京都最終日の3月26日は哲学の小径を法然院あたりから南禅寺までゆっくりと散策することにした。


⓪法然院の茅葺の山門
法然院 山門
椿で有名な法然院であっても、桜の樹くらいはあるだろうと高をくくってお参りしたが、境内に桜を見つけることはできず、手水鉢に浮かべられた椿の二輪の花びらで花見に替えた。
法然院手水鉢に二輪の椿
ただ、未練がましく寺域内をうろついたところ、墓地の傾斜地に枝垂れ桜が一本咲いているのを見つけたので、写真を撮った。

法然院の墓地に立つ枝垂桜枝垂桜
法然院の墓地に一本の枝垂桜
桜がないからだろう、現金なもので訪れる人はほとんどなかった法然院をあとにして、大きな石段を下り、“哲学の小径”いや現在でいう“哲学の道”に出た。疎水の両岸に桜並木が続いている。それなりの人出である。

疎水の満開の桜
疎水沿いに哲学の道 桜が満開
不自由な脚で南禅寺まで歩きとおせるか不安であったが、疎水沿いの桜は満開であった。

哲学の道
のんびりと細君とそぞろ歩いた。追い越していく人も多くいたが、もう少し頭上の桜花を愛でながらゆったりと歩を進めたらよかろうになどと、年寄りの負け惜しみとでもいおうか、風流を解せぬ輩は困ったものと嘆いたものだ。

さて、琵琶湖疎水に沿ってつづくこの“哲学の道”であるが、はじめて歩いたのは今を去ること半世紀も前のことになる。一浪後に大学入学を果たして無上の解放感とほとばしる希望に溢れた19歳の春のことである。入学手続きを終えた4月、京の安宿には炬燵がまだ設えてあり、朝夕の冷え込みが厳しい季節であった。

哲学の小径
かねて高校の恩師から東山の麓には疎水に沿って“哲学の小径”と呼ばれる鄙びた土手道があるから一度歩いてみるとよいと勧められていた。あの偉大な哲学者、西田幾多郎京大教授が思索を深め、“思惟”の重みで踏み固めていった散歩道があるというのだ。

善の研究 西田幾多郎
青春時代のど真ん中、精一杯背伸びしていた頭でっかちの自分にとって、難解な哲学を語る思想界の巨人が日々逍遥したという土手道、しかも“哲学の小径”なる尊称を冠された小径を歩いてなぞることで、哲学という高邁な空気感のようなものを肌で感じることができるのではないか、

哲学の道
疎水のほとり、まだ見ぬ風致のなかにわが身を置くことで、幾多郎のいう“微妙幽遠なる人生”の奥義の片鱗にでも触れてみることができるのではないか・・・などと夢想を逞しくし、土手伝いに歩いてみようと思ったのである。

哲学の小径 満開の桜が
“哲学の道”はもともと1890年(明治23年)、琵琶湖疎水が完成した際に設置された管理用道路であったということを、この度、知った。


そんなことだったから、昭和46年当時は未舗装の堤の両側に雑草がはびこる何の変哲もない細長い土手道であった。その夕暮れ時も観光客がわざわざ歩くほどのこともなく、地元の人が散策に使う常の道という景観であった。

その日は銀閣寺から南禅寺までを逍遥というよりは一気にせかせかと歩きとおしたが、哲学の小径の終焉近くに琵琶湖疎水を跨ぐ鄙びた土橋があった。どこか風情を滴らせる橋であったので、興味本位に対岸の東山の麓を少し上ってみることにした。

その山道をわずかに登ったあたりに苔むした石塔がいくつも転がっているひと隅があった。摩滅した刻字のなかに元号らしきものが見えたので、これは室町時代の頃の無縁仏だと勝手に決めつけてなぜか大発見をしたような気分でひとり悦に入ったことを思い出した。

遠くに土橋のような橋が
疎水を跨ぐ橋が目に入ってきた
それから50年後、記憶の中ではずっと土橋だと思っていた古ぼけた石造りの橋に遭遇した。確かに意識の底ひに埋もれていたあの土橋だ、山麓への道ならぬ細道がかすかに記憶に残っていた。そこで、足を止め、暫し双眸を閉じた。十九歳の自分を瞼の内に投影してみようと思ったからである。

それからしずかに目を開けてみると、目前には背を丸めた老人が欄干に腰をおろし無心に写生する姿があった。

写生する人
そして、山麓への登り口には鐵柵が立ちはだかっていた。わたしの“青の時代へ続く小径”は無情にも立ち入り禁止となっていた。

暗擽兇寮茲藁ち入り禁止
その登り口のすぐ脇に、当時はなぜか気づかなかった王女のお墓があった。江戸時代末期の皇族伏見宮貞敬親王の皇女・宗諄女王のお墓だと駒形の説明にあった。室町時代?の無縁仏といい、王女の御廟といい、この一画はひょっとしたらむかしは墓所として利用されていたのかもしれない。

宗諄王女の墓所
白塀で囲われた宮内庁管理の宗諄王女の墓所
この思い入れ深い“土橋”を過ぎると、“哲学の小径”もいよいよ終着点の若王子(ニャクオウジ)橋が視界に入ってくる。天気にも恵まれ、法然院を出立してから杖を片手にほぼ2時間の長閑な道行きとなった。

花びらを山風に散らす桜並木も途絶え、おだやかに流れる疎水に視線を転じると、点々と桜花を貼りつけた川面に番(ツガ)いの鴨がゆったりと身を任せるように浮かんでいた。

曳屬い粒が疎水の流れにのって・・・
思えば、50年前に19歳の青年が独り歩き通した哲学の小径を、いま、縁という糸で結ばれた男と女が共に老いを迎え、陸続と続く若人たちに先を譲りながら人生の終着駅へと一歩一歩、時を刻んで歩をすすめている。そんな懐旧と寂寞の想いを惹起させた“哲学の小径”の道行きであった。