に富士山
                                                堤防から戸田港へ帰港する漁船と富士山

そして愚昧であること、鈍感であることの良さも、この歳になってはじめてすこしわかってきたような気もする。睥睨するようにずっとこの国の成立前からそびえたつ大富士にただ目を凝らす伴侶を横目にそう思いなした戸田への旅であった。  


木曽駒ケ岳・千畳敷カールの紅葉は信州の高い青空に映える

10数年ぶりに秋の千畳敷カールへ登った。といっても、菅の台バスセンターの駐車場へ車を置いて、路線バスに乗り継ぎ、中央アルプス駒ヶ岳ロープウェイの“しらび平”駅(標高1,662m)まで40分。

1・しらび平駅前広場
しらび平駅前でロープウェイを待つ人たち
そこから山頂の千畳敷駅(2,612m)までの標高差950mをロープウェイでものの7分半で登攀?

太古の氷河期、巨大な氷で削り取られお椀の底のような形をした天空世界へと迷い込む。

2・おわん型にえぐれた千畳敷カール
そこは自然がもたらした圧倒的な造形と気の遠くなるような時の刻みの世界であった。

3・千畳敷カール
秋天は雲一つない青空である。

4・信州の青空に映える紅葉
紺碧の空には紅葉が似合う。

5・千畳敷カールの紅葉
遠くに南アルプスの峰々が見える。

6・遠くに南アルプスが連なる
絶景である。10数年ぶりの千畳敷カール。

7・青空を背景に駒ケ岳の稜線
散策路一周は40分ほどの行程である。

8・千畳敷カールを歩く登山客
昔と比べると、周遊路はずいぶんと整備されていたが、そこをわたしたちは約二時間をかけのんびりと歩いた。秋の一日、信州の紅葉と抜けるような青空を楽しんだ。


信州・八島湿原の晩夏に咲く花と昆虫をとくと御覧じよ 1/2

2017年8月19日、八ヶ岳中信高原国定公園内の標高1630mの高地にある八島湿原を6時間もかけて一周した。その熱意に免じて美しいなぁと自己満足に浸っている写真の数々をご紹介したい、いや、ぜひ見ていただきたい。

0・秋がしのび寄る八島が原湿原
秋が忍び寄る八島湿原
八島湿原の花々を堪能しようと思えば、湿原の南縁に沿って反時計回りで回るのがよい。

それでは、八島湿原でわたしが大好きな花々を・・・

もう盛りを過ぎようとしていたヤナギランである。

1・ヤナギランと八島が原湿原

2・ヤナギランとオミナエシ
ヤナギランの群生地は反時計回りで湿原を
回りだして20分ほどいったあたりに毎年、群生している。

次に日本から沖縄さらに八重山諸島や台湾にまで海を越えて飛んでいくのだという幻の蝶・アサギマダラがその蜜が大好きというヨツバヒヨドリ。

3・キク科ヨツバヒヨドリ
この花は別稿の“幻の蝶・アサギマダラはヒラヒラとまことに優雅に舞う”で、いやというほどその姿を目にされることになるが、ここではアサギマダラを一枚のみ紹介する。

4・一心不乱のアサギマダラ
きれいな浅葱色の蝶です アサギマダラ
ヨツバヒヨドリは御覧のように何の変哲もない花であるが、アサギマダラにとってはこの蜜は極上のものなのだろう。何ごとも見てくれではなく、中身が大切ということか。

次に霧ケ峰高原のそこここで目にするアカバナシモツケソウである。この時期は八島湿原ではほぼ終了したのか一部で目にしたのみであった。

5アカバナシモツケソウが咲き乱れている  6・アカバナシモツケソウ
そして、ついでと言っては失礼になるが、アカバナ科のイワアカバナである。

7・アカバナ科イワアカバナ
アカバナシモツケソウはバラ科であるが、この花はアカバナ科となる。理科が苦手だったわたし・・・、いや、花の名前とその違いを見分けるのは本当に難しい。

さて、次はいたるところで目に付いたキク科に属する多くの花をまとめてみました。

8・キク科 ノアザミ
ノアザミです。これって、菊?なのと花オンチのわたし・・・。キク科アザミ属の多年草なんだそうです。家内は花を見るのではなく、葉っぱを見なさいというのですが、葉っぱを見てもねぇ・・・、男はやはりキレイどころの花びらについつい目が行ってしまうのは仕方がないところと・・・心のなかで舌を出しているわたしでした。これじゃ、覚えが悪いのも当たり前か!

