秋の好日、“長崎くんち”の粋と鯔背を満喫した。

本古川町・御座船
本古川町・御座船 ”寸止め”に挑む
“長崎くんち”は毎年10月の7日〜9日の三日間、長崎の産土神である諏訪神社(長崎市上西山町)でおこなわれる秋の例大祭である。昭和54年に国の重要無形文化財に指定されている約400年の歴史を有す祭りである。

くんちの冊子

今年は三連休と重なったうえ、好天にも恵まれ、さらに人気の出し物もあったことから昨年を4万5千人上回る約25万人の人出を記録した(長崎署調べ)。


7日(マエビ)当日、午前5時の“遷御斎行”の煙火打ち上げ花火を夢うつつのなかで聴いたわたしも、日頃になく5時半過ぎには起床し、家族にせっつかれながら朝の準備をすませ“お諏訪さま”へと急いだ。

踊馬場・満員の桟敷席
最初から最後まで満員の桟敷席でした

開始30分ほど前に諏訪神社前に到着したが、観覧客がぞくぞくと階段を登っている。遠くに見える長坂の階段席はすでに人でいっぱいである。

踊馬場の長坂はすでに人でビッシリ

くんち運営の世話をする“年番町(ネンバンチョウ)”の人たちが踊馬場の桟敷席(4名一桝)への誘導をテキパキと行なう。われわれの桟敷は中段ほどのところにあった。馬場の一番手前奥が見づらくはあったが、超・入手困難な今年の桟敷席、感謝!感謝である〔長崎の叔母の強力(キョウリョクじゃないよ、ゴウリキと読む)でGet!〕。 後日(アトビ)の9日にはアノ小泉純一郎元首相も観覧に訪れていたが、彼は最前列の席で、まぁ、見やすかっただろうなぁと、どこまでこの男はわたしの神経を逆撫でするのだろうと、つまらぬことを思ったものである。

ともあれ、その桟敷から“平成23年の長崎くんち”の初の“奉納踊り”を観覧する栄に浴したのだから、結構と云わねば罰が当たるというもの。そして、午前7時、“奉納踊りの開始”を知らせる花火が「ド〜ン!」と秋空に轟き、いよいよ本場所がスタートした。


今年の踊町(オドッチョウ)は紺屋町・出島町・東古川町・小川町・本古川町・大黒町・樺島町の7ヶ町である。


踊町について、「長崎くんち ミニ事典」(長崎伝統芸能振興会)は、「その年に奉納踊を披露する当番の町を踊町という。現在、長崎市内に全部で59カ町存在し、7つの組に分けられている。当番は7年に一度回ってくる。」と説明している。「寛文12年(1672年) 町の数が77ヶ町に増えたので、11ヶ町づつ7年廻りとなり、近年までこの組み合わせが続く」(くんち塾フォーラムより)とあり、この7年巡りの方式を崩すことなく340年もの間、その踊町の役回りを継承してきた長崎の人々に深い敬意を表するところである。


さて、2011年の演し物(ダシモノ)だが、踊り、曳き物、担ぎ物があり、それが諏訪神社の神前で各町趣向を凝らし、順次、奉納されてゆく。以下に踊番組順に紹介するとしよう。


踊馬場にまず傘鉾が登場する。重さが百数十キロもする“傘鉾”は、必ずひとりの“傘鉾持ち”が担がなければならず、踊町の行列の常に先頭に立ち、何人(ナンビト)もその前へ出ることは許されないという。“傘鉾”は各町毎一基所有するが、町標、いわば江戸の町火消しの纏(マトイ)のような意味合いを持つものであるが、それぞれ飾り付けに趣向が施され、その町の歴史や特色が見てとれて興味深い。


この傘鉾は次に出て来る華やかな“演し物”の前に登場するわけだが、演し物の先触れということではなく、馬場をぐるりと回ったり一か所でクルクル回転したりすることが神様への“傘鉾の奉納”として位置づけられている。したがって、紋付き袴姿の踊町の会長以下役員も傘鉾のうしろに続き入場し、くんち独特の山高帽も神前であるため脱いで登場することとなる。


傘鉾奉納の後に、今度は“先曳き”と呼ばれる子供たちが親に付き添われて時計回りに入場するが、婦人方は神前であるためやはり日よけ傘を閉じて登場する。“ハレの日”に子供の衣装、母親たちの着物姿がこの上なく美しい。


