朝日という名のつくメディアには愛想が尽きた、一体、どこの国の報道機関なのか?(2013.5.19)

橋下徹大阪市長の「慰安婦制度は必要だった」発言が、国内だけでなく、韓国はいうにおよばず米国防省、国務省など海外諸国を巻き込み、轟々たる批難の嵐が拡がりつづけている。


発端は513日の大阪市役所での登庁時の定例のぶらさがり取材である。


記者団からの「昨日も自民党の高市政審会長が侵略という言葉はどうかといった批判的なことを言ったり、安倍首相も侵略ということをはっきりとおっしゃっていないのだが」につづいて、「村山談話についてどう思うか」という質問に対して答えたもの。


当日の1542秒に及ぶyoutubeにアップされたぶらさがり取材を見たが、村山談話に対する考え方を11分半にわたり語ったなかで、いま問題となっている慰安婦問題について一部、語っているものである。


この橋下徹大阪市長・日本維新の会共同代表の話を聴いて、わたしは、なぜ、日本のメディアや自民党をはじめ他党がこれほどに批難しなければならぬのか、どうもよく分からない。


他党が一斉に非難の声を挙げているのは、来たるべき参議院選挙の民意を我が党へ向けようとの魂胆丸見えのようで、こっちの方が事の本質を見極めることをせず、日本の政治家、政党として、大きな問題なのではないかと思っている。


なるほど、この会見は橋下氏のいつもの断定的物言いが気にはなるが、これはいつもの橋下節といおうか、橋下という人物のディベート・テクニック、政治テクニックのようなものと理解している。


そして、この会見の時間中に同氏の発言がここまで海を越えて拡散し、批難の嵐が起きようとは、同人も、取り囲んだ記者たちも、考えていなかったのではないだろうか。


その証拠に、この慰安婦発言の後にはエネルギー問題について原発再稼働の話についての同氏の話が淡々と続き、会見は終了した。慰安婦についての同氏の発言を咎めたり、再確認をする質問も一切なかったのである。


さらにYoutubeをご覧いただくと分かるが、橋下共同代表は、村山談話については、「侵略と植民地政策によって周辺諸国に多大な損害と苦痛を与えたことは、敗戦国としてしっかりと認識し、反省とお詫びはしないといけない」と、繰り返し、談話の内容を肯定しているのである。


さらに慰安婦の方たちが戦争によって意思に反してその苦界に身を沈めねばならなかったことについては、よくよく理解をしなければならぬ、そこに想いをいたさねばならぬということも再三にわたって述べている。


また、被害にあった当事者や中立の第三者がこの話は終わりということにならない限り、この種の問題は、加害者側が60年経ったのだから、70年経ったからもう謝罪はこれでよいと考えるのは間違いとも語っている。


では、何が問題なのだということだが、「過去の戦争においても、各国の軍隊は慰安婦制度を持っていた。時代的に(現代とは違い)そういうものだった」、さらに会見開始916秒後の「銃弾をくぐって、命をさらし、気持ちが昂った猛者達に、慰安婦制度が必要だったことは誰だってわかる話だ」という下りであろう。


そして、いま、日本のメディアや政党、韓国や米国など諸外国の批難がこの橋下発言全てが問題だと断じているが、わたしはまるで偽善者の言葉を訊くようで非常に気にくわぬのである。


1995年、沖縄で起きた米海兵隊3人の兵士による小学生暴行事件(レンタカーを借り、拉致監禁・暴行)において、時の米太平洋司令官であるリチャード・マッキー海軍大将が、「兵士らは、レンタカーを借りているが、その金があったら女が買えた」と発言した。要は暴行するくらいなら、レンタカー代で女を買っていた。だからそんなことをするはずがない。そして女は金で買えるのだと太平洋司令官が言ったのである。


こんな米国から「言語道断で不快だ」などといわれる筋合いは一切ないと私は断言する。彼らは人権、人権と言いながら、日米地位協定を盾に、その時、12歳の女子を暴行した卑劣極まりない犯人の引き渡しを拒絶した国なのだから。


本題に戻るが、橋下発言の「過去の戦争においても、各国の軍隊は慰安婦制度を持っていた。時代的に(現代とは違い)そういうものだった」の部分だが、これは歴史の事実である。


さらに、「銃弾をくぐって、命をさらし、気持ちが昂った猛者達に、慰安婦制度が必要だってことは誰だってわかる話だ」の部分についてだが、これも言葉がきついので、つい時制を混同してしまうのだが、今の時代にそれが許されるとは言っていない。実際にいま、そんなことは許されないと言っている。


そうした橋下氏の発言の真意を色眼鏡なしに受け止めれば、本来、この問題はここまで大きくなるべきものではなかったと考える。


同氏は、村山談話を肯定している。ただし、いわれなき批難、評価については違うことは違うということをはっきり言うべきだと言ったのである。


慰安婦問題について、現段階で日本軍乃至政府が組織として強制的に拉致、強制した証拠はない。2007年の閣議決定でもそうなっている。その根拠がないものを、国際社会のなかで“レイプ国家”と貶められていることが許せないのだと言いたかったのである。


これは会見内容を普通に聴けば、そのように彼が言おうと努めていることは分かるはずである。


さらに、「もし、そうした証拠が出てきたのであれば、それはきっぱりと謝罪すべき」だとも言っている。


そして、橋下氏は514日のツイッターでこう呟いている。


「敗戦国として反省とお詫びをしなければならないところはしっかりやる。ただ、不当に侮辱を受けるようなことに関してはしっかりと反論する。これが、本来の政治家の態度振る舞いだと思う。」


わたしは、その通りだと思っている。よくぞ言ってくれたというのが、わたしの正直な気持ちである。


大手メディアや自民党や民主党など野党の輩こそ、本来自らが言わねばならぬこと、信念をもう一度問い直すべきである。


ただ、橋下氏も、もう少し丁寧に言葉を選び己の真意が伝わるように発言すべき政治家としての時期が来ていることは十二分に自覚すべきである。