311日の東日本大震災からもう三週間余が過ぎた。まだまだ、被災された方々へ必要な物資も届いていない。お風呂もこの3週間余入っていない。被災地の衛生状況は日に日に悪化しているという。復旧の具体的目途すら立っていないというのが、残念ながら無政府状態のわが国の現状である。

 

 そうしたなか、某知事が「花見自粛」を訴えた。未曾有の大災害、国難の時に、浮かれて花見などとんでもないということだろう。


氷室神社拝殿

 

 叔母の一周忌で奈良を訪ねた家内が近くの氷室神社へ参拝した(43日)。枝垂れ桜が満開だった。


 あまりに見事だったので写真を撮り、こうしてわたしに見せてくれた。


4月3日の朝、満開の枝垂れ桜

 

 氷室神社は遠く奈良時代、元明天皇の御世、和銅3722日(710年)、勅命により平城新都の左京、春日の御蓋の御料山(春日山)に鎮祀され、七十余年の間、41日〜930日に平城京に氷を献上し続けたという。都が移ってからはその献氷の勅祭も途絶え、貞観221日(860年)の清和天皇の御世に現在の地に奉遷せられたとのこと。

 

 今から1300年前に創建された氷室神社。平城京において朝廷の恩寵もさぞかしであったろうが、平安京へと都が遷るやその栄華もさびれ、創建150年後には遷祀され、春日大社の別宮となった。

 

 その後、氷室神社は「南都流舞楽」の本拠として平城京の舞楽を営々と伝承していった。三方楽人(奈良・大阪・京都)の一角として明治国家に召され、その心技は現在の宮内庁楽部へと一本の糸として紡がれてきている。


拝殿前の「南都舞楽」説明書き

 

 氷室神社の四脚門の右手前に枝垂れ桜は植わっている。


四脚門前に植わる枝垂れ桜

 

 千年は一日の如くまた一日は千年の如しと教え諭すかのように、それでも枝垂れ桜は満開の姿を人々に見せている。

 

それでも春はやって来るのである。

 

いい写真を見せてもらったと妻に感謝している。