下の花、これは一目でキクだよねと、分かるやつ。

9・キク科ゴマナ
しかし、正式名はキク科のゴマナというのだそうです。ふつうに野に咲く菊でいいような気がするんだけど、学者さんたちって、細かいというか几帳面なんですね。

10・キク科ハバヤマボクチ
これ、ハバヤマボクチといいます。れっきとしたキク科です。

次は名前も姿もキク〜というシラヤマギクです。楚々として、うん、美しい日本の花だ。

11・キク科シラヤマギク
この下の写真はユウガギクといいます。その名の通りに優雅でしとやかな花です。

12・キク科ユウガキク
次はこれでもキク科の、ハンゴンソウ。

13・キク科ハンゴンソウ
次がメタカラコウ。こうなってくるとキク科って・・・何が何やらわからなくなる。

14・キク科メタカラコウ
マルバタケブキと言うんだそうです。

15・キク科マルバダケブキ
だんだん投げやりになってきているのがわかる。何せ、こんなに変化に富み、種類が多くては区別なんかできやしない・・・ブツブツ・・・

 

キク科の最後に、一輪、ようやっと見つけたコウリンカです。

16・キク科コウリンカ
もう萎れかけていましたが、なんとか頑張ってくれたコウリンカ。素敵な花です。ここまでで、八島湿原の花のその1を終了、その2は次稿となります。



信州・八島湿原、2017年の夏は百花繚乱、幻の蝶アサギマダラも乱舞

霧ケ峰高原の北西部、標高1600mの高地に八島ケ原湿原はある。夏の季節でいうと前回は3年前の2014年の8月2日に訪れていた。その時の様子は当ブログの「2014年8月上旬、霧ヶ峰高原・八島ヶ原湿原の植物・昆虫図鑑 」(2014.8.2223アップ)というタイトルで5回にわたり高原の夏の花や昆虫を紹介している。

1・2014年8月2日霧ケ峰高原
2014年8月2日の霧ケ峰高原
2017年は8月は蓼科も雨のつづく日々であったが、その不順な天候の合間にふと青空を見せた19日に八島湿原へと向かった。

2・2017年夏 ビーナスライン
ビーナスラインを車山・霧ケ峰へ向かう
途中のビーナスラインも天候が不安定でお盆過ぎということもあるのか、心なしか車の台数が少ない。

3・ビーナスライン 車山をめざす
前方に車山が見えてきた
だけども、車山から霧ケ峰へと向かう車窓から見る景色はいつも心が和む高原の景色である。

4・霧ケ峰高原の夏
霧ケ峰高原を駆ける
もう少し青空の面積が広ければなどと今年は贅沢なことは言っていられない。晴れ間が見えるだけで十分、窓を開ける。高原の風が車内になだれこむ。さわやかの一言である。

 

そして、眼前に展がる景観は千数百メートルという高山でありながら、山の稜線は険しさの一片も見せず、なだらかな丘が一面につづく丘陵地帯を駆けるようである。

5・晩夏の霧ケ峰を疾駆する
女性的ななだらかな丘陵
自然と気持ちがやさしくなり、都会では車の間を縫って走る単車はただただ鬱陶しいだけであるが、ここではなぜか風を切って疾駆する単車が似合う。

6・車山ビーナスラインを駆けるバイク
風を切って・・・ビーナスラインをゆく
2017年の残り少ない夏、とんと青空に縁のなかった今年の信州の夏。そんな夏だったからこそ、風を切る気分にひたりたくて家内の手作り弁当を携えて、八島湿原へと車を駆った。

