谷公士(まさひと)前人事院総裁の任期途中での辞職(911日)により空席となった人事官ポストに、民主党政府は114日、江利川毅前厚生労働事務次官を充てる同意人事を国会に提示した。

 

 民主党はかねてより脱官僚を強く訴え、政権奪取後もそれを強く意識した政権運営を行なおうとしている。

 

 また政権交代を許した国民の意識の内に、省益あって国家なしの縦割り官僚主義の弊害や「渡り」を含めた天下りに対する批判など、国政を自在に扱う官僚主導政治への不信や反感があったことも確かである。

 

 そして、自民党政府時代の20083月、日本銀行総裁の同意人事において、武藤敏郎副総裁の昇格を同氏が元財務事務次官であったことを理由に民主党参議院が反対し、成立しなかったことはまだ記憶に新しい。そのときは大手新聞各社も民主党の対応に異を唱えたが、結局、中央銀行総裁が20日間にわたり空席になるという国際的にわが国政治のガバナンスが問われる事態を招来した。

 

 そうした国内外の顰蹙をかってまで、脱官僚、反官僚を主張してきた民主党であるが、この臨時国会の閣僚答弁や新年度予算作成において、霞ヶ関の全面協力を得られぬ民主党は悪戦苦闘している。

 

実際問題として、行政府の手足となるべき官僚組織のサポートなしに日々の行政サービスはありえぬし、必要に応じての緻密な国会議論も為しづらい。理念で政治を語ることは出来ても、国民生活を理念のみで守ることが出来ないのも道理である。

 

 国会同意人事事項ではないものの、斉藤次郎元大蔵省事務次官の日本郵政社長就任については、天下り全面禁止の基本方針と矛盾するとの批判が噴出した。それに対する平野博文官房長官の説明はしどろもどろであり、日銀総裁同意人事の反対理由と一体、どこが違うのか判然としない。

 

 しかも今回の人事官任命は国会同意人事である。「一番、公務員の実態を分かっている方が好ましい」という平野官房長官の説明だけでは、これまでの自民党政権時代に何が何でも官僚OBは反対と強弁してきた姿勢との乖離は大き過ぎる。

 

 わたしは、だからと言って、官僚OBを就任させるこの人事がおかしいと言いたいのではない。天下りがおよぼす弊害や官僚が実質的に主導する政治のあり方が問題であって、その解決策は早急に講じるべきであるが、そのことと、「官僚であった過去」がその人物のその後の職業選択まで奪ってしまうあり方は、おかしいと考えているのである。

 

 優秀な人材であり、その適性が活かされるのであれば、わたしはこうした公益性の高いポストに官僚OBが就くのも、何ら差支えはないと思っている。

 

 要は、役所からの仕事の受注とのバーターとしての天下りや、ただ「禄を食む」ためのトンネル機構的、OB受け皿組織的な独立行政法人や渡りなどが問題なのであって、本当に必要な仕事をテキパキこなしてくれるのであれば、前職や経歴がどうであろうと、適材適所でやればよいのである。

 

 逆に、有能な人材をただ官僚OBであるからといって排除する社会こそ、教条主義が支配する怖い社会であり、非効率な社会であると考える。

 

 今回の江利川毅(えりかわたけし)前厚生労働事務次官が、人事官としての適性があるかどうかは分からぬ。しかし、「天下り全面禁止」の主旨は、その弊害や国民の不利益になることは是正し、解消しようということであって、何が何でも官僚OBは全てダメという、魔女狩りを推奨するものではないはずである。

 

 民主党も政権の重責を担ったことで、官僚の優秀さや使い道も見えてきた部分もあろう。ここらあたりで、国民にとって利益をもたらす官僚の活用については、一歩、踏み出してもよいのではないかと思う。今回の同意人事がそのよい機会なのではないだろうか。「君子豹変す」でも良い、「朝令暮改」でも良い。つまらぬ詭弁を弄することなく、民主党は国民に利すると判断したときは、前職に拘わらず適材適所で同意人事を国会に提示すると、この機会に「臨機応変」で堂々と宣言すればよいのである。