民主党代表選挙の最後の演説を聞いた。  

 まず、小沢一郎候補である。政治と金の疑惑が払拭されないなかでの出馬である。マスコミの言う世論なるものでは圧倒的に菅代表に差をつけられたなかでの厳しい代表選挙であった。 

 最後の演説は同氏の政治家としての信念、なぜ今回、総理をめざすのかを明快に述べたものであった。  口下手と言われてきた小沢一郎が、この代表選の過程のなかで、日に日に、その演説力を増していった。

そして、今日、彼の最後の訴えは終わった。

彼を取り巻くこれまでの政治資金疑惑や強引な政治手法、マスコミに作られた悪道政治家の顔、そうした負の側面を考慮しても、政治家としては面目躍如の演説であった。 もう少し、早く、この説得力ある言葉を聞いておきたかったと、いま思っている。

それに引き替え、菅代表の演説は、総理になりたい、引き続き総理を務めたいと、猫撫で声で連呼するだけのものであった。

総理大臣になって何がしたいのか、どういった国造りをしたいのか、何らビジョンを語ることはなかったのである。 一国を率いるリーダーである。みんなで仲良くやっていこう!だけでは、この厳しさを増す国際情勢のもとで国の舵取りを任せるのは余りにも心許無い。

菅首相は第三の道について、今日の演説で語ることはなかった。 それが政治信念であれば、当然、語るべきであった。また、既に概算要求の出ている来年度予算において、第三の道なるものが数字としてどう具体的に組み込まれているのか、国民の前でハッキリと語るへきであった。

その都度、綺麗ごとを並べ、その場凌ぎをする政治は、鳩ポッポでもう、うんざりである。 首相がコロコロ代わるのは、確かによろしくない。

しかし、政治家の資質に欠けるビジョンなき総理大臣をいただくことは、国益に反する最悪の選択であることには間違いがないところである。

それにしても、ここまでの大差で敗れた小沢一郎という政治家も、結局は、あまりにも人望がないという意味で、国家のリーダーたる資格はやはりなかったのだと云うしかない。

政治の劣化が云われてもう何十年が経ったのだろう。日本の国際的地位の低下がそのことを見事に語っている。

嘆くだけでは何も生まれないことは分かっているが、民主党の現実を目にすると、悲観的に将来を考えるしか、やりようがないのも、残念ながら事実である。