かねて一度は訪ねて見たいねと言いつつ、行けなかった“万治の石仏”にようやく会うことができた。「南無阿弥陀仏万治3年11月1日願主明誉浄光・心誉廣春」と胴体向かって左下に刻まれていることから、万治3年(1660)に明誉浄光と心誉廣春二人の祈願によって造られたものであることが分かる。そこで、この石仏を「万治の石仏」と呼ぶようになり、この地に「下諏訪町字石仏」という地籍を残すなど、この石仏が庶民に慕われ、祈願の対象として大切にされてきたことがうかがわれる。 石仏は、諏訪大社春宮から徒歩3分のところにある。 境内でお参りしてから、春宮の脇を流れる砥川の中州にある浮島神社を抜け、朱塗りの橋を渡ってすぐに“万治の石仏”は鎮座していた。 一見して、圧倒的な存在感である。そして不思議だけれど、どこか懐かしい温かみをもった石仏であった。 奇才岡本太郎が絶賛したというが、これだけの石仏である。岡本太郎でなくとも、一度、見たら、このどこか愛嬌のある石仏である、誰しも、大好きになるのは請けあいである。 すこし気分が落ち込んだときとか、ちょっとさみしいなぁと思ったときなど、お顔を拝見に行ってみたらいかがであろうか。 “万治の石仏“さんに会いに来た人はみんな、石仏の周りを時計回りに3回廻って、各々の願い事をしていた(案内板にそう書いてあった)。 もちろん、わたしも3回廻って、万治さんのメタボな胴体にそっと手で触れ、「家族が健康でありますように」、そして「大震災の被害にあわれた方々に早く穏やかな日々が訪れますように」とお願いしました。
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