7・八島湿原へ
もうすぐ八島湿原
午前11時に八島湿原のビジターセンターの駐車場へ到着。

8・八島湿原駐車場
八島ビジターセンター前の駐車場へ到着
センターで現在の湿原に咲く花のパンフレットを200円で購入。これは湿原散策にはぜひ携行すべき優れものであり必需品である。

8 八島湿原花情報・表 - コピー (2)

8 八島湿原花情報・裏
裏面
さて、そのパンフレットでは湿原一周にかかる時間は90分と案内されている。
11・2017年8月 八島湿原マップ - コピー
八島湿原案内図
そのルートをわれわれ老夫婦は花を愛で、蝶を愛で、はたまた足の悪いわたしが膨大な量の写真を撮りまくるものだから、なんと4倍もの6時間をかけての一大征途となってしまった。とくにたくさんのアサギマダラがひらりひらりと舞う姿を写そうと難儀して、時間を食ったのが大きな原因だが、デジカメ写真の出来はそれなりであったものの、その優雅な乱舞のさまはしばらく立ち止まって見惚れる価値は大いにあったと感じた。
0・三匹のアサギマダラが舞い、羽を休める
手前の二匹がヨツバヒヨドリの蜜を吸い、奥にひらひらアサギマダラ
ただ、そんなおっとりした連中に今年の自然はそうそう甘い顔は見せるはずがなかった。あと400mほどで出口というところで、一天にわかに掻き曇り、突然、大粒の雨が矢のように天から落ちてきた。

 

木道が濡れると杖を突きながらのわが身は非常に歩きにくいというか、杖の先が滑って危険でさえある。なんとか足早で、といっても普通の方の歩行速度程度で一心不乱にビジターセンターを目指した。

 

センター横の休憩所のテーブルに落ち着いたのは17時。もう人影もない。

12・もう人もいなくなった休憩所
もう閉店の時間でした・・・
ここをスタートしてからちょうど6時間。よくぞ歩いた、よくぞ粘った、よくぞ自然と抱き合って転びまわった。雨に濡れた衣服をタオルで拭きながら、雨でずぶぬれになって遊んだ子供の時分に覚えた満足感のようなものを感じた。

 

ずいぶんと前置きが長くなったが、次稿から本題の2017年の百花繚乱の写真を掲載していくことにする。



異常気象っていうのかな・・・正月から梅が満開

酉年が明けました。家内に言われて庭に出ると玄関わきの梅の木に花が一輪・・・
梅一輪
( ^ω^)・・・なんてものじゃなく、枝によっては満開状態をていしている。
もう、梅が満開
蕾も結構、ふくらんでいます
どうも元旦には開花していたようだが、孫や姪っ子たちの喧騒軍団に占領されたわが家、落ち着いては花のことなど思いも至らぬ心理状態。誰からもこの異常事態についての報告はなかった。
正月飾り
うるさかったお正月
わが家の小さな庭に梅の木は二本ある。ひとつは息子が生まれたときに、当時、住んでいた社宅があった新宿区から希望者に記念樹木の進呈があった。

今は亡き父がこれをもらいに行ってこの庭に植えたもの。少なくとも38年はたっている。この木は日当たりの関係からいつも玄関わきの梅の木より開花がずいぶんと遅れる。だから、今年ももちろん開花はまだである。
こぶしの蕾も大きく膨らんでいます
こぶしの蕾も今年は早めに膨らんでいるような・・・
この玄関わきの梅の木は家内の父から結婚祝いにといただいた盆栽である。若いころ、盆栽の手入れもわからずに枝ぶりがよいなどと口走ったものだから、讃岐は高松の盆栽がわが家に鎮座した。ところが案の定、見事に枯らしてしまった。

打ち捨てるのも可哀そうと家内が庭に植えておいたのが、なんとなんとこんなに大きな梅の木に育った。おそらく枯れ木と思っていたものからヒコバエが芽吹き、こうした命が継がれていったのだと思う。

