信州の鎌倉 その1=塩田平
信州の鎌倉 その2=北向観音堂
信州の鎌倉 その3=安楽寺
信州の鎌倉 その4=常楽寺
信州の鎌倉 その6=中禅寺・薬師堂(重要文化財)
長野県上田市前山300
前山寺(ぜんさんじ)は平安時代の弘仁三年(812)、護摩修行の霊場として空海上人が開創したと伝えられる古刹であり、ご本尊は大日如来である。奥の院が独鈷山に祀られていることから山号を独鈷山と称し、奥の院の場所には弘法大師が独鈷(とっこ)を埋めたという伝説が残り、大師が修行したあとと言われる岩窟も存在する。
当寺は独鈷山の一支脈となった弘法山(旧独鈷山)麓にある塩田城跡から東に100mのところ、塩田城の鬼門の方角に位置する。そのため塩田城の祈願寺として塩田北条氏や村上氏など歴代城主からの信仰が厚かったという。前山寺からは眼下に塩田平が一望でき、やや西南の端には別所温泉の賑わいと北向観音を遠望するなど、塩田城とほぼ同一の位置関係にあることから、戦略的場所に建っているともいえる。そのためか前山寺が建つ石垣は遠くから眺めると、城壁のように見え、しかも寺を囲う白い漆喰壁に穿たれた通風孔も、心なしか銃眼のように見えた。ひょっとしたら戦国時代には出城として利用されたのではないかと思ったものである。それほどに外観はお城の威容を感じさせるものであった。
黒門(冠木門)をくぐって200mほどの長い参道を抜けてゆくのが本来の前山寺への参拝のあり方ということであったが、われわれは薬医門より逆に黒門のある参道の方を眺めた。なるほど一見しても、なかなかに風情のありそうな参拝道であった。
さて薬医門を抜けて境内に入ると左手に本堂がある。その本堂の南西の小高い丘、薬医門正面に「未完成の完成の塔」と呼ばれる美しく簡素な三重塔がある。
まず本堂は間口十間、奥行き八間の堂々とした建物である。そしてびっくりするのが手入れの行き届いた分厚い茅葺の大屋根である。正面の向拝(ごはい)に「本」の刻み文字があるが、寺務所が閉ざされていたのでその意味を問うことが出来なかった。魔除けか厄除けのお札のような意味を持つのかも知れぬなどと思ったが、今度、訪ねる機会があればご住職に伺ってみたいと考えている。
三重塔へ登る石段の下には、胎蔵界大日如来の真言が梵字で「アビラウンケン」と書かれた石碑が建っている。階段の上には宝経印塔が建ち、横に銀杏の樹が植わる。その大樹と競うようにして三重塔が青空をバックに聳えて見え、美しい。国の重要文化財に指定された「未完成の完成の塔」である。
この塔が「未完成の完成の塔」と言われるのは、二層、三層に窓や扉、縁や勾欄といった通常であれば、当然、存在するものがないことで、簡素な三重塔の単純さがかえって「造形の美」を生み出し、「未完成の完成」というアンビヴァレンツな形容詞が冠されたものである。
それほどにざっと見には完成された三重塔に見えるのだから、工事中断といっても、室町時代初期の建立と推定される当時の職人たちの並外れた技能と美意識には脱帽するしかない。是非一度、ご自身の目で確かめられるとよい。騙し絵を見せられたようで、「あっ!」と叫ぶこと請け合いである。