大雄殿の廻廊に魚板(ギョバン)と雲板(ウンパン)が吊るされていたが、同形のものは日本では中国色の濃い禅宗寺院で見ることができる。

仏国寺・魚板と雲板
大雄殿廻廊にある龍頭魚身の魚板(ギョバン)と雲板(ウンパン)
仏国寺・魚板
下部が大きく空洞にされ、角の生えた魚板・この空洞の中を叩くという

日本の魚板は食事や修業開始の時を告げるときに叩くものと教えられたが、今回、もっと深い意味があったことをガイドの趙(ジョウ)さんから説明を受けたので、ここに記録として書き留めておく。

「魚板は水中で生きる衆生に、雲板は空に生きる衆生に、これを叩くことで仏法を教え、すべての衆生が天国へゆけるようにと祈るもの」だという。

「魚の口に見える珠は衆生の持つ3つの毒を表していて、魚板の腹中を叩くことで、この毒を体外に吐き出させる」のだそうだ。つまり、魚板は日本ではお腹の部分を表面から叩くが(下に穴が開いていない)、韓国では以上の意味から腹中から叩かないと吐きださせる意味がないとのことであった。なるほど・・・仏国寺の魚板には内臓が抜かれた肴のようにぽっかりと大きな空洞がある。

仏国寺・魚板
なるほど大きな空洞である・・・

それで三毒とは華厳経の一説である懺悔文(ザンゲモン)に云う、「貪(トン)・瞋(ジン)・癡(チ)」のことだと帰国して調べて分かったので、ここに記す。

「我昔所造諸悪業(ガシャク・ショゾウ・ショアクゴウ) 皆由無始貪瞋癡(カイユ・ムシ・トンジンチ) 

従身口意之所生(ジュウシンゴイ・シショショウ) 一切我今皆懺悔(イッサイ・ガコン・カイサンゲ)」

「我昔より造るところの諸々の悪業は皆無始の貪(トン=貪欲)・瞋(ジン=怒り)・癡(チ=愚かさ)に由る。身・口・意従(ヨ)り生ずる所なり、一切、我今皆懺悔す」

ということなのだそうだ。

そして韓国の魚板には肴の頭に角が生えているが、これはどうしたことか。よくは分からぬが「竜頭魚身」ということらしく、この形の木魚を魚板ということらしい。

通常日本のお寺で住職がポコポコ叩く丸いものを木魚というが、角の生えたこの魚の形をしたものが魚板と呼ぶのだと、どこいらに書いてあったが、これまで日本で見た“魚板”に角は生えていなかったので、どういうことなのか・・・、もう少し勉強してみなければ・・・。  


また、これまで“雲板”を目にすることは少なかったが(というより気づいていなかったのだろう)、江戸中期(1740年・第13代竺庵浄印)まで歴代住持を中国から招聘していた宇治の黄檗宗・萬福寺には、仏国寺と同様の雲板が存在するものの、魚板には角はなく、彩色もほどこされていず、下方に穴も開いていないため写真のようにお腹を表面から叩くため、腹部中央がへこんでいる。    

宇治・萬福寺の雲板(ウンパン)
宇治・萬福寺の雲板
萬福寺大雄宝殿
萬福寺大雄宝殿
宇治・萬福寺の魚板(ギョバン)
萬福寺の魚板・腹の中央部分が叩かれてへこんでいる
仏国寺・大雄殿の雲板
仏国寺紫霞門から雲板を見る

長崎の唐寺、長崎三福寺のひとつ興福禅寺の魚板は下腹を叩くのだろう、萬福寺とは異なり、下腹部がえぐられたように削り取られている。こちらの叩き方のほうが毒を吐き出させる意味合いから云うと、大陸の魚板の叩き方をわずかに今に伝えているのかも知れない。双方の魚板とも口には三毒を意味する珠を咥えているのだから。

長崎・興福禅寺山門
長崎興福禅寺山門
長崎・興福禅寺の魚板
長崎興福禅寺の魚板・下腹部から抉(エグ)り取られている

そして、哀しくも痛ましい雲板が、同じ長崎三福寺のひとつ福済寺の“片耳が落ちた”雲板である。原形は仏国寺のものと同形であるが、原爆投下により大雄宝殿以下七伽藍が一切焼失した際に、一片が毀損したものの雲板が今にその惨状を伝えるために生き残っている。

長崎・福済寺本堂
国宝の大雄宝殿址に建つ現在の福済寺・伽藍配置も一切断ち切ったお寺になっている

それは空に生きる衆生に仏法を教えるという“雲板”が、片耳を落としながらも必死の思いでわが身と引き換えに、原爆により空に昇った多くの魂を天国へと誘ったように思えてしかたがなかった。

長崎・福済寺の雲板
原爆で左肩が焼け落ちた雲板

現在の福済寺に往時の姿を偲ぶ縁(ヨスガ)はない。ただ“耳の落ちた”雲板が寺院の片隅に吊られているのみである。

元禄15年7月吉日と刻まれた裏面
雲板の裏面・鋳造された元禄15年7月吉日の日付が読み取れる

遠い韓国でたまたま目にした雲板に今更ながらに命の重みを知らされたところである。