そう思うと、わが家の庭には今は亡き二人の父から命を託された二本の梅の木があるのだと今頃になって気づいた。

なんとまぁ不肖の息子だといまさらながら、あきれ果てた正月であった。そんなことを思い起こさせてくれた梅の木に感謝せねばなるまい。

それにしても、この地球、健全な命をつなげていける自然環境は確実に破壊されていることは確かである。


2016年・全国の紅葉狩り色とりどり(来年の紅葉狩りの参考に)

2016年も残すところあと二週間ほど。

6・若松寺(じゃくしょうじ)の紅葉
若松寺(じゃくしょうじ)の紅葉(山形県天童市)
2016年は熊本大地震や東北初という台風上陸といった天変地異やEU各国で勃発したISISによる無差別テロ、英国のEU離脱、押し寄せる難民問題など国内外で自然災害や大事件、難しい人道問題など環境問題も含め内外情勢は混迷の極みといってよい。

 

こうした色とりどりの頭が痛くなるような問題はのちに譲るとして、ここではゆるりと日本各地の紅葉の色とりどりを振り返ってみたい。いつも息苦しくなるような話ばかりでは気も萎えるし、人生楽しくない。

 

季節感がずれてきたような昨今の気象であるが、それゆえに来年の紅葉鑑賞の一助となるよう、今年、わたしが巡った各地のその時々の紅葉状況をここに記録しておこう。この二か月にわたる色とりどりの写真を振り返ってみて、季節の移ろいも土地々々でこんなに違いがあるんだ、この国は意外と広いもんだと実感した。

 

陰惨で悲惨で理不尽な事件や自然災害が多すぎる猿年だったが、こうした各地の紅葉の色とりどりはまたある一面、自然の限りない慈しみや恩恵にわれわれは抱かれて生きているのだ、大きな自然の営みと比べれば人間の存在なんてほんとに小さなものなのだと、改めて思わざるを得ない。

 

我が家の2016年の紅葉狩りの始まりは、信州の白駒の池である。ここは標高2100mにある湖のため紅葉は同じ信州といっても他所より二週間ほど早いのが常である。


例年、10月の三連休ではタイミングが遅くなり、湖畔の紅葉はほぼ終わりといった状態であった。そこで、今年は少し早めの10月4日に訪れたが、今年は逆にあと数日ほどあと、まさに三連休のあたりがどうもピーク(ブログ記事・2016年の白駒池(しらこまいけ)の紅葉は10月8日から10日の3連休が見ごろ
)であったようで、世の中、そううまくいかないものだと知らされたトホホの紅葉狩りのスタートであった。

白駒池の紅葉
10月4日の白駒池の紅葉(長野県南佐久郡)
その日、白駒池からメルヘン街道(国道299号)を下り、湯みち街道(県道191号)へ入り、標高1500mにある御射鹿池に立ち寄った。その時、撮影したのが次なる写真である。

御射鹿池の紅葉未だし
色づき始めた御射鹿池(長野県茅野市)
標高差600mというのはやはりこれだけの色づきの違いがある、自然は正直だともろもろ感じ入った秋の一日であった。

 

次に日本列島でも有数の東北の紅葉である。時期がドンピシャといかぬのが紅葉狩りと春のお花見。その日はいつとヤキモキする気持ちやついに盛りに出逢えた時の感動が日本人の心の琴線を微妙につま弾くのだろうか、その感動を求めて衝動的にみちのくの旅へと向かった今年。


まずは、松尾芭蕉の「閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声」の句であまりにも有名な立石寺・山寺(山形市)。標高350mほどにある仁王門の10月30日の紅葉です。

