今年も歳末恒例となっている、一年の世相を表わす「今年の漢字」に「命」という字が選ばれた。京都の清水寺で、森清範(せいはん)貫主が特大の色紙に揮毫(きごう)する姿がテレビ映像で流された。たっぷりと墨を含ませた巨大な筆で、ゆったりと「いのち」の漢字が描かれた。その「線」は生命の重みを思わせる重量感にあふれそしてそのふくよかな極太の線は命の温もりを表わしているように見えた。この一年を総括したまさに正鵠(せいこく)を射た漢字であると感心した。

 

今年は小学生や中学生の学校内でのいじめに起因する年少者の自殺や、親が子を、子が親を殺害するという家庭内での傷ましい事件または幼い命が犠牲になるなど飲酒運転による悲惨な事故が多発した。海外でもイラクをはじめとする中東で頻発する自爆テロなどこの一年で日本を問わず世界中で不条理に奪われ、失われた「命」は数知れず、その軽んじられた「命」の数は枚挙に暇がない。

 

その一方で皇室では41年ぶりの皇族男子となられる悠仁さまという新しい「命」のご誕生という国民的な慶事もあった。

 

森貫主が渾身をこめて「命」の字を書き終えたあと、その「命」と描かれた墨痕(ぼっこん)という墨痕からまるで涙が流れ出るようにたっぷりとした墨汁が滂沱(ぼうだ)と下に垂れ続けたのである。その流れを止めぬ情景はまるで「命」という「漢字」が身もだえして泣いているように見えた。この一年は生命の誕生という喜びをはるかに超えて、あまりにも多く理不尽で不条理に命を落とす傷ましさが社会を埋め尽くした。そのことで天がまるで慟哭(どうこく)しているように思えてならなかった。

 

わたしはその真っ黒な涙を見て、来年こそは「命」という「漢字」が涙を流すことのない年にさせねばならぬ、「命」の尊さをもう一度、社会全体で見つめなおす年にしなければならぬと心から思った。