4月1日の初日から5月3日の千穐楽までひと月にわたり浅草寺境内に立てられた小屋で平成中村座による陽春大歌舞伎が催されている。

7 陽春大歌舞伎

江戸の芝居小屋の雰囲気、劇場空間を愉しみたくて春の一日、歌舞伎観劇と洒落こんだ。

2・浅草雷門
浅草雷門

浅草寺本堂裏に立てられた大テントの芝居小屋。想像していた江戸風情の外観はなく、どちらかというとサーカス場のように見えた。

3・平成中村座のテント小屋
イメージと違った芝居小屋

もう少し、役者の幟やまねき、絵看板などが飾られていると気分が出るのになあと感じた。

4・平成中村座  5・平成中村座入口
芝居小屋の入口

天保6年(1835)に建てられた現存する日本最古となる四国の“こんぴら歌舞伎”の芝居小屋と同じようにとは、さすがに言うつもりはない。

4 小屋二階席
こんぴら歌舞伎の芝居小屋の内部

しかし、せめて雰囲気づくりくらい、もう少し金をかけてもらいたいと思った。

4 こんぴら歌舞伎小屋・まねきと絵看板
風情は最高のこんぴら歌舞伎

やはり、幟を目にしながら気分を高めながら小屋へ近づく。

4 小屋への坂道にも幟
金毘羅歌舞伎、この坂道に立つ幟がイイ!!

そして、あの招き看板と絵看板と出会って、あぁ、今日は芝居を愉しむんだというあの昂揚感がほしいのである。

4・小屋に掛けられた”招き看板”
まねきと絵看板は小屋の必須の条件

折角、浅草寺の本堂や五重塔にかこまれた場所で興行を打つのだからなおさらである。そこはまさに東京に残る数少ない江戸の香りを残す場所なのだから。

6・この感じ、浅草の芝居小屋です
入口は入って、お弁当売場の景色が江戸・・・かな

まぁ、芝居小屋の体裁はこの程度にして、夜の部(16時半開演)観劇について記そう。

演目は、「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」、「高坏(たかつき)」、「幡隨長兵衛(ばんずいちょうべい)」の三つ。


「妹背山婦女庭訓」は、お三輪を演じる七之助は若さゆえの華やかさはあるが、芸の方はまだまだというところか。官女たちの執拗ないじめと求女への一途な思いからそれに耐える三輪の仕草が見ものなのだが、どうもその不憫さが当方に伝わって来ぬ。

官女とのやり取りがどうもパターン化しすぎたきらいもあるのだろうか、要は胸に迫るものがない。切々たる思いが舞台上から客席まで届いて来ぬのである。

7・小屋の内
場内はそれなりの小屋の風情も

次の「高坏」であるが、中村屋のお家芸ともいうべき世話物である。勘九郎演じる次郎冠者の滑稽さが売りの舞踊劇であり、高下駄を履いてタップダンスを踊るという目玉も楽しみな演目である。


其れなりに世話物の小品としてまとまってはいたが、勘九郎もまだまだ精進が必要と感じたところ。つい、観客は18世勘三郎、さらには17世勘三郎の舞踊を目蓋において観てしまうのだから、さぞや勘九郎もつらかろうと思う。


しかし、勘九郎のちょっとした仕種、台詞回しに、中村屋の飄々とした洒脱とでもいおうかその血筋はたしかに伝わっていると感じたことも確かである。


もう42年前になろうか、わたしは17世勘三郎の「うかれ坊主」をみた。その見事な舞踊、いや、江戸庶民の匂いをただひとつの仕種であらわしてみせる芸に、歌舞伎の凄味、培われてきた伝統といったものを教えられた。マイケルジャクソンのムーン・ウォークよりはるか昔に、17世勘三郎はその創造性豊かなダンスを歌舞伎座の舞台で踊って見せていたのだ。


そして18世勘三郎がいい味を出し、その飄逸な芸風に磨きがかかりはじめた矢先の無念の早逝。


若くして中村屋をその双肩で支えることになった勘九郎。躰は柔らかいが、やはり、まだまだ、その芸はこなれていない。タップももっとリズムにのって軽妙にステップを踏んでほしいと思ったものだ。高下駄ですよと彼は言うかもしれないが、17世であれば、下駄自体の工夫も重ねて、無重力の世界のタップをきっと見せてくれたと思う。


今後のさらなる精進を心より祈っている。


最後の演目、中村橋之助の「幡随長兵衛」。これは、橋之助、さすがという出来栄えであった。さらに、客席のそこかしこから役者が出て来ては舞台と掛け合いをやる様は、まさに江戸の小屋ではもっとこんな芝居がたくさんあったのだろうなと感じさせる「生きた芝居」であった。


江戸の庶民の粋、サムライ以上の漢の生き様を橋之助がスマートに演じる。あの声といい、なかなかのものであった。


わたしたちは思い立ったのが遅く、ネット予約でこの日の松席(1階平場)は満席、竹席の2階がわずかに空いていたのみ。そこで二階の三列目の右端二席をとったのだが、小屋自体がそう大きくないので、観ること自体に問題はなかった。

8・二階席から
二階席から

二階中央にお大尽席があった。そう云えば予約のときもそこだけは空いていたが、何せ一人3万5千円という値段に尻込みした。当日、その席のふかふか座布団にどっかと座り、高坏膳を前に舞台を眺めおろすご婦人方を拝見し、さすがお金持ちは違うわいと江戸の庶民は思ったところでありやした。

9・芝居が終わり、家路へ

そして、舞台が跳ねて場外へでた観客たちは、浅草寺のライトアップされたお堂や五重塔を目にして「夜の方がきれいだ!」、「芝居の土産話が一つ増えたね」と語り合いながら家路へと足を急がせていた。