そしてその人たちが退場し、いよいよ“奉納踊”すなわち“演し物”が登場する。演し物は、踊り、曳き物、担ぎ物などに分類されるが、“長崎くんち”が、「遊女高尾・音羽の両人が神前に謡曲小舞を奉納(1634年)」したことを嚆矢(コウシ)とすることから奉納踊が主体の祭りであった事は想像に難くない。


人気の高い担ぎ物の“コッコデショ”(樺島町)も寛政11年(1799)に初登場し、その歴史は212年ということになり、“くんち”の歴史の半分ほどの期間でしかない。


さて、付け焼刃の講釈はほどほどにして、早速、写真で2011年の踊町の“演し物”をお見せしよう。


第一番 紺屋町:傘鉾・本踊

傘鉾
紺屋町・本踊
本踊・稔秋染耀千種彩(ミノルアキソメテカガヤクチグサノイロドリ)

第二番 出島町:傘鉾・阿蘭陀船

傘鉾
長崎くんち・出島町阿蘭陀船
阿蘭陀船を回す
阿蘭陀船

第三番 東古川町:傘鉾・川船

傘鉾
東古川町・川船網打ち
菊池在真君の見事な網打ち
東古川町・川船
川船を曳く

第四番 小川町:傘鉾・唐子獅子踊

傘鉾(トイレに行っていたので、写真は市役所通りの傘鉾行列のもの。小川町の皆さん、スミマセン・・)
小川町・唐子獅子踊
肩車した唐子獅子踊

第五番 本古川町:傘鉾・御座船

傘鉾
本古川町・御座船
御座船
囃子
本古川町・御座船
挑む、鬼の形相
本古川町・御座船
男の美学、ここにあり!!
御座船・寸止めへ挑む
いざ!!寸止めに挑む
御座船を回す

第六番 大黒町:傘鉾・本踊・唐人船


傘鉾
大黒町先曳き・親子で”ハレ”の衣装
大黒町唐人船
唐人船
DSCF0352
本踊・うかれ唐人
DSCF0338
長崎ならではの異国情緒豊かな装束

第七番 樺島町:傘鉾・太鼓山〜コッコデショ


傘鉾
コッコデショの登場
この少年の反り返りにまず度肝を抜かれる
樺島町・太鼓山コッコデショ
颯爽と登場した太鼓山
コッコデショ・天空舞
これが噂の天空舞である
コッコデショ・見事に片手支え
ピタリと片手止め、お見事!!

太鼓山が廻る
もってこ〜い! もってこい!
よ〜し、戻ってきたぞ
もう一回、キバレ!
もう一回、キバレ!!
コッコデショ・見事な天空舞
天空舞、太鼓山は空高く、すばらしい
コッコデショ・見事に止めた
ピタリと止めた
片手止めが決まり、子供たちが一斉に反り返る、綺麗だ!
さぁ、最後だ・・・階段へ向かってゆく
7年後に会いましょう!!

午前7時に始まった2011年の踊馬場での奉納踊は、興奮と歓声の中で午前1047分に無事終了した。


今年は7年ぶりに“コッコデショ”が登場するということで、前評判も例年に増し高かったというが、もちろん樺島町の“コッコデショ”は豪快で恰好よかったが、紺屋町や大黒町の本踊での名取衆や芸妓衆の華麗な舞姿、そして石畳にじかに坐って唄い、爪弾く地方衆の背筋の伸びたたたずまいは殊のほか粋で姿良いものであった。


また、出島町の阿蘭陀船や大黒町の唐人船も豪快かつ華麗であった。東古川町の川船と少年の網打ちの姿はキリリとして美しかった。小川町の唐子獅子踊は肩車というサプライズもあり、その軽妙な動きとあわせて新鮮な驚きを覚えたのか会場は大いに沸いた。


最後に、わたしが最も感激したのは本古川町の御座船である。青々とした坊主頭に波濤をあしらった真青の衣装。そして長采の田代英樹氏をめがけて20人の根曳衆が“寸止め”に挑む。その瞬間の男の気迫ある形相は、わたしの脳漿を完璧なまでにしびれさせた。


これこそ、“男の美学”と、唸ったものである。


また、来年も“おくんち”にコンバ!!と、かたく心に誓ったわたしであった。