東日本大震災により電力の需給ギャップが発生、計画停電というかつてない事態に首都圏は見舞われた。


午後7時からの計画停電・居間の液晶画面に映る蝋燭の灯

 今回の福島第一原発事故により首都圏の快適な生活の多くの部分を、首都圏から200km以上離れた東北の地で造り出されていた電力に依存していたことをあらためて認識し直した人も多いと思う。


オフィス廊下も消灯し、朝にもかかわらず真っ暗

 

 いま福島や茨城の人々は放射能という目に見えぬ恐怖に日々脅かされ、日常生活、いや個々人の人生そのものの存立基盤が根っこから崩壊しようとしている。その犠牲のもとに成り立っている首都圏民の人生。いろいろと考えることが多い。

 

 そして沖縄普天間基地問題も同様だとあらためて思った。国の安全保障を一地域に過酷な負担を背負わせることで担保する。

 

 計画停電の街を歩いて、各々が節電に心がける自発的行為を目にすると、当然とは言いながら、まだまだ日本人の公共道徳がすべて喪失されたわけではなかったと少しほっとした部分はある。

 

しかし、これまでの補助金・助成金をばら撒き一地域に過酷な負担を強いる形で全体の安全・安心を確保する国造りのあり方はこれから大きく見直される必要があると強く感じた。

 

 政府の復興へ向けた動きはなきに等しく、当座の復旧の目途すら立っていないというのが実態である。

 

政府は復興へ向けた整合性のとれたグランドデザインを早急に示し、その行程表を明らかにしてほしい。計画停電のあり方ひとつとってもそうだが、現在の場当たり的な政府の対応に被災地の方の苛立ちも限界にきているのではないだろうか。