鳩山総理のその場しのぎの発言や小沢幹事長のあこぎなやり口など、最近の民主党政治のあまりの体たらくさ、傍若無人振りにあきれ果て、加えて、民主党に多くを期待し過ぎた自分の愚かさを恥じて、しばらく政治に関するコメントを控えてきた。

 

 しかし、「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律案」(高校無償化法案)や「平成二十二年度における子ども手当の支給に関する法律案」(子供手当法案)の参議院選挙前の4月・6月施行を最優先とした国会審議のあり方や、普天間基地移転問題への朝令暮改も甚だしい無責任な対応振りを見せつけられては、もう口をつぐんでいるわけにはいかない。

 

 冒頭のまず参議院選挙ありきの強引な国会運営や安全保障の根幹である日米関係に亀裂を生じさせている普天間移転の問題に、ゆうちょ銀行の預け入れ限度額問題の迷走。そして、過去最大規模の22年度予算(92.3兆円)の成立と過去最大規模の新規国債発行(44.3兆円)、国債依存率(48%)と、悪い意味での過去最高の更新予算、などなど。かなり昔の自民党の利益誘導型の政治が、この時代に亡霊のように蘇えってきたようである。

 

 いずれにせよ、こうした対応は国民の思いとは大きく異なり、国民目線からはほど遠い政治と言わざるを得ない。

 

 昨年916日に国民の大きな期待を担ってスタートした鳩山内閣も、最近の政治的迷走の繰り返しにより、国民の我慢の限界もこれまでというかのように、内閣支持率は33%へと釣瓶落としに急落(読売新聞424日全国世論調査・前回357日調査は41%)。

 

然るに自民党の支持率は横ばいから逆に下落(同20%→16%)という惨状。挙句の果て、国会議員たった6名の政党である「みんなの党」の支持率が4%(同3%→4%)へと上昇、民主、自民に次ぐ支持率を得るなど、本当にこの国、どうなっちゃったのと言いたい。

 

 まぁ、これは、民主に失望した国民の既存政党に対する切り捨ての証であり、その負託を受け得る本格的な政党が存在しないことの証であると、評論家風に言えばそうなのだが、それとて犬の遠吠えにすぎない。

 

 そして、ここに来て、平沼赳夫元経済産業相、与謝野馨元財務相らによる新党の党名が「たちあがれ日本」と決まり、この10日の旗揚げが確実になったと報じられた。新党立上げの中心となった平沼、与謝野両議員は自民党の中でも政策通で通り、筋を大切にする政治姿勢にある種の安心感はある。

 

 しかし、この新党構想も基本大綱など党のビジョンを見ぬことには何とも言えぬが、どうもご両名の70歳、71歳という年齢に引っかかるのか、清新さを欠くのか、国民の盛り上がりには大きく欠けると言わざるを得ない。もう10年早ければという気がして残念である。

 

 さらにこの「たちあがれ日本」の党名は石原慎太郎東京都知事が命名したということだが、政治家たるもの政治信念こそ命である。新党の党名にその信念を語らずして、他人からの借り物で立上げようというのも、どうもわたしにはしっくり来ないのである。

 

 いずれにせよ、この国は本当に夢も活力もない三等、いや五等国に成り下がってしまったようだ。その責任は政治家ではなく、わたしを含めたこれまで選挙権を有してきた国民にあることは言うまでもない。脱力感、無力感、虚無・・・、いや、自己嫌悪、自業自得、因果応報・・・。どんな言葉で今の気持ちを表わせばよいのかまったく分からぬところに、いまの問題の根の深さがある。