令和6年1月27日、古都奈良に早春の訪れを告げる伝統行事である「若草山焼き」を観覧した。
ということで、令和6年こそと関係者の方々も期するところがあったはずである。
毎年、ニュースで目にしては「あぁ!一度、見に行きたいね」と語るだけに終わっていた若草山焼き。
それが11月下旬のある日の夕食時、施設に入っておられる母君の見舞いで月の半ばを奈良で過ごすゼミの友人のことが話題にのぼった。
そのとき、細君が「もうすぐ若草山焼きね」とポツリと呟いた。
そのひと言で、なんととんとん拍子で奈良の道行きが決まった。
何せ、6回目の干支をこなしてきた、いまや逆算の人生を歩む老夫婦である。
思い立ったが吉日と、すぐに日程を相談し、寝場所を確保した。
山焼き当日は夕食を楽しむ余裕はないと、観覧予定地の奈良公園近くに気楽なホテルを探した。
そして、折角だからと予て気になっていた信貴山の朝護孫子寺にもお詣りしたいと、参道に建つ「オーベルジュ柿本屋」を二日目の「泊まってみたい宿」としてブログ掲載を決めた宿を予約した。
ついでに帰りに京都で一泊して、昨年無沙汰をしていた「割烹まつおか」に新年の挨拶を兼ねて立寄ることにした。
こうして三泊四日の若草山焼きの旅が流れ作業のようにまとまったのである。
それから奈良の友人に電話をして山焼きの情報収集をしたところ、車を出してくれることになった。また奈良市が募集している有料観覧席の手配もしてくれることになったが、残念なことに抽選の結果、後日、落選の連絡を受けた。
幼少時から町の商店街の抽選でも白玉ばかりでティッシュか飴玉くらいしか当たったことのないわたしである。当然の結末だといたって冷静に受け止めた。
そこからゆっくりと、山焼き翌日以降の予定を練ったのだが、それは次稿に譲る。
さて、山焼きの27日が近づくにつれ、奈良の天気が気になった。
ネットで調べると、若草山焼きがうまく燃え盛る年が少ないという情報ばかりが目についた。この時季は天候が不順で、雨や時によっては降雪、ひどいときは積雪というのだから、セッティングを勢い込んでやり遂げたものの、出立の日が近づくにつれ、だんだんとわれわれ二人の脳内には、奈良観光のポスターにある紅蓮の炎で燃え盛る若草山の景観が・・・山裾をチョロチョロと鬼火が走るショボイ映像へと変わっていった・・・。

そしていよいよ山焼き当日、奈良の天気予報は晴れ。前日はチラチラと降雪の予報であったが、雨男の身になんと僥倖! 事なきを得たのである。
京都駅から近鉄奈良駅へ。特急で30数分、ホテルチェックインの3時まで2時間ほどの時間があったので、まずは事前調査とタクシーで山焼きの御神火を大かがり火に点火する神事が執り行われる若草山山麓の野上神社へと向かった。
わたしはその行列から少し離れて鎮座する小さな祠で一人、準備をする根宜さんに、「ここが野上神社か」と訊ねた。
その間、細君はというと・・・地元のおじさんと何やら談笑していた。
これが一見の観光客には素晴らしく貴重な情報となったのである。
「ここで観てもあっという間に燃え尽きるので、山全体を一望するには奈良公園辺りからが最高だよ」ということで、当初予定通り奈良公園で安心して観覧することにした。
そして待ってもらっていたタクシーで、チェックインの時間までをつぶすため、ホテル近くの奈良国立博物館まで運んでもらった。
阿修羅像で著名な興福寺の「国宝館」も素晴らしいが、廃仏毀釈騒動のなか難を逃れてきた仏様やいまや廃寺となった寺院のご本尊などさまざまな仏像が所狭しと列ぶ様は圧巻である。
そしていよいよチェックインのため、当日の宿である「ホテル寧楽」へと向かった。
奈良博からは700mほどの距離である。
生駒山地の暗(クラガリ)峠越えで大阪へ至る「暗越(クラガリゴエ)奈良街道」を興福寺五重塔の袂辺りで猿沢の池へ斜めに下り、そのすぐのところに建つ4階建ての瀟洒な客室11室のホテルであった。
スタッフがまったくいない、無人のホテルだったのである。だから食事は勿論なしというか、誰もいない宿って・・・エッ?ということなのである。
前日にメールで入館と入室のPWと部屋番号が知らされる。それを持参して、ホテルのドアのパネルにPWを打ち込むという至って今風のITホテルだったのである、部屋までたどり着けるか・・・ドキドキなのである。
「ガチッ!」と音がして、扉を押すとホテル内には入れた。まずはひと安心。
ホテルで待合せていた奈良の友人も、初めての体験とあって興味津々の様子。
二階の部屋でまたパネルに暗証番号を打ち込む。
最後に「LOCK STATE」のボタンを押すとのこと。「カチッ!」ドアが開いた。成功!!
3人合わせて210ウン歳の老人たちは快哉を叫んだ。
そして先に部屋へ入った細君が「あら、広い」とひと言。
靴を脱ぎ(このホテル、入室時には靴を脱ぐシステム)、足を踏み入れた部屋は清潔でいたってシンプルな造作。
素泊まりの若い人たちには一新された猿沢の池や興福寺至近の立地といい、コスパ最高と、好評なのだろうと納得。
そこでひと休みしてから6時15分に打ち上げがはじまる花火に間に合うように奈良公園へと出立。
道中、「奈良でこんなに多くの観光客を見たのは初めてじゃないかな」と友人がつぶやく。
公園が近づくにつれ、多様な言語が耳に入り、まるで民族大移動の様相をていしてくる。東大寺南大門先の浮雲園地に場所をとった。
定刻の6時15分過ぎに「ボッ!シュルルル・・・」
暗闇となった夜空を見上げる。
色鮮やかな大輪の花火がひらく。
「うお〜!!」 大歓声が湧き上がった。
「うお〜!!!」
いよいよ山焼きの饗宴がはじまったのである。
風はほとんどなく、澄みわたった夜空に次々と花火があがる。
地鳴りのように一斉に賞賛の叫び声が上がる。
そして15分が経った頃、花火は終焉、遠く山裾と思しきあたりに点々と橙色の炎がちらつきはじめる。
点がつながりはじめる・・・
橙色の線になる・・・ 「アッ!燃えてる、燃えてる!!」
順調に燃え出したようである。
ここで、友人が説明してくれた若草山焼きのポスターの大事なカラクリを紹介しなければならぬ。
薬師寺の東塔と西塔の間に全山朱色に染まった若草山を撮った有名な写真は、シャッターを開いたまま1時間余、三脚で固定して撮ったもので、だから全山が燃えていると勘違いする人が多いという。
ただ、ビデオで分かるように、遠くからでも火勢が強いことがよく見えた。
ついでに友人は山焼きの有名な撮影スポットへも案内してくれた。
薬師寺の西南にひろがる大池越しに西塔と東塔の真ん中に若草山を見る絶景スポットであった。
翌日、京都に入り、「割烹まつおか」で山焼き観覧の様子を話したところ、今年はよく燃えたとニュースで云っていたと知らされ、二人して鼻を高くし、来てよかったと満足したものであった。めでたしめでたし!!!