相次ぐ知事逮捕、地方分権の前にやるべき浄化

 

10月23日、佐藤栄佐久(67)前福島県知事が東京地検特捜部に収賄容疑で逮捕された。続いて11月15日には木村良樹(54)和歌山県知事が大阪地検特捜部に競売入札妨害容疑の共犯で逮捕された。かつては革新知事と持て囃された県知事の相次ぐ逮捕劇である。

 

バブル時代の放漫財政のツケとその後の長い不況のなかで、この国の地方社会は、シャッター街という言葉に象徴される経済的疲弊と、親が子を殺し子が親を殺すといった凄惨な事件に見える人心の荒廃という両面において、かつてない崩壊寸前の状況にあると言ってよい。中央と地方の格差は広がる一方である。まさに地方再生は待ったなしの喫緊の国民的課題となっている。

 

そうしたなか、国と地方の役割分担を見直すための推進体制等を規定する「地方分権改革推進法案」が、2日、第165回国会の衆院本会議で趣旨説明と質疑が行なわれ、審議が始まった。法案は3年間の時限立法で、第一章第一条で「この法律は、国民がゆとりと豊かさを実感し、安心して暮らすことのできる社会を実現することの緊要性にかんがみ、旧地方分権推進法等に基づいて行われた地方分権の推進の成果を踏まえ、地方分権改革の推進について、基本理念並びに国及び地方公共団体の責務を明らかにするとともに、地方分権改革の推進に関する施策の基本となる事項を定め、並びに必要な体制を整備することにより、地方分権改革を総合的かつ計画的に推進することを目的とする」とされている。

そして第二条ではその理念として「地方分権改革の推進は、国及び地方公共団体が共通の目的である国民福祉の増進に向かって相互に協力する関係にあることを踏まえ、それぞれが分担すべき役割を明確にし、地方公共団体の自主性及び自立性を高めることによって、地方公共団体が自らの判断と責任において行政を運営することを促進し、もって個性豊かで活力に満ちた地域社会の実現を図ることを基本として行われるものとする」と高らかに謳われている。同法が今国会で成立すれば、盛り込まれている手順に従い、政府は有識者7人による地方分権改革推進委員会を内閣府に設け、来年4月、同推進委メンバーを決定することになる。

 

そして最大の課題である国から地方への税源移譲についても、7日の衆院総務委員会で菅義偉総務大臣が「地方分権を支えるためには地方税を充実させることが必要」として、「法案第6条の『財政上の措置の在り方の検討』に(その議論が)当然含まれる」と答弁した。  旧地方分権推進委員会が2001年に提出した最終報告で今後の重要課題として指摘した「地方税財源の充実強化」について一定の答弁が行われ、地方分権推進の動きは明らかに、第二ステージに入ったと言える。

 

その矢先の度重なる県政トップの汚職による逮捕劇である。「地方公共団体の自主性及び

自立性を高めることによって、地方公共団体が自らの判断と責任において行政を運営することを促進し、もって個性豊かで活力に満ちた地域社会の実現を図る」と謳われた理念とあまりにかけ離れたこの醜態と国民に対する裏切り行為をこの両知事はどう弁明するのだろうか。

 

とくに木村良樹和歌山県知事は、平成15年5月に税源移譲問題に関連して、革新的知事の一人として、浅野史郎宮城県知事(当時)、麻生渡福岡県知事、北川正恭前三重県知事らで作る「地方分権研究会」のメンバー連署で、「三位一体改革の実現に向けての緊急声明」を発表している。そのなかで、「地方分権改革の目的は、住民と自治体が、国の関与と庇護から脱却し、地方のことは自ら決定し自らその責任を負う、自ら調達した財源で自ら立案した政策を実施するという、自立した地方自治を確立することである」と、強くアピールした。

 

今日の県政トップの相次ぐ逮捕劇を目の当たりにすると、税源移譲をして地方に好き放題させて、本当に大丈夫なのか、こうした地方行政を私(わたくし)する光景を見せられた暁には、まだ地方分権などこの国民にとっては時期尚早なのではないか、中央の監視の目が行き届かなくなるともっと地方での自侭な運営がなされてしまうのではないのかと、真剣に心配になってくる。同時に、両知事の厚顔無恥振りには正直、吐き気をもよおす。

 

改革推進法の目的に言われる「国民がゆとりと豊かさを実感し、安心して暮らすことのできる社会を実現することの緊要性」とは、地方分権以前に地方行政の大掃除に取り組むべきことなのではないだろうか。われわれはこれから明治維新以来続いてきた中央集権国家という国の仕組みを見直し、地方に権限を委譲し、地方が自らの手で再生を図っていくあらたな仕組み造りに取り掛ろうとしている。まさに新しい国家像を具体的に議論していこうとしているのである。地方の再生、新しい国家像を議論しようとする動きに水を差した今回の両知事の責任は極めて重い。どんな理由があろうともあってはならぬことであった。さらに岐阜県や長崎県で発覚した裏金事件、奈良県職員の長年にわたり黙認されてきた病欠問題など地方行政の紊乱(びんらん)の根は深い。

 

 われわれは地方分権という高邁な国家の仕組み造りを行なう前に、これまで以上に行政の姿勢に鋭く眼を光らせ、その浄化と透明性を高めていかねばならぬ。その正常化がなされてはじめて国民にとって意味のある地方分権が可能になるのだと考える。

 

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