2の8 修学院離宮・上御茶屋・隣雲亭
【隣雲亭(りんうんてい)】
御成門を抜けて白い砂利敷き(白川石?)の階段をゆっくりと上ってゆく。両脇にあるのは高さ1m余の刈込に過ぎないのだが、足元に目が行くためか視界は見事に遮蔽されるから不思議だ。そして人一人が漸くといった狭隘な道幅からくる閉塞感とも相俟って、客人はただ一心に頂上を目指すといった心持ちになる。
だからこそ標高149mの高処に建つ隣雲亭の小さな前庭に一歩をしるしたときの得もいわれぬ安堵感と開放感は格別である。下御茶屋から標高差40mを上り来た雅人にとって比叡下ろしの涼風は、一服の茶のもてなしのように思えたのではなかろうか。それは心憎いばかりの演出であり、後水尾上皇は希代の舞台演出家と評するのが適切なのかも知れない。 隣雲亭から西浜堰堤を望む
隣雲亭は簡素過ぎるほどに簡素に造作されている。二の間の3畳、一の間の6畳それに4畳の板の間が浴龍地に向けた表側に直列にならび、洛中市街に向けて全面が開放されている。裏側に控えの間として8畳と6畳二間が用意されている。小高い丘の上に風が吹き通り、夏でも居心地の良い建屋となっている。 隣雲亭の簡素すぎる室内
隣雲亭の廻り縁の下敷きは、以前は白漆喰でぬられ一二三(ひふみ)石が埋め込まれていたが、拝観者が靴の踵で傷つけることが多く、修復が頻発し、今ではセメント敷きとなっている(宮内庁職員の説明では、結構、悪戯が多かったとも)。 セメント敷きとなった下敷きの一二三石
埋められた石は、漆喰の時代は一つ石が赤、二つ石は青、三つ石が黒色の組み合わせとなっていたが、現在はご覧のようにその調和は崩されている。拝観者のマナーの悪さがこうした日本人の繊細な伝統の風雅といったものを壊してゆくのであって、残念でならない。まぁ、眺望にばかり目を奪われずに、足元もじっくりと見つめて見るとよい。
「一二三石」の解釈については、曼殊院門跡の39代門主で天台宗の碩学といわれた故山口光円師(1891-1972)が「天台にいう『一心三観』の法門から、景色の実相をながめる嗜好に見えてくる。一二三石とは空観(くうがん)、仮観(けがん)、中観(ちゅうがん)で、この三つが一つの白いしっくいでつらなり一心のしっくいは、三観という三つのものの真の見方となり、広範な景色は、その実相をあらわしてくる」と語っておられるが、凡人のわたし如きはその御説明をご紹介するのが精一杯である。
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