福井県を訪ねて、曹洞宗の大本山・永平寺を参拝しないわけにはいかぬということで、朝一番で市内中心部から東へ16kmほど山間部へ入ったところにある永平寺を目指した。

門前町の土産屋・上街堂に車を置き、九時過ぎに龍門と呼ばれる正門についた。

々藩佞垢訥の参道
永平寺の朝の参道
11月半ばの平日の朝。人影もまばらな参道には“もみじ葉”が紅や黄の枝葉を重ねていた。

修行道場での思いがけないもてなしに、素直に道元禅師に感謝した。

参道の少し先にある参拝者入口の通用門をくぐりコンクリート造りの吉祥閣で拝観受付をし、雲水の方から伽藍配置など説明をいただいた。

 ̄癖浸参拝者入口
参拝者通用門
140名を数える雲水が現在修行中てあり、堂内で雲水の写真撮影は控えてもらいたいこと、修行中の雲水が起居する僧堂内には立ち入らぬことなど拝観の際の注意があった。

それから順路案内通りに伽藍内を拝観して回ることになる。

わたしに永平寺のイメージを一つ挙げろと言われれば、厳寒の季節、長大な階段を鉦を鳴らしながら疾駆する雲水の姿や無駄のない動きで素早く雑巾がけする若き修行僧のひたむきな面差しである。

座禅をくみ瞑想する“静”の世界より、堂内を駆け抜けてゆく颯爽とした“動”の映像世界こそが、わたしの「That's Eiheiji」である。

その“動”の象徴である大階段を、古希を迎えた老人がこれから杖を衝きながら黙然と上り下りするのである。

山の傾斜面を利用した七堂伽藍の最上部には他宗でいう講堂や本堂にあたる法堂(はっとう)がある。

)‘欧硫廊
法堂の廻廊
そこまで己の足で長い階段を昇ってゆき、そして降りてこなければ永平寺を拝観したことにはならない。左脚の不自由なわたしにとっては苦行の修行なのである。

そこで息を整え、杖を片手に握り直し、覚悟を決め、そして仰ぎ見た。

 ̄癖浸の長い上り階段
永平寺の階段
視線の先には・・・非情にも急勾配の昇り階段がつづいていた。

覚悟の先っぽからため息が洩れたが、踏み出してみると、階段の踏み面には奥行きがあり、蹴上げの高さも適度であったため、足や膝への負担は思ったほどでない。

‘Г潴未広い永平寺の階段
踏み面の奥行がある
とはいっても、時々小休止をとりながらの老体には結構な修行である。

陸上部で校庭を駆け抜けていた10代の頃、この程度の階段、どこまでつづこうが、一段跳びにも二段跳びにも飛び跳ねて行けたのになどと、誰への負け惜しみかわからぬが、雑念が次々と湧き出てきた。

そんな邪念とは無関係に、機械的に何とか一段一段、数をこなしていく。

階段に小さな踊場があった。僧堂への這入り口である。

〜瞭押[入禁止
僧堂への入口
140名もの雲水が起居しているとは思えぬほどの狭い廊下でつながっていた。

そこから少し昇った先に仏堂があった。

(殿 斜めより
仏殿
その前面の廻廊から右下に僧堂の全容をみることができた。

(殿より僧堂
仏殿前から僧堂をみる
このひと棟で雲水が起居し、厳しい修行に耐えながら生活しているのかと思うと、永平寺が今なお精神鍛錬の峻烈な道場であることが、実感できた。

