グルメ旅の二日目は京都の夏を味わうコースと洒落てみた。

昼は貴船の川床(かわどこ)で昼餉を愉しんだことは先のブログに書いた。

貴船川に設営された川床
貴船川の川床
そして、その日の夕餉であるが、鴨川の納涼床(のうりょうゆか)「京フレンチきしもと」の予約をとっていた。

京フレンチ きしもと看板
京フレンチきしもと
時季は五月中旬とちょっと気は早いのは承知だが、貴船・鴨川・高雄の「床」はいずこも5月1日から営業が開始されている。

そこで京の夏の風物詩である「床(ゆか・とこ)文化」を83歳の叔母に味わってもらおうと思った次第である。

鴨川の納涼床 - コピー
鴨川の右岸に連なる納涼床
夕刻に一同、ホテルを発ち、木屋町通り沿いに歩いて10分ほどのところにある先斗町にある「京フレンチきしもと」へ向かう。

鴨川納涼床
京フレンチきしもと 納涼床
途中、維新の激動の時代、若き志士たちが残した歴史の痕跡を案内しながらそぞろ歩いた。

「割烹やました」のすぐ近くで今を去ること150年前、佐久間象山が暗殺され、ほぼ同じ場所で大村益次郎が襲われたという。

佐久間象山・大村益次郎遭難の碑
高瀬川対岸に佐久間象山暗殺・大村益次郎遭難の地の石碑
いま歩く通りにそうした陰惨な雰囲気は一切感じられない。

これから百年後の木屋町通りは果たしてどんな姿を人々に見せているのだろう・・・。

そんななかで桂小五郎と芸者幾松が過ごした処にあった料理旅館幾松がコロナ騒動のなか2020年10月で廃業となっていたことを、今度、知った。

料理旅館幾松
かつての幾松
各地で老舗といわれる旅館や料亭が廃業の止むなきにあっているとニュースなど耳にしていたが、いつか行ってみようと幾松が閉店となっていたとは誠に残念である。

新選組が旅籠池田屋に集結した志士たちを襲撃した池田屋騒動の舞台となった処は、現在、居酒屋チェーン「はなの舞」となっているが、三条通りに面する店頭に「池田屋騒動の址」と刻む石柱が建っている。


池田屋跡に建つはなの舞
池田屋騒動の地
また、三条大橋の西詰めは日本橋を起点とした東海道五三次の終点となるが、二つ目の擬宝珠(ぎぼし)には池田屋騒動時に傷つけられた刀傷がいまなお生々しく残っている。

池田屋騒動の刀傷三条大橋の擬宝珠
三条大橋の擬宝珠の刀傷
また西詰の袂に十返舎一九の「東海道中膝栗毛」の剽軽な表情をした弥次さん・喜多さんの銅像が建っている。

弥次さん喜多さんの銅像
弥次・喜多像
そこから鴨川沿いの少し下り、龍馬通りから先斗町通りへ入ってゆく。

狭い通りにはぎっしりと飲食店が軒を連ねているが、その軒先には先斗町の紋章である千鳥をあしらった提灯がさがり、すでに灯がともされていた。

先斗町通り
先斗町通り
夕食時ということで結構な人出である。

「京フレンチきしもと」はもともとお茶屋であったというが、改装された店内はカウンター席が細長く連なるシックな造りとなっている。

きしもと店内
きしもと店内・突き当りが納涼床
突き当りのガラス戸を抜けると鴨川に面してテーブル席の納涼床が設営されていた。

’捨綻欧でた鴨川 三条大橋から
納涼床が連なる
河原に面する一等席がわれわれ五人用に用意されていたが、シッティング前の写真を撮り忘れたので、以前、訪れたイタリアン・ルンガモ(廃業)の納涼床の写真を載せることにする。

納涼床 ルンガモ
イタリアン・ルンガモの納涼床の風情
納涼床のイメージはおよそこんな感じである。

「京フレンチきしもと」はそもそもコース料理のみのお店のようで、納涼床は店内で頼む料理の二割ほど高い値段設定になっていた。

当夜はBコースを予約していた。

オードブル四品。

オードブル  オードブル4品のひとつ
オードブル4品のうち2品
メインが甘鯛のムニエルか、

ディナー 甘鯛ムニエル
甘鯛のムニエル
牛フィレのステーキ生わさび添えのどちらか一品。

⓪きしもと ディナー牛フィレステーキ
牛フィレ肉のステーキ
それと最後にデザート。

デザート
ちょっと・・・寒すぎた・・・
それにしても年寄りにはこれで十分の量であった。

午後六時の予約で、料理がスタートした納涼床のひとときであったが、実は夏の夕涼みにはやはり時季が早すぎた。

皆さん、サービスされた料理はテキパキと処理し、おいしかったんですよ「きしもと」さん!!料理は。

7時40分には食後の余韻を味わう余裕もなく、この時季、川風はさすがに年寄りの身に応えた。早くホテルで暖まりたい?とお店を後にすることとなった次第。

夜の先斗町
8時前でこのとおり
先斗町通りに出ると、まだ8時前というのに人通りはまばらであった。

やはりコロナの影響で、人々の夜の行動様式は一変したのだと、かつての先斗町の賑わいを知る男のひとりとして、人の心の移ろいといおうか、時代の変遷とでもいおうか、一抹の寂しさを覚えたところである。

そして京都の「床(とこ)と「床(ゆか)」をあわただしく堪能した一団は先斗町通りをワイワイといっぱしの感想を述べながら北へと上がっていったのである。