奥宮は本殿を過ぎ、杉や椎の古木の並木が鬱蒼とした奥参道へ入り、まっすぐ行った突当り、神門からは300mの場所に鎮座する。
鹿島の森の原生林は厚く、深く、鬱蒼としている。
その葉叢を切裂いた光が参道に神の意匠を刻む。歩みとともに移ろうその形状はまるで神が伝えようとする黙示録・・・暗喩のように思えた。
その暗示に心を奪われながらなおも参道をゆく。
歩みとともに神秘さを深めゆく空間。ようやく奥宮の鎮座する地へ
鹿島神宮・奥宮(重文)は、社殿前の駒札によると、「慶長10年(1605)に徳川家康公により本宮の社殿として奉納されたが、元和5年(1619)に二代将軍秀忠公によって現在の本宮が奉建されるに当り、現在地に引移して奥宮社殿となった」とある。祭神は“武甕槌神の荒魂”である。
家康が奉建した武神を祀る鹿島神宮本殿をわずか14年にして奥宮へと移転させた事実は、秀忠の父に対する屈折した心情を垣間見るようで興味深い。
ただ社殿前にたたずんでいると、そうした人間社会の生臭い話とはかけ離れた“気”がこの奥宮の鎮座する地に充溢しているのが自然と納得できるから不思議だ。
その朝も祈る女性がいた。それは敬虔で侵しがたく、崇高な光景である。
その場の空気をわずかに揺るがすことすら躊躇(ためら)われるほどの非日常的な景色であった。
荘厳で霊気に満ちた空間。こうしたところに身を置くと、誰しも自然に神の意思を感じ、ただ祈るしかないのだと、手を合わせ、頭を下げる・・・
“祈り”という行為がこれほどに美しく思えたことは記憶に少ない。
神域という言葉を肌感覚として、呼吸のように感得した瞬間でもあった。
このうら若い女性が立ち去るのを待って、わたしも社殿前に立った。
重厚さのなかに素朴な祈りの気持ちが籠められた美しい社殿であると感じた。
社殿の外郭をゆっくりと巡ってみる。
斜めから。
後ろに回って見上げてみる。流造の流麗な勾配をもつ茅葺屋根が間近に見えた。
簡潔で無駄が省かれた率直な造りであると感心した。
奥宮に満ちるパワー・霊気を十二分に体内に取り込み、次なるパワースポット。“要石”へと向かう。