2012年秋、保津川下り=乗って知った“知っとくと便利な豆知識” 保津川とは?
2012年秋、保津川下り=乗って知った! 知っとくと便利な豆知識
2012年秋の保津川下り=保津川下り乗船場へ“馬車”に揺られてポッコ、ポコ
2012年秋の嵐山・嵯峨野=“トロッコ列車”で保津川下りに行ってきました!!

のんびりと曲り淵を抜けると保津川下りもいよいよ後半戦をむかえる。
その後半戦の最初に、保津川で最後の瀬となる“朝日の瀬”が待っているのだが、その瀬に入る前に、川中に猪の形をした“イノシシ岩”があったのだが、わたしは次なる“朝日の瀬”に気を取られ、写真を撮る余裕がなかった。
水量が少ないため、前方の水路が極端に狭くなっていて、注意がそっちにとられたのである。
舟がその狭まった水路をあっという間に抜けて、“朝日の瀬”に入ると一挙に川面は泡立ち、瀬音が高くなる。
“あっ!”、岩にぶつかる〜・・・と思った瞬間、船頭さんは馴れた手つきで竿を岩にぶつけるようにして船首の向きを変える。
われわれは舟の前方に坐るため、艫で舵を切っている様子は分からないため、余計に恐怖感が増す。
瀬を抜けると川幅も広がり、流れは一転、ゆったりとなる。心地好い揺れに身を任せていると、前方の岸辺で鮎釣りを楽しむ人がいた。渓谷に架かる橋と釣人・・・まるで一幅の山水画を見るようである。
釣人を後方に置き舟が進むと、江戸当初から昭和24年頃まで続いた戻り舟を曳いた曳き綱の跡が左手の岩場に見えてくる。
そして船頭たちが乗船場まで舟を曳き、走り歩くために設けられた綱道が川岸のところどころに残っている。
その往時の様を“虞美人草”は次のように活写している。
“向から空舟が上ってくる。竿も使わねば、櫂は無論の事である。岩角に突っ張った懸命の拳を収めて、肩から斜めに目暗縞を掠めた細引縄に、長々と谷間伝いを根限り戻り舟を牽いて来る。水行くほかに尺寸の余地だに見出しがたき岸辺を、石に飛び、岩に這うて、穿く草鞋の滅り込むまで腰を前に折る。だらりと下げた両の手は塞かれて注ぐ渦の中に指先を浸すばかりである。うんと踏ん張る幾世の金剛力に、岩は自然と擦り減って、引き懸けて行く足の裏を、安々と受ける段々もある。長い竹をここ、かしこと、岩の上に渡したのは、牽綱をわが勢に逆わぬほどに、疾く滑らすための策と云う。”
遠く想いを馳せていると、今度は右手の山腹に、トロッコ列車が走ってゆくのが見えた。緑の中に紅色と橙色の車両が見え隠れし走る様子は、どこか紅葉のはじまりのころの渓谷の景観のようにも見えた。
手を振る舟人と汽車人との山気を通した交わりはまた爽やかである。
次に船頭さんの熟練の腕の披露があった。数百年の間に幾千、幾万の船頭の竿によって穿たれた岩の穴に、竿をピタリとはめる妙技である。お客たちは穴の開いた岩が近づくにつれ、その趣向に固唾を呑んで見入ることになる。
入った〜!お見事!
