神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 1

神々のふるさと、対馬巡礼の旅--- 16 海神神社(上)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅--- 15 阿麻テ留(アマテル)神社(上)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 4(大吉戸神社・鋸割岩・金田城・和多都美神社)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 番外編(大吉戸神社と金田城の謎・金田城は椎根にあった!)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 補足(参考・引用文献について)

 当社は、木坂の海神神社とならび神功皇后の新羅征伐凱旋時の伝承を持つ八幡宮の発祥に深く関わる神社である。木坂八幡本宮(海神神社)に当初納められた八旒の旗が、のちに二旒ずつこの府中八幡宮、黒瀬の大吉刀神社(城八幡宮)、大分県の宇佐八幡宮に分けられたとする伝承が海神神社に残されていることは、同神社の項において詳述したが、府中八幡宮や宇佐八幡宮がこの伝承を一切紹介していないのはきわめて残念であり、日本国民の財産として共有すべき「ひと時の歴史」を私する行為であり、厳しく非難されるべきものと考える。



右手石段を昇ると神門を抜け、拝殿・本殿へ

拝殿

拝殿内

拝殿から本殿を

境内社として延喜式式内社の宇努刀(うのと)神社が
 

(海神神社に残された「八幡」の伝播の伝承)

代々の対馬國総宮司職の家系である藤仲郷(トウ・ナカサト=斎長の子/17331800)が「対州古蹟集」のなかで八幡宮縁起について以下のごとく言及。

「皇后征韓の時、供奉の御旌八旒を此州〔木坂八幡宮〕に留玉ふを廟主とす。其の鈴二口宝とす。〔八旒の旗の内〕二口は府の八幡宮に分置し、二口は豊前宇佐宮に分ち、又二口は黒瀬城〔城八幡宮〕に納むと。今、州〔対馬の〕中に伝もの六口也」と、八幡宮の発祥が対馬にあることを述べている。



神門扁額

神門内より

(厳原八幡宮概要)

    住所:厳原町中村字清水山645

    社号:八幡宮。木坂八幡本宮に対し、「新宮」と称す

    祭神:神功皇后、応神天皇、仲哀天皇、姫大神、武内宿禰



神門を入ると神功皇后の銅像が
 

    由緒(木坂八幡宮と内容的に同一)

神功皇后が新羅御征伐の時、対馬に御着船し、上県郡和珥津より新羅に渡り給ひ、新羅を平げ給ひ、高麗、百済も亦(マタ)来臨し、御凱旋の時、下縣郡與良の地(今、厳原と云ふ)に着御す。清水山を叡覧あり、此の山は神霊の止(トドマ)りぬべき山なりと宣ひ給ひ、御幸ありて、岩上に御鏡と幣帛(ヘイハク)を置かれ、皇后親(ミズカ)ら天神地祇を祭り給ひ、永く異國の寇を守り給へと祈り給ひ、神籬磐境を定め、亦朕が霊も共に此の山に止まらんと宣給(ノタマ)ひし遺蹟なり。天武天皇白鳳四年(664年)の勅により、同六年(666年)此の地に宮を作らし給ひ、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、仲哀天皇、姫大神、武内宿禰五柱[ここでは六柱。仁徳は応神の次の天皇である故、当初、仁徳は除かれていたのではないか。後に仁徳天皇時代に外寇ある時、清水山より吹いた神風で敵の船団を壊滅させたとの故事が伝わるが、その時点で仁徳が祀られ、六柱と思われる]の神霊を御鎮祭ありて、八幡宮と称し奉る。八幡宮と称するは、皇后新羅御征伐の時持せ給へる御旗八流残し給ひしに依る。(明細帳)



    厳原八幡宮は、木坂の八幡宮(海神神社)に対し「国府八幡新宮」と称された。また中世の頃は、上県郡にある海神神社を上津八幡宮、下県にある当社を下津八幡宮と称していたこともある。

    上記の由緒ある古社の神官は、宗家以前の対馬の豪族、阿比留氏である。対馬藩主である宗家は、阿比留氏の影響が大きく、「政教」の「教」という重要な伝来の神事を任せることで、その支配をスムースに行おうとしたことがうかがわれる。



    式内社として、宇努刀(うのと)神社平(ひらの)神社が境内社として祭祀されている。



この石段上に今宮・若宮神社が
 

    さらに今宮・若宮神社(天神神社)が境内社として祀られている。祭神は小西行長の長女として生まれ対馬の宋義智(宗家20代・徳川幕府初代対馬藩藩主)夫人として金石城に入った小西夫人マリア(クリスチャン)とその御子。今若・若宮神社として祀られていたものが天神神社と合祀されて現在に至っている。



今宮・若宮神社
 

宇努刀(うのと)神社】

・祭神:素戔嗚尊

・境内看板に「本社は神功皇后新羅征伐畢らせ給ひ凱還の時上県郡豊村に着給ひて島大国魂神社を拝し夫より佐賀村に着せられ此の地に島大国魂神社の神霊を分つて皇后親から祭り給ふ。延喜式神名帳に載る上県郡宇努刀神社定なり。延徳三年六月十四日佐賀村より下県郡厳原町八幡神社境内に遷し祭る」と由緒が記されている。


宇努刀神社
 

【平(ひらの)神社】

・祭神:天穂日命(アマノホヒノミコト)・仁徳天皇・日本武尊・菟道稚郎子皇子(ウジノワキイラツコノミコ)

・境内看板に「本社は瓊々杵尊の朝天日神命津島県主たりし時に祖神天穂日命を祭られしなり其の後日武尊仁徳天皇莵道皇子の三神を加祭す。延喜式神名帳にのる下県郡平神社是なり」と由緒が記されている。




    天穂日命(アマノホヒノミコト):天照大神の第二子、出雲国造・出雲大社宮司の祖。天照大神の第一子(天穂日命の兄)が天忍穂耳尊(アマノオシホミミノミコト)で、天皇家の祖。天忍穂耳尊の子が瓊々杵尊(ニニギノミコト)。瓊々杵尊の子が海幸帆・山幸彦。

    菟道稚郎子皇子(ウジノワキイラツコノミコ):応神天皇と和弭臣の祖で日触使主(ヒフレノオミ)の女、宮主宅媛(ミヤヌシヤカヒメ)との間の皇子