3・紅葉の中に立石寺・仁王門
立石寺・仁王門と紅葉(山形県山形市)
標高400m余の立石寺・奥の院の少し下にある開山堂から見た修行の岩場・釈迦が峰の景色。

30 開山堂から紅葉の立石寺
山寺の雰囲気を満喫した秋の景観(山形市)
次が翌日の朝に訪れた天童市の若松寺(じゃくしょうじ)の境内の黄葉です。

31 天童市若松寺の観音さまと黄葉
10月31日、若松寺の観音様と紅葉(山形県天童市)
10月31日の若松寺になります。地元でもなかなか見られない月山が鐘楼前の高台から見えて儲けものだとタクシーの運転手さんが言っておりましたので、一枚どうぞ。

若松寺から月山を拝す
若松寺鐘楼前から遠くに月山が見えた(天童市)
その日、天童駅から山形新幹線に乗り、郡山で磐越西線に乗車。途中、猪苗代駅で下車、猪苗代湖と湖畔に建つ有栖川宮の別邸であった天鏡閣と庭園(福島県猪苗代町)を見学。その時の天鏡閣の紅葉です。

31 天鏡閣煉瓦門から邸内紅葉を見る
天鏡閣入り口の紅葉はみごと!(福島県猪苗代町)
10月31日の状況ですが、日当たりの関係で早いやつはすでに落葉していましたが、盛りのものもあるといったまだら模様でした。

31 天鏡閣庭の紅葉
10月31日の天鏡閣の色づく庭園
次は翌朝の11月1日、会津の東山温泉の旅館・向瀧(会津若松市)の百合の間から中庭に色づく楓を撮ったものです。

1 百合の間から向瀧旅館と中庭の紅葉
11月1日 百合の間から中庭と向瀧の連なる棟を見る(福島県会津若松市)
向瀧の建物自体が国の文化庁・登録有形文化財第一号に指定され、各部屋も文化財という趣のある旅館でした。30数年ぶりの再訪でしたが、当時はこうした中庭の風情や伝統建築に興味を覚えた記憶はなく、年齢を重ねるのも一概に悪くはないなと感じたところでした。

1百合の間から
向瀧・百合の間から11月1日の紅葉
東北の旅の最終日(11月1日)はまず鶴ヶ城(会津若松市)へ向かいましたが、雨模様に色づく堀を芸術的に撮ってみました。

1 鶴ヶ城お堀の紅葉
11月1日の色づく鶴ヶ城のお堀
次は雨が降りだした城内を天守閣から空撮?しました。

1 鶴ヶ城天守閣から城内の紅葉を見る
天守閣から雨に煙る城内の紅葉をみる

帰京後、家内が仲間と箱根、11月16日に河口湖へ一泊旅行で楽しんだ紅葉の景色です。
八王子甲州街道多摩御陵手前
甲州街道・八王子の多摩御陵前の銀杏並木(2016.11.16)
箱根早雲山からの紅葉
早雲山から箱根の山の紅葉だそうです(2016.11.16)

次は11月20日の東京・昭和記念公園の紅葉です。

20 昭和記念公園 秋の景色
夕闇迫る昭和記念公園、木々の色づきが美しい(東京立川市)
秋の黄昏の風情がただよう素敵な写真になっていませんか。次は園内にある日本庭園の紅葉です。外人も多く訪れるすごい人出でした。

20 昭和記念公園 日本庭園の色づき
昭和記念公園日本庭園の紅葉(立川市)

その翌日に家内の実家の高松へ向かいました。11月22日の四国の屋島(高松市)の紅葉です。復元された日本書紀に出てくる屋島城(やしまのき)の見学に行った際に撮りました。

22 屋島南嶺に紅葉
11月22日 紅葉と屋島(香川県高松市)
屋島寺の手前にある血の池に色づく紅葉です。昔、源平屋島の合戦で武士たちが刀の血をぬぐった池だと伝わっています。

22 紅葉を散らす屋島血の池
屋島寺 血の池を赤く染める紅葉(高松市)

11月25日、岡山県にわたり古代山城・鬼の城(きのじょう・総社市)を見学。

26 鬼ノ城と紅葉
展望台から鬼ノ城と紅葉を(岡山県総社市)
1400年前の景観だとロマンを掻き立てられた秋の景色です。

26 高石垣から屏風折れ石垣と東門など鬼の城全貌
遠くに屏風折れ石垣、山腹が色づく(総社市)
屏風折れ石垣と下のほうに鬼の城の東門を見る絶景のなかに色づく木々が見えます。

