岡谷市川岸東5−18−14 ☎ 0263−22−2041
諏訪地方の謎のひとつ、洩矢神社(岡谷市川岸東1-12-20)を訪ねたついでに、ちょっと足を伸ばし、お昼に鰻を食べに行った。
岡谷市中心部から天竜川沿いに県道14号線(下諏訪辰野線)を15分ほど走ると、県道と天竜川を挟んで“やなのうなぎ・観光荘”がある。
観光荘の座敷席から外を見ると真下に天竜川が流れている。
当店の案内によれば、江戸時代中期、当地を治める高島藩によって天竜川を下る鰻を捕獲する仕掛け・“本瀬締切りの簗場”がこの場所に築かれたとある。
この簗場で捕った鰻を提供しようと昭和29年に最後の簗師・宮澤幸春氏が当店を創業したのだそうだ。その頃はまだ蛍が群舞していたことから、蛍の光を観る荘(やかた)ということで、“観光荘”と名付けたとある。その簗場も昭和49年の一級河川護岸工事によって、その姿を消したという。
岡谷市は別名、“うなぎのまち”といわれている。
と云っても、今回、初めて知ったというか、家内の友人が岡谷を訪ねた際に“岡谷は鰻よ”と、鰻を食したと伝え聞いたところからそんな特産を知ったというのが実のところ。
そんなこんなの由来を持った岡谷の鰻を、ここ“観光荘”で食べたわけである。
店内一階は広座敷の座卓席が八つ。
テーブル席が二つとなっている。
そのほかに階下に囲炉裏席を設けた茅葺の部屋もあるとのこと。
さて、当日のオーダーであるが、わたしは“うな重”を頼んだ。
何ごとも最初はオーソドックスにとの我がモットーに則ってのことである。そしてせっかく食べるのだから思いっきりにと三切れの蒲焼がのる“松”を奮発。
蓋をあけてその肉厚、重なり合うボリューム感にはただただ満足・・・
さらに肝吸いには驚愕。
こんな肝が大きい肝吸いってお目にかかったことがないような気がする。これぞ真正肝吸いと悦に入った。
一方、家内はいつもの旺盛な好奇心から“観光荘”オリジナルメニューである“やなまぶし丼”をオーダー。もちろん男女共同参画の時代である。家内も“三切れ”にチャレンジしたことは云うまでもない。なんと三段重ねの丼ぶりで登場である。
“やなまぶし”は長ネギと山葵(わさび)をまぜて蒲焼に載せ、お好みに合わせタレも垂らして食す。
わたしも一切れ戴いたが(勿論、うな重の一切れと仲良く交換した)、濃厚なタレで焼いた鰻に山葵のきりっとした辛味と長ネギの臭味が、口中に残る鰻の膏をさわやかに流し落とすようで見事なアイデアであると感心した。
これもこれから病みつきになる予感がした逸品である。怖るべし“やなうなぎ”である。
さらに嬉しいことに、タレは自由にお好みの分だけかけることが出来る。ツユ沢山大好きのわたしにとって、これまたホクホク顔の鰻であった。
そして、鰻が出てくるまでの待ち時間に、いま捌いている鰻の骨であろう、タレをつけてカラッと揚げた“骨せんべい”が供された。
これは酒のツマミに最適なカルシューム満載の品であった。お昼だったのでお酒は呑まずに食べたが、頭も二つついてきたがカリッと抵抗感もなく喉を越す。なかなかのモノと見た。
最後に当店の鰻であるが、すべて活鰻(かつまん)を使用しているとのこと。店頭に置かれた樽に大きな鰻が泳いでいたが、その太さにちょっと驚いた。
手を突っ込み触ることもできるのだが、これは遠慮することにした。
そして、捌(さば)きは関東風の背開きである。しかし、焼きは備長炭でじっくりと焼く関西風の“地焼き”となっている。
そのため身もしっかりとし皮もパリッとした仕上がりで、舌にとろける関東の蒸し焼きとは異なった食感である。
関東風になれたわれわれにとってこの硬めの食感はある種の戸惑いを覚えるが、当店秘伝の甘味のきいたしっかりしたタレがこの地焼きの鰻にまことによく適っており、あらたな鰻を発見したと家内ともども喜んだ。
そしてこれから蓼科へ来た際にはたまには岡谷まで足を伸ばし、この“観光荘”の地焼きの鰻を食べにいこうと話をしたところである。
忘れられない思い出の店です。