10月に入りさすがの猛暑もようやくおさまり、朝夕に秋冷えを感じ、虫の音がガラス戸越しにかまびすしく聴こえてくる、そんな秋の一日、私にとっていろいろなことがあり過ぎた2023年の夏を振り返ってみた。
今年の夏の前半はいつも通り、旅をメインに日本の夏を謳歌した。
まずは祇園祭。
コロナの影響で4年ぶりに完全な様式で催行されるとあって楽しみであった。
加えて長崎の84歳になる叔母と娘夫婦を案内しながらの祇園祭である。
宵山(7月16日)、西と東から上洛した我々一行は2時過ぎから町の筋々にその勇姿をあらわす山鉾をめぐり歩いた。
人出は多いものの炎天下とあって地元の人々はまだ市内に繰り出しておらず思ったより歩きやすい。
そこで行列が少なめだった放下鉾のお会所をたずねた。
会所の受付で志しとして二千円を納め二階へ昇る。
そして懸装品を見学し、仕来りから男性のみの搭乗がゆるされる鉾のうえに乗った・・・従妹の旦那だけ・・・杖を使用するわたしは急な階段のため遠慮した。
それから函谷鉾の会所では粽をもとめ、現在、わが家の玄関で疫病など外患の進入を許さじと目を光らせている。
これで今年の疫病対策は万全ということである。
それから烏丸駅から京都河原町までの一駅を阪急電鉄に乗って八坂神社へと向かった。
足弱のわたしにとって、酷暑のなか一駅でも電車で移動できることはありがたいことであった。
宵山の八坂神社の境内はさすがに参拝客でいっぱいであった。
まずは祇園祭と縁の深い摂社・疫(えき)神社へお参りする。
西楼門をくぐってすぐのところに鎮座しているので、ほとんどの観光客は気づかずに通り過ぎてゆく、なんか不思議・・・
ご祭神が祇園祭の粽に記されている「蘇民将来子孫也」のまさに蘇民将来である。
ここへお参りして、本殿へ向かうのが祇園祭の参拝の所作ではなかろうかと、祇園祭オタクは考えてしまう・・・
実際、祇園祭の一連の儀式の最後を締めくくる神事が、7月末日に当摂社で執り行われる「疫神社夏越祭」なのであるから。
それから拝殿にお参りし、神楽殿に鎮座する神輿三基をみる。
翌日、洛中をめぐって御旅所へ遷座する神幸祭を待っているのである。
いつ見ても金色にかがやく神輿は堂々として素晴らしい。
そして太陽が傾きかけたので高張提灯に灯がともされた長刀鉾だけはしっかり見ておこうと、警察官の誘導に従い押すな押すなの人混みにもまれながら四条通を東へと移動した。
警察官が「スマフォ撮影は歩きながら!」、「立ち止まっての撮影は辞めてください!」と声を張り上げて、いやがうえにも祭りの臨場感が盛り上がる。
その切迫した大声を打ち消すかのように、鉾の頭上からはコンチキチンと祇園囃の旋律がなだれ落ちてくる。
その沸き立つようなリズムに見送られ、長刀鉾の脇を通り抜ける。
嬌声を張り上げる若いカップル。
幼児を軽々と肩に背負った親子。
わたしのような足のおぼつかない老人、それを支える細君、また健脚を誇る米寿間近の叔母親娘など鉾はさまざまな人々に、無病息災の厄除けという旋律の金粉をふりかけてくれた。
コンコンチキチン、コンチキチン!!
これから宵山はいよいよ最高潮を迎えることになる。
というとことなのだが、われわれ老人組は日中からの外出とあって疲れもあり、明日の山鉾巡行にそなえてホテルへと引き返すことにした。
驚いたことに、帰りの烏丸通にはおびただしい数の屋台や露店がたちならんでおり、黒山の人だかりで歩道が埋め尽くされていた。
これまでの祇園祭ではじめて経験した、少し恐怖を覚えるほどの人出であった。
翌日の京都新聞に16日の宵山には34・5万人の人が繰り出したとあった。
なるほど身に危険を感じたのも無理からぬことと納得した。
またコロナ明けのまさに災厄放逐の祈念の祭り、面目躍如の感があった2023年の祇園祭宵山であった。