そして、鬼の城約5kmを巡る山行の最後に出逢った鬼城山(きじょうさん)山頂に立つ楓が一本、とても印象的でした。

00・鬼城山頂上の紅葉
楓の下には真っ赤な落ち葉が・・・(総社市)

12月1日の名古屋市の熱田神宮を参拝。本宮の千木の向こうに黄葉が見えます。

1 熱田神宮本宮と黄葉
12月1日 熱田神宮本宮の千木と黄葉(愛知県名古屋市)
境内に色づく楓です。太陽の光があればもっときれいだったのですが。

1 熱田神宮境内の紅葉
熱田神宮境内の紅葉 晴れていれば渾身の一枚のはず

以上、2016年の紅葉狩りの総括をしてみましたが、やはり異常気象の影響でしょうか、楓の葉っぱが日に焼けていて、全国的にみずみずしさに欠けている印象であったのは残念です。日本らしい紅葉はやはり温暖で湿潤な気候に恵まれた年に目にすることができるのだと感じたところです。

 

来年の紅葉狩りの計画を立てる際の目安として、今年の日付と各地の紅葉具合が参考になればと思いアップしました。来年こそ世相も気候も穏やかで心休まる年であってほしいと願って紅葉レポートを終わります。



2016年10月4日の八千穂高原の紅葉、見頃はこれから。白樺群生林で秋風を纏う!!

2016年10月4日、御射鹿池(みしゃかいけ)は色づきはじめ、紅葉の見ごろは中旬から下旬!
2016年の白駒池(しらこまいけ)の紅葉は10月8日から10日の3連休が見ごろ

(当ブログの写真・記事等の無断転用を禁じます。) 

八千穂高原は北八ヶ岳の東麓に広がる高原であるが、2016年の紅葉の見頃は10月中旬から下旬とみたのでご報告。

1・10月4日の八千穂レイクです
2016年10月4日の八千穂レイク、紅葉はまだまだ先
10月4日の八千穂レイクはこんな感じで、紅葉の見頃にはまだまだという状況。

 

今回は自然園を訪ねなかったが、ここが実は紅葉の穴場である。10月下旬には園内には“もみじ橋”風雅な名前の橋も架かり、盛りのころには紅葉・黄葉が目を楽しませることは請け合いである。

2・八千穂高原自然園内・もみじ橋
八千穂高原自然園内 もみじ橋(2015年8月撮影)
八千穂高原自然園、今年は11月6日(日)まで開園している。冬期は閉園となり、来年の4月の下旬に開園となるので紅葉鑑賞に訪れる際には注意のこと。

 

10月下旬から11月上旬の頃は、国道299号線(メルヘン街道)沿いのカラマツ林の豪勢な黄葉を目にしながら麦草(標高2127m)峠を越え、八千穂高原へと下っていくのも一興である。

18 麦草峠越え
メルヘン街道麦草峠
まず、麦草峠の少し手前に日向木場展望台標高1950mがある。

4・メルヘン街道沿いの日向木場(ひなたこば)展望台
日向木場展望台
真下にある駐車場に車を停め、すぐ上の木造展望台から正面に南アルプスを見る。この日は日本第二の高嶺、北岳がくっきりと見えた。また、すぐ眼下にカラマツ林が広がっているので、盛りにはさらに絶景が楽しめる。

5・手前カラマツ林と南アルプス北岳を望む
この日は最高の眺望。北岳もくっきり
そこから麦草峠を越えてすぐに佐久(R299)と韮崎(R480)に分岐するポイントがある。

6・佐久と韮崎分岐点
分岐ポイント
ここに“レストハウスふるさと”がある。駐車場も広々しており、天気の良い時にはぜひ小休止をお勧めする。というのも、ここからの浅間山の眺望はそのふもとに広がる佐久市街も一望でき、すばらしい景色であるからである。