さすがの腕である。すると船頭さんはまるで勧進帳の弁慶ではないが、竿を頭上高くクルクル回し大きく見得を切る。その姿は海老蔵も顔負けのなかなかな千両役者である。
名演技を堪能する間もなく、すぐに左手に“屏風岩”が見えてくる。変わった形の大石である。
今度は右手一帯が清和天皇(在位858〜876)が鵜飼を楽しまれた場所だという“鵜飼の浜”となる。歴史を感じさせる保津川下りです。
そのちょっと先に川鵜がいたが、嵐山の鵜飼(7/1〜9/15)や長良川などのいわゆる“鵜飼”で使われる鵜は海鵜で、川鵜はそれよりずいぶん小さいことを知った。
保津川下りも残り30分となったころ、右手の大岩に向かってみんなでポーズ。いわゆる観光用の記念写真を撮ってくれます。1枚1300円で、後日、自宅に送ってくれます。人生のひとコマを切り取った素敵な写真が届きましたよ。
橋上の駅として有名な“トロッコ保津峡駅”を下から見上げます。
次にミステリーのロケ地として頻繁に使用される崖が見えてきました。
崖の上で殺人が起きて、崖下のこんなに小さな砂浜で、犯人が捕われるということでした。こうして一望すると、随分お手軽なロケ場所なんだと感じ入った次第です。
そして、次に登場したのが、ここから猿が対岸の岩に跳び移るのだとか、だから“猿岩”というのだそうだ。対岸の岩まで結構距離がありましたが、本当かなぁ・・・
橋桁がないことで有名な“保津川橋梁”をくぐります。
この橋を岸で支えるレンガ造りの柱に印された赤線は過去の最高水位だそうです。もの凄い水量です・・・、ぞ〜っ・・・
そろそろ、終着点が近づいて来ました。左手先に見える石積みの塔は船頭さんの守り神だとかで、船頭さんたちによって祀られているとか・・・云っていたような・・・
上流の“不動明王”と混同しているのかもしれません。皆さんで船頭さんに確認して見てください。スイマセン・・・
ライオン岩です。これ、似ていましたよ。
これはオットセイ岩、可愛らしいのですが、ちょっと造作が過ぎますかね・・・なんて・・・
な〜んて、のんびりしているといきなり来ました。ドスンと落ちました。安心しきっていたので、少々、驚きました。保津川下りに油断は禁物でした。
そしていよいよ終盤。百年余の歴史を誇る嵐山の琴ヶ瀬茶屋の名物、“水上屋台”が遠くに見えてきました。
舟が横づけになると舷側同士を縄で結え、しばし小休止。メニューはまるで水上コンビニです。
御手洗団子に烏賊焼きなんぞを頼んでしまいましたねぇ。おいしかったなぁ〜。
さて、心躍る水上屋台とお別れすると、もうそこはなんと嵐山ではありませんか。
そしてこの先すぐの左崖上に近衛文麿公の元別邸で、豆腐料理“松籟庵”も見えてきました。
あぁ遠くに渡月橋が・・・、すぐ手前左に着船場が見てきました。いよいよ保津川下りも終了です。
トウチャ〜ク!! 12時半の下船ということで、ちょうど1時間40分の川下りでした。
そして、下船する際に舟の舷よりちょっと高い桟橋にどうやって移動しようかと思案していたところ、馬車でご一緒したお嬢さんが”どうぞ”と手を差し伸べてくれた。つい、”大丈夫ですよ”と、無理やり何とか飛び移ったものだが、いつも”最近の若い者は・・・”と嘆いていたのが申し訳ないような事態に自分が遭遇しドギマギしてしまったようである。
と云うより愛らしいお嬢さんであったことが、この初老の男心に時ならぬ動揺をもたらしたのかもしれぬ。
桟橋に無事降り立ったわたしは、下船の所作を心配そうに見守ってくれたお嬢さんに”幸せになってくださいね”と言葉をかけた。
彼女はにっこりと微笑み返し、”ありがとうございます”というと、さっと踵を返して、あの素敵な彼氏と嵯峨野の町へと歩み去って行った。
その様子を眺めていた家内が、”どうして、手を握ってもらわなかったの”と優しく声をかけてくれたが、”手を握られるとかえって不安定になるんだ”と、なぜか無愛想な返事をした。
そして、話術というより話芸といったほうがピッタシの船頭さんたちにお礼を言い、お別れした。
本当に楽しい川下りだった。皆さんも是非一度、トロッコ列車を乗り継いで保津川下りを楽しんでみてください。
最後に、さてさて、この舟はどうやって上流に戻すのかということですが・・・
渡月橋へ向かって川岸を歩いていると、さっきの舟はあっという間に屋根から椅子から取外されて、何の変哲もない簡素な和船に姿を変えていました。
これをトラックに積み込み、乗船場まで運んでゆくのだそうです。納得されましたか?
それと船頭さんたちはJR山陰本線で亀岡駅まで帰ります。トロッコ列車ではありません・・・
われわれはこれから嵐山でお昼を食べる先を探します。それでは“保津川下り乗船記”、長々とお付き合いいただきありがとうございました。