TBSはそのHPでテレビ番組ジャンル別メニューとして、次のような仕分けをしている。


「ドラマ」、「バラエティ」、「生活・情報」、「報道・天気」、「アニメ他」、「スポーツ」、「音楽」、「ドキュメンタリー」等である。

そのなかで「みのもんたの朝ズバッ!」と福澤朗の「ピンポン!」は「報道・天気」のジャンルのなかで紹介されている。


各々の番組説明のなかで「みのもんたの朝ズバッ!」は総合司会をみのもんた氏としたうえで、さらに「“みの”は視聴者の代表です」と紹介されている。そして「“なるほど”いっぱいのニュース・情報番組です」と明確にニュース・情報番組と謳っている。

また一方の「ピンポン!」も総合司会は福澤朗氏である。そして「情報エンターテイメント『ピンポン!』はニュースから芸能、流行まであらゆるジャンルの最新情報を軽快にわかりやすくお茶の間にお届けする。最新の情報をさばく総合司会は、信頼性と明るさをあわせもつ福澤朗」と番組の性格が記載されている。

同じテレビ局で事実を伝えることを旨とする「報道番組」において使用される「総合司会」というタイトル。報道という修羅場で「総合司会」なる位置付けの役割はいかにも分かりづらい。そのことが両番組で奇しくも引き起こされた捏造疑惑問題や報道モラル・マナー違反問題に対する対処の仕方に表れたように思える。

その問題とは「朝ズバッ!」では言わずと知れた不二家問題である。また「ピンポン!」では石川遼選手の関東アマチュアゴルフ選手権のプレー取材である。

「新証言不二家の『チョコ再利用』疑惑」のタイトルで123日に放映された「朝ズバッ!」において、「もうはっきり言って廃業してもらい・・・、こんなバカなことをやっている不二家がそのまま社長が交代したからといってね、メーカーとして存続できること自体がおかしい。消費者をなめるんじゃない」とまで言い放った総合司会のみのもんた氏。その後、信頼回復対策会議の郷原信郎議長から捏造疑惑があると指摘されたニュース内容をもとに自らが口にした「結果としての暴言」に対する謝罪の言葉をこの「みのもんた」という「総合司会者」は一切、発していない。後日、アナウンサーの謝罪のあとで、「私もペコちゃんポコちゃん世代。再生した不二家を応援したい」と語り、コメンテーターらにミルキーを配って回るという人を食ったような対応で終始した。

その一方で「ピンポン!」における福澤朗氏は、番組ディレクターによる盗聴工作発覚直後の番組冒頭で「あまりに非常識な当番組の暴挙」と自ら一刀両断、断罪するとともに、「総合司会者は当然、総合責任者という意味も背負うわけで」と、総合司会者の責任のあり方を明確に述べた。そして「僕自身の処分、身の振りよう、この番組としての責任の取り方、今考えております」と、自らの進退から番組のあり方にまで踏み込んだ謝罪の言葉を口にしたのである。その言葉に権限範囲の捉え方など青臭さが鼻にはつくものの、まっすぐに問題に立ち向かおうとする姿勢は十分伝わってくる。

同じテレビ局で起きた問題報道、取材のあり方およびその取材に基づいた総合司会者の発言、そしてそれが発覚したときの総合司会者のこれほどまでの対応の違い。マスメディアは「番組編集権の独立」、「報道の自由」と言った言葉を事あるごとに言い募る。

しかし正当な理由があると見受けられるときでさえ、番組内容に非を唱えられたときに頑なに謝罪しないことがメディアにとっては「番組編集権の独立」や「報道の自由」を守る崇高な行為であるという、何かとんでもない勘違いをしているのではないかと思うことがある。


「朝ズバッ!」における
TBSおよび総合司会者の対応、そして石川遼選手の盗聴工作、ヘリ取材に対する井上社長の「ばっかじゃないか」会見といった対応がまさにそうである。

わたしにはこうしたメディアやその周辺に棲息する業界人の勘違いした対応こそが、国民の「知る権利」と表裏にある「表現の自由」「報道の自由」を危うくする行為であると思えてならないのである。

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日に開催された新生BPOの放送倫理検証委員会第2回会合において、「みのもんたの朝ズバッ!」での不二家の賞味期限切れチョコレート再利用報道について審理入りすることが決まった。委員にはぜひとも国民の「知る権利」を守る視点で厳正中立な立場において真剣な審理を行なって欲しいと願っている。