7・浅間山と佐久市を一望
浅間山と佐久市が一望できる絶景ポイント
そこを出て、佐久方面に299号線を5分ほど下ってゆき、看板のところで右に曲がると、そこが本日お目当ての“日本一白樺群生地”である。

8・白樺群生林をつらぬく林道
白樺群生地をつらぬく一本道
この辺りの紅葉のピークは白駒池の紅葉時期より大体、2週間ほど遅れるのが通常であるので、もしピンポイントで尋ねたいと思われる方は八千穂高原自然園(0267-88-2567)に問い合わせをしてから出かけるのがよい。

9・八千穂高原自然園管理棟
八千穂高原自然園管理センター
今年の秋は雨天の日が続き、蓼科散策も思うようにいかない。この10月4日も、台風18号の影響から不安定な天候のなか一日だけ晴天というので、八千穂高原の紅葉には早いが、青空のもとで白樺の群生林を散策したいと八千穂高原へと向かった次第である。

10・八千穂レイク周辺案内図
八千穂レイク周辺案内図
約200haの敷地に50万本の白樺が群生しており、熊笹のなかに整備された高原の小径は恋人とのデートには最適なコースである。

11・群生林の散歩道
白樺林の散歩道
この日は大正解。前日の雨もあり、数日間が天気が不安定だったこともあり、群生林には物好きな客もおらず、青空のもと二人合わせて130歳という高齢カップルではあるが、二人だけの森の散歩を心置きなく堪能できた。

12・秋空に白樺
秋空に映える白樺
実際に道を隔てた八千穂レイクには恋人の聖地に認定されたスポットもあるので、輝ける未来が待つ若いカップルはこちらも一緒に訪ねると、その効能?は抜群である。

13・恋人の聖地の認定碑と八千穂レイク
恋人の聖地認定標と八千穂レイク
この日は好天ということで、のんびりと糸を垂れ太公望を決め込む釣り客があそび、その先には浅間山が見渡せる、数少ない秋の行楽日和の景色ではあった。

14・太公望と浅間山
太公望と浅間山
湖畔にはコーヒーやソフトクリームを提供するカフェがあり、われわれは休憩を兼ねてテラスで湖を眺めながらおいしいソフトクリームに舌鼓を打った。

15・ソフトクリームと八千穂レイク
ソフトとレイクとシラカバ
白樺群生地の一番の見頃は5、6月のミツバツツジやレンゲツツジが花開き、樹々の新緑が萌えるころがよいという。しかし、秋の一日に人影も見えぬ高原の散歩道を老夫婦がのんびり人生の歩をすすめてゆくのもこれまた一興である。

16・白樺の群生林
秋の好日の白樺群生地
紅葉だけではなく、美しい風景がそこここに転がっている秋の八千穂高原。
17・秋の信州・メルヘン街道から
メルヘン街道・薄と信州の山並み
秋の信州の穴場である。小さい秋を見つけに信州の町々を訪ねられてはいかがでしょうか。



2016年10月4日、御射鹿池(みしゃかいけ)は色づきはじめ、紅葉の見ごろは中旬から下旬!

2016年10月4日の八千穂高原の紅葉、見頃はこれから。白樺群生林で秋風を纏う!!
2010年、御射鹿(みしゃか)池の紅葉、見頃は10月23日(2010.10.18)

(当ブログの写真・記事等の無断転用を禁じます。) 


1・定番のアングルでの御射鹿池です
2016年10月4日の御射鹿池は色づきはじめ
白駒池の帰り、夕刻になったが久しぶりに御射鹿池を訪れた。すると御射鹿池周辺の道路の拡張工事が進んでいた。

2・道路幅拡張
御射鹿池横の湯道街道は拡幅工事中
駐車スペースも同時に拡張される様子で、これまで路肩駐車を余儀なくされていたものとしてはありがたい。以前は御射鹿池の排出口の小さなスペースに4,5台停まるのが精々であったから、これで心置きなく御射鹿池のミラーレイクぶりを堪能できることになる。