さらに、ここから山門と仏堂の間に位置する美しい中雀門を見下ろすことができた。

(殿より中雀門を見る
仏殿から中雀門
しばしの休憩ののち、いよいよ最頂部の法堂へと向かった。

)‘
永平寺の法堂
法堂の外廻廊には長椅子が置かれていた。

そこで、永平寺の伽藍の佇まいを俯瞰した。

)‘欧らの眺望
法堂からの景色
眼前には伽藍の甍が重なり、遠く鬱蒼とした緑のなか一抹の黄葉を覗かせる山が見えた。

朝靄のように修錬場に流れ落ちる山気がわたしの胸中に満ち満ち、世俗の世で澱み、萎えた心のなかを一陣の清らな風が吹きぬけた。

永平寺という禅寺の佇まいはまるで水墨画のなかに鎮まっているようであった。その精神世界のなかに身を置いた己を見つめた。

)‘欧ら大庫院と仏殿の大屋根を見る - コピー
水墨画の世界
ここまで昇ってきた階段の数々・・・それはこれまでの人生の日々のようでもあった。

これから下ってゆくであろう長い階段・・・

 ̄癖浸の長い階段を下る
下り階段
それは残り少なくなったわたしの人生の下り階段のようにも思えた。

そして、そのどこかの踏み面にいまの自分の歪(いびつ)で小さな足跡がつけられるのに違いない。

その足跡はこれから訪れる無数の人々により踏みつけられ、削り取られて、いつの日にかそのわずかな痕跡でさえも、未来の雲水たちによって、きれいさっぱり拭き取られてしまう・・・そう思いなしたのである・・・

〇殻腓畔殿の間に位置する中雀門
山門と仏殿の間に中雀門
さて、永平寺の長い階段を下りきったその先にはどうした景色が待ちうけているのだろうか。

いや、人生という映像フィルムは唐突に断ち切れ、レンズの絞り羽根が閉まるように下り階段の途中で尻切れトンボの「終」を迎えるのかもしれない。

その時、世界はどんな色相を自分に見せてくれるのだろうか。それとも無意識界で色合いもへちまもないはず、そんな由無し事を考えながら下りはじめた。

途中で中雀門から表からは拝観できない山門を見下ろすことができた。

〇殻腓鮹羶門から_LI
山門を中雀門から見下ろす
この山門は一般人の通行は不可で、雲水のみが通ることを許されているのだそうだ。

しかもその雲水も、上山(修行開始)を認められて入門する際と厳しい修行に堪え行をおさめ乞暇(こうか=修行修了)・下山する際のたったニ度に限られるのだという。

大きな山門には外界と隔てる扉が存在しない。

その柱と柱の先の空間を見ると、この門は「入るにも易く出ずるにも易い」と感じるが、柱には「聯(れん)」と呼ばれる大きな長板が掛けられている。そこには「家庭厳峻不容陸老従真門入」、「鎖鑰放閑遮莫善財進一歩来」と難解な漢字がならんでいる。

永平寺を知悉する人の説明によれば、

「永平寺の家風は非常に厳しいものである。地位や富がある者でも、真に仏法を求める者でなければこの門から入ることは許されない」

「この門には扉も錠もなく開け放たれているのだから、真に仏法を求める者はいつでもこの門から入ることができる」

と告知しているのだそうである。

読み下すのも解文するのも、息も脳みそも詰まりそうな白文ではある。

その「聯」の戒律を今尚守る永平寺は鎌倉時代の厳峻な精神世界を現代に伝える生きた史跡であるといってよい。


そしてわたしは雲水によって磨き抜かれた階段を最後まで降り切り、入館した通用門から伽藍の外へと出た。

法堂の廻廊で覚えた諸々の雑念は、疲れきった足腰と思考力の失せた脳漿で物の見事に雲散霧消し、SNOBに戻ったわたしは思い切り胸をそらし深呼吸をした。

俗世へ舞い戻る龍門へと向かった。

ゆるやかな下り坂である。永平寺の下り階段はまだ続いていた。

〇殻腓らの水墨画
山門から中雀門と僧堂をみる
そして水墨画の小世界の廻廊を巡ってきたわたしの頭上には、色鮮やかな紅葉の世界が広がっていた。

々藩佞留癖浸参道
龍門への参道は錦の饗宴
永平寺の下り階段の先にこんな世界が待っていたとは・・・、わたしの足取りはすこし軽くなった。

はてさて、龍門の外の俗界は今度はどんな色合いを見せてくれるのか。

まだまだ古希のドライブ旅はつづいてゆくのだったと、思いなして正門の外へ初めの一歩を踏み出した。