ひと夏の忘れ物 足摺岬
足摺岬の二日目は、細君が今を去ること50年前うら若きころ貧乏旅行をした竜串海岸や足摺海底館、観音岩といった奇岩のそびえる大堂海岸にもう一度、行ってみたい・・・そんな夢をかなえるためにやってきた。
最近は夫婦してNHKの「ブラタモリ」のファンとなり、特に細君は地質構造やプレート移動といった地球規模の地殻変動に並みならぬ関心を寄せ、旅先で六角形の石柱に出逢うと、「アッ、柱状節理だ!」などとまるで旧知の友にめぐり逢ったかのような快哉をあげる
そんな歴女ならぬ、地女(漢字を一字間違えるととんでもないことになるが・・・)に同行し、足摺の二泊目は大月半島の突端近くの「ベイリーフ大月」を宿にさだめた。
足摺岬突端のTheMana Village(ザマナヴィレッジ)を出立、海岸沿いを西へ移動、その途上に「土佐清水ジオパーク」の一画をなす竜串海岸がある。
堤防からも異形の岩場が見渡せるが、もちろん細君はその先へと勇躍、足を運ぶ。
わたしも遅れじと杖を片手に用心深く岩伝いに移動したものの、細君の姿はいつしかわたしの視界から消え去った。
竜串海岸は日本列島がユーラシア大陸から離反移動してきた、地球規模の地震や津波の痕跡が残る岩場が陸地にあらわれた貴重な場所なのだという。
なるほど蒲鉾型の棒状の岩場や蜂の巣のように穴ぼこのあいた巨岩などそう思って眺めてみると地球の生命と巨大なエネルギーを身近に感じ取れる凄まじい光景である。
しばらくブラタモッタのち、海の向こうに見えた足摺海底館へと向かった。
海上に突っ立つように建つ海底館の入口に「50th ANNIVERSARY SINCE1972」とあった。
細君が遠い昔訪ねたのは、なんとこの海底館ができた直後に訪れていたことが判明した。
そして海底館の海底7mまで下る螺旋階段をおりていくと、ダークブルーの館内から小さな丸窓を通して海中の様子を見ることができた。
大小様々な天然の魚が游泳しているのがよく見えた。
ただ、この状況をよくよく冷静に考えなおすと、狭い館内に閉じ込められた人間という陸上に棲息する生き物を、果てしない海中を遊弋(ゆうよく)している魚たちが興味深くのぞき込んでいるという逆水族館状態にあるといったほうが適切なような気がした。
そして、おそらく魚たちは円筒状の筒に閉じこめられた奇妙な生き物が不自由の身を嘆き悲しんでいるのだとさざめき合っているのにちがいない。
そんな感慨にふけったあと、この日は大堂海岸の大景観を陸地から睥睨しようと、まず大堂山展望台へと向かった。
東側には白亜の花崗岩の岩肌が露出する絶壁が山並み沿いに見えた。
翌日、大堂海岸アドベンチャークルーズに参加し、クルーズ船から仰ぎ見る絶壁である。
そして今度は反対側へ移り西側を見下ろすと柏島大橋でつながる柏島が見えた。
山頂からはその海面に光が乱反射しているのか思い描いたエメラルドグリーンの海ではなく、くすんだ緑色にしか見えなかった。
次にこの日最後の観音岩展望所へと車を回した。
そこからの観音岩の姿はほんとうに観音様のお姿だったと、細君は云うのであるが・・・
こうした観光用にネーミングされた奇岩というものはたいてい、「そういわれれば・・・」といった態のものがほとんどである。
これまでで、こりゃすごい!と思ったのはただ一度。
壱岐の島で訪れた高さ45mの猿岩である。
その姿かたちには息をのんだのだが、まつ毛まで本物そっくりなのだから・・・これはまさに命名通りの本物の猿岩であった。
さて、こちらはどうか・・・
観音岩展望所への登り口は、「えっ!」というほどに狭くて急勾配であった。
50年前の感動をもう一度という細君の思いに、引きずりあげられるようにして喬木の枝葉をかき分けて頂にある展望所をめざした。
草生した狭い頂を通り過ぎて海側へ少し石段をおりたところに、観音岩展望所があった。
前方には茫漠たる太平洋が見渡せた。海風が肌に心地よい。
早速に観音岩を探すが、どうもピンとくる岩が見当たらない。
そして細君がつぶやいた。
「こんなところじゃなかった・・・」
「もっと尾根のようなところを登っていって、下に観音岩が確かに見えたはず・・・」
「おい、おい・・・」わたしは心中で呟いた。急こう配の坂を息を切らし登ってきたのに・・・
それでも、観音様は姿を顕さない・・・
後ろ髪をひかれたのだろう、坂道を下りながらも細君はどうも納得がいかぬ様子である。
中腹まで下りたところで、大堂展望台へむかう尾根道との分岐点で小休止。
「そっちに少し行ってみたら・・・」といって、わたしの方は申し訳ないが、先に駐車場までおりておこうと階段をおりだした。
するとものの一分もしないうちに細君がわたしの名前を呼んでいるではないか。
小躍りしている様子が目に浮かぶような若やいだ声である。
わたしは萎えた心をもう一度奮い立たせて、踵を返し登り返した。
分岐点からほんの2、3mほどもいくと右手下に細身の岩が屹立しているのが見えた。
彼女がと〜い昔に観たのはこの岩に違いない・・・
この棒状に突っ立った岩が観音さま・・・であると・・・世の人はいう・・・
不遜にも「鰯の頭も信心から」という言葉が頭に去来した。
なにごとも深く念じれば観音さまに見えぬこともない・・・
観音さまが胸元で手を合わせてくれているようにもみえる。
わたしは観音岩を見ることができたことより、無邪気に喜びをあらわし写真を撮っている細君の姿の方が実は微笑ましく見えていたのだが・・・
そんな不届きな想いをいだいたためだろうか、左肩に強烈な穿通感をおぼえた。
気づいたら頭の周りを大きな蜂がブンブンと不気味な羽音を響かせ飛び回っているではないか。
刺されたに違いない。手で必死に払うもその一匹の蜂はわたしから離れようとしない。
わたしの大声に驚いた細君が撮影もそこそこに蜂の撃退戦に参戦してくれた。
必死に階段を下り、車へとなんとか逃げ込んだが、蜂はなんと車まで私の頭上を旋回し続けたのである。
わたしにはそんな観音岩の思い出であったが、細君は半世紀ぶりの観音さまとの再会をもう少し愉しみたかっただろうにと、ホテルへ戻って申し訳ない気持ちになった。
「ホテルベルリーフ大月」は昔の国民宿舎のような飾らない作りで、スタッフの方もホテルマンというより近所の気の良いおじさんというのがぴったりで、当方もリラックス感満載でチェックイン。
ところが泊まる部屋はロッジ風のお洒落な造りで、バルコニー・・・ベランダからは谷筋に深く切れ込んだ美しい海まで見えた。
心鎮まるおだやかな風景であった。
夕食は簡素で小さな食堂で、地元の幡多郡自慢の海の幸をいただいた。
お刺身も新鮮だし、大きな海老のグラタンもおいしかった。
さきほどのレセプションのおじさんに訊いたところ、お客さんの多くは釣りやダイビングを目的にやってくるのだそうで、なるほどコスパは最高の宿であった。
そしてお土産を買おうと呼び鈴を鳴らすと、さきの近所のおじさんが出てきてくれる・・・いやはやなんともつい頬が緩んでくる温もりのある宿であった。
彦左衛門
が
しました