3・湖畔へは入れません
湖畔への立入禁止。ちょっと無粋な柵です
そして、工事の関係だろう湖畔への立ち入りが禁止されており、ちょっと残念な気分。それでも道路から撮ったのが以下の写真である。

4・きれいです
柵の上から撮りました
2016年10月4日の御射鹿池の紅葉はまだ色づき始めといったところ。

5・紅葉にいま一歩
紅葉はいまいち、でもミラーレイクぶりはさすがです
ただ、角度と日差しによってやはり湖面の美しさは大きく変わる。

6・ミラーレイクです
ちょっと色模様もあります
この日もそう滞在時間は長くなかったが、いい写真も撮れたようだ。

2、3名の写真愛好家がいつものように一眼レフを片手に熱心にその一瞬をとらえようと構えていた。

7・まさに鏡です 御射鹿池
湖面に写る緑
当方はいつものキャノンのSX710HXでパチパチとそれこそ普段着の御射鹿池を撮る。

8・トンボが停まる御射鹿池
湖面の草にとまる蜻蛉
こちらが気楽な心持だとミラーレイクのほうも構えぬスッピンの顔を見せてくれる。

10月の残りの日々、紅葉が盛りを迎えるにつれ、少しよそ行きの顔を観光客に見せ始めるのだろう。

9・御射鹿池
これからが紅葉本番です
でも、いつも思うが、東山魁夷さんもすばらしい場所をよくぞみつけたと感心しながら、また、来年、お会いしましょうと帰路についた。



2016年の白駒池(しらこまいけ)の紅葉は10月8日から10日の3連休が見ごろ

10月4日の白駒池(しらこまいけ)の紅葉である。

4の白駒池
2016年10月4日の白駒池の紅葉状況
今夏の猛暑や10月に入ってからの夏のような暑さのぶり返しなど1日の寒暖差も少ないため、紅葉自体の発色は今一つの感は否めぬところ。そこで、ちょっと写真を加工してみると・・・

3・幻想的・・・これも紅葉
幻想的・・・でも、少々やりすぎですね
そうはいいながら、まずは標高2115mの高地にある白駒池の10月4日の紅葉を写真にてご鑑賞のほどを。

4・きれいです黄葉
ここの辺りに紅葉が集中
手前の紅葉を少し入れてパチリ。

5・2016 SIRAKOMA
どうですか、この高揚感、いや、紅葉観・・・
ちょっと芸術的に撮ってみたのはいかがでしょうか。

6・白駒池もミラーレーク
どうです。この色合いは・・・
これなども好きな一枚です。

7・樹間の紅葉
樹間の紅葉もいい感じ
4日の紅葉状況から見て、この3連休が白駒池の紅葉の衣を鑑賞するにはもっとも手ごろな時期と判断した。

8・白駒池の紅葉
ミラーレークの紅葉
4日の昼過ぎも団体バスが2、3台やってきていたが、駐車場は待つことなしに入れた。

9・駐車場
広い駐車場が国道299号の両脇にあるが・・・
3連休はできたら朝早めに白駒池に到着するのがよい。相当な観光客が押し寄せることは間違いない。すると道路にたくさんの車が駐車するといった状況に。

 

日照が期待できたら、照葉紅葉に加えて、白駒池の小道を囲む原生林は苔類の緑の競演でわれわれの目を楽しませてくれるはず。

10・白駒池のコケ類
トウヒ、シラビソの樹木をおおう苔、苔、苔
日本蘚苔類学会からこの白駒の森は「日本の貴重なコケの森」に選定されている。なんと485種類ものコケ類に森がおおわれているというのである。
11・白駒の森を覆いつくす苔
まさにミドリの絨毯です
異常気象がつづく天候ではある。だからこそ、ひとときそんなことを忘れ、紅色と黄色にくわえてモスグリーンといった色彩の小世界に遊んでみてはいかが。



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